歪曲額縁⑤
二人は、沈むような合皮のソファでくつろいでいた。
鋭利と銀架は〈彩〉本部の玄関ホールの一角にある待合所で、のんびりと時間を潰していた。外はとっくに夜の帳が降りているが、〈彩〉本部の中には眩しいほどの光が点っている。ここだけではなく、ここら一帯の地区は、ある上級幹部の発電能力のお陰で不夜城と化しているらしい。
『「雷色」様ももう少し考えてくだされば、こっちの負担が減るのだがな』
鋭利の手元にあるビンから、苦笑したような声が響く。
ビンの中には黒カビみたいな塊がカサコソと蠢いている。その正体は、〈彩〉本部までの道案内やここに入る際に口利きしてくれた『毒色』だ。
自爆の際に捕まえた細菌が増殖して、『毒色』の意思を発するようになったのだ。『毒色』本人の見解では、逃げた本体の方が消滅したからこっちに意思が宿ったらしい。が、鋭利にしたら良い迷惑だ。どう実験してやろうか楽しみにしてたのに。
『その点では復活して幸運だった。ミニサイズとはいえ我が身を弄られるのは良い気分ではない。しかし、私の身体を弄りたいとは随分な変態もいたものだね』
「私はあなたの方が変態だと思いますけど。見た目キモいですし」
『な、何ぃぃ! このアメーバボディの素晴らしさが理解できないだと!』
「できねー。なあ、次キモいこと言ったらこの消毒液ぶち込んでやろうぜ」
『死ぬ! 私がもう一度殺される! だ、誰か、ここから!』
「はははは。もう死にたいんだ?」
謎の黒い物体はすぐに沈黙した。ビンの中では細菌がうじゃうじゃ増殖しており、そろそろ許容量が近づいているのか、狭そうにしてる節が見られる。
「でも。どうしてあなたは、敵なのに案内してくれたのですか?」
隣のソファにすっぽりと身を沈めている銀架が、ビンの中身に訊いた。
確かにそこは疑問だ。彼らとは『大喰』の力を掛けて争っているはずだが、なぜ自分たちを部下に捕らえさせず、本部にも招き入れたのだろうか?
殴り込みに来たのに、客人扱いされて拍子抜けである。
『何、我らも勝者には礼儀を尽くす。ただそれだけのことだ。我ら幹部二人が堂々と負けたのだ。数や罠で勝とうなど、今更思わんよ』
「まあ、そーんなことしたらまず一番にオマエが死ぬからなー」
と、殺菌消毒用アルコールをビンに近づける鋭利。細菌がザワザワと騒ぐ。
『……ま、まあ、そういう見解もあるかも知れないな、うむ。別に我らとて、絶対の対立を築きたいわけではない。ヘッドハンティング候補を非道な方法で引き込んで、禍根を残してしまっても仕方あるまい?』
「なるです。私はてっきり鋭利さんを懐柔するつもりかと」
『そのつもりでもあったのだが。この女は甘言や脅迫が効かない性質のようだ。最も最適な手段だというのに、それが使えぬから私は役立たずになってしまった。今私にできることは、貴様らをここに繋ぎ止めて置くことくらいだよ』
「オレもみんなが来てないならここにいる理由は無いんだけどねー。ちょっとオマエらと話したいこともあったし、折角だからじっくり話し合おうじゃん?」
毒入りのビンを目の高さに持ち上げて、中の集合体と目を合わせる。
ザワワ、と生命体が息だった。
『是非も、無いことだ』
その時、ヒタヒタと濡れた足音がして、ドサッと鋭利の腕の中に太くて長い新聞紙の包みが投げ込まれた。キャッチで抱えると対面のソファに誰かが座った。
青い患者服を着た少女が、前のソファに埋まっていた。
「……それ、鼎とやらに返しといて。生腕がここにあっても邪魔」
少女が湖面のように静かな声で言った。
子供っぽい顔立ちに、醸成された大人の雰囲気。銀架よりも小柄だが、それは彼女がまだ幼いがゆえだろう。十歳か十一歳か、そのくらいの年に見える。
毒のビンと預けられた重たい包み――鼎の左腕を脇に置いて、鋭利は尋ねた。
「あらら。キミはどちら様?」
「……そこのメガネから聞いてないの? 私が『苦色』の一人、『街色』のツバメ」
肘掛けに置いたビンが嬉しそうに飛び跳ねる。
『「街色」! 私を救いに来てくれたのか! 君は私を常々馬鹿にしてたが、今こそその全てを許してやろう! さあ助けろ!』
「……はあ? 何言ってんの? そこで死になさい、ばっちい塊。あなたも、もっと乱暴に扱って良いわよ。幹部が一人くらい欠けても問題ないから」
『な、な、な、何て恐ろしいこと言うんだ! お、「大喰」! 私を殺したら〈彩〉本部の全メンバーが襲ってくると思え!』
いえ、と『街色』が何でもないようにそれを否定した。
