○ Superiority Complex
A組の教室のドアを開けると、ほとんど全員いるのではないかと思われる人数の視線が、一気にこちらに集まった。見た限り、歌と踊りを演るらしいグループは衣装の打ち合わせを、劇を演るらしいグループは、数グループに分かれてセリフの練習をしている。
といっても今この瞬間、こちらのせいで、厳密に言えばマルコのせいで、全員の動きが止まっている。
「ごめん、気にしないで」
A組の連中にそう言いながら、教室の窓際列後方で、男女数人で集まっているエデの姿を見つけた。声を潜めてマルコに言う。
「窓際のいちばんうしろ。机に座ってる女。あれがエデ」
彼が確認する。「──色白の、顔が丸くて細っこい奴?」
「そう、それ」
「よし。まずはエルミとハヌル、見せてもらおーか」
ハヌルのことは、ケイが散々彼に言っている。
私は、教師用デスクを囲むよう、ナンネを含む女子数人で集まっている彼女たちに声をかけた。「エルミ。ハヌル。ちょっと」
マルコがいるせいか二人は顔を見合わせると──ハヌルは勝ち誇った微笑でエデのほうを見やってから──嬉しそうに口元をゆるめて、エルミと一緒にこちらに来た。
「邪魔してごめん。昨日メール送ったの、こいつ」腕を組んだまま、私は右隣に立つ彼を示して紹介した。「マルコっての」
エルミは満面の笑みを浮かべ、声のトーンを十五オクターブくらい上げて挨拶した。
「はじめましてー。エルミです。昨日はメール、わざわざありがとうございました」
わざとらしい、はきはきとした大きな声だった。オクターブの意味は私、知らないけれど。
腕を組んで戸口にもたれるマルコは微笑んで答える。「いやいや、こっちこそ悪いな。返事しようとしたら、ベラの電話の電池が切れて。そのあと用があったから、けっきょく返事できんかった」
「ああ、いいですよそんな! 楽しかったんで!」
彼女の八方美人度は、本当に尊敬モノだ。
「俺も」マルコがハヌルへと視線をうつす。「ってことは、そっちがハヌル?」
緊張しているのか、ハヌルはあからさまにきょどった反応を見せた。
「そうです。はじめまして」
「はじめまして」マルコは微笑みを崩さない。「昨日、コンワク? したんだってな」二人を見やりながら言う。「なんか教師みたいなのが言ってた。なんだっけ、ババコワ?」
すかさずエルミが応じる。「あれ、うちのクラスの担任ですよ。ちょっと怒りっぽいっていうか、熱血漢なんです。いい先生なんですけど」
「だろうな。俺もキレやすいから、ムカついてつい喧嘩売っちまった。そのこと話したら、ボダルトにめっちゃキレられた。けど俺、あのタイプ苦手だから、代わりにあやまっといて。昨日の不審者がっつって」
「わかりました。昨日教室に乗り込んできたかっこいい先輩が、って言っときます」
「お前いい奴だなー。オトコいんの?」
間髪入れずにハヌルが口をはさむ。「ふたつ上の彼氏がいるよね。もう、すっごいラブラブな感じ」“すっごい”の部分を強調した。
エルミは少々ひきつる笑顔で「そう」とうなずいたが、眼は笑っていなかった。
「そー。ま、モテそうだもんな」マルコは適当に答えた。「ハヌルは?」
こちらは当然、かなりヘラヘラした笑顔で即答する。「今はいないですよ!」
今はいないというか、いたことがないはずだ。こちらが作ったデマをまだ貫くつもりなのか。
「へー? 同期の男もなにしてんだかな」などというセリフをさらりと言うマルコのことがとんでもなく恐ろしく思えてきた。そんな彼、とりあえず話を打ち切ることにした。「ま、今は受験生だし? そんな暇ないか。けど」彼女たちの頭越しに、いまだ静まり返った教室内でこちらを見ているエデへと視線を向ける。「あそこにさ、わりとタイプの女がいるんだわ」
その言葉に、エルミとハヌルはすぐに振り返った。
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「なあ」マルコが戸口からエデに声をかける。「窓際のいちばんうしろ、机に座ってる可愛い娘! オトコいんの?」
教室内の視線は、一気にエデへと集まった。一緒にいる女子数人と視線をかわして、マルコの目的が自分であることを確信すると、エデは彼へと視線を戻し、小さく首を横に振った。
「マジで? んじゃさ、アドレスだけでも教えてくんね? 中学生からしたら十九とか、ちょっとあれかもしんねえけど。よかったら」
彼女の周りにいる女子たちを中心に、A組の教室内が一気にざわついた。エデの周囲は冷やかすように、早く行けと彼女に言っている。
頬を赤く染めるエデはゆるむ口元を抑えるのに必死らしく、スカートのポケットから携帯電話を取り出しながらこちらへと歩いてきた。
同時に、エルミとハヌルは顔を見合わせ、ひきつる口元を“普通”に保とうと必死な様子だ。
「ちょっと悪い」と言って、マルコはポケットから携帯電話を取り出しながら、ハヌルの脇を通って教室に入った。エデが教卓横に来ると、彼は彼女に名前を訊いた。
「エデです」顔が赤い。「エデ・ワルテル」真っ赤だ。
「エデ、な。俺はマルコ。あ、言っとくけど、ロリコンとかじゃねえよ」携帯電話を操作しながら言う。「あとな、ギャングとかでもねえから。昔暴走族には入ってたけど、すぐやめたし。組織的なモンは性に合わねえんだよな──赤外線、準備できた。そっちは?」
