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王妃代行、猫曜日  作者: アストロ
王妃代行、猫曜日
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勝負の茶会

 王の主な仕事が国政ならば、王妃の主な仕事は社交だ。


「ようこそ、ユースス伯爵夫人」


 ドミナに耳打ちしてもらった名前を呼びつつひざを折る。


 ドレスの色は、この国の草原をイメージして緑、シンプルだが、絹に金糸で刺繍をした見栄えをするものを選んだ。天気は、侍女たちの言う通り、雲ひとつない快晴だ。庭園の薔薇は見事で、可愛らしい薄ピンクの花を咲かせている。


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」


 伯爵夫人は目を伏せて、ぎりぎり礼儀の範疇でそそくさと脇をすり抜けた。どう贔屓目に見ても友好的な態度ではない。恐らく陛下に睨まれたくなかったが、妃の招待を断る度胸もなかった小心者だ。こんなもんならまだましな方で。


「はじめまして、王妃様」

「こちらこそはじめまして、ウンガル女子爵様」


 この国の人名は独特で難しい。ドミナのサポートが無いと間違えそうだ。


「あら、お一人? 新婚なのに陛下のお姿が見えないようですけど」


 勿論、はなから王の臨席なんて期待されていない。仲が悪いことを皮肉ったわかりやすい嫌味だ。


「まあ、今日は女性だけの集まりですわ。陛下と言えど、紳士の立ち入りは無粋ではありませんか?」


 笑みのままかわしたので、相手の方は鼻白んだらしい。


「そう。では男抜きで楽しませてくれることを期待しますわ」


 あからさまな態度に、不満に思う気持ちが顔に出てしまったのだろう。


「ほほほっ、随分苦労なさっているわね」


 声をかけてきたのは、笑うと人の良い顔になる、整えられた白髪に品のある物腰の老婦人。名前なんか聞かなくても、ドミナの最上級に緊張した顔を見ればわかる。


「お会いできて光栄です、キュクヌス夫人」


 先の戦争で条約を締結し、今なお外国で辣腕を振るう外交官の妻だ。


「この国のみなさんに出会えるならば、苦労だとは思いませんわ」


 王が代わっても重用される寵臣。わたしの顔色も、ひょっとしたら陛下の顔色も伺う必要のない人物だ。彼女の出席はわたしにとって僥倖だが、息子を戦争で失った彼女が何故来てくれたのかわからない。外交官の妻としてエースターの動向を見極めに来たのか。


「勿論、あなたにお目にかかれて疲れも吹き飛びましたわ」


 いずれにせよ機嫌を損ねたくない。


「まあ、ありがとう。わたしもあなたに会えて嬉しい。……おっと、後ろがつっかえてますわね。ではまた後で」

「ええ」


 客脚が途絶えたところで、侍女の一人が近寄る。


「そろそろお時間です」


 まだ全員は来てないようだが、わたしは中央の壇上に向かった。


「オノグルの淑女の皆さま、本日はお越しくださりありがとうございました。皆様にお会いできて、とても嬉しく思いますわ。さて、皆さまは心の中で疑問をお持ちでしょう。オノグルに来たばかりの新参者の小娘が、一体何をする気だろう。

実は今日は来ていただいたのは、お願いしたいことがあるからです。わたしにこの国のこと、この国の夫婦のこと、ご教授いただきたいのです。鴛鴦夫婦と名高い皆様ならば、きっと夫を御す心得をご存じでしょう。知っての通り、わたしと陛下の仲は良くありません」


 あっさり認めたことでざわめきが起こる。この事実はわたしの弱点だ。本当は隠した方が良いのかもしれない。お貴族様は、嘘や誤魔化しで上手く言葉遊びをしながら、自分の要求を通すのだろう。けれど、わたしにそんな手腕はないし、既に周知のことだ。


「これはわたし個人の落ち度ではありません。陛下のエースターという国に対す扱いが現れているのです。彼はエースターと再び戦争をするつもりなのでしょう」


 戦争の開始など国家機密レベルだが、高官の夫人たちの顔に驚きはない。敵国の姫であるわたしに言うくらいだから公言しているのかもしれない。


「陛下は仰いました。『戦争は人が死ぬ。しかし同じだけの人間がこの国で毎日、飢えて死んでいる』と。戦争が起これば、オノグルは富と食べ物を得るでしょう。しかし、それは屍の山と引き換えです。そしてその山の中にはわたしの屍もあるでしょう」


