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歪曲額縁④

 幾合かの打ち合いを重ね、朱赫しゅかくとカイムは再び間合いを離した。

 夕華は二人の剣戟を呆れるような心地で見守っていた。

 二人ともかなりの達人だと分かってはいたが、ここまでとは。

 刀の軌道が速すぎて見えない。有り得ない体勢で斬撃を飛ばす。時折関節を外して攻撃する。ゼロからトップギアの加速を行う。斬撃を恐れず懐に踏み込む。後の先の攻撃で相手の刀を払う。防御の上から相手を吹っ飛ばす。

 いつ決着が付いてもおかしくない。そんな血戦だ。

 朱赫の刀は六十五センチ。カイムの刀は六十センチ。互いに間合いは長くないはずだが、二人は常に動きまくり、刀は夕華のところまで届きそうになる。

 朱赫もカイムも、連撃の内に隙を無理やり作って、切り開いて闘っている。

 朱赫の剣とカイムの剣は対照的だ。カイムの剣術は変則的で、刀の速度や軌道が途中で切り替わり、攻撃とフェイントを同時に行うような戦い方をする。手首の返しや腕や肩の捻りで刀を回転させ、一刀を変則自在に操っていく。

 対する朱赫は、鋭さと威力を追求した剣を使う。手数ではなく一撃必殺を信条に、直情的ともいえる攻撃を放っていく。朱赫の刀は地面やコンクリの壁を何の抵抗もなく断ち切るので、セオリーから外れた動きが多々見られ、カイムを翻弄する。

 そもそも刀自体が一撃必殺の得物である。その上この二人は防護服などの、速さと動作を制限するものは着用していない。どちらか一撃でも当たれば即死だ。

 縦横無尽に走る銀の刃を、お互いは驚異的な反射神経と下半身のバネで紙一重に避けていく。多くは慎重に、時に大胆に攻め入れて。

 上段からの振り下ろしを身をずらして避け、突きを外に弾いて防ぎ、首を狙った横なぎを腰を落としてやり過ごし、刀をぶつけてきたら受け流して反撃に転じる。

 お互いの手に刀が無ければ、踊ってるとさえ思えただろう。

 今もまた、カイムが身を沈めて、朱赫の苛烈な袈裟斬りを避ける。

 カイムが上半身を倒した姿勢のまま突きを放った。喉を狙った下からの一撃に朱赫は同じく突きで返す。カウンター、刀身の長さで朱赫が有利だ。

 だが、カイムが両手持ちから右の片手持ちに切り替え、一気に加速した。ここに来て互いの速度の差が出る。カイムのが先に届く、朱赫の刀は間に合わない。

 しかし、カイムの切っ先が、朱赫の喉の直前でピタと急停止した。

 よく見るとカイムの手元、刀の鍔に、朱赫の刀の切先が刺さっている。

「〈まんじ崩し〉。敵の狙いを見ておけ、阿呆」

 朱赫の前蹴りが前屈みになったカイムの顎に飛ぶ。直撃。カイムは仰け反り、その手が柄を手放してしまう。武器を失ったカイムはバク転しつつ、距離を取る。

 朱赫は刺さったカイムの刀を引っこ抜き、夕華に投げてきた。

「預かっておけ」

「ちょ、わっと、危な! 私に刺さったらどうすんのさ!」

「知らん」

 素っ気ない朱赫に言い返そうとするが、彼の目線はまだカイムに注がれている。

 武器を奪われた暗殺者は、涼しい顔で手首の柔軟をしていた。


 刀を取られようが、カイムの余裕はちっとも揺らいでいなかった。

「うんうん。この俺が斬り合いで押されるとは、初めてかもしれねえね。流石サムライの本場。そこの天才には勝てないか。じゃあ次は、これを使うか?」

 カイムは腰の後ろに両手を回し、隠し持ってたナックルガードを装着する。

 拳を打ち合わせ、鋼を鳴らす。

「んでもって、このパターンだ」

 カイムは茶髪のカツラを取り、顔を拭って白い顔料を落とす。出てきたのは黒い巻き髪で浅黒い肌の、アフリカ系の顔立ち。頑丈さが自慢のポポロープ家だ。

「イヨイヨ、コレの、出番デスネ」

 フン、と気合を篭めると、カイムの両腕と両肩の筋肉が異常な盛り上がりを見せる。ナックルに覆われた左右の拳を構え、上体を傾け、突進の構え。

「サア、行くヨ」

「違うだろうが、阿呆」

 朱赫がカイムの目前に立って刀を構えていた。思わず目を見張った。早い。一度も目を離してなかったのにその挙動を見ることができなかった。見えるのはただ朱赫が刀を水平に振り抜こうとしているところで、

