○ Proof
日曜日。
午後三時すぎに、ケイの家に行った。シモーナのつぶやきを、祖母はふたつ返事で了承したのだ。ケイのお父さんはミッド・オーガスト前に仕事をひと段落させるとかで家にいなかったものの、祖母は家で書き出した様々なレシピをシモーナに渡し、いくつかの料理をじかに教えた。
私はといえば、ゲーム・ルームでケイとマルコと三人でテレビゲームをしていた。やはりここにもゾンビゲームがあって、唯一それだけは、彼らに圧勝した。他はボコボコにやられたけれど。
マルコは、けっこうな頻度でエデとメールのやりとりをしているらしい。落ちてるとは思うけど、すでに告白めいたことをしているし、自分からははっきり言わないのだとか。
夕方になると彼らの父親が帰ってきて、六人でディナーを食べた。豪華すぎるくらい豪華だった。けれどあまった料理をどうするかすら、祖母は心得ている。しかもケイが、私が酒を飲むことを暴露してくれ、ディナーはまさかのワインやビールつきだった。祖母は運転があるからといって飲まなかったものの、マルコはビール派で、私もそちらをもらった。ケイは飲めないらしいのだが、対抗してか、少しずつ飲んでいた。飲酒は二十歳からと法律で決まっているのは百も千も承知。
ディナーが終わっても、祖母と彼らの両親は、紅茶やワインを飲みながら色々な話をしていた。昔のウェスト・キャッスルがどうだったとか、お互いの仕事のことだとか。シモーナは、今月は完全な休みをとっているけれど、普段は昼から夕方まで、夫の会社で仕事を手伝っている。
私たちはビールを持って二階にあがり、またテレビゲームをはじめた。けれどはしゃぎすぎて疲れたのか、単に酔いがまわったのか、ケイがデンのソファで眠ってしまった。マルコがケイにかけるブランケットを取りに行ったので、私はビールを飲み干して、ひとりバルコニーに出た。
ゲームルームから繋がるこの場所は、一階のシッティング・ルームとリビングから行けるラナイの、ちょうど真上にあたる。ガラス窓がないだけで屋内のようなデザインになっていて、ダークブラウンの板を張り巡らせた天井にはシーリング・ファンまでついている。左側には隠れるようにして、直接プールサイドにおりられる螺旋階段もある。
白い天板の丸テーブルと、ブラウンのアイアン製アームチェアがよっつ、置かれていた。裏は山で、木しかないのが残念だ。それでも山の変化など、季節が関係しなければよくわからないし、ハーバーを見るよりは、まだマシな気もする。というかもう夜で、特になにも見えない。
「こんなとこにいたら、デボラが帰るって言っても聞こえねえぞ」
戸口に背を向けてチェアに腰かけている私に向かって、後方でマルコが言った。中にいれば、吹き抜け部分から声が聞こえる。
「いざとなったら呼びにくるわよ」
振り向かず、チェアに背をあずけて目を閉じたまま、私は答えた。このチェア、座面と背にクッションを置いているタイプだ。それが程いい堅さで座り心地がいい。そして、今夜はやけに静かに思える。
「暑いだろ」
「夏だもん。暑いのはあたりまえ」
アゼルとつきあいはじめたのも、夏だった。別れたのは、秋のはじまり。確か十月の一日か二日だった。暦の上では九月も秋だけれど。本格的な夏がはじまるのと同じ勢いで恋が始まって、夏が終わるのと同じ速さで、恋が終わった。と、思ってた。
一ヶ月は別れていた、と周りには言っていたけれど、よく考えれば、厳密にはそうではない。ただ九月の後半から、徐々にアゼルの様子がおかしくなっていって、喧嘩しているような、まるで他人のようになっていたから、そう思っていただけだ。別れてたのはおそらく、二週間から三週間のあいだだ。まあ、どちらでもいい。たいして変わらない。
「ヒトの家で物思いにふけんのはやめろ」
マルコはいつのまにか、右ななめ隣のアームチェアに腰をおろしていた。しかも天井のシーリング・ファンまでまわってる。テーブルには灰皿と彼の煙草。どうやら私、本当にふけっていたらしい。
思わず笑った。「ごめん」
彼が吐息をつく。「お前とケイも、一年会ってなかったんだってな」
私が中学に入学してからの一年だ。「会ってなかった。親が離婚したことは聞いたでしょ。っていうか、見ればわかると思うけど。引っ越したし、アッパー・ストリートに来ることすらなかったの。私は入学式には出てないし、ケイが入学してきて、最初の月曜に会った。思わずはしゃいだって」
「そう言ってた。自分でも思ったより、お前になついてたらしいって。中学行く目的、お前に会うことしかなかったって。いなかったらグレてたかもとか言ってた」
「あの子はグレないよ。私なんかよりずっと強い。ブラコンだって知ってたのに、あんたが更生施設に入って、あの子がどういう状態になるのかとか、そんなの考えたこともなかった。でも去年、なにも言わずに引っ越したこと、気にもかけなかったこと、実は寂しくて怒ってたって、はじめて知った。それでも会った時は笑ってくれたし、許してくれた。あんたの少年院行きのことだって、ひとりで乗り越えてた」
