冒険へ
もうその少年に会うこともないのだろうが、わたしは約束を守った。「お値打ち」と書かれた、一九八〇円のフラットシューズを買ったのだ。そこの店員たちの靴を履いていないわたしへの無遠慮な視線は、徹底的に無視した。そう、一九八〇円のフラットシューズ。確かに少年から受け取った一万円札で五足買える。けれど五足買うほどには、少年にたいして律儀になれなかった。
途中にあったドラッグストアでストッキングを買った。その横の店には、イモ羊羹、団子、草餅、おにぎりなどが置いてある。結構人でにぎわっていて、中年の女性が多かった。わたしはそこでシソおにぎりと五目おにぎりを買って、白いビニールの袋に入れてもらって、ぶら下げて歩いた。
そして少年のアイディアにしたがって、ショッピングモールが開くのを、そのショッピングモールのドアの前で待っていると、人が押し寄せてくる。誰かが
「あーあ、つまんない」
と言っている。どうやらコンコースでの衝突は終わったらしかった。それにはわたしはなんら協力していないのだろうけれど。自警団の自決は先延ばしにされ、この街はまたもとの姿に戻っていくのだろう。貧乏人の生理が豪邸やカウンタックを憎んでも、変わることは何もない。そこにはただの生理があって、なんのロジックもないからだ。生理だけでもだめで、ロジックだけでもダメだということわたしは知らされた。そしてもう一つ思ったことがある。この革命は遊戯でしかなかったということだ。本当にお腹が空いている人間なんて誰もいなかった。革命を起こすのは、もしかしたら常軌を逸したものを欲しがる人たちが飽和状態になった時だ。
ショッピングモールのドアが2人の女性によって、仰々しく開けられる。どうしてこうもみなお辞儀をするのだろうか。それによって喜ぶ人はどの程度いるのだろうか? このお辞儀の列を喜ぶ人たちっていうのは、銀座のクラブでお世辞と知っていながら、そのお世辞を喜び、ホステスが、誕生日や何かの記念日に電話をしてきたら喜び勇んでクラブに足を運ぶ、そういう種類の人たちなのだろうか。それとも定年退職し、奥さんや娘が消し忘れたトイレの電気にめっぽういらだち、消しながら文句をぶつぶつ言い、娘のドライヤーの長さや、奥さんが料理をするときのガスの大きさにイライラして、朝ごはんの納豆をお茶を飲みながら急いでかきこみ、そしてゆっくりとカーディガンを選んで、このショッピングモールでお辞儀の列を見るっていうことを趣味としている種類の人がいるのだろうか。
わたしがショッピングモールへ来たのには、確かな目的があった。私はお辞儀の列に介さずに、アパレルのショップを素早く見て、素早く通り過ぎた。
わたしは以前、こういう風にショッピングをしただろうかと思う。わたしが知らないわたしの過去にいるわたしは、財布に数万のお金を入れて、そして念のためにクレジットカードを財布のポケットに入れ、ショッピングをするためにショッピングをしていたような気がする。ショッピングモールを訪れ、まずランチを済ませる。そして店内を歩き、かわいいニットがあれば、かわいいスカートがあれば、かわいいワンピースがあれば、かわいい靴やバッグがあればっていう風な買い物の仕方をしていたっていう気がする。買いたいものがあるからショッピングモールに足を運ぶ。そうではなく無目的に、ショッピングをするためにショッピングをする。それはわたし自身がわたし自身であることだけで、充足ができない、そういう姿だ。それとともにとても貧乏くさい。足りない。まだ足りない。まだまだ足りない。そう舌を出しながらショッピングをするためにショッピングをする、とても貧乏臭くてみじめな姿だ。
ショッピングモールの中自体は特に気になる音楽は流れていない。その曲をわたしは知らないが、名曲だとも駄作だとも特に思わない。けれど、少し興味を示して入ったショップに大音量の音楽が流れていると、その曲のいかんにもかかわらず、聞き覚えのあるローリングストーンズだとしても、すぐにそのショップを出てしまう。逃げたくなってしまう。そして今の目的を持った私だって同じだ。ショップの前を通るとき、大音量の音楽が聞こえてくると、そのショップには視線も向かない。
