第27話:走る前に
返事を受けたのはいいけど決まっているが、どういうわけか口が動かなくてメニューを言い出せない。そのせいでシーンとした静かな時間が流れる。実際に聞こえるのは波の音とウミネコの鳴き声くらいだ。
そして、我慢が切れたのか鶏島が「メニューは?」と少し怒り気味に聞いてきた。なんとなくイラっとしたが、なんとか自分の心を落ち着かせる。
「まずは基礎体力をつけるために島を一周」
『島を一周!?』
「うおっ!? びっくりした〜。突然、大きめの声で合わすなよ。焦るだろ」
「いや、お前、島一周を何分で帰って来させる気だ?」
「最初だしタイムリミットはなし。早めに終わった者から各自で柔軟。ただし、今は五月だし18時……つまり、午後の6時で解散とする」
「はいはい。わかりましたよ。流谷コーチ兼監督」
「なんかスゲェ棘があるのだけど?」
「気のせいじゃない」
「絶対怒っているだろ。完璧な人間としての自分のイメージを壊す長距離だから」
「は、は? あ、あたしはそんなことにこだわってないし!」
なんてことを海奈が言ったが、それが嘘だということは俺は知っている。なぜなら、彼女は昔からずっと何でも容易くこなしていて、それを誇りに思っているからだ。しかし、そんな彼女でも長距離走だけはダメなので、長距離走を授業でやる時は毎回保健室などでサボっている。
しかし、彼女は俺とは違い普段は優等生なので辛そうやしんどそうにしていると先生が減点をしないからと言い保健室に行かせる。普段の行動のおかげでほとんど陰口を叩かれていなかったりする。しかし、言葉にしていないだけで実は生徒たちは教師に媚を売り、さらに肉体関係を持っていると思われていることは知っている。実際に以前、ほとんどに含まれないギャル系の女生徒がそう言っていたのを偶然聞いてしまった。
でも、そんな彼女もオッドアイを持ちながら産まれたから幼い頃は周りからは物凄く嫌われていた。イジメられもしていたし、人間扱いをされていなかった。だからこそ、今は随分とマシになっているが人間恐怖症だ。そのため肉体関係を持つことは絶対にないと俺は知っている。
例え迫られたとしても、幼い頃に彼女は自分の叔父さんからボクシングを習っていたため大の大人でも一発KOをしそうだ。自分で言うのは何だが、一発KOをされないのは巻き込まれてボクシングをやらされていた俺くらいだろう。
さらに彼女はボクシングをやってはいないが週に二、三度は長距離走以外のトレーニングを今でもやっている。何度か巻き込まれたこともある。
「……ねぇ」
まぁ、SONは見たことはあるがやるのが今回が初めてだろうから、ほとんど何も知らないに等しいのだけどな。
「ねぇってば!」
「うおっ!? 何だよ! てかっ、顔近い!」
「ごご、ごめん! それよりもさっきから呼んでるのに反応してよ!」
「呼んでたか?」
「呼んでたよ! ねぇ、みんな?」
周りには俺と海奈以外はいないと思っていたが、どうやらいたようで海奈が話を振るとみんなしてうんうんと何度か頷く。
「そうか。それは悪いことをしたな。それで何の用だ?」
「雨が降ってきそうなんだけど……」
海奈が空を指差すと先ほどまでは快晴だったはずなのにかなり曇ってきている。
「あぁぁ、マジか……。なら、仕方ないか。体育館に行くぞ」
「えっ? でも、体育館は今日はバスケ部とバレー部が使っているんじゃなかったか? 確かウエイト室はバドミントン部が使っているよな」
「俺がいつギャラリーかウエイト室を使うと言った?」
「えっ? なら、どこを使うんだ?」
「舞台と舞台裏だ。今日は演劇部が使ってはいないしな」
「舞台? 何かパフォーマンスでもするのか?」
「緊張の耐性を付けるためにはいいかもな。でも、今回はそんなことしない。しばらくの間はただの基礎筋力と基礎体力を付ける練習をするつもりだ」