「……チっ!」

 カイムは歪な体勢で上に跳躍した。後ろや横に避けても抜刀の軌道はそれらをカバーする。伏せて避けるのも、二撃目の対処が遅れるため却下だ。思い切って前に跳ぶのも考えたが、朱赫ならそれにも合わせてきそうな気がした。

 ゆえに、上だ。膝を畳んで体を丸めて、朱赫の頭より高い位置に全身を飛ばす。朱赫の居合い斬りが足元を走っていく。

 カイムは縮めた腕を、拳にして敵の頭に放った。

「……っ!」

 だが、朱赫の頭部が横に落下した。朱赫が仰向けの姿勢で刀を振るっている。姿勢を体軸で反転させて、抜刀の軌道を曲解させたのだ。かなり危険な体勢だ、片足のつま先だけで斜めになった全身を制御している。

 カイムの拳が空を切った。引き戻そうとする、その左脇に銀刀が迫るのを察知。咄嗟に膝を克ち上げ、刀の腹を弾いた。姿勢が乱れるが、腹を捌かれるよりはマシだ。

 空中で半回転したカイムは上を飛んでいく刀を見た。

 朱赫の刀。その光景に違和感を覚える。この男が、刀を手離した? それほど強く蹴ったつもりはない。では、彼はなぜ刀を放り投げるような真似を。

 思考を巡らすカイムの、頭頂部に重い衝撃が襲いかかった。

「……ぬガッッ!」

 首が曲がり、頭に食い込むのは鉄の感触がある足刀。回し蹴りだ。

 側転からの、オーバーヘッドキック。刀の反動を抱えていてはできない芸当だ。

 カイムはブチャと汚く落ちる。その近くに朱赫が降り立つ。

 朱赫は腰から鞘を抜き、クルリと手遊びを行うように回転させた。指先で転がしたまま掲げていき、上からクルクルと落ちてきた自分の刀を、

 ッジャシャン! と鯉口に収める。

 赤き侍は、掲げた鞘を下ろし、打刀を元通りに佩く。

「分かったかド阿呆。これ以上俺を退屈させるな。斬るぞ」

「げ、ゲホっ! ド阿呆……?」カイムは喉を押さえながら立った。気道が強く潰れてしまい呼吸がままならない。「私、ガ、悪カタて言うカ?」

「他に何がある。下手な演技をやめろ。貴様の人格は一つのはずだろう」

 ようやくのことで直立できるようになり、カイムは睨み返した。

「酷いコト言うネ。私のアイデンティティ、否定スルか? 分裂して、シマったのだから仕方ナイじゃないか」

 八重人格のカイムも初めは、普通の子供であった。

 幼い頃は平静を保っていた八つの血だが、暗殺の才能が開花していくごとに、それぞれの血がいがみ合い始めた。鍛錬を積むと血が主張を激しくする。がなり立てる。俺様を開花させてくれ、と。八つの一族に学びに行けば、そこの血が狂喜して、見る見る内に上達し、ますます我を強くする。それが八重に何度も起こるのだ。

 八つの暗殺者一族はそれぞれ得意とするものが違う。それぞれ特異な技術を持つ。どれもが水と油。使い分けるならまだしも、混ぜるなんてことは不可能だった。

 カイムは気が付いたら多重人格者に成っていた。

 代わりに暗殺者としての才能を全て兼ね揃えた、最高の戦士に。

 八ヵ国の血が混じってるため、どの国の者にだって苦労なく変装できる。アメリカ人にも日本人にもインド人にもドイツ人にもアフリカ人にもロシア人にも中国人にもイタリア人にも。世界中のどの国であろうが、違和感なく紛れ込める。

