第十六話 皇都(テクス・ウルビウム)到着
晩餐会の次の日の朝、朝食をとって準備を済ませるとソフィアたちは即座に馬車に乗って街を後にした。そして、皇都へ続く大街道をその後も走り続け、3日後の昼過ぎになってようやく皇都の郊外へと辿り着くのであった。
【正統歴1560年 9月20日 ウラノス皇国 皇都郊外 】
皇都の南側の郊外はごく緩やかな傾斜がある広大な平野部が延々と広がっており、そこには一面が美しい黄金色に染まっている小麦畑やライ麦畑、そして牛や豚などの飼育をしている区画もかなりの面積があり、穀物生産や畜産といった農業がかなり盛んに行われていることが一目で分かった。
ここ数か月の教育の中で基礎教養として教えられていたが、皇国北部には『ナイアデス川』という大河が北西の大山脈から皇都のすぐ横に広がっている大陸最大規模の湖に向かって流れており、複数の支流を伴うこの川が運んでくる土壌のおかげで、この平野部は大変豊かな土壌を有しており、南部の大平野と合わせて皇国の二大穀倉地帯とされているそうだ。
秋の実りの豊かさをその美しい田園風景からひしひしと感じながら、ソフィアたちは街道に従って更に北へと進んでいく...
...皇都に近づくにつれて風景が刻々と変わっていった。道路の脇に広がっていた美しい田園風景は段々と姿を消し、所々にあった農家の家々も全体的に造りが立派な大きなものへと変わっていったし、それを過ぎると今度は、切り出した石などを敷き詰めてそこそこに整備されていた道路の路面が、石のレンガでできたブロックできっちりと詰められるようになり、馬車の揺れもそれに伴って小さくなっていった。
ソフィアには、これらの事などから市街地...『皇都』が近づいているということが、実感として感じられたのだった。
気が付くと、農耕地エリアを完全に過ぎたのであろう。周りの建築物は民家や商店や鍛冶場などに代わり、道路の上にも行商人や旅人といった人達のものだろう荷馬車や、更には見回りをしている衛兵だろうと思われる兵士の一隊などといった様々な職業の人間達が、進むにつれて盛んに往来するようになっていくのであった。
「ソフィア、人通りが多くなってきました。そろそろカーテンを閉めなさい。」
「...はい、かしこまりました」
そこでソフィアはレオ達にそろそろカーテンを閉めるように言われたので、窓の内側のドレープカーテンを閉めることになった。
今までレースカーテン越しに見えていた外の風景を見ることができなくなったソフィアは少々がっかりしたが、貴族は...それも淑女は...みだらに通行人に顔を見せたりはしないものなのだそうだから、従うほかなかった。...ソフィアにはこの習慣があまり理解できなかったが、郷に入っては郷に従えというやつである。
【同日 皇都中心地区】
そこからも暫く馬車は進み続け、途中で一度...恐らく外壁に囲まれた皇都内部に通じるであろう門のところで...停止したのち、すぐにまた動き出した。
そして、それから更に何度か道を曲がったりしながら、しばらく進み、速度が落ちてきたな...と思ったところで馬車はようやく停止し、御者から目的地に着いたと言われた。
レオが返事をすると、すぐに馬車の扉が開いたので順にそこから降りた。
...そして降りると同時にソフィアは仰天することになった。
「こ、これは...!」
降り立った目の前には、エフェレシアの侯爵邸と比べても遥に壮麗で大きな屋敷が聳え立っていた。建築様式は元の世界ではルネサンス様式と言われたものに近かったが、前世で見たそれら種類の建築物と比べても全く引けを取らない荘厳さと優雅さを兼ね備える目の前の屋敷に計り知れない美術的価値を感じたソフィアは、しばらくの間、ただただ圧倒されて言葉が出ずにいた。
「お、お父様、もしやこれが皇宮...『聖なる宮殿』ですか...?」
ようやく、気を取り戻したソフィアは恐る恐るそう尋ねる。しかし、目の前の壮麗な建物を見て唖然としている彼女の様子を興味深そうに見ていたレオは、そう尋ねられた瞬間に、ぷっと噴き出して笑い始めた。
「ふっ...はっはっはっは!...いや、すまない、別に馬鹿にしてる訳じゃないんだ...しかしあまりにもお前の反応が面白いものだから...くくっ...」
「...」
頬を膨らまし、不満そうな顔でレオを睨むソフィア。本人としては別におかしなことを言ったつもりなどなかったのだから、ここまで笑われると少々立腹してしまうのも無理はなかった。
「まぁまぁそう膨れないでくれ...確かに皇宮をまだ見たことのないお前にはこれがそのように思えるのかも知れないが...これは我がエフェレシア家の皇都における上屋敷だ。」
「えっ!?」
不満そうな顔から一転し、目を見開いて、またしても驚愕の表情を浮かべるソフィア。
レオは今度こそ笑うまいと堪えていたが、ソフィアの反応があまりにも素直で表情の変化が早すぎたものだから、こらえ切れずに口に手を当ててソフィアから顔をそらし、声を殺しながらクスクスと笑っていた。
ソフィアは、第一印象からは想像できないが、どうやらレオもオルタンスと同じく笑い上戸なのかも知れないな...と思いながら恨めしそうにレオの背中を見ていた。
オルタンスも二人のやり取りを見ながら横でクスクスと面白そうに笑っていた。その姿はどこか二人の固かった親子関係がいつの間にか緩んでいるのを安堵しているようにも見えた。
「これが...上屋敷...」
信じられないといった様子で屋敷を眺めながらつぶやくソフィア。それに対して、一頻り笑い終えたようであるレオが返事をした。
「そうだ。さっきお前が宮殿と勘違いしたのを笑ってしまったが、実際この建物はその昔、宮殿の離宮として使われていた事もあるのだから、当たらずとも遠からず、と言えるかもしれないな。」
「り、離宮に使われていた...?」
さらっとすごい事を言われてソフィアは思わず聞き返したが、これも無理のない事であったろう。臣下に旧離宮を与えるというのはよっぽどのことだ。普通ならば皇族の誰かが使うか、そもそも改装などをして離宮として使い続けるのが普通だ。
故にソフィアには、なぜ一家臣の上屋敷として与えられているのか皆目見当が付かなかったのだった。
「あぁ、というのも五代前の初代当主がこのエフェレシア侯爵家の家門を臣籍降下によって与えられた後に、宮殿の大改築...つまり現在の形の宮殿への改築事業に財政面などで多大な貢献をしたそうでな...その際に並行して行われた増築で『新離宮』が建てられたことで不要になった『旧離宮』...つまりこの屋敷を、初代当主の兄君であった、時の皇王陛下が宮殿大改築事業遂行の褒美と銘打って、その有難きご温情から我がエフェレシア家に与えて下さったのだ。」
「以来、我が家の上屋敷として使われている...という事ですか...」
「そういうことになるな。さっ、そろそろ中に入ろう。」
眩暈がするほど途方もない話に、半ば茫然としていたソフィアは、レオ達に促されて上屋敷の中に入っていった。
...この歴史を感じさせる壮麗な上屋敷で、これから過ごす事となる楽しくも慌ただしい日々を、この時のソフィアはまだ何一つ想像する事さえできずにいたのだった。




