第二十二話 石の計算者と時をかける都市
やり取りがひと段落着いたところで、アリスはソフィアに改めて質問をし始めた。
「ソフィアはさっき『大規模で精緻なインフラを作れるなんてこの国の財源は無尽蔵なの?』みたいなことを言ってたけど、これってさっきの説明を踏まえて言うと、『こんな道路作るなんて財源が無尽蔵にあるの?』...って思ってるってこと?」
アリスが不思議そうな顔でそう尋ねてくるのでソフィアは小さく首を縦に振り肯定しながら返答した。
「そうです。だってこれ程の道路を作るなんて絶対に莫大な予算がかかってるに違いありません。それに付け加えて上下水道まで整備するとなると普通は予算がいくらあっても足りないと思うでしょう?」
まず加工・建設技術に関しての費用は置いておいて、材料費だけを見るにしてもそれがかなりの額になるだろうことは想像に難くない。なぜならこれだけの石材を加工して運んでくるだけでも、とてつもない労力・人足が必要になるからだ。
しかし、アリスにはその発想がなかったのか次のように切り出した。
「でも、道に使ってる材料と言えば石くらいなものだし、そんなにお金がかかってるはお思いにくいけど...」
これを聞いたソフィアは10歳そこそこの女の子に理解するには早いだろうという事を認識しながらも、思わず反論してしまった。
「石だからタダに等しいだろうなどと考えるのであれば、道路を作るのに必要とされる石材を自分達の力と家畜や自然の力だけを用いて石切場(石材の産出地)から運んでくることを想像してみると良いでしょう。それがいかに困難な事か分かるでしょうし、それにかかる労力と費用だけでも尋常ではないことが想像できる筈です。」
「運ぶのにかかる労力と費用...」
興味深そうにつないだ手とは違う、もう一方の手を小さな顎に当てて少し首をかしげながらそう呟くアリス。
少女と幼女は年相応に可愛らしく手をつないで街道を歩く一方、話している内容はとても子供のするものとは思えないものだった。
ソフィア自信はともかくとして、この年齢でこういった話題に関心を示すとはアリスも中々に変わった子供だな...と少し彼女に興味がわいてきたソフィアは彼女に更にその話を説明してやることにした。
「まず、石切場は大抵の場合において平野部の都市圏からは遠く離れた山の中にある事が多いです。そして次にこの道路に無数に敷き詰められている石材は見える範囲ではほぼすべて花崗岩を使っているのが見て取れ、そのサイズは一つ辺りおおよそ一辺が70センチの立方体であるようだから、これ一つの質量は約285kgという事になります。
こんなものを人間が一人で持ち運ぶことなど長距離はおろか少しの距離でも不可能なのは言わなくてもわかるでしょう?そうである以上複数人ないし、家畜や自然の力を用いて運ばなければならないという事になります。」
手を繋いでいない方の空いている手の人差し指をピンと伸ばして上に向け、その手を演奏を指揮する指揮者のように得意げに振りながら順序だてて説明をするソフィアの姿はまるで教師だった。
...というよりもある意味でこれは教師そのものの姿だった。というのも彼女...いや、『彼』が大学で教鞭をとっていた時に生徒相手に説明をする際には、今やっているのとまったく同じ身振り手振りをしながらしていたのだ。
ソフィアは久しぶりの、自分の考えを人に説明をするという感覚にどこか懐かしさと楽しさを憶え、更に熱心にアリスへの説明を続けていく。
アリスの方はソフィアの小さな身体とのミスマッチした振る舞いや言動を気にするでもなく、その話を集中して聞いていた。そして素直に自分の考えをソフィアに向かって述べた。
「家畜を使わずとも自然の力...つまり河川という自然の道を使って舟に積載して運べば、それほど労力も費用もかけずに運ぶことができるのではないでしょうか?」
その口調はいつの間にか授業を受けながら教師に質問する生徒のそれになっていた。
アリス自身、完全に無意識でそうしていたし、ソフィアの方もそれに気づいているのかいないのかは分からないものの、少なくとも一切気にする様子もなく平然とその質問を聞き、それに対する返答をした。
「いい考えです。実際労力をあまり掛けずに運ぶにはそれが一番手っ取り早くて確実ですからね。
しかし、運よく河川が切石場から都市や集積地点まで続いていれば貴女の提案通り、自然の力である『浮力』に頼り、船に荷を乗せて河川の上を行けばよいですが、大抵の場合そう上手くはいきません。
現実は途中から水運に頼る事が出来ればよい方で、そもそも採石地から目的地まで河川が繋がっていないという地形の問題や、繋がっていても政治・経済的な事情やそれ以外の諸般事情により最後まで陸運に頼らざるを得ないというケースも多いのです。」
