冒険へ
私はやっと冷めた唐揚げをメロにやった。一つ取り出してメロの前に置いたのだ。メロはなんだかめんどくさそうに咀嚼している。メロはなんだか長い間咀嚼していた。唐揚げが大きすぎたのかもしれない。次の唐揚げは少しちぎってあげようと思いながら、わたしも一つ食べる。特段おいしくもなく、特段まずくもない、そんな平均っていう唐揚げ。唐揚げが平均なのはコンビニが平均であることと関係があるのだろう。そしてもう一つの唐揚げを袋から取り出し、小さくちぎってメロの前に置いた。けれどメロは食べようとしない。
その時、わたしの目の前で、大きな沖縄のガラスでできた、赤っぽい花瓶が割れた。無残に散り散りになっている。破片を拾い集めるというよりは、箒で掃いた方が早そうだ。そんな風に皆カケラになっていて、どう考えても修復は不可能だ。この花瓶には退路がなかったのだ。退路は残しておけ。わたしは花瓶に言いたかった。でもこの花瓶はもう生きていないからか、ガラスの花瓶という性質上からか、退路は作れそうにない。野良猫は普通台所にしのびよりお魚を盗む、そして一家の主婦はその猫を突っ掛けを履いて追いかける。それを過去のどこかで学んだ。そう野良猫はそういうものだし、一つ食べた唐揚げを飲み込んだら、次の唐揚げを欲しがって、私の手に爪を立てるはずだ。それなのにこのメロ、野良猫のメロは、次の唐揚げが目の前にあるのに、食べようとしない。わからない。なぜ花瓶はこんなにもバラバラに割れてしまったんだろう。何故メロは次の唐揚げを食べないのだろう。
私はがくがくと震えだし、両手をアスファルトに付いた。アスファルトは案外温かかった。目の前を通るホストらしき青年が、
「大丈夫ですか?」
と私に問いかける。
「大丈夫なんです。ただ、ちょっと飲み過ぎたかも」
と言うと、
「でも大丈夫に見えないですよ。身体が震えてる。人を呼びましょうか?」
あのね、大丈夫なんです。本当に大丈夫なんです。ちょっと怖くなっただけなんです。わたしが抱いている現実と、本当の現実が少しだけ違うなんてことよくあることでしょう?ただちょっとびっくりしてしまったのと、花瓶が割れる音が聞こえて、その音の大きさにも、ちょっとびっくりしてしまっただけなんです。そういうことってよくあるでしょう? だから震えちゃって。怖くって。でもそれだけなの。大丈夫なんです。本当に大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
そのホストはワンカップを電車で飲んでいた、髪を洗わない男性を見るときのような表情になり、わたしの目の前から去っていった。
本当は大丈夫なんかじゃなかったのかもしれない。けれど大抵の人は「大丈夫ですか?」と問われれば「大丈夫です」と答えるような気がする。わたしは怖かった。世界にある様々に勝手に意味をつけていたことに気が付いた。意味がないものに意味をつけていたことにも気が付いた。わたしは大きな勘違いをしていた。野良猫は必ずしも唐揚げをたらふく食べたいと思っているわけじゃない。台所の魚を失敬するネコはごく一部の猫なのかもしれない。ママやさくらさんカスミさんは本当は今頃、わたしの調子づいた態度を笑ってお酒を飲んでいるかもしれないし、少年だって、ロータリーのベンチだって、そこに置きっぱなしのFrancFrancの鏡だって、革命だって、皆私に着色されている。わたしにわかるものなんてなに一つない。わからない、わからない、わからない、わからない。怖い。とても怖い。そもそも私はなんなんだろう。今日一日得た思い出であるとか、つながったつもりだった人々。それはコーヒーを飲みながら考えるべきだ。そして少年が言ったとおり、セブンのアイスコーヒーの氷は溶けた。もしまた人間に生まれ変われたら、セブンのアイスコーヒーは溶けないと思って過ごしたい。思うというより初めから、ポストが赤いのが当たり前のように、そんな風にセブンのアイスコーヒーを飲んでみたい。
痴呆症になった犬が、何かに怯えて、道順も方向もなにもかもわからないまま、ただただ走っていてしまうことがあるらしい。そして気づく。今自分はどこにいるんだ? そしてそれも恐怖に変わり、また走らずにはいられない。自分の家がどこだったかなんてわからない。けれど前に進み、行きどまりにあたって引き換えし、T字路があれば右が左かなんて、どっちでもよくって。ただただ走り、車にぶつかってクラクションを鳴らされる。ぶつかったショックよりも、そのクラクションの不穏な大きな音がとても不愉快ですぐに走り出す。俺は今走っている。今思うのはそれと、これからも走り続けよう、それだけだ。その間にずっとあるのは不安とものすごく大きな恐怖だけだ。食欲もないしどこかで休憩しようとも思わない。踏切に飛び込む。