「つまり、筋トレや体幹。柔軟をするということか?」
「それだけではなくイメージトレーニングもするけどな。SONは実践するのが何よりもいいが、イメージトレーニングも最初の方はいいぞ。ちょうど、この海雲高校SON部はSON未経験者が過半数を占めているからな。それに慣れてきてからイメージトレーニングをすると、大分と始めたばかりの頃と比べたら実戦向けになる。まぁ、相手は俺でもいいし、憧れの選手でもいいし、ここにいるメンバーでもいい。まぁ、俺は前の披露試合で負けた相手がいいと思う」
「わかった。なら、体育館に行こうか」
「誰が歩くと言った? もちろん、ここから走ってもらうぞ。幸いなことにさほど遠くもない。それに荷物もあるから重量もある」
そう伝えると海奈以外は誰一人も嫌な顔をしない。むしろ、部長なんかはイキイキとしている。燕野と鶴如は部長のイキイキさに少し引いている。グリュグルーは俺にしたら見慣れている完全な無表情になっている。ここだと表情を豊かにしているため今は気づいてないが、きっと気づいたら全員が驚くだろう。
「よし、俺が先頭を突っ切る! みんなは俺の背中についてきてくれ!」
部長が満面の笑みでそんなことを言っている。しかも、親指を立てながら歯をキラリを光らせている。さらにどういうわけかキメ顔をしている。
「えぇー」
いつもとの違いが激しすぎて少し引いてしまう。すると、横から海奈の笑い声が聞こえる。
「どうした? 突然、笑い出して」
「いや、流谷の目が点になっていたから」
「えっ? 実際に?」
「そんなわけないでしょ! 人間の目が実際に点になるのなんて見たことないよ。比喩に決まっているでしょ!」
「だよな。よかった〜。さすがに比喩ではなく実際になってたら自殺するところだった」
「えっ? そこまで?」
返事の代わりにコクリと頷く。ちなみに自殺というワードにグリュグルーと燕野がぴくりとだが、反応していた。
グリュグルーはわかるが、どうして燕野まで?
不思議に思い、考え始めると海奈とは逆方向の横から妙に視線を感じたのでそちらは振り向くと鶴如が親の仇でも見るかのような目で俺を見ていた。それで悪いことをしたということに気づいた。
あぁあ、やらかした。鶴如は海奈のことが大好きなのに俺がここで指示をし始めたからというものあいつは俺にしか話しかけてこない。そりゃあ、親の仇だわ。完全に邪魔しかしていないからな。
俺の視線に気づいた鶴如に目を背けられたので苦笑が浮かんでしまう。
完全にご立腹だ。そのことを理解したので俺は後ろに下がり二人から距離を取る。
「俺は一番後ろで誰もサボらないように見張っているから!」
スタートと言っていないのにすでに走っている部長にも聞こえるように大きい声で言う。次にまだ走っていない四人にしか聞こえないような大きさの声で「スタート」と言うと全員が走り出した。そして、十秒後に俺も走り出す。
すると、どういうわけか鶴如が海奈から離れて俺の横に来た。
「なんだ? 文句でも言いにきたのか?」
「もちろん、文句も言いたいですが今回は違います。ありがとうございます」
走っている最中にどういうわけか鶴如にお礼を言われた。
「なんだよ。いきなり。何に対してのお礼だ?」
「あなたが指示をし始めてから海奈先輩の表情が明るくなりました。今までずっと暗かったのに」
「そりゃあ、そうだろうな。俺も海奈の立場だと絶対に同じことになっていたしさ」
「海奈?」
「…………あっ」
「何が『あっ』ですか。…………まぁ、海奈先輩を元に戻してくれたのですからこのことは許しましょう」
「あいつに関することならお前に許可を得ないといけないのか?」
「はい」
「えぇー……」
そこを肯定しちゃうんだ。しかも、即答だったし。一切迷いがないな。
「ぷっ」
「おい。今、笑ったな?」
