【イ】の章
無理やり4回に分けたこのお話も、今回で最終回であります。さて、どうなるこのお話…
さて、そうこうしている内に、午後の釣りが開始された。敦彦に
みどり、外海側にいたケンさんも、太一が黒鯛らしきものをバラし
たと聞き、釣り座を内海側に変えた。みっちゃんだけは今まで通り
の外海側で頑張ってる。
「なあ、太一、午前中のソレ、本当に黒鯛だったのか? 引きはど
うだった? やっぱ物凄かったのか?」
訊ねる敦彦に太一は
「うん! スゴかったよぅ。こうギューンって竿先が引き込まれる
って感じかなぁ。それにダンゴの名人が太鼓判を押したんだからあ
れは黒鯛に間違いないよぅ。ね? 長さん?」
長さんからダンゴの名人の話を聞いた敦彦、やはり興味津々な様
で
「ふうん、そうなのか。よし、ちょっと行って見て来ようかな」
「あっ、センパイ、俺も俺も!」
こうして二人は連れ立って、低い方のポイントでダンゴ釣りをや
っている名人の後ろで暫くの間、様子を伺うことにした。
名人はダンゴをおむすびを握るような感じで作り、それを手際よ
く海に放り込んだ。ダンゴの後をウキが追いかけ、ウキが海になじ
んだと思われる瞬間、ウキに変化があり、名人はバシッとアワセを
くれた。あれあれ? もうアタリがあったのかよ? たぶんフグか
良くってもボラに違いないだろうと敦彦が考えたその瞬間、物凄い
引きが竿をしならせた。
「おっ、今度のはちったぁマシかな」
名人は少しも慌てず、竿を立てたり寝かしたりしながら、少しず
つリールを巻いている。二・三分のやり取りの後、ウキの下にどう
やら魚の形がぼんやりとではあったが見え出した。それは、冬の陽
を浴びてギラリと光る黒と銀の魚体だった。
「セ、センパイ! あれ!」
「おう! 黒鯛だ! それも大きいぞ!」
名人は慣れた様子で浮かした黒鯛を玉網ですくった。玉網の中で
暴れるそれは、体長約四十センチ、一キロ程の立派な黒鯛だった。
名人は海の中につけてあったスカリに黒鯛を入れると、再び何事
も無かったかのようにダンゴを握りだした。
「おい、太一、今のスカリの中見たか? 四匹くらいは入ってたよ
な?」
「うん! 見た! 四匹入ってた!」
「う~ん、ダンゴ釣りか。いっぺん位は挑戦してみてもいいかもな?
なぁ、太一?」
「うんうん、センパイ、俺の『ど素人の黒鯛釣り』の中にもダンゴ
釣りの章があったよ。今度俺、あれで研究してみようかなぁ」
「ほう、『ど素人の黒鯛釣り』にもねぇ」
「うん! あの本わりと良くってさぁ、実は俺、あの本読んでから、
初めての一匹が釣れたんだ。キビレだったけどさぁ」
「ふうん」
こうしてダンゴの威力を見せ付けられた敦彦と太一は、これをみ
んなに報告に走った。みんなも暫くの間、名人の後ろで見物をして
いたが、この時は運が悪いのか、一匹も釣れなかった。
その後、自分の釣り座に戻った敦彦たちは、様々な想いを胸に、
自分の釣りに力を入れ始めた。
「あそこで黒鯛が釣れたってことは、ここでも釣れてもおかしくは
無いってことだからな」
みんな少なからずそう思いながら、せっせと撒き餌を打ち、刺し
餌を投入している。しかし、いつまでたってもウキにこれといった
変化は無く、次第に西風が強く吹きつけ始めた。
それから更に三時間経過。その間に釣れたものと言ったら、フグ
にヒイラギ、それ以外の物は、みどりにササノハベラが一匹、ケン
さんにカゴカキダイが一匹。(このカゴカキダイというのは手の平
にも満たない、まるで熱帯魚みたいに小さな奴だ)。で、敦彦に海
タナゴが一匹。この海タナゴ、魚では珍しく卵ではなくて稚魚を生
む胎生の魚だ。敦彦はもちろん、そっと海に放してやった。
冬の海は陽が落ちるのも早い。午後四時を少し回った頃から、西
の空がぼんやりと赤く染まり始める。それに伴い体感温度も下がり、
じっとしていると体の芯から凍えそうになる。
「ねえ、あっちゃん、今日はもうこれ位にして帰りましょうか?
