* Silly Game
祖母の家に帰ると、既読にしたメールの中から、春休み中に届いたヤーゴのメールを探した。いくつかあるうちのものを順番に見ていき、本題と思われるものを見つけた。
《アウニがすげえうざい! ほぼ毎日会おうとしてくる! ヤりたいのかと思ってそういう雰囲気に持っていったら、カラダ目当てなんだとか言って怒りだした! トルベンとかと遊んでる時にくだらねー用でいちいち電話してくるし、なにこれ? 束縛にも程がある! もう別れたい。なんて言えばいいの、これ?》
予想どおりくだらないメールだった。あとは返事しろだの電話に出ろだの、他と同じ。カラダ目当てなのは事実なのだから、そう思われてもしかたないのに。
カルメーラの話によると、アウニは携帯電話に入っている他の──といっても、同級生の十数人だろうけれど──女の番号をぜんぶ消してほしいと、ヤーゴにほのめかしたらしい。彼はもちろん応じなかった。
《もう別れるって言えばいい。ストレスの溜まるつきあいなんて続けても意味がない。センター街にでもナンパしに行けば? 三十人に声かければ、ひとりくらいは吊れるかもよ》
送信すると、ラグの上に寝転んで目を閉じた。
アゼルもカラダ目当てだったのかもしれない。と、思うのはどうだろう。よけいショックのような気もするし、納得できるような気もする。どちらでもいい。わからないから。
ただ、すでにわかっていることといえば、これからもし仮に誰かと寝ることがあったとしても、私はそのたびに、アゼルを思い出すのだろうということ。アゼルとの違いに気づいて、比べて、不満に思って、自己嫌悪に陥るのだろうということ。
もう誰も愛せない。二度と愛せない。だから寝ることなど、おそらくない。そういう関係だと割り切ってしまえば、できるのかもしれないが──けっきょく同じことだろう。というか、そんなふうに割り切った関係が必要だとは思わない。
ふと、自分が妊娠していないことに気づいた。調べたわけではないけれど、ハヌルと話すのでなければ、吐きそうになることはないので、おそらく妊娠はしていないのだろう。それが唯一の救いだ。それでも、もしも妊娠していれば、ひとりでも産んだのだろうから、本当に笑える。本当に自分がわからない。
手の中で数秒、携帯電話が震えた。ヤーゴからメールだ。
《どんだけまえのメールだと思ってんの? ちなみに今、喧嘩三日目。喧嘩して仲なおりしての繰り返し状態。普通、家に来るってことは誘ってるってことだって解釈するもんだろ? んで今、別れるってメールしてみた。やだって言われた。どうしよう》
私が知るわけがない。
《わりと諦めがつくだろう言い訳は、他に好きな女ができたって言うこと。でも角が立つ可能性がある。相手が誰かを詮索しはじめるかもしれない。いちばんいいのは、束縛とわがままに疲れたって、正直に言うことでしょ》
送信した。
私が今日、みんなの前でアゼルのことを口にしたのは、ハヌルのアホを調子づかせるためがいちばんの目的ではあったものの、実はストレスを溜めるためでもあった。球技大会に真面目に参加しろと、生徒指導主事から言われている。あたりまえだ。私からはじまったことだ。
去年の球技大会には、中学を卒業したはずのアゼルとブルとマスティも来た。彼らが在学していた時にはなかったこともあり、球技大会そのものが私からはじまったことを利用して、特例を認めさせた。
今年の球技大会は、その思い出を塗り替えてしまうか、思い出すことを拒否するために参加しないかの二択になると思っている。けれどイヴァンは別のクラスで、敵になってしまう。ドッジボールで負けたら、よけいにストレスが溜まる気がする。勝ち負けにこだわるからではない。それはどうでもいい。ただ、せっかくなら勝った時の無敵感を味わいたい。でも今のクラスのメンバーでは、それを味わえる気がしない。それどころか弱小のニオイが教室中に溢れている。
