第九話 皇王妃殿下からの招待状
「...以上が、この家とお前自身に関する皇国内での身分と縁戚関係だ。これからのお前の人生において間違いなく重要な事ばかりだから、たとえ今すぐには無理でもこれらの事については十分に理解して覚えておきなさい。」
レオはそう言い切るとカップの中のお茶を飲み干し、さらに脇に置かれたティーポットからもう一杯分、空になってしまったカップへと注いだ。
「それと最後にもう一つ、お前に言っておかなければならないことがある。」
「...なんでしょう?(...まだあるのか、もうそろそろ心臓が限界だからこれ以上驚かすのはやめて欲しいものだ...)」
せっかくのお茶の味も分からなくなるほどに混乱させられているソフィアは、「お願いだからこれ以上、『高貴過ぎる』身分関係などという、自分の新しい人生を苦悩や気苦労で重苦しい物にしてしまうような要素を増やさないでください...」と内心で神に祈りを捧げていた。
今まで大して祈りを捧げてこなかった癖にこういう時だけ神に助けを請うのだから質が悪い。きっと宗教道徳の絵本の中ではこういう輩は罰を受けて悔い改めさせられる事だろう。それでもきっとその後は神に救われるのだろうから、本の世界は幸せだ。しかし、現実ではそうそうハッピーなお話は起こらないものであり、ソフィアもその事は知っていた。
「先ほど、お前には叔母様が居ると言っただろう?」
「えぇ、皇王妃殿下の事ですね。」
「その妃殿下から、先日お会いした際にお前の事を聞かれた。...お前は覚えてないだろうが、妃殿下はお前が産まれて間もない頃に一度、お前を一目見るためにこの屋敷へ行幸して下さったことがあってな、昔から妃殿下はオルタンスと親交を持たれていたから、その娘という事もあってお前の事を大層可愛がってくださったものだ...それで、長らく顔を見ていないから息災にしているのかと気にかけて下さったのだ。」
「それは...大変光栄な話ですね(それが一体どうしたというのか...?)」
確かに、皇王妃に気にかけてもらっているというのは重要な事だ。それも行幸に来たこともある位だから、かなり目を掛けられているものと言え、政治的な意味合いとして大変良いことだ。それは、ソフィアにも分かっていた。
しかし、同時にそれだけならそれはレオやオルタンスに対する『社交辞令のようなものであると見るのが正しいのではないか?』というのが、ソフィアの本音だった。であればなぜ、わざわざ子供のソフィアにそんな社交辞令が述べられたことをレオが伝えてくるのかという理由が彼女には理解できないのだった。
その理由をソフィアが思索する暇もなく、次の瞬間にレオは語りだした。
「それでだが、次に公用で皇都へ来る際には、『久しぶりに顔が見たいのでぜひソフィアとオルタンスも連れてくるように』と言われてな。次来るのはいつか聞かれて、『次の登城の日は約三か月後で折しもソフィアの誕生日に近いですな...』と言ったら、『では私が主催の誕生パーティーを開こう』と唐突にご提案をなさってきたのだ。」
「えっ」
「まぁ!とっても素敵なご提案ではないですか!あぁ~今からお会いするのが楽しみですわ~」
唐突の話に驚くソフィアと大変喜しい様子のオルタンス。そんな二人の反応を見ながらレオは続けた。
「あのな、オルタンス...これはソフィアの『社交界デビュー』を意味すると言っても過言ではないのだぞ...?社交界デビューと言えば他家へのお披露目といった意味が強い。その家の子女が一体どれくらい礼儀作法ができているか等を見定める品評会ともいえる。普通、皇族や王侯貴族の子女でも長い間、『宮廷での礼儀作法等に関する教育』を受けて、十代半ばか後半でようやく初めて経験するものだ。まだ礼儀作法を本格的に習っていない五歳のソフィアにはあまりに早すぎる...その場では周りの目もある以上、殿下のお誘いを公然と断る事はできず、『妻子に相談して後日に返答させていただく』という事で一先ず保留になったが...私は近日中に使者を送って丁重にお断りしようと思う。分かってくれるか?」
