冒険へ
わたしは立ちあがって、ぱんぱんっとワンピースをはたき、バッグを左の肩にかけた。そして何も考えずにゆっくり歩いた。なにかを考えたり、急ぎ足ではいけないと思った。コスモに差し掛かる。そのコスモの店内がとても親しみのある空間に思える。そしてすぐにそんなことを考えてはいけないと思う。そしてただ歩く。どうやら店員たちはわたしに注意を向けていない。コスモの照明の中にひょっこり私が侵入してもだ。店員の誰かが「けちゃまん」と言った。そのえげつないような卑猥な冗談に、ほかの店員たちも大声で笑う。
わたしは無事、コスモの前を通り過ぎた。店員の誰もが、わたしが靴を履いていないことに気が付かなかったようだし、じろじろ見られることもなかった。店員たちはただ、客がいないせいで、卑猥な冗談に興じていただけだった。そしてコスモを通り過ぎると、また足早になってしまう。そして気づく。わたしはどこかに着きたいと思っていて、それは多分駅で、そして怖さのあまり逃げながら走っているのだ。そしてさっきから考えていた。人は皆靴を履くべきだということだ。履いていない人はたちまちマークされてしまう。そういうものだ。ストッキングを履いていなくてもいい、アクセサリーをつけていなくてもいい、けれど人は服を着るべきで、コンビニに行くとき以外はバッグを持つべきで、そして靴を履くべきなのだ。わたしはどうやら首に、何かのアクセサリーをつけているようだ。けれど靴は履いていない。
わたしの最終的な目的は駅っていうわけではなく、多分「わたしがなんであるか」だ。それが分かれば、わたしの元居た場所に戻れるかもしれないし、わたしの役割を思い出せるかもしれないし、捨てたミュールではなく、下駄箱やクローゼットに靴が入っているかもしれないし、もしかしたら話しかけたら、答えてくれる誰かだっているかもしれない。そう思うと胸がしめつけられるように、苦しくなる。その想像も、今置かれているわたしの現実のようなものも、だ。
逃げているような追いかけられているような気分のまま、走り出した。曲がってはいけない。とにかくこの道をまっすぐに進むのだ。なぜかそう思う。走っていても疲れたりはしない。不思議だが、わたしは何も食べず眠りもしないで歩き続け、走り続けているのに、疲れたりしない。そしてそれについて深く考えたりもしない。考えたくないな、と少し思っても、何らかのイメージや、感情や感覚、考えは浮かぶ。それをノートにメモしたりしない。それはその今この瞬間に得た、イメージや、感情や感覚、考えで、その先に進めばもう古びてしまっている気がするのだ。
つまり、走っているスピードと同じスピードで得るイメージや、感情や感覚、考えで走っているのだからわたしが今踏んでいるアスファルトより、さっき踏んでいたアスファルトの方がはるかに古い。
セミの声だけが聞こえる。さっきから聞こえていたのかもしれないが、不用意に気づいていなかった。暗かったのと何かを切迫して求めていて、灯りばかりを探していて、見つけたらホッとし、そして緊張し、逃げていた。今はデニーズからも遠く離れたし、セミの声が大きく聞こえる。そしていつからだったか今のわたしにはわからないが、セミの声を聞くたびに思うことがある。七年前に土だった場所で地中深く潜っていたセミが七年後、恋をしようと出てきたら、そこがアスファルトだったというイメージだ。そのときセミはどう思うのだろう。「こんなはずじゃなかった」だろうか。それとも「セックスがしたい」だろうか。それとも無言で「そうか。仕方がない」と諦めて静かに死んでいくのだろうか。
以前のわたしだったら激しくそのセミたちにシンパシーを寄せ、たいそう気の毒がったかもしれない。はっきりとはわからないが多分、日常を当たり前だと思って、デニーズに入り、誰かと食事をしていたのなら、そういう風に思っただろう。けれど今はそんな風にセミを思わない。薄情になったのだろうか。けれどそんな当たり前のことに同情しようとは思わないし、また、関係ないかもしれないけれど、今のわたしの運命や道のりを、誰かに同情されたら、耳まで赤くなりながら、必死で走って逃げるだろう。セミだってそう思うかもしれないのだ。セミの運命に同情したら、セミも耳まで赤くするのかもしれないのに、逃げ場がない。その方がもっと不幸だ。
東武ストアというスーパーがわたしがいる歩道の反対側に立っている。二四時間営業のようだが、車は一台しか入っていない。そしてセイムスというドラッグストアの前を通る。店は閉まっている。のぼりも、ありがちなトイレットペーパーやボックスティッシュ、洗剤なんかも置かれていない。店を開けるときに並べるのだろう。クロネコもある。しばらく歩くと笑笑があった。大きな駐車場もある。笑笑でお酒を飲んでしまったら、車を運転できないだろう。なぜこんなに大きな駐車場があるのだろう。車で来る人たちの中に、必ず禁酒する、もしくは、お酒が飲めない人が混じっているのだろうか。けれどみんなが飲んでいる席で、禁酒はつらいし、お酒が飲めないのなら、こんな席にいたくないんじゃないだろうか。笑笑の駐車場の大きさは、走っている私くらい意味がわからない。
