Episode 7:白い欠片が教えてくれたこと
朝の光が星屑の道を銀色に照らしても、ノワールの胸にある星槽は、いつものようにすぐには輝かなかった。
十秒……二十秒……三十秒以上の、恐ろしいほどの長い沈黙。
これまでで最も長い停滞の後、ようやく浮かび上がった淡い金色の光は、ひどく弱々しいものだった。
現れたティアの魂は、輪郭がぼやけ、向こう側の景色が透けて見えるほどだった。ふわふわの金髪は今にも風に溶けてしまいそうで、大きな瞳も少し霞んでいる。いつもなら元気に飛び出してくるはずの笑顔が、今日は精一杯の努力で無理に作られているのが一目で分かった。
「……おはよ、ノワール。ごめんね……今日はちょっと、起きるのが遅くなっちゃった……」
少し息を切らしながら、ティアはなおも笑おうとする。
「でも、大丈夫! 今日こそ星蜜の里に、近づける気がするよ!」
ノワールは即座に動かなかった。ゆっくりと兜を下げると、大きな両手で胸の星槽を包み込むようにして、壊れ物を扱うようにティアの魂を優しく支えた。
これまでの「今日も進む」という機械的な返事ではない。ノワールは初めて、自分の意志で言葉を選び、紡いだ。
「……今日は、無理をするな。お前が弱っているのが、はっきりと分かる。少し、ここで休もう。里は、逃げない」
「え……? でも、里がもう少しで──」
「里は逃げない。だがお前は、消えてしまうかもしれない」
低く、しかしこれまでにないほどはっきりとした声だった。
「私は……もう、ただお前の言う通りに進むだけではいられない。お前を失う恐怖が、私を動かしている」
その言葉に、ティアは目を丸くした。いつも自分のペースに合わせて寡黙に従ってくれたノワールが、初めて明確に「自分の意志」をぶつけてきたのだ。
二人が道の端に腰を下ろすと、異変を察した仲間たちがすぐに集まってきた。
ミルフィが心配そうに駆け寄り、ピクシー四姉妹が星屑を控えめに撒きながら周囲を飛び回り、夜行性のルミとルナまでもが、朝の薄明るい中を無理をしてふわふわと姿を現した。
「ティアちゃん……顔が少し透けてる……」
ルミがおっとりと心配そうに覗き込み、ルナがそれに続いた。
「今日は私たちの宿でゆっくり休んで。星蜜の月夜スープ、特別に作るから……」
みんなの顔を見渡し、ティアはくすっと笑った。けれどその笑顔は、いつもよりずっと儚く、脆い。
「みんな……心配してくれてありがとう。私、こんなにたくさんの人に囲まれてるの、すごく嬉しい……」
その時、道の脇に、今まで見たこともない純白に輝く「星の裂け目」が現れた。そこから、白く眩い魔導の欠片がゆっくりと浮かび上がる。ノワールがそれを胸の星槽に嵌め込んだ瞬間──世界が強烈な白い光に包まれた。
視界に広がったのは、星屑塔の病室。病がまだ深刻になる前の記憶だ。ティアがベッドの上で、ノワールの大きな鉄の手をぎゅっと握りしめていた。離れた場所では、おじいちゃんが優しく見守っている。
『ノワール、聞いて! 私が村に帰ったら、星蜜の里ってみんなにも会いに行こうね!』
記憶の中のティアは、元気いっぱいの声で弾むように話す。
『ルミちゃんたちに星蜜パンをお裾分けして、ミルフィちゃんは背中に乗せてあげて、ピクシーちゃんたちとは一緒に星屑をいっぱい撒いて遊ぶの! ……約束だよ? ノワールは私の家族なんだから、絶対に離れないでね』
当時の、まだ心を持たぬ機械的なノワールが答える。
『……約束、する』
ティアは満足そうに笑い、ノワールの胸に小さく額をくっつけた。
その時の温もりが、今のノワールの胸に鮮烈に蘇り──そこで記憶は途切れた。
現実の星屑の道に戻ったノワールは、兜を深く伏せていた。冷たい鉄の塊のはずの胸の奥が、熱く、痛く、締め付けられる。
(ティア。お前はあの時から、ずっと私を『家族』と呼んでくれた。私はただの、命なき鎧だったのに……)
お前が少しずつ薄れていくのを感じながら、私はまだ「守る」という受動的なことしかできなかった。もう、待つだけでは足りない。私は、変わらなければならない。
「ノワール? どうしたの? またぼーっとしてる……えへへ、今日も一緒にがんばろ?」
弱々しく笑いかけてくるティアに、ノワールは静かに、しかし今までで一番強い、魂の籠もった声を響かせた。
「……ああ。今日こそ、里に近づく。私は、お前を絶対に失わない。そのために、私は変わる」
その日を境に、ノワールの歩みは変わった。ただティアを保護するだけでなく、彼女が愛したこの世界を、彼女の代わりに一緒に守ろうとする強い意志が、冷たい鉄の身体に静かに芽生え始めていた。
やがて夕陽が沈み、零時の『星屑シフト』が訪れる。
空間が歪む地鳴りのなか、ノワールの変化に呼応するかのように、星蜜の里の灯りは、昨日よりも確かに近くへと引き寄せられていた。
ティアの魂が、ふわりと浮き上がる。今日はいつもより長く、愛おしそうにノワールの中に留まろうとしていたが、やはり限界が訪れる。
「……今日も、ダメだったね。でも、ノワールが『私は変わる』って言ってくれたの……すごく、嬉しかった……。明日も、がんばろー!」
精一杯の笑顔を残し、魂は夜空へと溶けていく。けれど、消え去る速度は、昨日よりもわずかに遅かった。
一人、夜の道に立ち尽くしたノワールは、兜を深く伏せ、大きな鉄の拳を強く握りしめた。
「……ティア。私はもう、昔の人形ではない。お前が教えてくれた『家族』というものを、これから本気で、この命に代えても守ってみせる」
さまよう鎧の胸の星槽は、夜闇のなかで、これまでになく静かに、熱く、青い炎のような決意の光を灯し続けていた。