早いスピードで移り変わる様々な洋服たち。それらにいつもだったら手に取ってみたりしただろう。けれど今は目的がはっきりとあった。そういった服に誘われるような気分にもならない。わたしは衝動を抑えようとした。衝動を抑えるということ。これが冷静にそして理性を働かせ、ベストなものを得る、そんなコツのような気がしていた。
わたしは早足で歩く。そして感じる。わたしがよく知らないわたしは、こんな風に早足で長い距離を歩くのが得意だったのではないかと。
「探す」とか「見つける」と言う意味で視線を移しながら考え付いたことがある。そういえば、今、わたしのことを探して、見つけようとしている誰かが果たしているのだろうか? という考えだ。思えば今までそんな想像をしなかった方が不自然にも思える。もしその人に会えたなら、と痛切に、心が痛くなるほど思う。その人と会いたい、そう思う。きっとその人やその人たちと同じ部屋で過ごすとき、わたしは安心し、くつろぎ、安らぐのだろう。そしてわたしが得たいと思うものも安心で、わたしは安心を探しているのだと思う。わたしの狭い記憶の中に、安心は一瞬もなかった。根底に流れているのは意識をしなくても、ある時は意識にまでのぼり、感じるのは不安と恐怖だった。
店の中をかなり歩いた気がする。わたしの中で、歩くのはそう嫌いじゃないという思いも、歩くのなんてもう飽き飽きだという思いが、身体の中の重要なポイントで交差する。それでもわたしは早足で歩く。なぜか早足になってしまう。その上、時々走ってしまいたくなる。この一九八〇円で買ったフラットシューズのせいだろうか。一九八〇円の靴とは思えないような、実用性と言う意味をたっぷり盛り込んである靴だ。
わたしは選べなかった。ただ流されるままそして従順にここにいるだけで、選ぶっていうことはどうやらできないみたいだったし、誰もが簡単に私を捕まえた。小さな存在だった。まるで濁った池に放たれた金魚のように簡単に捕まり簡単にリリースされる、そんな存在だった。それととても似ていた。そして店を見て歩き、勘だけで視線を移しながら歩いているのは、捕獲動物に見えるかもしれないが、それでも私は被捕獲動物であることに変わりはなかった。鋭い目つきは確かに捕獲動物が被捕獲動物を狙う目つきに似てはいるが、それはただ単にショッピング中に欲しいものを探しているっていうだけの目つきで、今までずっとそうだったように、わたしは多分今でも被捕獲動物であることに変わりはないような気がする。だから守りたかった。
あるショップで店の前に飾られている、マネキンの格好がセンスがよかった。襟が小さく、ノースリーブで後ろにギャザーがよった長めのブラウス。そしてネイビーのボーダーのショーパンもショーパンではありながら、品があった。光に吸い寄せらられる蛾のようにわたしは店内に入っていたった。蛾というのは以外に感がいい。そこには布地がコーティングされたピンクの、持ち手がゴールドとブラックのチェーンになった、大きめのトートが置いてあった。ピンクの地に白い幾何学模様が描かれている。そして何よりも手頃な大きさだった。バッグを手に取る。店員が、
「バッグをお探しですか?」
とわたしに声をかける。
「女子にとって、何故バッグってこうも重要なのかしらね」
そう言うと店員は、
「何故ですかね」
と答えただけで、そしてわたしが手に取っているバッグを見ながら、
「そちらすごく人気があって、もう何点も残っていないバッグなんです」
わたしはそれに対して黙ってしまった。人気のあるバッグなんて買いたくないと思った。数点しか残っていないのなら、多くの人がこのバッグをもって歩いているっていうことになる。わたしはそういう言い方をよくアパレルの店員がするのを知っていた。そしてそれは私に限って言えば、うれしい言葉でもなかったし、購買意欲を下げる言葉だった。バッグにplumpynutsと書かれている。