 どんな武器だって操れる。どんな暗殺だって可能にする。何だってできる。

 だがそれは、何ににも成れないことを意味した。どの国のどんな人間も、カイムの人生のお手本にはなれるが、指針にはならない。八つのどの人格も自分とは言えない。

 カイムは、人格が八つあるカイム=スピーキングという人種にしかなれなかった。彼は人格形成に失敗し、ただでさえ不安定な自分をさらに見失ったのだ。

 残ったのは中途半端な、あらゆる秀才の成りそこない。

「ただノ天才ダッたアンタニ、俺が理解デキるモのカ……!」

「はあ? はっ、心底阿呆か貴様」

 心の底から吐露した感情が、赤い天才に一蹴される。

 朱赫は両目を爛々とさせ、刀の柄を強く握ると、言った。

「んなのどうでも良いから一番強い貴様を出せさあ斬るぞ穿つぞ死合うぞ早く」

 カイムの足から、フッと力が抜けるのを感じた。

 常時保っていた殺意とか闘気とか緊張とかを含めた諸々の糸が、自分の中でプッツンと切れた。口がへの字になって、目前の敵に問いかけた。

「はアアあ……? っテか、俺の人格、打ち切りなんだけど」

 なんだと、と荒武者は片眉を持ち上げ、声を荒げる。

「ふざけるなふざけるな、ふざけるなよ貴様。貴様はもっとやれるはずだ。諦めるな。俺を倒せ。刀が無いとやはりダメか。おい『幽』、刀を返せ」

「は、はあ!? あんた何言っちゃってんのさ!? あとちょっとで勝てるじゃん。手ぇ抜かずに最後まで斬り払えよ! 全力出すのがマナーでしょ!」

 おかっぱを振って女は、マナーマナー! と小太刀を抱き締める。

「む、仕方ない。これを使え」

 朱赫が刀を投げ渡してきた。思わずキャッチする。『幽色』という女が、ギャーッ! と鳥の首を捻ったような叫びを上げる。

「またかアケちゃん! 強敵と戦い続けたいからって、自分の武器まで手放しちゃうなんて、あんた狂ってる! 狂ってるって自覚ある!?」

「何を言ってる。俺は自覚の男だぞ。自分の正義ぐらい自覚している」

「ダメだこの戦闘狂バトルマニア! 誰よこいつ幹部にしたの!」

 きょとん、と展開に付いていけず刀を握るだけのカイム。朱赫が苛立った声で、

「何をしてる。俺も暇じゃないんだ。さっさと決着を付けよう」

「じゃあ、付けろよ!」

 遠くで『幽色』が叫び、朱赫を狙って工事用ハンマーが飛んできた。彼はそれを踵で蹴り落とすと、何食わぬ顔で拾い上げる。

「これを使えってことか、『幽』。よし使おう」

「食らえってことよ! ファック! ファッキン! いっぺん死ね!」

『幽色』が中指アッパーする。朱赫はそれを見て、フッと口角を上げると、

「貴様が死ね。殺すぞ否、滅する」

 ハンマーを振りかぶり『幽色』に襲い掛かっていった。望むところだ! とおかっぱ女も背中から取り出した二本の金槌で迎え撃つ。両者のハンマが激突した。

 二人の戦いが、カイムを放置して勝手に開始された。

「…………」

 何だろう、これは。カイムはぼんやり思った。都合の良いことになったとか、俺を無視するとは良い度胸じゃねえか、とか思わないでもなかったが、不明の方が強い。

 朱赫と『幽色』の戦いは、身体能力や戦闘センスは朱赫の方が上なのだろうが、互いの武器が『幽色』が得意としている鈍器なので、互角の戦いを繰り広げている。決着が付くのには時間がかかりそうだ。

 カラカラとカイムの刀が足元に転がってきた。『幽色』が邪魔で放り捨てたのが、こっちに転がってきたのだろう。その時、ブルリ、と懐の携帯が振動した。メールだ。このタイミングに来たということは、内容は読まなくても分かる。

「……あーあ。とうとう土御門の当主が死んだか。緋雀はまだ知らないだろうけど、どんな顔するかな。ま、それも次期当主の緋雀が、無事帰ってこれたらの話だ」

 ヒャハ。笑うと顔料を拭い、最後のカツラを取った。


          Fe

 

 夕華は癇癪かんしゃくのままに全力でトンカチを投げつけて、正気に戻った。

「はっ、私は今まで何を?」

 カン、と金槌が朱赫の振り上げたハンマーに跳ね上げられる。

「白々しいぞ『幽』」

 ハンマーを下ろし、朱赫が疲れた声で言った。

「勝手にケンカを売って勝手に冷めるとか、ずるい奴だな貴様」

 返す、と朱赫がハンマーを投げてきた。受け取って、夕華は何か大事なことを忘れてるような気がして、ぼー、と考える。何発か頭に食らってしまって頭の中がフワフワしている。靄が掛かったような脳を働かせる。