また携帯電話が震えた。ヤーゴから返信だ。
《ナンパなんかできねえよ。メールだけど、ものすごいあやまられてる。電話かかってきたけど無視した。さて、どうしよう》
知るわけがないと言っているのに。直接は言っていないけれど。空気読め。
《そこで考えなおすから、いつも同じことの繰り返しなんでしょ? 一度きっぱり別れてみればいいじゃない。むこうの意見は無視して、別れを押しとおす。なんならカラダ目当てって言われたのかショックだとかも言えばいい。しばらく別れて、それでもむこうがまだあんたのこと好きだったら、やりなおしたいって言ってくるはず。その時また考えばいいでしょ》
そう返事を送った。
こういう計算は実際、どうなのだろう。弄ばれるほうの気持ちはわかる。私にだってそんな節はあった。アウニとヤーゴのことなどどうでもいいので、なんとも思わないけれど。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、“完全に別れた!”とヤーゴからメールが入っていた。
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その日の夜。
今日もどうにか、寝る前にビールを飲むことなく眠った。ベッドに入ってから、一時間五十分くらいが経った頃、あと十分眠れなかったらと思うところで、いつのまにか眠りに落ちている。
ベッドの中、右を向いて眠る私の手だけはいつも、アゼルを求めている気がする。
気づけば、首につけたままの南京錠に触れている。
約束の意味を込めた南京錠。
危うく殺人を引き起こす可能性のあった南京錠。
永遠を夢みた南京錠。
夢の中で、私は考えていた。
もうそろそろ、ラクになってもいいのではと思う。
リーズたちのことをどうでもいいと振り切って、アゼルを過去だと思えばいいのではないかと思う。
だって、彼はここに居ない。
私は、ここに居る。
彼らはここに居ない。
私はまだ、ここに居る。
それが、現実。
それが、私の現実。
他のストレスで自分の中を満たしてしまえば、ラクになれるかもしれない 。
苦しんで苦しんで苦しんで、そのうち、吹っ切れるかもしれない。
誰も愛さず、ひとりで生きていく。それが私。
“なにも求めない私になりたい”
それが、去年の私の願いだった。
夢の中、黒っぽい髪の少女が現れ、私に向かって微笑んだ。
「なれるよ、あなたなら」
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翌日。
どこからともなく、ハヌルがだれかれかまわず、アゼル更生施設行きの件を言いふらしているという話が耳に入ってきた。だが周りはあまり相手にしていないという。周りがこちらに言ってくるのは、ハヌルが言いふらしてるという事実だけ。それ以上は無駄に詮索したりしない。普通の人間は、私を敵にまわすとロクなことにならないとわかっているから。
それは、どうでもいいのだけれど。
さらに翌日、木曜。
私は、違和感を感じていた。周りがあからさまにうざい気がする。ゲルトたちだけではなく、アニタやペトラやヤーゴも、ナンネとジョンアとエルミも、休憩時間や昼休憩には、必ずといっていいほどD組の教室に来る。
それどころか昨日から、一部の同級生が、やたらと話しかけてくる。多くは普段話をするアニタやゲルトたちなものの、その他にも去年の修学旅行の時、煙草を持ってくるなどというバカなことをして抜き打ちの持ち物検査に引っかかり、説教をくらった男たちまでもだ。彼らは廊下で会った時、笑えない一発ギャグをかますパターンが多い。なにもおもしろくないので私は笑わないし、彼らはスベッたことを気にしているのかいないのか、小首をかしげて“ゴメン”の一言で終わる。
誰かがなにかを企んでいるのかとは思ったものの、どうせ言わないだろうからと気にしないことにした。それでもなんだか、わりとうざい。というか、ものすごくうざい。