「わたしこのブランドのニットを持っていて、去年とても何回も着たの。このブランドっていいわよね」
それはウソではなかった。そのブランド名を見たとき、鮮やかに、わたしのニットを思い出したのだ。けれど思い出したのはニットのイメージだけで、それに関連するだろうと思う人たちや環境を思い出すことができなかった。
「こちらのブランドかわいいですよね。よく芸能人が着てますよ」
わたしはその言葉をろくに聞いていなかった。どこかで
「なにかまた的外れなことを言っているみたいだ」
そう思っただけだった。けれどわたしが求めているバッグとしては理想的だった。わたしが捕獲動物の真似ごとをしながら探していたのは、わたしが持ちたいものが余裕を持って入って、尚且つもう少し荷物が入る大きさで、デザインが持っていて気分がいいもの。という条件だった。それを満たしている。
会計で三万を出し五千円のお釣りを受け取った。そうだった。あの少年に話した私が歩くように考え出したフィクションの中の最新の型のBMWに乗った青年の彼女は、お会計をするときに、財布から出したお金を投げるように置くらしかった。
そしてわたしは店員に、
「ここから一番近い喫煙所ってどこかしら?」
と尋ねると、一番近くても、レストラン街のパスタ屋の隣にあって、少し歩く。けれどそこからすぐにとパウダールームもある、という有意義な情報を教えてくれたが、別にトイレには行きたくなかった。
平日の昼間だ。ショッピングモール自体、滅びる予感を感じているみたいに閑散としていたし、喫煙所にもわたしの他に一人しかいなかった。それは女性で喫煙所の一番奥のカウンターで爪を眺めながらタバコを吸っていて、吸い終えるとシャネルの煙草ケースに、タバコをライターを刺して出ていった。その女性が抱えていたのはヴィトンのモノグラムだった。なにかが惜しい女性だった。わたしはショッパーとその中にあるバッグを覆ったビニールを捨て、そのバッグにわたしが肩にかけていたKateSpadeのバッグと、買ったおにぎり、そしてFrancFrancの鏡をしまった。それでもまだ少し余裕があった。そしてその中のおにぎりの袋に無造作に入れていたタバコを取り出した。にこやかで、少し精神を病んだ、自称二四歳の少年が、去っていった後にフラットシューズを買い、その足でコンビニに行き、店頭にあったクールとライターのセットを買っておいたのだ。大分長い時間、わたしはクールを吸いたいと思っていたのではないかと、店頭に置かれたクールを見たとき思ったのだ。そしてタバコとライターを取り出し、残ったパッケージを目の前にある暗くて中がよく見えない、もしかしたら、この穴は、地中深くに続いていて、それは地球の
真ん中にたどり着き、その地球の真ん中の燃え盛る火の中でタバコの吸い殻やタバコのパッケージなどが、燃えているのではないかと思うほど、暗くて不安を想起させるような穴の灰皿だった。
そしてその買ったバッグを抱えながらクールを吸った。わたしは自分を大切だと思いたかった。そうすることができたら、帰れたり、探している人に出会えたりできるんじゃないかって思ったのだ。それには私を守る存在が必要だった。被捕獲動物に見えやすかったからだ。そして確かにこの大きめのバッグはわたしを守っていた。大切におもえるものならば、なんでも入れられるような気がした。そういう、大切だと思うべき自分と大切なものを守るようなものが欲しかったのだ。
けれど今だって、わたしはわたしを「大切に思うべきだ」と考えていて、「わたしは大切だ」と思うことができないでいた。それはとてもいけないことのように思える。多分だが、わたしが知らないわたしもわたし自身を大切に思えなかった気がするのだ。だからこうなったと、短絡的には言えないかもしれないが、なにか関係があるような気もしていた。これからは大切なわたしを守っていくのだ。そう膝に置いたバッグを再度抱えなおした。