当然の対応だろうな、とソフィアは内心で思っていた。前世の世界でも社交界デビューとはかつての貴族社会や近現代の上流階級社会ではとても重要なものと見なされていた。
とてもこんな幼女が、ましてや主賓として招かれた会で、デビューをする等というのは到底難しいことだと考えるのが普通の反応だろう。なんの異論もソフィアにはなかった。
が、しかし…
「し、しかし!妃殿下の直々の申し出を袖にするなんてあまりに失礼ではないですの…?」
なおも納得のいかないという様子のオルタンスが食い下がっていた。そこには個人的な感情も垣間見られるものの、発言の内容は確かに筋の通っているものであった。
普通に考えて、皇族…それも皇王に次ぐ権威者である皇王妃の申し出を義弟にあたるとはいえ、一臣下が断るなどというのは「あり得ない」話だ。
しかも年齢への配慮などは少し欠けているものの、妃殿下の申し出は少なくとも表面的に見て、姪にあたるソフィアの誕生日を祝おうという純粋な「気遣い」によるものであり、「公的」な立場によるものとしても「私的」な立場によるものとしても、これは思いやりに満ち溢れたものといえる。
であるからして、レオとしても断りづらい事であるのは重々承知していた。だが、
「確かに、非礼であることは承知している。しかし、社交界デビューというのはその当人の貴族人生にとって 非常に重要な意味を持つことはお前も知っているだろう?成功すれば貴族社会内でも一目を置かれてその後の社交界内での『重要な地位』というものが得られるが、仮に失敗すれば、他家から軽んじられ続けたり、家名そのものに傷がつく事さえありうる。...ここで無理に妃殿下の主催なさるパーティーに参加して、もし失敗するような事があれば、我が家名とソフィアのこれからの貴族社会での人生に著しい悪影響を与えかねない。であれば多少の非礼は覚悟のうえで、ここは無理せずにお断りするのが得策であるとは思わないか?」
レオの言っていることは正論だ。これを好機に、と下手に小さい子供を社交界にデビューさせても教育が行き届かず失敗しては意味がない。せいぜい笑い者にされるのがオチだ。それどころか、最初の失敗がその後も尾を引き続けて結局、損をする結果に終わる可能性も大いにある。であるから、レオの提案はソフィアの今後の人生を見据えたうえでの『安全策』であるといえる。
ソフィアとしてもこの時点ではレオの提案を推していた。彼女は前世で生きていた時から、堅苦しい会合や格式ばった儀礼を要求されるパーティーといったフォーマルな場に行くのが好きではなかったのだ。だから今回の話も内心で、端的に言って『面倒くさそう』という思いを抱きながら聞いており、できるのであればそんなパーティーには行きたくないというのが彼女の考えだった。
しかし、その後この考えは以降のオルタンスの話を聞いて変わることになる。
「アナタは一つ思い違いをしておられます!」
「...何?」
「アナタのお考えは確かに素晴らしいです。家の事もソフィアの事も考えつつ、殿下への礼節もできる限り果たそうとしておられます。それはご立派です。しかし!アナタは大事なことを一つ忘れておいでです!」
「何のことだ...?」
訝しげな顔をするレオ。ソフィアにもオルタンスの意図するところが読めずにいた。
「アナタが忘れておいでな事、それは...先ほどの執務室で見たソフィアの学習能力の高さと学ぶことへの意欲、そして何よりソフィアの意思や能力を信じてあげようとする子供への『尊重と信頼』の念そのものです!」
「なっ…!」
いつもは優しくゆるりとした口調のオルタンスが、珍しく非常に強い語気でそう主張した。思いもよらないことを突かれたレオはたまらず面食らった様子であったが、それはソフィアも同じことであった。
まさか、このような啓蒙や女・子供の意思の尊重とは程遠そうな封建制の時代の世界において、ここまでよく子供を観察し、抑圧的に教育するのではなく、信頼しその意思を尊重し自主性を育てつつ、子供の未来を慮る事の重要性を認識している女性に出会うなどとは思いもよらなかったのだ。
「そ、それは...確かにそうだが...しかし、しきたりや慣習といったものを無視してリスクを負うことを考えればだな...」