 記憶を遡っていって、自分の短髪を触り、そいつを思い出す。

「あ、そうだ! カイム、は……」

 見渡すが、路地に彼の姿はいない。朱赫が無感動に事実を述べた。

「逃げられたな。まんまと。俺たちが馬鹿してる間に」

「うっ」グサッと胸を押さえる。

「あと一撃で、それで勝負は付いたというのに。邪魔が入らなければ」

「ぐぐぐ。で、でも、まだ追いかければ捕まえられるかもよ!」

「その必要は無い」

 朱赫はしゃがんで、ある物を拾い上げた。それは茶髪の、

「カツラ? どうしてそんな物が」

「それだけではない」

 朱赫が何かを放ってきた。それは、一振りの刀だった。

「……ってこれ、カイムの武器じゃっ」

 よく見ると、彼が屈んでいる場所には、他にも色んな物が落ちていた。

 種類としては武器が一番多いが、目立つのは様々な色のカツラだ。鎌とかナイフに混じって金髪、黒髪が地面に広がっている様子は不気味ですらある。

 そして今、朱赫が手にしているのは数種類のファンデーションだ。

「奴の、変装道具と武器だな」

「どうして? 彼は、どういうつもりで」

「降参のつもりだろう。逃亡はともかく、暗殺者が装備を捨てるのはありえん。ご丁寧にこんな物まで捨てていくとは」

 朱赫が一緒にあったハンドバッグを逆さにして、中の物を出す。出てきたのは変わった武器。小さなカウベル、蛇皮が張ってあるナイフ、犬のレリーフの腕輪。手の平サイズの盾。黒水晶の指輪。どれも仲間からの報告にもあった形状。

「もしかしてそれ、鬼械?」

 拾って観察する。どの武器にも禍々しいオーラを感じる。材料にされた鬼形児の怨念、そういったものがまとわり付いているような、不快な感触だ。

 その横で朱赫は、変なテンションで独り言していた。

「奴め、敵前逃亡するとは。勿体ないことをした。奴の心が折れる可能性。それを考慮して戦うべきだった。とんだ誤算だ。才能があっても、それを発揮できる成熟した精神力を持ち合わせているとは限らない、か……」

 何やら悔やんでいるようだが、戦闘狂ではない自分には分からない領域なので、突っ込まないでおく。敵を撃退したなら結果オーライだ。

「一応だけど、降参した振りして、罠にかけようって可能性は?」

「普通の暗殺者ならそうする。固定観念を突き、どんな手を使っても油断させ、対象の命を奪う。だが、奴の場合その可能性はない。奴は紅崎を裏切った」

 朱赫は簡素に断言した。

「え。それはどういうこと?」

「これを見ろ」朱赫がバッグを投げて、「中に、面白い物が入ってる」

「面白い物?」

 言われるまま覗いてみた。バックの底には拳の防具が一個だけあった。カバン口よりも若干大きいため、逆さにしても引っかかっていたのだろう。

「ん? これも鬼械なの? でもこれがどうしたの」

 念のため触らないでおいて、そのままバッグを投げ返す。

「このナックルガードだけ鬼械ではない。それが鬼械と同じバッグに入っている。これはメッセージだ。鬼の中に紛れ込んでる異物は、暗殺の協力者は誰かという」

「協力者って、ちょっと待って。でもそこに入ってたのって……」

 声に焦りを混ぜる夕華とは対照的に、朱赫はより冷静になって言う。

「ああ、そうだ。『うた』の隙を突ける者がいるとしたら、幹部の中では十年来の戦友である『うず』か、心を読める『まち』だけだと思っていた。だが、なるほど。『渦』に近しい者ならばその伝手で親しく接近できる。これで誰が裏切り者か、確定した」

 朱赫はバッグを放り捨てると、急に走り出した。

 わわっ、と夕華は追いかけようとするが、カイムの道具をそのままにして置くわけにもいかないと思い、迷った末に回収を選んだ。

 バッグに目いっぱい詰め込み、入り切らなかった物は抱える。両手いっぱいになった夕華は、朱赫が走っていった方向が〈彩〉本部であることを思い、カイムのメッセージから連想される裏切り者のことを想い、ヘドロのような息を吐き出した。

 吐息が風に流されていく。汚物を洗い流すように、風は流れていく。


          Fe

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