喫煙所を出てレストラン街を歩く。特別にお腹が空いていたわけでもなかったのだが。肉がいい、そう思った。わたしはステーキレストランに入り、肉はレアで、ソースはガーリックオニオンバターをオーダーした。わたしはステーキを食べるとき、必ずソースは、ガーリックまたはオニオンと名の付くものを選ぶ。運ばれてきた、生に近い肉も上質で柔らかかったが、ソースは今一つだった。もしかしたら、ガーリックオニオンまでは正解だったのかもしれないが、「バター」が余計だったのかもしれない。そしてそれについてきたご飯や付け合わせは食べず、ただ大きいレアの肉だけを食べた。バッグはテーブルの下のかごの中に入っているが、なにかさみしい気がした。
わたしは孤独だった。圧倒的に孤独だった。けれど孤独であるか、さみしいであるとかそういう気持ちを本当の実感として味わっているのだろうか。今のわたしにはほとんどないような、胸の内に何かのカケラがころころと転がっているようなその程度だ。本当の孤独やさみしさを知ったのは、今の一人でステーキを食べ終わった私ではなく、元いた場所に存在していたわたしの方がよく知っていたような気がする。
わたしは会計を済ませると、喫煙所に行って、クールをもう一本吸った。そしてやめておこうかと一瞬迷ったが、さらにもう一本吸った。そしてすぐ近くにあった、トイレにはいった。人が並んでいて、一見混んでいるように見えるのだが、すぐにわたしの順歯はきた。トイレっていうのは人それぞれかもしれないが、どうやら、そう長い時間はかからないらしい。わたしもすぐに済んだ。けれど一瞬で終わる、水便のような下痢をした。なぜ下痢をしたのかわからない。肉が悪かったとは思いにくい。切迫した気持ちでトイレに来たわけでもない。そして肉が悪かったのなら、もっと大勢の人がトイレにこもっているはずだし、わたしの下痢は一瞬で済んだ。わたしは便器をちらっと見て、なにか私は不思議な気持ちに包まれていく過程にいる。
そしてまた喫煙所に行った。クールをもう一本吸って、ああ、セブンスターの方がいいな、と思う。そして催事場まで行って、やっとセブンスターを買い、その近くのタリーズに入り、アイスラテとベイクドチーズケーキを買う。セブンスターを吸って、それほど甘くないベイクドチーズケーキを食べ、ふと、わたしが作ったベイクドチーズケーキの方が、おいしいな、と思うが作ったことがあるのかなんてわからない。アイスラテを飲みながら、セブンスターを吸う。喫煙所はたくさんの人がいた。ショッピングモールは閑散として見えて、ステーキレストランにはちらほらと客が入っていて、トイレは並び、タリーズの喫煙スペースにはたくさんの人がタバコを吸いながら、コーヒーを飲んでいる。わたしはふと、夢を見ているのかな? と思う。そしてきっと半分が夢で半分が現実だと思う。セブンスターには甘いとかしょっぱいとか明確な味などない。けれどニコチンなのだろうか? それとも他の何かなのだろうか? わたしはそれを追いかけてタバコを吸っている。
歩きながら思う。とてもそれは激しかった。
「このフラットシューズはなんて軽いんだろう!」
そう、はだしで歩いていたときよりも、フラットシューズを履いて歩いている今の方が、身体も軽く、疲れたりしなくなった。ショッピングモールは案外広く、バッグを買って、ステーキを食べ、下痢をし、タバコを何回か吸い、タリーズでコーヒーを飲み、ケーキを食べた。そういえばバッグはいくらしたんだっけ? と思うが、思い出せない。そして、まあいいか、と思う。そしてお金って重要だと思っていたけれど、夢のような現実のような、こんな世界にはそれほどのお金は必要ないのかもしれないし、お金にはとても重要な意味があると思っていたのはわたしの勘違いなのかもしれないし、必要になれば自然にお金は得られる、そう思う。
かすかに頭痛がする。寝すぎた後に起きたときのようだ。長い間顔も身体も洗っていない。ベッド。ベッドっていうやつはいいなと思う。けれどいくらおしっこをしてもそれは得られないのだという風に諦めがつく。おしっこ? なんだろう、おしっこって。そう、人や動物ならば、たいていおしっこくらいするだろう。




