第48章 握り潰される魂
俺達は大部屋の奥、マッドとイリスのところまで急いだ。エリーゼの歩きが際立って遅いので、クロノを後ろに背負い、大きなエリーゼを抱えて走った。
「お、お、お姫様抱っことは……すごい筋肉ですねえ!でゅふふ」
「エリーゼ。貴様、マットに色目を使うな」
「はいはいクロノ様、怒らない。人の命がかかってますんで」
「むうう」
しかし、これほどの数の水槽を見続けているうちに、感情が麻痺してきたようだ。この部屋に入って最初に感じた恐怖、というか嫌悪感は今、消えかかっていた。
「マット。このエルフなんだけどさ、リヴァに似てる気がしないかな?エリーゼ、僕はこの体を選ぶよ」
確かに、似ている。リヴァより少し大きいし、エルフらしい顔ではあるが、どことなく面影はあった。
イリスの可愛がっているであろう孫に似てるんだから、可能性はあるかも知れない。
「はい!では水槽から出してあげましょうね!」
エリーゼの体が柔らかな光を発したかと思うと、その光は水槽の上からエルフの肉体へ伸びて、その全身をゆっくりと包み込んだ。これも魔法だろう。
光の担架に載せられたように、美しい肉体が降りてくる。そのまま、俺達の腰の高さあたりで留まった。
「この肉体は生きていますが、魂だけが足りません。
ですので、そのイリスちゃんができるだけ小さい姿になって、鼻もしくは口から侵入し、魂となって全身に循環させ、馴染ませる必要があります!」
「イリス、できるだけ小さくなれる?」
「……やってみるよ」
イリスの体はするすると縮んでいった。しかし、拳くらいの大きさになると、そこで止まってしまった。
「この大きさだと、声を出すのがしんどくてね。こっちで伝えさせておくれ」
不意に、イリスらしき声が頭に響いてきた。
「イリス!?」
「大丈夫。これはイリスが魔法で、皆の意識に直接伝えておるのじゃよ」
「おお……!?人族にも、このように魔力を使いこなせる者がいたんですね!驚きです!」
「イリスお婆ちゃん、もう少し小さくなれそうかな?」
「知ってるだろ?魔法っていうのは、イメージの力。長いことネコの姿ばかりやってきたから、どうにもそれが難しいんだ。
……ひゃひゃひゃ、寄る年波には、勝てないのかも知れないねぇ」
マッドの掌の上で、小さくなったイリスが横たわっている。
「おいおいイリス、まだ諦めんなよ。やれるだけやってみようぜ!」
「うるさいよ、チャラ坊が。諦めてなんかないさ。ただ、そろそろ本当に、意識がねぇ、眠たくなってきてて……ね」
このままだと、イリスが死ぬ。
マッドは言葉こそ発していないが、明らかに狼狽えていた。弱っていくイリスを、親指で必死に撫でている。
「……まずいな。イリス自身が小さくなれないのであれば、我でさえどうすることもできん」
「クロノ様。ネコの姿のイリスには、質量がありますよね?」
「質量?うん、あるよ。イリスの意志で、そうなるように造っておるからな」
「今、ある程度まで小さくなったってことは、ここからさらに小さくなったからといって、そのせいで死んでしまったりは?」
「しない」
「わかりました。マッド、イリスを俺のほうに。大丈夫です」
俺はマッドがしているのと同じように、掌を上に向け、両手を合わせた。
「マット。君に、イリスを任せていいんだな?」
「多分、俺にしかできない方法があります」
マッドは、生まれたての仔猫のような大きさのイリスを、優しく俺の手に移した。
「人族の知恵、とくと拝見いたしますよ!」エリーゼは分厚い眼鏡の奥から、俺の手元を見つめている。
「クロノ様、もう一度だけ確認です。
俺の力で小さくしても、イリスは死にませんか?」
「……ふふ、なるほど。
心配ないよ、今おぬしが掌に収めているイリスのそれは、魔力を伴う魂じゃからな。肉体ではない」
クロノは微笑んだ。俺は軽く頷いた後で、合わせた両手を握りしめた。
「レッゴオォォ、ノォオペイィンッッ」
グウゥゥッッ。
全力でイリスの魂を、握り潰す。
「ライウェイッベイベエェェェ」
「えええぇ!?知恵でも何でもなくて、ただの力任せでございましたかっ!?」
「……クロノちゃん、これ本当に大丈夫なの?」
「このバケモノの筋力は、神の力すら超えておる。賭けてみようではないか」
……俺はゆっくりと、握りしめた手を開いてみた。
「あ、良い感じじゃないすか?」
イリスの魂は、豆粒ほどの大きさに圧縮されていた。
「イリス、大丈夫かい?」
「……まったく、これだから筋肉オバケは。既に一度死んだ気分だよ」
イリスがまた魔法で話してきた。どうやら無事のようだ。
「な、何とも想定外な……しかし!これで、肉体に侵入可能なサイズになりましたよっ!」
「マット、イリスをそのエルフの口に入れよ」
「了解っす」俺はエルフの少女の口をこじ開け、その上からイリスを落とし入れた。
「では、ここからは私も、魔法でイリスちゃんに指示を発信します!皆様にも傍受できてしまうかと思いますが、お気になさらず!
さあイリスちゃん、今からその体に溶け込むイメージを持ってください!」
「そう言われてもねぇ。どうするんだい?消化器のほうに行けばいいのか?それとも気管?」
「全体です。全身に溶け込んでいただきたいのです!」
「とにかく、やってみるよ。ちょっと眠気が覚めたような気がするね」
「その調子です!まさに今、この肉体の生命力と、イリスちゃんの魂が、少しずつ同化していってるんですよ!」
「ああ。でもね、何となくだけど、わかってきたよ。
……やっぱり、あたしゃここで死ぬのかもねぇ」
やっと肉体に溶け込み始めたのに、この状況のなか、イリスは悟ったような調子でぽつりと言った。
「イリス?……どうしたんだ?」