また今度という機会もあるしね」
「そうっすね。俺も帰ったら家の手伝いしなくちゃオヤジにドヤさ
れちまうっすよ」
敦彦が身震いをしながらそう答えた。
「う~ん、俺も帰ったら店を開けようかな? イヴの夜って結構D
VDレンタルのお客が多いからな」
ケンさんが煙草を取り出しながら言った。
「あ~あ、今日もダメだった。やっぱり苦しい時の神頼みはいけま
せんねぇ」
そう言ったみどりが竿を大きくあおった。と、竿はググッと満月
状にしなり、 リールのドラグが悲鳴を上げ始めた。
「あれ? 根掛りかしら? 地球を釣っちゃったのかな? う~
ん!」
更に竿をあおるみどり。
「ちょっと待てよ? それ根掛りじゃねーぞ! ほら、その証拠に
リールが巻けてる!」
ケンさんの言う通り、リールはなんとか巻けている。
「み、みどりちゃん、スゴイや! その竿の曲がり具合からしてき
っと大物だよぉ!」
「みどり! 慌てるな! ほら、ゆっくりでいいから! 大急ぎで、
でも慌てるな!」
そう言ってる敦彦の方が慌ててる。
「う~ん、重い! チクショウ! でも、絶対取り込んでやる!」
渾身の力を込めてリールを巻くみどり。
「ほれ! あっちゃん、玉網の用意! 早く!」
「ほいきた!」
海面の下にボゥっとウキが見え、更にその下で何か大きいものが
蠢いているのが見えた。
「あれ? 何あれ? 黒鯛じゃないわね」
「ありゃ、あれはもしかしたら!」
その時、海面を割ったのは、赤紫の丸く見えるものだった。
「よし、玉網に入った!」
敦彦が防波堤の上に上げたそれは、何とタコだった。それも一キ
ロはありそうなマダコ!
「おおっ、すげーや! タコが釣れたぞ! それもでっけえぞ!」
そう言ったケンさんの顔も興奮の為か赤く染まってる。
「ふっふっふっ、タコが釣れた! タコよ!」
長さんは小躍りしながら身体をクネクネし始めた。タコになった
つもりなのだろう。
「みどりちゃん、やったね! 有終の美ってやつかなぁ?」
太一も長さんを真似してタコダンスの振りを。
「おい、みどり、スゲーじゃん! 今晩のおかずが釣れたじゃん!」
敦彦も素直に感心してそう声をかけた。
そんな風にみんなから祝福されたみどりだったが、自分がタコみ
たいにふくれてる。
「何だよ、みどり? お前、嬉しくないのかよ?」
敦彦の問いかけにみどりはふくれっ面のまま
「だってタコなんてなんだかカッコ悪いじゃん! うら若き乙女の
わたしがさ、ねえ、みどりちゃん、何が釣れたのって聞かれたとす
るでしょ?」
「うん、うん」
みんなが相槌を入れる。
「で、しかもクリスマスイヴの日によ? 幼稚園に休暇届を一月以
上前から出しておいてさ。そのクリスマスイヴの日に。みどりちゃ
ん、何が釣れたの、クリスマスイヴの日にって」
「うん、うん」
「そうしてわたしは答えるの。おっきなタコが釣れたのって」
「うん、まあ、そう答えるわな」
「で、質問した人はこう答えるの。へえ、みどりちゃん、クリスマ
スイヴの日にタコが釣れたの? それもおっきいのが? って。そ
の時、その人は口の端でフフッって笑うんだわ。そうよ、笑うのよ!