「あはは、すみません。ぷふふ……いえ、あまりにもいつもと雰囲気が違うので。つい」
「ついで笑わないでくれよ。それにしても、そんなに雰囲気がいつもと違うか? 俺は全くそんなつもりないけど」
「ホントに違いますよ。普段は世の中からあなただけ隔離されているような雰囲気が醸し出されているので。しかも、その隔離するための壁はとても強固であなた自身が作り上げたような感じです」
「発想力スゴイな。まぁ、実際に進んで……。いや、なんでもない」
「?」
俺は何を言おうとしてんだよ。やめろよ。俺は犯罪者だ。世の中から隔離されるような存在だ。そんなのが一切縛りなくのうのうと生きているのに今を楽しもうとしているんだ? 俺は誰とも関わらない方がいいのに。
「そうやって周りとの壁を作ろうとするのをやめてください! 海奈先輩が悲しみます」
「でも、俺は……」
「海奈先輩から昔に何があったか聞きました。ですが、すでに死んでいる人よりも今、生きている人を大事にしてください!」
「黙れ!」
「っ!?」
「お前に何がわかる! 一人の幼馴染を殺して、妹を植物人間にして、さらにもう一人の幼馴染を歩けなくした。そんな俺が今、たった一つの罰だけで縛りもなくのうのうと生きている! しかも今、犯罪者である俺は殺した幼馴染の家で世話になっている! 俺は犯罪者なんだ。しかも、第一級犯罪の殺人だ。なのに何の償いもせずにさらにその罰の裏をかいている俺が生きている人を大事になんて、できないんだ」
叫ぶようにして言った。幸いなことに俺と鶴如は止まっているが他のみんなはすでに遠くにいる。
「どうしたらその罪を償えるのですか?」
「考えるまでもなく己の死しかない」
「誰もそんなことを望んでいないのにですか?」
「あぁ。残されたものが一番辛いことも知っている。でも、俺は自己中だから周りのことなんてどうでもいいんだよ。ましてや、残されるもののことなんて。でも正直な話、死ぬのが怖い。だから、今ものうのうと生きているんだ」
「そう……ですか」
「突然、胸ぐらを掴んで悪い。つい、カッとなってしまった」
「大丈夫です。わたしも胸ぐらは掴みませんが、カッとなって殴りかかってしまう時もありますしね。それに胸がまな板なので別にそんなに苦しくありませんでしたしね」
胸のことはあえて触れないことにしよう。
「あるんだ。まぁ、カッとなって俺相手に殴りかかることはできないようだけどな」
「えっ? どうしてそのことを知っているのですか?」
「海奈から聞いたのもあるけど、見てわかった」
「そんなにあからさまでしたか?」
「いや、全く。ただしつい、胸ぐらを掴んでしまった時の反応を見てわかった。お前が男性恐怖症だということをな。こんな手を伸ばせばお互いに届く距離で俺といるのも辛いし、怖いし、泣きそうだろ? まぁ、だからこそあえて、離れないんだけどな」
「えっ? 性格悪すぎですね」
「冗談だ。冗談。周りに男性恐怖症だということを隠しているようだし、もし海奈以外に離れているところを見られたら不自然に思われるだろ? ただ、それだけだ」
鶴間の疑問に答えると視界が一瞬だけ明るくなり、次の瞬間にゴロゴロゴロ! という音が聞こえてきた。
「これはマズイな」
「何がですか?」
「雷が落ちた場所が近すぎる。ホントに危険だ。それにこんなに近くだとすぐに雨が降り出すし濡れたら体に雷が落ちる。体育館までの道のりは、俺らよりも高いのが木しかないしな」
「そうですね。急ぎましょう!」
俺と鶴如はまた走り出した。
お願いだ。体育館に着くまでに雨が降ってこないでくれよ。
空を見ると厚い黒い雲が坂島を覆い尽くしていた。
まるで最悪の前兆みたいだな。あぁあ。風波が目覚めた日は一日中快晴がよかったな。まぁ、こんなことを言っていても何も意味がないけどな。
遅れてすみません!