 戦争が始まったら真っ先に殺される。敵国の人質の末路なんてそんなものだ。


「わたしは自分の死を恐れているのではありません。わたしは王族、民の血肉で生かされた身。いつでも覚悟はしています」


 わたしは影武者、姫様の身代わり。いつでも覚悟はしてる。


「わたしが恐れているのは何も為せないことです」


 これは、嘆きではない。これは、怒りだ。


「わたしは女の身です。わたしたちは、女たちはいつだって被害者です。国と言う形ばかりは巨大なものが勝手に引き起こす。わたしたちは奪われるばかりで止める権限も力も無い。どれほど悲しくむなしくとも、働き手を奪われ空っぽになった家を守るのです」


 自分の中にこんな強い感情があったのに驚いた。この国でわたしの本当の名前を呼ぶものはいない。ユーリアと言う人間は存在ごと奪われ、自分のことすら何も決められず、わたしの命など他者の思惑と言う名の風に揺れる蝋燭の火も同じ。


「悔しくはないですか?」


 だけどわたしにだって意地はある。何かを為したい。喩えそれがわたしの名に寄るものでなくても。


「わたしは、戦争を止めてみせる。どんな手段を使っても、必ずオノグルとエースターの和平を、実現してみせる」


 平民だから影武者だから女だから何だって言うんだ。わたしはわたしだ。自分の生き方くらい自分で決めてやる!


「そのために、あなた方の力が必要です。どうかお力をお貸しください」


 頭を下げる。本当は一国の姫が簡単に頭を下げるべきではないのだろう。この事実が知れ渡れば、姫の名を騙る者が勝手な真似をするなと、本国の重鎮に叱責されるだろう。

 しかしわたしはこの国に地位も力もない。誇りなんてもの、元々在りはしない。頭一つで済むなら、幾らでも下げてやる。全てを正直にさらけ出して、協力を懇願するしか、わたしには思いつかなかった。どうせ状況は好転しない。やらずに後悔するよりは、やって後悔したかった。

 椅子を擦る音がした。伯爵夫人の一人が席を立っていた。


「お妃様の言うことはよくわかりました。そういうことでしたらわたくしは退席させていただきます。夫を騎士団長に持つわたくしでは、お役に立てそうにありませんもの」


 招待客の何人かが、彼女に続いて辞去していく。ダメだったか、と肩を落としかけた時。


「ほほほっ」


 座したままの淑女の中から軽やかな笑い声が聞こえた。


「わたしは、肝の座った女は好きですわ」


 キュクヌス夫人だ。


「あなたの覚悟はよくわかりました。でもねぇ、気持ち一つじゃ国は動かないわ。戦争はこの国を富ませる。陛下はそう簡単に考えを曲げないでしょう。勝算はおありなの?」


 知らず唇を舐める。わたしの出方を伺う問い。間違えることはできない。


「失礼ながら陛下は妻の愛を欲してないように思えます。無論、陛下の寵愛が得られれば、それに越したことはありません。それより現実的な利益、富を得る方法を求めているように思えます」

「仰る通りだわ。わたしは、陛下のことを王になる前から存じています。内外で冷血と噂されているのは知っているけど、本当はとっても情が深い子。弱い立場の者を自分のことのように考えられる優しい子。この国の飢える人々を救う手立てを、あなたは持っているのかしら?」

「エースターを含めた、周辺国との貿易です」


 貿易は、戦時では成り立たない。貿易で賠償金以上の利益を生み出すことができれば、戦争を起こす必要もなくなる。


「まあ、驚きね。貿易と言うのは、輸出と輸入で成り立つのよ? 大国のお姫様のあなたが見て、この国が生み出すものに売る価値があるかしら?」

「わかりません。だけどわたしは、この国の全てを見たわけではない。価値のあるものを、この国の草の根をかき分けてでも売り物を探しますわ。そしてそれは、この国で生まれたあなたがたが助けてくだされば、より早く見つかることでしょう」

「お妃さまは正直者ですわね。具体的な方策はノープランということね」


 棘のある言葉。失敗したか。

 それでも、真っすぐわたしの真意を問うてきた彼女に、嘘や誤魔化しの上で関係を築きたくなかった。

 夫人は扇を何度も開閉しながら考え込んでいる。その時間が、永遠にも感じられた。ぱちん、と扇が閉じられた。


「よいでしょう、のったわ。あなたの分の悪い賭けに」

「あ、ありがとうございます、キュクヌス夫人!」


 思わず頭を下げてしまったわたしに、夫人は初めて、心からの笑みを零した。


「スリズィエでいいですわ。これからわたしとあなたは同士ですもの」

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