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大奥七罪絵巻 寵愛を奪われた奥女中は、強欲な御台所と嫉妬の側室たちを将軍の密書で裁き、憎悪の奥を生き抜く〜御鈴廊下に燃える女たちの闇地獄絵巻  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第24話 嫉妬の鈴

父への返事は、夜のうちに松ヶ枝へ預けられた。


 母の櫛は、まだお持ちでしょうか。


 ただそれだけの問いが、胸の奥でずっと鳴っていた。


 父は気づくだろうか。


 気づいて、何かを返してくれるだろうか。


 それともまた、忘れなさい、とだけ書いてくるのだろうか。


 考えても答えは出ない。


 それでも考えずにはいられなかった。


 父が七年前、大奥から届いた差出人不明の文を燃やした。


 その文には、小さな鈴の飾り紐が添えられていたかもしれない。


 小夜の鈴。


 母に渡されたかもしれない赤い飾り紐。


 そして、母が外へ出された夜に鳴った鈴。


 御鈴廊下の鈴ではない。


 手の中で鳴るような、小さな鈴。


 その音が、私の知らない七年前の夜で鳴っている。


 ちりん、と。


「紗代、顔」


 千鳥に言われて、私は手を止めた。


 朝の御末の間。


 私は布巾を絞ったまま、桶の水を見つめていたらしい。


「怖い?」


「怖いというより、固い」


「顔が固いのですか」


「うん。お餅を一日干したみたい」


「それは、かなり固いですね」


「うん。噛めない」


 千鳥はそう言ってから、自分で少し笑った。


 けれど、その笑みもすぐに消える。


 彼女の懐には、小夜の布包みがあった。


 昨夜、私が一時的に預かっていたが、朝になる前に千鳥へ返した。


 千鳥は受け取る時、両手で包みを抱え込んだ。


 怖い。


 でも、持ちたい。


 そんな顔だった。


「今日は、お久に会うんだよね」


「はい」


「それから、お梅様のことも」


「まずは、お久さんと話します」


「怒鳴らないようにする」


「怒鳴ってもいいです」


 千鳥が私を見た。


「いいの?」


「はい。ただ、聞くべきことを聞けなくなる前に止めます」


「止めるんだ」


「半分持つとは、そういうことかと」


 千鳥は少しだけ目を細めた。


「紗代、だんだん小夜みたいなこと言う」


「光栄です」


「怒るよ、あの子。『私はそんなに堅苦しくない』って」


「では、あとで訂正します」


「どこで?」


「小夜さんの名を呼ぶ時に」


 千鳥は黙った。


 それから、小さく頷いた。


「うん」


 その声は、少し震えていた。


 でも、逃げる声ではなかった。


 お久は、針仕事の部屋の隅で待っていた。


 昨日より顔色が悪い。


 ほとんど眠っていないのだろう。


 針箱の蓋を開けたり閉めたりしていたが、私たちが近づくと手を止めた。


「来ると思っていました」


「逃げないのですね」


 私が言うと、お久は苦笑した。