「できました」と答えたエデとマルコは、携帯電話の電話番号とアドレスを交換した。
「よし、登録した」マルコは携帯電話をポケットに戻した。両手をジーンズのポケットに入れて彼女微笑む。「どうでもいいだろうけど、ベラとはなんでもねえから。二年にいる俺の弟がベラと仲良くて、昔何回か会ったことがあるってだけ。実はよく知らねんだ。俺、三日前まで少年院に入ってて、三年くらい会ってなかったし。顔忘れられてたし。弟がよく話すから、懐かしくなって昨日、会いにきたんだけど。なんかすげー性悪女に成長してるし。女は小さいほうが可愛いのに、無駄にデカくなってるし。さすがにヒいたし」
ちなみに私の身長、今年はとうとう、百六十五にまでなっていた。同期の女子の中では、一、二を争う高さだという。エデの身長は、おそらく百五十七くらいだ。
マルコが続ける。「ま、そんなわけだから。暇になったらメールして。明日の夜単車が届く予定だから、明後日以降か。つってもミッド・オーガストに入っちまうから、さらにそのあと? わかんねえけど、そのうち飯でも行こーぜ。奢ってやる」
エデは相当浮ついている。「ほんとですか?」
「ああ、やめろって、堅苦しいの。普通に喋れや。年の差実感すんだろ。とりあえず弟に見つかったらまずいから、一旦帰るわ。けど」
彼は身をかがめると、エデの耳元でなにかを囁いた。
エデの顔が、これ以上ないくらい真っ赤になる。身体を起こした彼に照れ笑いを返すと、「わかった」と答えた。
マルコが悪戯に微笑む。「んじゃ、またな。エデ」
彼女の表情は、今にもとろけそうだ。「うん」
「なにやるか知らんけど」こちらへと戻りながらマルコがA組の生徒たちに言う。「文化祭、がんばれよ。じゃーな」
すんなりと帰った彼のそんな行動は、とてつもない効果を発揮した。
あのあと主にメールで、A組から他のクラスの連中に話が伝わり、放課後には、十九歳のハンサムでいかつい不良にヒトの目も気にせず告白めいたことをされた女として、エデはほとんどの女子たちの話題と注目の的になっていた。
同時に、私がそれほど彼を知らないということも伝わったらしく、昨日のような詮索はなかった。勝ち誇った微笑みをハヌルに向けるまでもなく、一目瞭然で、完全にエデが勝者だった。
ただ少しうるさかったのが、アニタだ。顔だけではなく、ケイの兄貴というのがどんなものなのか興味があったのに、来ているならなぜ教えてくれなかったんだ、と不満を漏らしていた。マルコがエデに興味を持ったということじたいは、どうでもいいらしい。彼女にとっては、さすがに十九歳や二十歳というのは恋愛対象に入らないし、タチの悪い不良なうえ、あのケイの兄貴とどうこうなりたいなどとは、思うはずもなかった。
ケイによると、わざわざエルミとハヌルに会ったのは、無駄に詮索を受けることになった私に悪いと思ったからじゃないか、とのことだ。あと、アゼルがメガネゴリラと名づけたハヌルにも興味があったらしい。ケイの携帯電話にはマルコからメールが届いていて、ハヌルに対する“ありえねえ”という感想が、これでもかというほど書かれていた。かなり普通に話していたけれど、内心は叫び出したくてたまらなかったようだ。
そしてエデに告白めいたことをしたのは、おそらくケイのためではなく、私のためではないかとケイは言った。マルコは私と同じで、やたらと偏った考えの持ち主だ。自分は好き放題するのに、必要なら復讐も嫌がらせもするのに、イジメのようなものは好きではない。
マルコは昔、いちばん仲のよかった友達を、ニュー・キャッスルとオールド・キャッスルという偏見の壁によって失った。イジメだ。彼が荒れたのはそこから。今はそんな気配、少しも見せていないけれど。
私は昔、そんなことは意識していないし、したつもりもないし、筋を通していたはずなのに、気づけば、イジメの加害者でリーダーという存在になっていた。そのことを悔いているわけでも、その被害者に同情しているわけでもない。
その女はナンネたちとは仲がいいし、今も時々なら話はする。だが複数人でひとりの相手を潰しにかかるイジメというものは、好きではない。されることは、まったくかまわない。というか一部の目には、あからさまではないだけで、ある意味いじめられてるように見えていたらしいし。
ケイは、マルコはアゼルとかぶる部分もあるけれど、私とも似ている、と言っていた。だから一緒にいて楽しいのかも、と。私がマルコを苦手に思うのは彼もわかってるし、エデを口説くつもりなのだとしたら、もうそれほど会わずに済むだろうという話だ。
けれど来週に待ち構えるミッド・オーガスト、今年も十三日に、親戚が一斉に彼の家に集まるらしく、料理を教えつつディナーを共にするという話、こちらの祖母がいつでもいいと言っているとシモーナに話すと、さっそく今週の日曜なんてのは無理よね、などとつぶやいていたらしい。
今年のミッド・オーガストは、ケイたちモンタルド一家にとって、かなり大きな意味を持つ。世間体を気にしてマルコのことを他人扱いしようとしていた親戚たちと、それに反抗して暴れていたマルコとの、数年ぶりの再会になる。シモーナは完璧な状態で迎え撃ってやりたいらしい。撃つって、撃ちはしないだろうが。
私は苦笑を返しつつも、祖母に言ってみると答えた。