自分の案を褒められて一瞬嬉しそうにしていたアリスだがその後に述べられたことを聞いてどこか残念そうな...あるいは悔しそうな顔をし、少し肩を落として俯いてしまった。
そんな様子を横目で見ていたソフィアは、心情をこんなにも素直に表に出しながらころころと変わるアリスの表情や様子がなんだかおかしくて内心、笑いを堪えるので精いっぱいだった。
そんな気持ちを隠そうとソフィアは前に向き直り、進行方向に目を向けて歩きながら更に説明を続けた。
「...であるならば少なからぬ距離間を家畜の力に頼ることになるでしょう。家畜を用いた運搬方法であるならば馬車が一般的ですが、一頭立ての馬車が積載できる最大積載量は1500kgほどと一般的に言われているから、この場合に運べる最大量は主要道路に用いる石畳の石材5つ分だけという事になります。」
「たったの5つ分...」
心底驚いたといった感じで、目を見張りながら街道に用いられている大きな石畳を見つめてそう呟くアリス。
そんな彼女の様子を見て片方の口の端をキリっと釣り上げ、少しいたずらっ気のある不敵な笑みを浮かべるソフィア ...本当は笑いを堪えようとした結果こうなってしまっただけなのだが、少なくとも他者から見ればそう見えるのだった...は更に続けた。
「そうです!たったの5つ分だけです!しかもこの馬車に御者が1人乗ってしまえば最大積載量ぎりぎりの重量になるので現実的には4つしか運べない可能性の方が高い。なぜなら御者はこの馬車に乗って何日も何週間もかけて皇都に直接運ぶか皇都に荷を運ぶ業者のいる街や集積地まで運ぶことになる訳だから、それ以外に積載する必要のある、決して少なくはない重量の旅程用物資等が必ず存在するからです。
つまり、一人が最初から最後まで運ぶにせよ途中で中継されるにせよ、少なくとも数日から数週間の時間と馬車一輌及び運搬者一人以上の人足という労力をかけて石切場から運ばれるのが、そこに見える石畳4つほどなのです。そして当然ながらそんな程度の量では道路用に供するには少なすぎるのでもっと多くの石材が...延いてはそれを運ぶために必要とされる、より多くの運搬用の馬車や運搬者といった労力が必要となる訳です。」
ここまでの事を勢いよく言い終えたソフィアはアリスの方をもう一度見た。
アリスは黙って話を聞きながら、ただ唖然とした様子で路面を眺めていた。彼女は今までこの道を何度となく行き来していたが、こんなことを少しでも考えたことは一度もなかったのだ。
故に、今の話を聞いて初めてこの道を作るために掛かったであろう莫大な労力というものをおぼろげながらにとらえ始め、それと同時に漠然としか想像できない労力総量の途方もない規模に唖然としてしまったのだ。
ソフィアはそんな彼女の思考を察して、労力総量の具体的な目安を教えてやろうと思い、自分の考える推測値を彼女に教えてやることにした。
「...具体的に必要量を推定するために、一番の主要な道路且つ最大規模の道路の種類である幹線道路を例にとってみましょう。
この道路の幅は車道が約4mで車道の両側には約3m程の幅を持つ歩道が広がっている...つまり合計でおよそ10m前後の幅の道路です。
この都市の正確な規模...面積は私には分かりませんが、南門から入って都市中央に位置する宮殿区の中にある屋敷まで馬車に乗っていた時間や皇都中央に位置する宮殿区画の広さ、それに今まで歩いた市街中央区及び市街北区の広さから推測するに、平均すると一区画当たり大体3~5㎢の面積といったところでしょうか...?」
「大体それ位の規模であってると思う。皇都の総面積は『旧市街区と新市街区、それに開発区をまとめると大体90~100㎢前後だ』...って地理学の教育係が以前に言ってた気がするわ。」
「なるほど結構です。それならこの仮定が大体合っているとものとして話を進めると、一区画の直径は約2km前後、皇都の直径は約10kmという事になります。
つまりこの数字から、街の南端から恐らく北端まで伸びているであろうこの南北に延びる大通りだけ見ても幅約10m、長さ10kmに及ぶという大変な面積だという事が分かる訳です。」
「え、えぇ...」
「これでようやく本題に入れるわけですが...以上の推測で得たこの道路面積から推測される、道路敷設に必要とされる石材の量は...まず、そこに見える車道用石材が約7万1100個分ほど必要になる。」
「な、....!!」
唖然とし目を見張り、思わず立ち止まってしまうアリス。
しかし、ソフィアはそんなことなどお構いなしにさらに話を続ける。