昼休憩が終わる十分ほど前になると、サビナとカルメーラが教室に戻ってきて、アニタとペトラに代わり、自分たちの席についた。アニタとペトラはジョンアとナンネ、エルミと一緒に並んだ。
ゲルトとセテ、カルロ、ヤーゴ、トルベン、ダヴィデ、イヴァンが、私を囲うようにして立ったり座ったりして、話をしている。私は自分の机にあぐらをかいて座り窓にもたれていて、椅子はゲルトが使っている。
カルメーラに耳を貸してと言われ、私は応じた。
「アゼル先輩のこと、ハヌルがまだ言いふらしてる」
小声でそう言った彼女に、私はどうでもいいといった表情を返した。
「みんな知ってることだから、小声じゃなくてもいいわよ。あいつに教えたのは私だもん」
彼女は少々驚いたように、サビナと顔を見合わせた。
サビナが気まずそうに、できるだけ声を潜めて切りだす。「さっきまでね、エデとカーリナと、四人で話してたんだよね。そしたら、ハヌルが話しかけてきて。アゼルのこと訊いた? 更生施設に入って、ベラはフラれたんだって、みたいなこと──」
噂をばら撒きたい、だけど地味真面目グループにしか友達がいないハヌルが辿り着いた先は、まさかのエデとカーリナらしい。
ダヴィデの机に腰かけたイヴァンが続きを促す。「そんで?」
彼女はまたもカルメーラと顔を見合わせ、視線をこちらに戻した。
「エデとカーリナが、それがなに? みたいに返したら、ハヌルは離れてったんだけど──」
それがなに? 正解だ。確かに中学一年の時、エデはアゼルに惚れていたけれど。
サビナが控えめな声で続ける。「エデはカーリナと二人でハヌルに聞こえるように、なんか臭うとか、息苦しいとか、気分悪くて吐きそうだとか、笑いながら──」
なんか臭う。息苦しい。気分が悪い。吐きそう。
思わずふきだし、私は天を仰いで笑った。
イジメだ。これは確実にイジメだ。ハヌルは私を見下したいばかりに、私と最も仲の悪いエデたちに、その話を吹き込もうとした。なのに逆にやられた。なんて間抜けなのだろう。間抜けにも程がある。そう思ったら、なんだか笑えた。
カルロがつぶやく。「笑った。嘘だろ」
「どんな笑いのツボだよ」セテも言った。
「今ので笑うって、道徳的にどうなの」と、ペトラ。
アニタはいぶかしげな表情をした。「おかしい。ベラはイジメ、反対派だったはず」
どうやら私のツボは、相当おかしくなっているらしい。
「え、これアリ!?」エルミは声をあげた。「だってサビナ、参加してないでしょ?」
私は笑いをこらえて訊き返した。「なに、参加って」
ダヴィデが答える。「お前を笑わせるっていう競争。サビナは違うけど、今ここに集まってるのと、あと他の何人か、二十人くらいが参加してる」
私はきょとんとした。「は?」
「いや、今のナシだろ?」カルロが言った。「参加してねえんだから!」
セテが応じる。「けど笑ったべ」
私には話が見えない。「意味がわかんないんですけど」
そう言うと、彼らは口々に説明をはじめた。
言いだしたのはアニタとペトラとゲルトとセテ。ルールを決め、何人かに声をかけた。
学校内で最初に私を笑わせた人間が勝ち。男女合わせて三人以上の証人がいなければ無効。最初に笑わせた人間は、他の参加者から百フラムずつを徴収できる。それが賞金。他の男子が一発ギャグをかましてきていたのも、これが原因らしい。
あほらしいと、またひとり笑いだした私を無視し、笑わせたサビナに百フラムを払うかどうかの議論がはじまった。サビナはそんなのいいと答えたものの、私がやたらと笑っていることを理由に、彼女にひとり百フラムずつ渡すとアニタが結論を出した。他のクラスの参加メンバーを早急に呼び出し、サビナはわけがわからないまま、二千四百フラムを手に入れた。すべて百フラムコインで。
彼らがなにを考えているのかはともかく、私は久々にまともに笑った気がした。