それも口の端でさ!」
みどりは目に涙を溜めながら、そう答えた。
「バッカだなーみどり、誰もそんな風に思いやしないよ。それに何
もそんな想像で泣く事はないだろ? ねえ長さん?」
「う~ん、みどりちゃんの気持ちも分らないでもないわね」
うなずく長さんにみどりがかすかに微笑んだ。
「さすがボラ仲間の長さん。乙女心が分ってるじゃない」
「あの~、お取り込み中に悪いんだけどさぁ、ほら、あれ!」
「なによ太一! せっかく人が乙女チックな気分に浸ってるってい
うのに! いったい何なのよ?」
今泣いたカラスがよろしく、太一を怒鳴りつけるみどり。
「タコが逃げるよ!」
「えっ?」
みんなが防波堤の上に目をやると、玉網から抜け出したタコが、
もう少しで海に逃げ込もうとしているところだった。
「あ~、太一、つ、捕まえるのよっ! 早く! 太一! 捕まえる
のよっ!」
「逃がすんじゃないわよ!」
長さんにみどりもこれを見て大騒ぎ!
「なんだよもう。タコが釣れたって今泣いてたばっかなのにさぁ。
よしっ、捕まえたっと!」
素手でむんずとタコをつかんだ太一だったが、その手をタコが八
本の足で包み込もうとする。
「うわぁ、なんか気持ちわりーや! おっ、コイツ、すごく力があ
るなぁ。あれ?」
次の瞬間太一が悲鳴を上げた。
「うわぁああああ! ちょっとセンパイ、これ離してよう! ねえ、
センパーイ!」
「おっ、どうした太一? おおっ!」
タコは離されまいと、ますます太一の腕にまで絡みつく。
「痛てててて! こ、こいつ咬みやがった! うわぁあああ!」
手をブンブン振り回す太一! するとその拍子に、タコは防波堤
の上にぼてっと落ちた。それを今度はケンさんがサッと拾い上げる
と、スーパーのビニール袋の中に押し込んだ。
「わー、ケンさんナイス! パチパチパチ!」
みどりと長さんが手を叩く。太一はと言えば、防波堤の上にしゃ
がみ込み、自分の手をしげしげと見つめると
「あっ! 血が滲んでる! 俺、ホントにタコに咬まれちゃったよ
ぅ!」
と、情けない顔でみんなを見上げた。
これを見たみんなは
「ヒャーハハ! こいつ、タコに咬まれやがった! タコがタコに
咬まれやがった!」
敦彦は大喜び!
「ひーっひっひ…く、苦しい…ひっひっひっ…た、太一がホントに
タコに、か、咬まれた…」
みどりはさっきまでの様子は何処へやら、お腹を押さえての大笑
い!