ピザ屋もあった。こんなピザ屋でよくデリバリーを頼んだような気もする。けれどわたしはデリバリーはよく利用したような気もするが、こんなピザ屋のマークがついた、たくさんのバイクが置かれている、ピザ屋自体は見たことがないか、注意して見なかったような気がする。わたしが見たのはドミノピザとかそういうピザ屋の十一時までに電話しなければならない、そういったメニューで、そのメニューとバイクが並んだピザ屋を意識の中で結び付けず、やり過ごしていただけなのかもしれない。
少し先を見ると、上空に大きなボーリングのピンが立っている。多分ボーリング場があって、ビリヤードや、ゲームなども置いてあるのだろう。しばらく歩き、近づくと案の定ボーリング場だった。当然だ。そこには左右に開くガラスの扉があって、そこからポップスが漏れてくる。とても生き生きとした曲にも聞こえるのに、なぜかその光景と、汚れたそこが目印だっていう上空のボーリングのピンや、ドアの取っ手の四角い古臭さが、妙な終末観を漂わせている。わたしは今中に入ってその大騒音のようなポップスを聞きたいとは毛頭思わなかったが、けれどここはなんだか居心地がいいと感じて、少し歩を緩め歩いたが、気が変わって引き換えし、ボーリング場のわきの自転車置き場でタバコを吸おうと思った。
探していて逃げている。そうしながらこのボーリング場にたどり着いた。その駐車場は妙に居心地がよくて、ゆっくりタバコを吸おうと思える。近くに笑笑もあった。もしわたしを見る人がいても、もしかしたら
ただの酔っ払った女性が、タバコを吸っているっていうだけにも見えないだろうか? その考えに気づいたとき、心底ほっとした。
わたしは自分の吸うタバコの銘柄をよく知っている。バッグの中にセブンスターを見つけたからではない。なぜか知っていたのだ。わたしはたいていセブンスターを吸うが、半分くらい吸っていると、飽きるのかわからないが、クールを吸いたくなる。どちらも強いタバコだ。そしてクールを何本がヘビーに吸うと、今度はセブンスターを吸いたいと思う。その繰り返しだ。今は猛烈にクールが吸いたかったけれど、それは無理だ。ボーリング場の窓からこぼれてくる照明に写された自分の身体を見ると、脚だけじゃない、ワンピースも土で汚れている。これだけ汚れていれば普通、着替えてシャワーを浴びたいと考えるだろう。けれどわたしはそんなことは考えなかった。そうしたいと思わなかった。ただつるつるした生地のワンピースの土は乾いていて案外簡単にはたけたし、脚のすねに付いた土もバッグに入っていたハンカチで落とすことができた。
そしてここがわたしの居場所なんじゃないかと思うくらい、安心してタバコが吸えた。そしてずっとここでこうしていたいと思った。わたしは駐輪場に仰向けに寝転んだ。とても開放感があって気持ちよかった。夜だ。夜空が見える。星も月も見える。月はなんだかバカでかくて気持ちが悪いが、星たちはそう多くなく控えめだった。星は約束を守るだろう。けれど今のわたしはどこへ向かうのかはもう、おぼろげだが、進むしかないのだ。進むのだから時間も場所も移ろい変化してしまう。わたしは約束はできない。約束をしたって軽くそれを反故にしてしまうだろう。反故にしてしまうくらいなら、約束はしない。
「大丈夫ですか?」
という声が聞こえて意識が戻った。なにかが割れる音がした。わたしはとりあえず、その割れたなにかに注意せず、「大丈夫ですか?」と聞いた男性を見た。
あの、笑笑で飲んじゃったの。結構飲んじゃったな。最初は生だったの。四,五杯飲んだかな、それからはね、ずっと焼酎。連れがね、ボトルで頼んで、どんどんわたしのグラスになみなみとストレートで注ぐのよ。なんか、罰ゲームみたいだったかも。質問して正直に答えられないと、一気に飲まなきゃいけないみたいな、そんな罰ゲーム。いったいどれくらい飲んだのか、わたしにもわからないの。
でも場は盛り上がってたな。それでね、その連中とここでボーリングをはじめたっていうわけ。でも、わかるでしょ? スコアは悲惨なのよ。もともとボーリングはそんなに上手じゃないけど、あれほど悲惨なスコアは初めてかもしれない。仲間はね、それなりに普通の実力、スコアだったから、もしかしたら笑笑で、みんなで私に飲ませるように仕組んで、面白がっていたのかもしれない。
わたしね、酔うと面白くなっちゃうみたいなの。わたしにはよくわからないけどね、だから飲みにはよく誘われるし、お酒を飲むことも、飲む場の雰囲気も嫌いじゃないから、つい飲んじゃうんだけど、こんな失態は初めてよ。いい年して靴も履かずに駐輪場で寝てしまうなんてね。
