過去との決別(十七)
のんびりとした週末を過ごすと、日曜日の午後は、明日から始まる激務を考えてしまい、憂鬱になる。
そんな時はパチンコでもしてスカッとする。いや、負けることの方が多いので、スカッとするというより、財布がスカスカッとなる。
そんな冗談を一人で言っても仕方ない。博は残り少ない小遣を三倍に増やすことを目標に、家を出ようとする。
「ピンポーン」
「はーい」
「ピンピンポーン」
「はーい」
「ピピピポーンピポーン」
「誰だ!」
子供の悪戯だと思って博が扉を開けると、そこに立っていたのはノリノリで呼び鈴を押す大人が。増田だった。博は扉を閉めようとしたが、一瞬、思い留まった。
「あんた、早苗ちゃんと一緒に、写っていた人?」
「え? はい。そうです」
いきなり扉が開いて狼狽した所に、そう言われた増田の方が、凄くビックリした。何のことだか判らなかったが、一応『そうだ』と答えた、と言って良い。
博は今度の四月より、新しい編集部へ異動になるので、準備をしていた。そこでここ四年間の、資料整理をしていたのだ。
その中に、ディアノこと斉藤早苗を追っていたときの、資料もあった。博はその写真を改めて見たとき、真由美を連れ戻しに行った時に『あたふたしていた男』だと、後になって気が付く。そして、少しばかり反省していた。
博は扉を大きく開ける。増田は紙袋を前に差し出すと、博に言う。
「あのぅ、これはお嬢さんが、お店に忘れて行かれた物です」
博は紙袋を覗き込む。確かに、見覚えのあるバックだった。
「わざわざすいません。どうぞ、お上がり下さい」
博が奥へ案内しようとする。しかし増田は遠慮したい。
「いえ、これをお渡しするだけなので、それに、お出かけの所だったようですし」
そう言われて博は、自分が上着を着ているのを思い出した。
「いえ、ちょっとパチンコでもと思っただけなので。どうぞ」
そう言って自分だけ玄関に上がる。しかし、増田は動かなかった。博もそうだったが、余程響子が、凄い剣幕で押し掛けたに違いないと感じる。
「女房は、今日、帰りませんから」
言ってから『野郎に発する言葉』ではないと思った。しかし、増田はそれを聞いて安心したのか、ペコペコ頭を下げて玄関に入って来る。どうやら『正解』のようだ。
「おじゃまします」
「どうぞどうぞ」
その様子に、響子がどれだけ斉藤を敵視し、その仲間までも辛くしているのか判った。後ろをチョコチョコと付いてくるこの男が、何か気の毒にさえ思う。
博は応接室に案内すると、増田に聞く。
「コーヒーと紅茶、どちらが良いですか?」
「あ、それじゃ、紅茶でお願いします」
「はい。判りました」
そう答えたものの、はっと気が付いて博は振り返る。
「え、紅茶ですか?」
その質問の意味が増田には判らない。耳が遠いのだろうか。もう一度答える。
「え? はい。紅茶でお願いします」
そう明確に答えられて、博は苦笑する。
「いやぁ、貴方の店、『コーヒーしか出さない店』なのに、紅茶なんですか?」
少し嫌味を込めたつもりだった。増田はにっこり笑って、平然と答える。
「うちのコーヒーより美味しいのが、出てくるはずもありませんから」
「ありゃ、言いますねぇ」
博は顎を引き、声をひっくり返して答えた。自信満々に、失礼なことを言う男が気に入った。そして笑いながら、台所へ向かう。
確かにコーヒーはインスタントで、紅茶はティーパックだった。ティーパックの隣には、真由美のマークが入った紅茶缶が並んでいたが、それは淹れ方が判らない。