「太一、お前、それきっとメスダコだぜ? 憎いよ、この色おとこ
っ!」
ケンさんも実に楽しそう。
「ふっふっふっ、タコも人を咬むことがあるのね」
長さんですら満面の笑顔でそう言った。
「みんな、ひどいや。マジで痛かったんだからねぇ、へへっ」
こう言った太一も、みんなにつられて最後は笑顔になった。
「さあ、終わり良ければ総て良しってところで、今日はお終いね」
長さんが自分の竿を拭きながら言った。
「終わり良ければって、そりゃ、みどりはいいっすよ。でも長さん、
俺、今日めぼしいものは何にも釣れなかったんだから、総てよしっ
てのは何か違うような気がするっすよ」
敦彦の言葉に長さん、笑いながら
「馬鹿ねえ、獲物は二の次。こうして笑顔で楽しい時を過ごせたん
だからそれでいいじゃない」
「うんうん。長さんの言う通り! でもあたし、釣りの後って手が
オキアミ臭くなるからそれがちょっとイヤだな」
みどりが手をこすりながら言った。
「みどりちゃん、その匂いが今日の楽しいひと時のパスポートなん
じゃない。ま、言うなれば、オキアミの匂いは釣り人の勲章よ」
「おおっ! 長さん、文学的! でも俺、どうでもいいけどやっぱ
り黒鯛は釣りたいなぁ」
こう言う太一に
「ふっふっふっ、本音はボクもそうよ。いや~、面目ない」
頭をかく長さんの様子が可笑しく、みんなは一斉に吹き出した。
それからみんなは帰り支度を始め、そこで改めてみっちゃんの様
子が気になった。みっちゃんは午後になってからは一人で、外海側
の例のポイントで釣りをしているはずだ。みんなでダンゴの名人を
見に行った時も、みっちゃんは一人で黙々と自分の世界に没頭して
いたはず。
「さあ、みんなでみっちゃんを呼びに行きましょうか? 早くみど
りちゃんの釣ったタコも見せたいしね」
「太一がタコに咬まれた話も早く聞かせたいってかぁ?」
長さんと敦彦がハイタッチをしながら笑う。
「ちぇっ、そんなに可笑しくない話だと思うけどなぁ」
太一が先頭に立って、みっちゃんのいる外海側に向かおうとした
時、外海側のテトラポッドを飛び越え、こちらに向かってくる男が
いた。みっちゃんだ。それも手に大きな何かを持ってる。
「あれっ? みっちゃんが来たよ。おっ、手に何か持ってるよぅ」
太一の言葉にみんな一斉にみっちゃんの手元に注目した。
「おい、あれ、魚じゃねえか? それもかなりデカい」
ケンさんがメガネを指でずり上げながら言った。
「ボラ? にしちゃ、横に広いわねえ」
「ねえ、長さん、あれもしかしたら黒鯛じゃない? だってあの
形…」
「本当! 黒鯛よ!」
みどりに敦彦も目が点になった。
「ウソだろー? だって俺がやってた時にはまったく黒鯛の気配は
無かったんだぜ?」
ケンさんがそう言い終わらない内にみっちゃんがみんなに駆け寄
り、両手を天にかざした。その手には体長四十六センチ、体重一・
五キロの立派な黒鯛が!
「やった! みっちゃん、ついにやったわね! おめでとう!」
「スゴイッ! みっちゃん、スゴイわ! わたしのタコより何倍も
スゴイわ!」
長さんとみどりに声をかけられたみっちゃんは、一言も言わずに、
まるで崩れ落ちるかのようにヘナヘナと防波堤の上に腰を下ろした。
「ねえ、みっちゃん、どうしたんすか? ほら、みっちゃんったら」
「釣れた…」
みっちゃんは黒鯛を防波堤の上にそっと置くと、初めて口を開い
た。黒鯛もその時初めて自分が陸に上げられたのに気づいたかのよ
うに、急に暴れ始めた。
「今、釣れた…」
「ほら、あっちゃん、その黒鯛、みっちゃんのクーラーボックスに
入れてあげなさいな。で、みっちゃん、どんな様子だったの? そ
が釣れた時の様子は?」
「そうだよ、みっちゃん、どんなだった? 午前中と同じ所だった
んだろ?」
ケンさんが意気込んで訊ねた。無理も無い。ケンさんだってみっ
ちゃんと同じ様にその場所で粘っていたら、こいつを釣り上げるチ
ャンスだってあったかもしれないのだ。
「水。水を一杯…」
みっちゃんはみどりからコーヒーを受け取ると一息に飲み干し、
話し始めた。
みっちゃんの話によると、午後も午前中と同じ様に撒き餌を打つ
とエサ取りが群がり、ウキに変化が無いうちに刺し餌を取られるば
かり。たまにハリに掛かるのは、フグ、フグ、フグ。
あ~あ、米じいの話は本当なのか? ここであのビックワンを釣
り上げたってのは? もしかしたら米じいの奴、まったく別の場所
で釣ったのをここで釣ったって俺っちに話したんじゃないのか?