マルコは少し沈黙を作った。
「──俺も、考えたことなかった。あいつがどんな心境かって。家のことも。どんだけ施設に入っても、帰ったらあいつ、いつも笑ってたし。あいつがお前のこと話してる時、実はすげー寂しかったんだってわかった。本人はそんな素振り、ちっとも見せなかったけどな。そんでまあ、お前が中学でやらかした珍事件のことも聞いて、ケイが知らねえ部分を、ボダルトたちからさらに聞いて、これ以上やったら本物のアホだなって」
どこまで筒抜けになっているのだろう。「まだアホなこと、やらかそうとしてるじゃない。中学生を口説き落とすっていう、最高にアホなことを」
「あれはまた別。ヤりてえとかじゃねえよ。帰ってきた日の夜中とか、さっそく昔のセフレ口説いてヤッてるし。女には困らねえから、べつに手出さなくてもいいんだけどな」
私の周囲には、どうしてこういうのが多いのだろう。ゲルトたちは違うし、ルキアノスも違うが──アドニスも、少し違うか。
「ケイが、私のためなんじゃないかって言ってた」
私がそう言うと、マルコは笑った。
「うぬぼれんなよ。そこまで親切じゃねえ」一度言葉を切り、また続ける。「けどまあ、感謝してるってのはあるかもな。去年ケイが面会に来れたのも、お前のおかげだっつーし。お前ら見てて、ケイが強いの、お前がいたからかもな、とは思った」
「あんたが反面教師になってんでしょ。私はなにもしてない。ただ家出したケイを、一晩泊めたってだけよ」
「アゼルと一緒にな」
私はまたいらっとした。うざい。なにをどこまで知っているのだろう。
「なんでどいつもこいつも、あいつの名前を出したがるの? もういいじゃない。恋愛感情なんて微塵も残ってないんだから、もう放っといてよ」
マルコは無視した。「あいつが入った施設、どこだって?」
ケイを起こしたほうがいいかもしれない。「アマウント・ウィズダム」
「あー、あれな。相当だな。最悪だな」
「なにが」
「全国でも指折りの、フォース・カントリー地方ではいちばんの、最低最悪な更生施設。自由がまったくない。生活なんて少年院と変わんねえ。身内だろうと、電話も面会もほとんどできねえし。そういう審査がかなり厳しい」
「ざまあみろ」とは言ったものの、すぐに疑問が浮かんだ。「電話、できないの?」
「だから、できても一ヶ月に一回、決まった時間だけ。他のとこだと、厳しくても二週間に一回はできるし、申請なくていい時もある。そばに見張りさえついてりゃ、時間制限だってそれほどない。けどあそこはあるんだわ。たいていは収容された奴の危険度? とか、普段の生活態度とかで変わるんだけど。面会なんて、三ヶ月に一度できりゃいいほうだし。普通長期で入ってりゃ、態度しだいで帰省もできるけど、あそこはそれすら難しい」
それなら、あの電話は、なに? 「──職員に、携帯電話を借りるとかは?」
「あ? まあ、できねえことはないんだろうけど──ほとんど男っつーか、おっさんだし。そんな気の利いたことしてくれる奴がいるかって、かなり微妙。つーか無理だろ」
自分の中にあった疑問が、さらに強くなった。
それならあの非通知電話は、なんだったのだろう。
今年の三月、アニタがあのクソみたいな元生徒会長にボロボロにされて、私が代わりに最低最悪な復讐をしたあと、夜中にあった非通知電話。やはりアゼルではなかったのか。思い込みたくて思い込んだ気がするが、やはり悪戯だったのか。
そういえばそうだ。さすがにタイミングがよすぎる。職員の女と寝ることができるような場所にいると思っていたから、夜中に電話するなどということも可能なのだと思っていた。けれど、タイミングを考えればさすがにないか。
ふと、おもしろい考えが頭をよぎった。
ネストールだったとかいうオチはどうだろう。電話番号など知らないはずだが、調べようと思えば──たとえば、アニタの携帯電話を盗み見るとか。
いや、ないか。無理か。ということは、やはりタイミングのいい悪戯。神様の悪戯。BG──ブラッディ・ゴッドの仕業とか──。
突然チェアの脚を蹴られ、私ははっとした。
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「ヒトの家で考え込むのやめろっつってんだろ」マルコは怒っている。
驚いた。怒られたことではなく、蹴られたことに驚いた。
「ごめんなさい」
彼は苛立たしげな様子で視線をそらしつつ舌打ちすると、曲げた左肘をチェアの背につき、手で頭を支えて身体をこちらに傾けた。足を組んでいる。
「だから、電話あったのかって訊いてんの」
そのとおりなのだが、そう答えるのはさすがに微妙だ。「勘違いね、たぶん。夢だったのかも。非通知だったし、あいつだなんて確証はひとつもない。夜中で非通知で無言だった。寝ぼけてて、あいつだったのかなって思ってただけ」
「ふーん。なんか言ったの?」
「だから、無言」
「そうじゃねえよ。お前がだよ」
私。
──“会いたい”。と、言った。