「逃げる場所がありませんから」


「お久」


 千鳥が一歩前へ出た。


 お久は、まっすぐ千鳥を見た。


 目の下は赤い。


 けれど、昨日よりも逃げていない。


「小夜のことで、まだ聞きたいことがある」


「はい」


「お梅様に、お久の嫉妬を使われたって聞いた」


「……はい」


「でも、それでお久のしたことが消えるわけじゃない」


「分かっています」


「本当に?」


「分かっているつもりです。でも、きっと千鳥が思うほどは分かっていません。小夜がいなくなった後も、私は生きて、食べて、眠って、針を持っていましたから」


 千鳥の顔が歪んだ。


 お久は続けた。


「消えた人の重さは、残った人間には全部は分かりません。分かるふりをしたら、それも嘘になる」


「……そういうの、ずるい」


「はい」


「でも、前よりは本当っぽい」


 お久は目を伏せた。


「ありがとうございます、と言うことではありませんね」


「言われたら怒ってた」


「では、言いません」


 私は周囲を見た。


 針仕事の部屋には他にも女中がいる。


 話すには人目が多い。


「水屋へ」


 私が言うと、お久は頷いた。


「はい」


 古い水屋は、昨日と同じように湿っていて暗かった。


 棚の上には欠けた器が並び、古い水差しには薄く埃が積もっている。ここで何度も秘密が開かれ、また閉じられた。


 お久は台の上に小さな針箱を置いた。


「持ってきました」


「何をですか」


「小夜の布包みを見たあと、ずっと気になっていたものです」


 お久は針箱の底板を外した。


 そこに、細い赤い糸で巻かれた小さなものがあった。


 千鳥が息を呑む。


「鈴……?」


 お久は震える指で、それを取り出した。


 小さな鈴だった。


 指先ほどの、銀色の鈴。


 表面は少し黒ずみ、赤い飾り紐は半分ほど失われている。紐の片側だけが残り、もう片側は切られたようにない。


 ちりん。


 お久の指が震えた拍子に、鈴が小さく鳴った。


 千鳥の顔から血の気が引いた。


「この音……」


「知っているのですか」


 私が問うと、千鳥は鈴を見つめたまま頷いた。


「小夜が、時々持ってた。御末の子が持つようなものじゃないから、何それって聞いたら、拾っただけって」


「小夜さんは、何のために?」


「分からない。でも、小夜は冗談で言ってた。『千鳥が泣いたら鳴らしてあげる。すぐ来るから』って」


 その声は、もうほとんど泣いていた。


 お久は、鈴を台の上に置いた。


「小夜が消えた後、これも寝具の下にありました。布包みとは別に」


「なぜ、昨日言わなかったの」


 千鳥の声が冷たくなる。


 お久は逃げなかった。


「怖かったからです」


「また?」


「はい。またです」


 お久は自分を責めるように言った。


「鈴を見たら、小夜が本当に誰かへ知らせようとしていたのだと分かってしまう。私が梅島様に告げたことで、その知らせが届かなかったのだと分かってしまう。だから、言えませんでした」