そもそも釣り人ってのは一筋縄じゃいかないもんが多いからな…
今まで自分のやってきた行動にも疑いを感じ始めたみっちゃんは、
何度も釣り座を変えようかと思った。
まだ太一がバラしたと言う内海側の方がチャンスがあるんじゃな
いだろうか? 少しでもチャンスのある方がやっぱり…いやいや、
それじゃ今まで俺っちのやってきたことは総てムダになっちまう。
そうだ! 今日は最後までこの場所で頑張ってみよう! で、ダメ
なら、今度からは他の場所でチャンスをうかがえばいい。
いったん心を決めたみっちゃんは粘り強く、同じ場所で撒き餌を
打ち、刺し餌を投入した。何度も何度も同じことを繰り返した。
時間が経ち、西風が強く吹きつけても、それでもみっちゃんは辛
抱強く同じことを繰り返した。
辺りが薄暗くなったと感じ始める頃、やっとエサ取りの姿が消え、
刺し餌のオキアミが残るようになった。
「おおっ、これは…」
黒鯛釣りではそれまでいたエサ取りの姿が消え、刺し餌が残り始
めたらチャンスが来ると言われている。みっちゃんはこれまで以上
に神経を使って撒き餌を打ち、ウキの姿をじっと見つめた。
そんな状態が三十分も続いた頃、それは突然やって来た! 沈み
テトラのすぐ脇を漂っていた一号の立ちウキのトップが、少し沈ん
だ気がした。
「ありゃ? また根掛りか? しょうがねえな。時間も時間だし、
今日もやっぱダメだったか…」
みっちゃんがそう思った次の瞬間、ウキがまるでズボッと音を立
てて海中に沈み込んだ気がした。とっさにアワセをくれるみっちゃ
ん!
それからのことは良く覚えていない。ただ、心臓の鼓動が、自分
の聞こえるただひとつの音だったこと、無我夢中でリールを巻いた
こと、海面に浮かび上がった何かを玉網ですくい上げたこと、これ
だけは良く覚えている。
ハッと我に返ったみっちゃんが、自分の手にしている玉網の中に
見たものは、オレンジと薄紫に黄昏ゆく中で眩いばかりに光る、銀
と黒の野武士然とした魚、あの黒鯛だった!
「へえ、人間興奮すると、肝心の物事の細部を良く覚えていないっ
て言うのは本当なのね」
長さんが変な処に感心をしながら、みっちゃんのクーラーを覗い
ている。
「俺っち、ついにやったんだ…ついに…」
みっちゃんは小刻みに震えながら、小さい声で何度も何度もこう
呟いていた。
「さ、じゃ、みっちゃん改めてその黒鯛をもって記念撮影ね。始め
はみっちゃんと黒鯛のツーショット、それから…」
みんなは飽きもせず、それぞれの携帯で何ショットもの写真を撮
り続けたのだった。
このようにしてそのクリスマスイヴの日、乾物屋のみっちゃんは、
四十六センチの大物黒鯛を釣り上げたのだ。
***
「ねえ、あっちゃん?」
「何すか長さん?」
旧大井川町に入り、ミニカはもう少しでナオさんの釣具屋に着き
そうだ。辺りも大分明るくなってきた。
「みっちゃんだけどさ、先月大物を釣り上げてから、なんか性格ま
でも変わってきたみたいよね」
長さんが『ど素人の黒鯛釣り』をパラパラめくりながらそう言っ
た。
「そうそう、年が明けてから、いや、正確にはあのイヴの日から、
なんか顔つきまで変わったみたいっすもんね。こう自信に溢れてる
っていうか」
「最近じゃ、よく一人で釣りにも出かけてるみたいよ。奥さんや子
供さんにも文句を言わせないんですって。でも、仕事にも頑張って