「……私が襲わせないことを約束するわ。それに『毒色』を嫌うメンバーって多いの。消えたら逆に喜ばれるんじゃない? 『渦色』さんも貴女たちのこと認めたみたいだから、幹部として歓迎させてもらうってわけ」
「そー、それじゃ遠慮なく」
ビンから必死の悲鳴が挙がるが、うるさいそれを鋭利は投げ渡した。
『街色』の手に『毒色』が収まる。少女の黒目がクルリと広がった。
「……私に、返すの?」
「ああ。腕のお返し。人質なんて元々ガラじゃないからな。敵愾心燃やされてもヤだし、お互い腹を割って喋ることもできないでしょ?」
「…………。全く。良い敵を持ったものだわ、私たちも」
『街色』は仕方なさそうに吐息し、ビンの蓋を回し開けた。
ビンの中に収まってた細菌の群れが噴水のように溢れ出した。水を得た魚のごとく空中で増殖しまくり、黒いザワザワした塊が人の形に固まっていく。
人型になった細菌は胴体を黒スーツに変え、顔や手の細部を整えていき、
「……ふう、やはり外の空気は美味い。全身が活性化するようだ」
男は陰険な笑みを浮かべ、鼻の付け根に指を伸ばした。それが空振る。
「と、私としたことが。トレードマークの眼鏡を忘れるとは」
「……あれ、すごい不評よ。必要ないくせにキモイしウザいし死ねって。……ああ、じゃあこれからもメガネ付けなきゃね。是非」
「どういう意味だねそれは!」
『毒色』が憤慨するが、少女はツンとそっぽを向いて取り合わない。怒鳴り散らす『毒色』だが、『街色』は両耳を指で塞いで全カット。
「はあ、はあ。ま、まあ良い。今度はこっちに御礼参りしてやろうか。よくも私を苛めて楽しんでくれたな! 外に出れればこっちのものだ! ふァハハハ!」
「はーい殺菌消毒ー」
予想通りなので、プシュー、と消毒液スプレーを吹き掛けてあげる。
「ッッッ、ぬわっわあああああああ! か、顔がとけ、溶けるううううう!」
『毒色』が顔面を押さえてフロアを転げ回る。
「次私にやらせて下さい」と楽しそうに銀架が雑菌生物にスプレーを発射する。当てたところからジュワァ、と削れる。悶えて逃げても執拗に追い回す銀架とスプレー。ワンプッシュでジュワア、だ。一分も経たずに痙攣するだけになった瀕死の生物を『街色』は淡々と見下ろして、こちらに頭を下げた。
「……手間を取らせたようで。トドメは私がするから」
と『街色』は受け取った消毒液のキャップを開けて、残っていた中身をボトボトと床に注いでいく。ぎゃあああ、と断末魔がして、雑菌男は空気に溶けていった。
床に残ったのは、瘡蓋のような黒い欠片だけ。その雑菌の成れの果てをピンセットで拾ってビンに戻し、『街色』は座り直した。
「……とんだ失態を。話を戻しましょう」
「あ、ああ。仲間なのに容赦ないんだな」
「……敵も味方も容赦なく、が〈彩〉のモットーだから」
ニヤリ、と能面の口元を歪めて少女が言う。
「か、過激なルールです……! 鋭利さん、ウチでもこのルール導入しましょう!」
「いやあ、もうされてね?」
今以上にカオスにするつもりなのか、銀架は。
「……ん、何だかあっちが騒がしいわね。何かあったのかしら」
玄関の方で、『塵色』様! という嘆きの声が上がる。それを聞きつけて野次馬が集まっていき、彼らを掻き分けて一基のストレッチャーが入っていった。
「名前を呼んでたようですが、負傷者でしょうか?」
「……まさか。彼が、やられたのね。ちょっと、失礼するわ」
とは言うものの、席を立って玄関に向かう少女の足はかなり覚束ない。
「そんなフラフラして、大丈夫か?」
「……ええ、すぐに戻ってくるから、待っててちょうだい」
そう言って『街色』は今にも倒れそうな足で、集団の中に駆け込んでいった。
そして鋭利は、人混みの奥で少女の驚愕が上がったのを聞き付けた。
なぜ、あんたがここに、と。
声は不明と困惑の色。あまりに予想外なことが起きた時の声だ。誰もが対応できず、困り果てた声色。例えるなら、大軍の襲来か、仲間の裏切りを見つけた時の呟き。
そこまで見守って、鋭利は首を戻した。隣の銀架がこっちを見てくる。
「今度は何でしょう?」
「さーてね。障害物はほぼ排除したと思ったけど、まだ残ってたっけね」
でもま、と左の義手を額に添えて天井を仰ぎ、
「最後まで残ってるのは、とびっきりのビッグイベントって相場が決まってる。その立役者がとうとう舞台に上がったってこと、さ」
「立役者って誰のことですか?」
「さあな。正解は、見てのお楽しみって奴だろ?」
鋭利はズルズルと身体を落として、深く柔らかいソファに深く座り込んだ。
別世界のように〈彩〉のホールに絶叫が響いた。
絶望と狂気が、牙を剥き始めた。