「アナタ...いえ、レオ様。レオ様はこの激動の時代において、この子やこの家が生き抜いていくのに目先の安寧や型に嵌った教育方針で十分とお考えですか?そうではないでしょう?この子はこれから、過酷な政治闘争が行われる世界で生きていくことになります。その時に主体性のない、平凡な女子であればきっとこの子は辛い目に合う事になります。それが、動乱の時代に政治の中枢に近い貴族の家に産まれてしまった女子の運命なのです。であればこそ!皇王妃殿下も姪のこれからの為を思い、異例の年齢で社交界を体験させておこうというお気遣いをしてくださっているのではないですか?」
「妃殿下がそこまでご配慮の上で今回の提案をして下さっているというのか!?」
「なにも不思議な事ではございません。今や、大陸内での『争い』の舞台は『平原や古戦場』だけではありません!それらと並ぶ重要なもう一つの舞台...『宮廷』という名の戦場があります!」
自分自身も経験者だからだろうか、どこか説得力のある話し方だった。
「そして、その戦場では社交界などの場を用いて『女性』こそが各家・各勢力の『尖兵』となって水面下で熾烈な争いを繰り広げているのです!妃殿下もそのような環境で育ってこられた女性だからこそ、ご自分の姪であるソフィアを早い内に周囲にアピールなさるおつもりなのに違いありません!」
「...そうする事で姪のソフィアの貴族界での居場所を作るとともに、皇王陛下の妹であるオルタンス...延いては王家の人間との結びつきをアピールすることになり、それが王家内部の安定性を内外に示す事に繋がる...という事か。なるほど政治的にも実に意義がある...」
「そうではなく!リサ様...皇王妃殿下は純粋にソフィアの事を思って此度の事を計らってくれているのだと思います!昔からとっても純粋な方ですから...誰も彼もがアナタのように親戚の好意にまで政治的意味を見出さずには居られないような人物ではありませんわ!」
「な、なんだと!」
そう言って何か言い返そうとするレオだったが、オルタンスに気圧されて何も言い返せない様子だった。どんな世界でも家庭内では母が強いというのはありふれた光景なのかもしれないな、と思いながら二人のやり取りを見ていたソフィア。
そんなソフィアに対してオルタンスが尋ねた
「皇都に行き、様々なものを見て回ったり近親者以外の人間と会ってみるのも、あなたの成長にとってきっと重要な事だと思うの。それに皇都はとても良い場所ですし、各地域の『珍しい産物』も集まるからソフィアもきっと楽しめると思うわ...もちろん、ソフィアが行きたくないのなら私もお断りするのに賛成するわ。」
「行きます!」
即決だった。成長などというものは、幼女の身体を除けば『おじさん』であるソフィアにはあまり望みがなかったので興味がなかった。
しかし、『珍しい産物』というのには興味があった。そのような各地の産物が集まる皇都の宮廷で開かれる饗宴であれば、間違いなく多種多様な料理、そして...もしかすれば『まだ見ぬ甘味』と出会えるかもしれない...という事を思いついた彼女は二つ返事で皇都に行く意思を表明したのだった。...実に現金な性格である。
「行きたい、という事は宮廷に行くまでの約三か月の間、みっちりと宮廷内の礼儀作法や慣習、更には貴族の子女としての正しい振る舞いや常識を学ぶ、という事ですよ?それでも行きたいという事で良いのですね?」
「...はい!」
至って真剣な眼差しでそう言い切ったソフィア。甘味の為ならどんな試練でも乗り越えて見せる...その自信と覚悟だけがこの時の彼女を突き動かしていた。
「よいでしょう...それではそういう事ですから、アナタも同意してくださいますわね?」
「...仕方ないだろう。ソフィアが望み、それがソフィアの為になるというのならば、親として支援せねばならないだろう」
「あ、ありがとうございますお父様!」
こうして、この次の日から出発の日までの間、ソフィアは両親やお抱えの家庭教師達から礼儀作法や貴族の子女に必要な教養といったものを物凄い勢いで習っていくのであった。




