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piano  作者: 永島大二朗
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過去との決別(十八)

 奥の部屋からは、ピアノの音が聞えている。

 博は、一人で聞きたいことがあったので、真由美には来客を伝えなかった。お盆に紅茶を入れると、不慣れな足取りで、そっと応接室に向かう。


「どうぞ。ティーパックですけど。レモンはありません」

 男が淹れた物に、そこまで期待するものではないことを伝える。

「ありがとうございます。大丈夫ですよ。うちの店も、ティーパックですから」

 それを聞いて博はまた笑った。博は増田の正面に来ると、座る前に自己紹介した。

「新田博です。きっと、ご存知なのでしょうけど」

 丁寧な挨拶を受け、増田も立ち上がって、自己紹介した。

「増田雄大です。ご存知でしたら幸いです」

 その言葉に博は驚いた。博は、一度は会って、取材してみたい人物だったからだ。

 博は両手で、増田に握手を求める。

「貴方がMr.Masudaとは! 驚きです!」

 増田は少し驚いたが、握手に応じる。斉藤の手と違い、ごつごつとした手だった。二人は応接セットに腰掛けた。

「チョビヒゲ、着けてるんですか?」

「そうなんですよ。日本ではね」

 そう言って増田はヒゲを外して見せた。そしてまた着ける。博は大笑いした。しかし溜息を吐いて、言った。

「それにしても、Mr.Masudaが斉藤の弟子だったとは。世間は狭いものですなぁ」


 増田は業界では知られたピアニストであったが、日本では無名だった。たまに『海外で活躍する日本人』として取材対象にノミネートされることもあったが、マスコミ嫌いなのか、アポイントメントが取れなかった。

 博はヨーロッパでも知名度がある響子を通じて、なんとか取材ができないかお願いしたことがある。しかしそれは、あっさりと断られた。その理由が、今にして判る。

 響子は増田が誰か、知っていたのだ。


「斉藤先生が宮本派を破門されてから、私も一緒に飛び出してしまいましてね。それっきり日本では、演奏出来なくなりました」

 増田がチョビヒゲを触りながら言った。

「そうなんですか。響子も宮本派であることは、もちろんご存知ですよね?」

 博はとぼけているのだろうか。それとも知らないのか。

 増田は、演奏出来なくなった理由を聞き流した博の顔を、じっと見ていた。そして博の質問に答える。

「はい。祖父から良く聞いていました。『超絶技巧の天才ピアニスト』が、うちにいると」

「えっ、祖父って、あなたは、宮本壮一先生のお孫さん?」

 増田は斉藤と新田の関係を知っていたし、新田がピアニストではないことも知っていた。だから祖父の名前が出てくるとは、思わなかった。


 宮本家は代々ピアニストも輩出する音楽一族で、家長の壮一には弟子も多かった。斉藤も響子も、その弟子の一人だった。

「宮本の長女の長男です。斉藤は母の妹と結婚したので、叔父に当たります」

 増田の説明に博はうんうんと頷き、頭の中で家系図を構築する。

「じゃぁ、早苗ちゃんは従姉妹になるんですね」

 頭の中で線を引き終わった博は、増田に聞いた。

「まぁ、従姉妹というか、一緒に暮らしていたこともありますし、どちらかと言うと、妹みたいなもんだったんですがねぇ」

 増田は少し照れた。

「なるほど。そういうことですか。じゃあ、芸能界を引退した時は、あなたと一緒にいたんですね」

 博は右手を増田の方に向け、何だと言わんばかりにソファーにそっくり返った。その様子に増田は、当時を思い出して答える。

「あの時はかなりショックでしたね。何の相談もなしに、いきなりドボンですからね。助けて頂いた人には、本当に感謝しています」

 そう言って増田は博に頭を下げた。博は慌てて手を横に振る。早苗を助けたのは、博ではなく山田という男、いや『あの男』ではない方の、山田だったからだ。


「実はあの時、早苗ちゃんを探していたんですよ。結局衝撃の事実を記録した動画が、インターネットに流れてしまったのですがね」

 その動画は早苗が寝た後、増田も見た。悩んでいた時期を知っていただけに、増田は涙で、最後まで見ることが出来なかった。

「一度インターネットに出ると消せませんからね。その内みんなが忘れてくれるのを、待つばかりです」

 博は気の毒そうに頷く。そして、斉藤について聞く。

「斉藤は、元気ですか?」

 そんな質問は、先日すれば良かったのに。


 斉藤は目の前にいたはずだ。しかし増田は、斉藤と新田との関係が冷え切っているのを知っていた。だから逆に、斉藤について聞いた『新田の勇気』に免じて答える。

「はい。元気ですよ。最近は明るくなって、そう、真由美さんがうちの店に来る様になってから、人前でピアノを弾くようになりましてね。この間なんて、『猫踏んじゃった』を弾きましたよ」

 増田は思い出して笑った。すると博は昔を思い出したのか、いきなり目から涙を流し始める。

「あいつからピアノを取上げたら、何が残るんだろうなぁ」

 ぼそっと博が言った。それは増田に聞いているというより、本当に独り言のようだった。

 それでも増田は、少し考えて答える。

「斉藤先生からピアノを取上げる? 世界数多にあるピアノを取上げる? いや、それは、不可能というものです」

 にっこり笑う増田に、博は勇気付けられた。

 しかし博が言いたかったのは、そういうことではないのだ。博は高校時代に、斉藤と語り合った『未来の夢』について語る。


「あいつは、あいつの夢は、ピアニストじゃなかったんです」

 思い出したように言う博に、増田は驚いた。


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