「願っただけじゃないって、もっと分かるから?」


「はい」


 千鳥は震えた。


 でも、手は出さなかった。


 鈴に触れるのが怖いのかもしれない。


 触れたら、小夜が本当にいなくなった夜に触れてしまうから。


 私は鈴を見た。


 赤い紐の切れ目。


「お梅様は、小夜さんがこの鈴の飾り紐を誰かに渡したと言っていました」


「志乃様に、でしょうか」


 お久が言う。


「可能性はあります」


「でも、ここに半分残っています」


 私は慎重に鈴を手に取った。


 赤い紐の片側は鈴に結ばれている。


 もう片側は、切れているのではない。


 ほどかれていた。


 誰かが乱暴に切ったのではなく、小夜自身が半分をほどいて渡したのかもしれない。


 半分。


 まただ。


 小夜は、いつも半分にする。


 卵焼きも、怖さも、秘密も、鈴の紐さえも。


「小夜さんは、鈴そのものを残し、飾り紐の半分を母へ渡した」


 私が呟くと、千鳥が顔を上げた。


「じゃあ、この鈴と紐が揃えば」


「母と小夜さんが繋がっていた証になります」


「その紐が、父上の文に添えられていたかもしれない」


「はい」


 父。


 また胸が痛んだ。


 父は、それを燃やしたのか。


 あるいは、まだ持っているのか。


 母の櫛のように。


 思い出を捨てられない人だった父なら、持っている可能性もある。


 そう信じたい。


 信じたいという言葉が、今は祈りに近かった。


「鈴の底を見てください」


 お久が言った。


「底?」


「はい。昨日、布包みの縫い目を解いたと聞いて、私も鈴を見直しました。底に、何か彫ってあります」


 私は鈴を光にかざした。


 小さすぎて読みにくい。


 千鳥が身を寄せる。


「何て?」


「文字です」


 鈴の底に、針で引っ掻いたような細い文字がある。


 かな。


 いや、違う。


 短い印のような文字。


 ――さ。


 小夜の「さ」か。


 それとも志乃の「し」の崩れか。


「さ、に見えます」


 私が言うと、千鳥が震える声で言った。


「小夜の、さ?」


「かもしれません」


「小夜、自分のものって分かるように」


「あるいは、誰かへの合図です」


「誰かって」


「鈴を受け取る人」


 小夜は、何かあれば鳴らす鈴を持っていた。


 その紐の半分を母へ渡した。


 母が危険になった時、鈴を鳴らす。


 あるいは、小夜が危険になった時、母が紐を見せる。


 どちらにしても、連絡のためのものだ。


 だが、その仕組みは機能しなかった。


 母は外へ出され、小夜は消えた。


「小夜は、鈴を鳴らしたのでしょうか」


 私が問うと、お久は顔を伏せた。


「一度だけ、聞きました」


 千鳥が固まる。


「いつ」


「小夜が消えた夜です。深夜、御末の寝所で」


「私も、聞いた?」


「分かりません。とても小さな音でした」


 ちりん。


 手の中で鳴るような、小さな鈴。


「私は寝たふりをしていました。でも、音は聞きました。小夜が動き、鈴が小さく鳴って……その後、小夜は千鳥の方を見ました」


「起こそうとした」


「たぶん」


「でも、やめた」


「はい」


 千鳥の目に涙が浮かんだ。


「馬鹿」


 小さな声だった。


「起こせばよかったじゃん。私、怖がっても起きたかもしれないのに」


「小夜さんは、千鳥を守りたかったのでしょう」


 私が言うと、千鳥は首を横に振った。


「守るって、残酷だね」


「はい」


「守られた方は、ずっと知らないまま生きる」


「はい」


「でも、守られたから今ここにいる」


 千鳥は鈴を見た。


「それも、分かる」


 分かるから苦しい。


 誰かの優しさは、時に刃より深く残る。


「お久」


 千鳥が言った。


「その夜、鈴の音を聞いて、どうしたの」


「何もしませんでした」


「そう」


「怖くて、布団の中で息を止めていました」


「私と同じだね」


 千鳥の声は静かだった。


 責めるでも、許すでもない。


 ただ、同じだと認める声。


 お久は泣いた。


「同じではありません。私は告げ口をした」


「うん。そこは違う」


「千鳥」


「だから、許さない。でも、同じところもある」


 千鳥は深く息を吸った。


「私たちは、鈴の音を聞いたのに動かなかった」


 その言葉は、水屋の古い壁に染み込むように響いた。


 願っただけの罪。


 聞いたのに動かなかった罪。


 泣いて逃げた罪。


 それらが、小夜の鈴の音に重なる。


「お久さん」


 私は言った。


「この鈴、千鳥が持っていてもよろしいですか」