「なにも」さらりと嘘をついた。「アゼルかって訊き返したけど、それでも無言だった。電話はすぐ切れた」ある意味よかった。アゼルじゃないなら、さらによかった。
「嘘くせ」
投げるように言われた言葉に、私はまたムカついた。
「なんでだろ。あいつがどうこうじゃなくて、あんたと話してたら、なんかものすごくムカつく」
彼は鼻で笑う。
「それはこっちも同じだ。なんか知んねえけど、すげえイライラする」
同種だからというのも、理由としてはあるだろう。
「それはよかった」と言って、私は席を立った。「ケイの言うとおり、私はあんたが苦手。あいつと似てるからじゃない。あいつとあんたは違う。ぜんぜん違う。似てるように思えて、ぜんぜん違うから苦手。似てると思ったあとに、やっぱり違うって気づく。あいつはこうだったって考えが浮かぶ。だから苦手。
ケイたちのことを考えれば、予定どおり戻ってきてくれてよかったとは思う。会えてよかったとも思う。でも苦手に思ってるのはケイもわかってくれてるから、これ以上無駄に関わる気はない。ケイやエデを迎えに来たり、主事たちに会いに来るんじゃないなら、もう学校には来ないで。私のところには来ないで」
なにも考えず好き勝手に言葉を並べ終わると、その場を立ち去ろうとした。だけど身を乗り出したマルコの右手が、私の左手首を掴んで引き止めた。
「俺と、とは言わねえよ」身体を起こした彼が、冷静な表情で言葉を継ぐ。「そりゃ俺でもいいけど。とりあえず、他の男とつきあえ。そしたら忘れられる」
そのセリフに、思わず顔をそむけて笑った。再び視線を彼へと戻す。
「言ったでしょ。そんな気はない。無理なの。まだ好きだとか、そんなんじゃない。忘れるとか忘れないとか、そんなことはどうでもいい。だって引きずってるわけじゃないから。
私にとって誰かとつきあうっていうのは、あんたや他の人間がしてるようなのとは違うの。少なくとも私とあいつは違ってた。あいつは、私が唯一心を開いた人間だった。ぜんぶを曝け出した相手だった。“共有する”ってことが、私にとって“つきあう”ってこと。自分のいちばん最悪な部分を知る人間を、これ以上増やす気はない。だってそれを唯一知ってる人間に、私は捨てられたんだから。“共有”が意味を持たないってわかれば、それをする理由はなくなる。つまり誰かとつきあう理由にはならないの。
みんなを見てて、気持ちはそのうち冷めるものなんだってわかった。実際私も冷めた。だけど、それ以上がないの。男なら周りにいくらでもいる。でも恋愛対象として見れないんだもん。寂しかったり、流れや軽い気持ちでつきあう恋愛があることも知ってる。でもそれすらしようと思わない。意味を見い出せないから。
なにより、私は誰のことも愛したくないし、誰にも愛されたいと思ってない。寂しくなんてない。今のままでじゅうぶん。私は独りでも生きていく人間なのよ。ずっとそうやって生きてきたのよ。今さら誰かにすがって生きていくなんてこと、する必要がないの。わかったら、いい加減手を離して。もう放っといて」
たとえ過去に会って話したことがある相手だとしても、誰かと知り合うというのは苦手だ。特にこういう、地元の人間だと、家のことまで知られてしまう。
離婚した両親に捨てられ、祖母と二人で暮らしてるうえ、一年半もつきあった男と別れたとなると、妙に同情されている気がしてならない。同級生の大部分は、私のうわべだけを見てくれるから、そんなことは考えていないだろう。安い同情を向けるか、私の性格から、そんなことすら気にしないと思うか、もしくは哀れな女だと思う程度だ。
けれどときどき、心の奥底まで探ろうとしてくる人間がいる。ケイやゲルトたちのように、心配を表に出さないでいてくれるわけでもなく、私の言動がぜんぶ強がりで、実は寂しいのだろうと思って、それをどうにかしようとする人間がいる。それが本当に、迷惑でしょうがない。
ゲルトはともかく、他の誰がなにをしたとしても、私はそれを見せるつもりがない。なのでそれらは、本当に無駄なことでしかない。そうやって心配されても、私はそれに応えられないし、応えられないとわかっているから、心配して救い出そうとしてくれる相手のその気持ちですら、私にとっては負担にしかならない。
強がりだろうと、ただの意地だろうと、私は独りで生きていきたい人間なのだ。
数秒、マルコはなにを考えているかわからない、だけどなにか言いたそうな表情でこちらを見ていたものの、けっきょくなにも言わず、掴んでいた私の手を離した。
私は「おやすみ」と言って、家の中に入った。
バッグを持って一階におりると、すでに夜の十時をまわっていることに気づいてはっとした祖母と一緒に、モンタルド夫妻の見送りで、彼らの家をあとにした。
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その日、八月十一日、午後二十三時五十七分。
私は赤い携帯電話から、ずっと消せずにいたアゼルの電話番号とアドレスを、削除した。