て、今度店を大きくするらしいわよ」
「へえ、変われば変わるもんすね。でも、今のみっちゃんも、俺嫌
いじゃないっす」
「ふっふっふっ、そうね。みっちゃん男っぷりが上がったものね」
長さんはそう言うと、本をデイバッグの中に丁寧にしまった。
「そうそう、ところで長さん、俺、今日ダンゴ釣りに初めて挑戦し
ようかなって思ってるんす。だから、ほら、実はその為の準備もし
てきてたりして」
後ろに積んである荷物の方を指差して、敦彦が照れ臭そうに笑っ
た。それを見た長さん、
「ふっふっふっ、あっちゃん、ボクも」
長さんも後ろをチラッと振り返り、そう言った。
「へえ、さすが実践派の長さん、抜け目が無いっすね。俺も『ど素
人の黒鯛釣り』が無くても、実践で覚えればいいかなって思ったん
すよ」
カーブを曲がったところで、ナオさんの釣具屋が見えた。店の前
にはケンさんとみっちゃんの車が停めてあるのも見える。
「あっ、やっぱりみんな来てるみたいね。ほら、みどりちゃんが店
の前でキョロキョロしてる。ほら、ボクらに気づいたわ」
みどりは敦彦のミニカに気づくと嬉しそうに大きく手を振った。
「はは、あいつ、幼稚園、まだ休みなのかな? 休みでも、おもち
ゃ屋の稼ぎ入れ時のお年玉セールで店が忙しいのに、よく抜け出せ
たもんだ。ねえ、長さん?」
「ふっふっふっ、さすがオキアミ臭い女ね」
長さんがウインドウ越しにみどりに手を振った。
「えっ? みどりがオキアミ臭い女?」
敦彦はちょっと考えてから言った。
「そうっすね。それで俺たちはオキアミ臭い男たちってとこっすか
ね」
「ふっふっふっ」
長さんは返事の代わりにいつもの含み笑いをした。
みどりの後ろから、みっちゃんにケンさん、太一も現われた。み
んな嬉しそうにニコニコ笑っている。
「ようし、今日こそ黒鯛を釣っちゃうんだからね! あっちゃん、
見てなさいよ?」
「俺だって! 今日こそ黒鯛、それも四十オーバーを上げますっ
て!」
ミニカを店の前に着けると、早速みんなが二人を取り囲んだ。
「お二人さん、抜け駆けは許さないわよ!」
「センパーイ、ヒドイよぉ。行くんなら声をかけてくれなくちゃ」
「今日も俺っち、イヴの時みたいに四十オーバーを見せてあげるよ」
「俺だってみっちゃんのより大きいのを上げて見せるぜぇ」
「ふっふっふっ、みんな、お店の方はいいの?」
長さんのこの言葉に、みんなは一斉に
「いいの!」
と、声を揃えた。
「ようし、みなの衆! 今日も楽しい一日を大井川港で過ごしまし
ょう!」
「おう!」
こうしてこれから何時間かの間、敦彦たちは大井川港の白灯台の
ある南堤で、夢の時間を過ごすのだ。
大の大人が子供みたいな瞳になれる一時、例え黒鯛が釣れなくて
も、こんな時間の過ごし方も悪くはない。
敦彦はみんなのキラキラ輝く目を見ながらそんなことを考え、込
み上げてくる喜びを全身に感じながら、みんなの後についてナオさ
んの釣り具屋に入って行った。
黒鯛釣りに行こう ~完~
最後まで読んで頂けた奇特なお方、あなた、天使ですか? あなたに良い事が起こりますようにと、お祈り申し上げます! ありがとうございました。
なお、登場人物は一部の有名人を除いてすべて架空のモノです。有名人の方も決して茶化したりしているわけではありません。もちろんリスペクトありき、です。訴えないでね♪