 お久は迷わず頷いた。


「はい。私は、持つ資格がありません」


「資格の話ではありません」


「でも、千鳥が持つべきです」


 千鳥は鈴を見つめた。


 しばらく動かなかった。


 やがて、両手を差し出す。


 私は鈴をその掌へ置いた。


 ちりん。


 小さく鳴った。


 千鳥の肩が震える。


 けれど、手放さなかった。


「小夜」


 千鳥は鈴を握り、目を閉じた。


「遅くなって、ごめん」


 返事はない。


 だが、鈴の余韻が水屋の中で長く揺れていた。


 その時だった。


 水屋の入口に、松ヶ枝が立っていた。


 いつからいたのか。


 彼女は私たちを見て、そして千鳥の手の中の鈴を見た。


 顔が変わる。


「それは」


「小夜さんの鈴です」


 私が答えると、松ヶ枝は一歩入ってきた。


「どこから」


「お久さんが持っていました」


 お久が深く頭を下げる。


 松ヶ枝は責めなかった。


 ただ、鈴を凝視している。


「松ヶ枝様は、この鈴をご存じなのですか」


「知っています」


 声が掠れていた。


「七年前、小夜が私のところへ来た時、持っていました」


「何と言って」


「志乃様を外へ出さないでほしい、と」


 胸が締めつけられる。


 小夜は、ちゃんと動いていた。


 母を救おうとしていた。


 千鳥を起こせなかったけれど、寝たふりをした者たちがいたけれど、小夜は動いていた。


「松ヶ枝様は」


 千鳥の声が震えた。


「小夜の話を聞いたんですか」


「聞きました」


「それで?」


 松ヶ枝は目を閉じた。


「動きませんでした」


 千鳥が息を呑んだ。


 私は奥歯を噛みしめる。


 まただ。


 怠惰の罪。


 見て、聞いて、それでも動かなかった罪。


「なぜ」


 千鳥が言った。


「小夜が頼んだのに。志乃様を外へ出すなって。どうして」


「大御台様の命が出ていたからです」


「大御台様の」


「志乃を一時、外へ下がらせる。表向きは病養生。そういう沙汰でした」


「一時?」


 私は思わず言った。


「母は戻っていません」


「ええ」


 松ヶ枝は苦しげに頷いた。


「戻りませんでした」


「小夜さんは、それを危険だと知っていた」


「はい」


「松ヶ枝様も?」


「……知っていました」


 千鳥が鈴を握りしめた。


「最低」


 その一言は、鋭かった。


 松ヶ枝は受け止めた。


「はい」


「小夜は、あなたに頼んだのに」


「はい」


「志乃様だけじゃない。小夜も、あなたに見捨てられた」


「はい」


 松ヶ枝の声は低かった。


 逃げていない。


 でも、逃げなければ罪が消えるわけではない。


「千鳥」


 私は袖を掴んだ。


 千鳥の身体は震えている。


 怒りで。


 悲しみで。


「止めないで」


「止めません」


「私、怒ってる」


「はい」


「怒っていいよね」


「はい」


 千鳥は涙をこぼした。


「松ヶ枝様。私は、あなたを許せません」


「はい」


「お久も許せない。お梅様も。梅島様も。小夜を怪談にした人も、鈴の音を聞いて寝たふりした昔の私も」


「千鳥」


「でも」


 千鳥は鈴を握りしめたまま、顔を上げた。


「許せないままでも、見ます。小夜が見ようとしたものを」


 松ヶ枝は、深く頭を下げた。


 老女が、御末の千鳥に頭を下げた。


 水屋の暗がりで、その姿はとても小さく見えた。


「小夜の鈴は、千鳥が持っていなさい」


 松ヶ枝が言った。


「私が?」


「ええ。そなたが持つべきです」


「私、逃げたのに」


「逃げた者が、戻ってきたのです」


 千鳥は声を詰まらせた。


 松ヶ枝は私へ視線を向ける。


「篠乃井。父君の文の件ですが」


 胸が鳴った。


「何か分かりましたか」


「父君が七年前に燃やした文に添えられていた飾り紐。あれは、この鈴のものと見てよいでしょう」


「なぜ」


「色、編み方、結び目の癖。小夜が自分で編んだものです」


「松ヶ枝様は、それを知っていたのですか」


「小夜が見せました。志乃様と連絡を取るための目印だと」


 父は、その飾り紐を受け取った。


 つまり、父は母と小夜の繋がりを知る手がかりを得ていた。


 それでも文を燃やした。


「父は、母を見捨てたのでしょうか」


 声が震えた。


 松ヶ枝は答えに迷った。


 その迷いが、余計に苦しかった。


「父君が何を知っていたかは、まだ分かりません。ただ」


「ただ?」


「燃やした文には、志乃からのものではない可能性があります」