「更に!これに加えて歩道用の石材も必要になる。見た所、これに使われている石材は車道用と同じ種類の石のようだが、その厚みは半分ほどといったところでしょうか...となると個数こそ1.5倍に当たる10万6650個ほど必要だけれど、その総質量は車道用の石材の4分の3程度だと言えるから、積載量計算で考えやすいように車道用の石材の個数に質量換算で置き換えてあげると...5万3325個分に相当する訳だ!つまり合計で車道用石材12万4500個分にあたる質量の石材を運べばこの南北に延びる主要道路が完成するわけです!」
「じゅ...12万って...それ一体どれだけの人足が必要になるの...?桁が大きすぎてもう私には何が何だか...」
とてつもなく大きな数字を突きつけられて最早、計算処理が追い付かないでいるアリスは目をぐるぐるとさせながらソフィアに懇願するようにそう尋ねた。
その様子を横目で面白そうに伺っていたソフィアは彼女の問いに対して簡潔に答えてやった。
「約三万輌の一頭立て馬車とそれを使って運ぶ運搬者が最低三万人。運搬するだけで最低これだけの人足が必要になります。」
「へぇ.......え?」
さらっととんでもない数字を提示するソフィア。先ほどから驚きっぱなしのアリスだがあまりに簡単にそう言われるものだから一瞬、『そんなものか...』と納得しかけたがすぐに思い直し、耳を疑う事となった。
何せ三万輌の馬車と三万人の人足である。内海世界でも最大規模の人口を誇るこの皇都でもその人口はおよそ60万人から最大でも70万人弱といったものなのだ。当然これは女子供や老人も含めての人口であり、その内で馬車を駆って長距離に渡って石材を運ぶことのできるような...いわゆる労働力人口というのはもっと少ない。
つまり、都市部に居住する労働力人口とされる人たちの多く...割合でいえば恐らく十人かそこらに一人の割合...が暫くこのような職務に就く必要があるばかりか、恐らく皇都周辺の都市からもかき集めなければ足りないだけの、文字通り桁外れに多くの馬車も用意しなければ、この街道は完成しないという事なのだった。
この事実は、まだあまり世事や世俗の労働などに対して何かと疎いところの多い少女...アリスを驚かせるに値するだけの衝撃を備えていたのだった。
しかし、ソフィアは最後に最も重要な事を言い残しており、それは今までの衝撃など比ではないほどの壮大な規模の話であった。
「...しかし、あくまでこれは運搬に必要とされる人足等の話です。加工や建設の段階に必要となる労働力を加味すれば合計で十万~二十万人は下らないであろう人足と、物を運んだり敷設工事をする際に雑事をこなすことになる更に多くの馬車や牛などが必要となります。
そして当然、それだけの人を雇い、馬や牛を養い、彼らが使う道具を用意するには多くの...それこそ想像も出来ないほどの莫大な予算がかかる事は想像に難くないでしょう。」
「...もうこの道路がなんで存在できているのか分からなくなっちゃった...」
自分の考えを余すことなく言い切ってすっきりとした様子のソフィアとは対照的に、アリスの方は話を聞く前よりも...というよりも話を聞けば聞くほどより深く当惑することになり、遂には片方の手を額に当てて唸り始めてしまうという始末であった。
「そんなに難しく考える必要はありませんよ。なぜならこの道路も、これ以外の道路や建築物も恐らく...いやほぼ間違いなく同時に建設が終了した訳でもなければ同時代に作られたという訳でもないでしょうから、先ほど言った必要労働力というのは一時期に集中して投入されたものではないのは殆ど明らかと言えるでしょう。それに先ほどから路面を見ていると北に進むほど新しい石材が用いられているのは明らかです。
つまり、長い長い年月をかけて完成させたものだとすれば先ほどの労力もその年代ごとに投下された労働量の合計に過ぎないのだから、偉大な事業にしてもそこまで不可能な事とも思えなくなるでしょう?」
「な、なるほど確かに...」
そう、あくまで街というのは段階的に作られていくものだ。
無論、開発計画や新都市建設計画によって一気にその全体を作り上げられた街も一定数存在するというのは事実だが、この皇都やその他の『古くからある都市』というのは、そのほとんどが中央区画からだんだんと外側に向かって拡大成長してきた結果、形成された街なのだ。
であれば、そこに現在通っている道路や建ち並ぶ建設物というものが、時代とともに...その都市の拡大とともに、年々その量や面積を増やしてきたのだという事も容易に想像がつく事だろう。
一日にして国は成らないのと同様、それを構成する都市も一夜にして完成した形を形成するという訳ではなく、時と人の営みの積み重ねによって徐々に形成されていくものなのだ...