でもね、大丈夫。少し眠ったせいで、それと夜の空気も気持ちよかったし、大丈夫なの。仲間だって中で待ってるし、多分今はビリヤードでもやってるんじゃないかな。だから大丈夫。でも、どこで靴を脱いじゃったのかしらね。恥ずかしいわ。
「それは多分、ボーリングを始めたとき靴を預けるから、そのせいじゃないかな」
あーあ、そうよね、ボーリング用の靴に履きかえたんだわ。わたし。でも靴を返したのに自分のミュールを受け取れないほど酔っていたっていうわけよね。
でもね、もう大丈夫なの。酔った身体にお水と夜風っていうやつはずいぶんと効くわね。まあね、それだけの話。大した話でもない、それだけの話。わたしは酔って、酔ったままボーリングをしていた、それだけの意味しかないの。大した話でもないわ。
そしてその青年は笑って去っていった。そして疲労と安心っていうやつはセットになると眠くなるのだということを改めて思った。疲労だけでは人は眠れない。わたしはこの白いがグレーに汚れたボーリング場の壁と、小さな窓から洩れる光、そして狭い駐輪場という隠れ家みたいな場所でタバコを吸ったら、心底安心してしまったらしいのだ。そしてそのとっさの言い訳もよくできている、そう思った。笑笑で飲みすぎのままボーリングをしていたっていう話。
わたしはまた仰向けに横になる。もうこうしていようか、ここに一生いてもいい。誰かが声をかけてきたら、さっきと同じ作り話をしてもいい。何回も何回も同じ作り話をしていたら、それは本当の話にならないだろうか? 信じるだけじゃだめだ。思い込もうと努力してもダメだ。方法は一つしかない。何回も何回も意味がわからなくなくなるまで、同じ話を繰り返すっていうこと。そうすればそれは真実になる。
そしてまた星を見る。そうだ、繰り返せば真実になるのだって、月にも星にも太陽にだって言えるのかもしれない。毎回上る。そしてそこには規則がある。その規則にのっとって、月も星も太陽も顔を出す。だから人はそれを信じる。それらはとても規則を守る。天気によって左右されるように見えたって、月も星も太陽も、きちんと規則にのっとった約束を守っているのだ。
わたしは仰向けのままセブンスターに火をつけた。注意しながら吸う。そして腹の底から笑いたくなった。大声で笑ってみたくなった。そして実際、煙を吐きながら、そう大きな声ではないが、ふふふと笑ってしまった。どうしてなのか、なにがおかしいのかわからない。でもおかしかった。今のわたしが幸福すぎたせいかもしれなかった。
とても固いかかとだ。そんな靴音が聞えてきた。わたしは不穏な予感がして、胸がドクンドクンと脈打ち始めるのを感じた。おかしいと思う。さっきの男性だって靴を履いていたはずだ。そしてそれに何も臆するところはなかったし、例えまた同じように、「大丈夫ですか?」と聞かれたって、同じセリフを言えばいいだけだ。さっきそう思ったはずだし、さっきそう思ったのは確かなことに思えたはずだ。ほら話も何回も繰り返せば真実になる。
わたしは慌てて起き上がって吸っていたセブンスターをアスファルトでもみ消した。するとボーリング場の制服を着た中年の男性がわたしを覗き込んでいた。
「お客さん、困るんだよね」
と切り出して
「たまにそういう人いるけど、笑笑も近いせいかね。でもさ、定年後にもなってしこたま飲み過ぎた人の笑笑のつまみを戻したやつを、匂いを我慢しながらかたずける身にもなってほしいんだよね。定年後だよ。俺は。十分に働いてきたんだ。家族のために、社会のために。そう金にがっついているわけでもないのにさ、たまに女の子と飲めればいいかな程度にさ、働いてるっていうのにさ。俺は、そう金にがっついているわけでもないのに。あれ、靴はどうしたの?」
その男性の短い話の中には十分すぎるほどのその男性の情報が詰まっていた。定年後であって、金にはがっついていなくて、たまに女の子と飲みたいと思っていて、匂いを我慢しながらゲロをかたずけるのはまっぴらだ。そして深夜にボーリング場で働いている。
「時給はいくらなんですか?」
わたしはなんだか、妙なことを聞いてしまった。
「まったくね、しけたボーリング場だよ。君も働きたいの? 一050円だよ」
「結構、いいですね」
わたしはそう言うなり、バッグを持って立ち上がって、走り出した。駐輪場の出口で自分の情報を語っていた中年の男性にぶつかってしまった。
「ちょっと」
と言われたが、小さな声で「すみません」としか言えなかった。後ろを見てはいけない、いつか思った。また思う。進むしかないのだ。男性が大声で叫ぶ。
「靴は? 靴はどうするの?」
わたしはその声に振り向かず、答えもしない。ただ前に走った。一瞬得られたと思った安心も、すぐに形を変えてそれはわたしを追いかけるだけになった。そして私に人として失格だと再認識させるのだ。靴を履いていない人間など、人間失格だ。本当に人じゃないみたいだ。だって動物なら靴を履かずに歩いていても、
「靴は?」
と大声で聞かれることなどない。