「どういう意味ですか」


「文を差し出した筆跡が、父君のものに似ていたという証言があります」


 意味が分からなかった。


「父が、自分へ文を?」


「いいえ。父君の筆跡に似せた者がいた、ということかもしれません」


 千鳥が息を呑む。


「誰かが、紗代のお父上の字を真似た?」


「あるいは」


 松ヶ枝は言いよどんだ。


「父君自身が、七年前より前に誰かへ宛てた文があり、それが志乃の死に関わっていた可能性もあります」


 父の字。


 母の死。


 鈴の飾り紐。


 頭の中で糸が絡まる。


「確認する方法は?」


「父君からの返事を待つしかありません」


「遅すぎます」


「急げば、また誰かが消えます」


 松ヶ枝の声は強かった。


 私は口を閉じた。


 急ぎすぎた母。

 消えた小夜。

 守られて置いていかれた千鳥。

 動かなかった松ヶ枝。


 同じ失敗をしてはいけない。


「分かりました」


 私は言った。


「父の返事を待ちます」


 千鳥が少し驚いた顔をした。


「本当に?」


「はい」


「追わない?」


「今は」


「今は、ね」


「はい」


 千鳥は小さく笑った。


 鈴を握る手は、もう震えていなかった。


「お久さん」


 私は振り返った。


「あなたにも、まだ聞くことがあります」


「はい」


「お梅さんがあなたに近づいた時、他に誰かいましたか」


 お久は少し考えた。


「遠くに、お袖様がいました」


「お袖さん」


「大御台様の衣を直す方です。お梅様とは違い、ほとんど喋りません。でも、いつも聞いている気がしました」


「聞いている女」


「はい」


 泣く女の次は、聞く女。


 大御台様の周りには、女たちの罪が何層にも重なっている。


「お袖さんは、小夜さんと関わりが?」


「分かりません。ただ、小夜が消えた後、お袖様が小夜の名を一度だけ口にしたのを聞きました」


「何と」


「『鈴は鳴ったのに』と」


 水屋が静まり返った。


 鈴は鳴ったのに。


 小夜は鳴らした。


 でも、誰も動かなかった。


 あるいは、動くべき者が動かなかった。


「次は、お袖さんですね」


 私が言うと、松ヶ枝が厳しい顔をした。


「慎重に」


「分かっています」


「本当に?」


「今は、分かっています」


 千鳥が横で小さく笑った。


「少し成長」


「少しだけです」


 お久は、千鳥へ深く頭を下げた。


「千鳥。小夜の鈴を、お願いします」


「言われなくても」


「はい」


「お久」


「はい」


「小夜のこと、忘れないで」


「忘れません」


「嫌いだったことも、嫉妬したことも、告げ口したことも、全部込みで覚えてて」


 お久の目からまた涙が落ちた。


「はい」


「その上で、小夜を悪い話にしないで」


「はい」


 完全な和解ではない。


 お久の罪は消えない。


 千鳥の怒りも消えない。


 けれど、二人はようやく同じ鈴の音を聞いた。


 逃げるためではなく、思い出すために。


 その夜、千鳥は小夜の鈴を自分の懐に入れた。


 布包みも一緒に。


 何度も確認して、何度も手を当てる。


「なくさない?」


 私が聞くと、千鳥はきっとこちらを見た。


「なくさない」


「はい」


「これ、私が持つ」


「はい」


「怖いけど、持つ」


「はい」


 御末の間に戻ると、父からの文も、小夜の鈴も、赤い糸も、すべてが私たちの周りに見えない輪を作っていた。


 輪の中心には、母の名がある。


 そのすぐ隣に、小夜の名がある。


 そして少し離れて、父の名がある。


 私は父の文をもう一度開いた。


 ――志乃の死は、もう終わったことだ。


 終わっていない。


 終わっていないから、鈴はまだ鳴っている。


 小夜の鈴が。


 母の残した言葉が。


 父が燃やしたかもしれない文が。


 そのすべてが、まだ終わっていないと告げている。


 布団に入る前、千鳥が小さな鈴を手の中で鳴らした。


 ちりん。


 御鈴廊下の鈴よりも小さく、頼りない音。


 けれど、その音は確かに聞こえた。


「小夜」


 千鳥は言った。


「今度は聞いたよ」


 誰も返事はしなかった。


 だが、その静けさの中で、私は思った。


 消えた女たちは、沈黙しているわけではない。


 ただ、聞く者がいなかっただけだ。


 今度は聞く。


 鈴が鳴ったなら、寝たふりはしない。


 たとえその音が、私の家へ続いていたとしても。

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