大精霊さま、お怒りのご様子
「したわ」
懐からハンカチを取り出して涙をぬぐう。視界がすっきりすると、ノエルが微笑んで私を見上げている。わざとカシウスに似せた容姿になっているだけだと言われても、本当に愛らしい子だ。このまま城に連れて帰って、罰当たりなみんなを驚かせてやりたい。
「ありがとう。……ノエル、あなたが次の大精霊なの?」
ノエルはとくにためらいも見せずに、こくり、とうなずいた。
「教えて、あなたのことも」
ノエルはすっ……と私に片手を差し出した。触れられないのかと思ったけれど、どうやらノエルには触れられるらしく、あたたかい手の感触がした。
「おやつ」
「はぁ?」
私の代わりにカシウスが声をあげた。
「おやつなんて、こんな時に要求するな。後で持ってきてやるから……」
「ノエル、チョコ食べたい。アリエノールさっき持ってるのみた」
「これね」
ポシェットから一つ取り出して、ノエルに渡す。中身を全部あげたいけれど、少しずつ渡して未練を持たせるエレノアのやり方を真似することにする。
「きゃらめる……エメレットにはない」
「なくて悪かったな。王都にしかないだろうさ」
「王都にはきゃらめるある?」
「王都ならな」
カシウスがぶっきらぼうに返事をしたのにノエルはうなずいて、ゆっくりと包み紙をほどいて、中に包まれていたチョコレートを少し掌で転がして、香りを堪能してから……ひょいと口に入れた。
「うん……うん……この味。びみ。もいっこ」
「わかったわ。次は何がいいかしら。ナッツと、乾燥したイチゴと、栗と……」
「だから子供のふりをしてアリエノールの親切心につけこむのはやめろと言っているだろう」
カシウスが制止して、ノエルは唇をとがらせた。けれど私の方に手を差し出したままだ。
「一つだけだ」
「ちぇ」
「ノエル。お話をしてくれたら、もう一個あげるわ」
ノエルがお菓子を食べる様子を延々と見ていたいのはやまやまだけれど、元々の目的を見失ってはいけない。精霊にとってはチョコレートよりどうでもいいことでも、私達人間にとっては非常に重要なことなのだから。
「ノエルは、ちょっと前までノエルじゃなかった」
ぺろりと唇をなめてから、ノエルは小さな口をゆっくりと開いた。語り始めた彼女の外見は愛らしい子供のままだけれど、彼女がまとう雰囲気はあきらかに人間ではない──深い穴の底を覗いたら、底からなにか人智を越えたものがこちらを眺めているような──覗き込むと、そのまま吸い込まれてしまいそうな不思議な恐ろしさがあった。
「ノエルがユリーシャから生まれて、少しづつ大きくなっていった。ノエルが見ているあいだ、人間たくさん死んで、ノエル、頑張らなきゃ。って思ったけど、正しくノエルの事を知ってる人間、いなかった。約束やぶって、向こうに行った人間たちのせいで力なくて、だからいつもお腹すいてた」
正しく契約が遂行されなかったことで、精霊はその力を弱め、加護の力が弱ったことでエメレット家は断絶一歩手前まで追い込まれたのだ。
「ノエル、頑張ってエメレット守ろうとした。でも力がなくて、カシウスしか守れなかった。だからずっとお腹すいてた」
ここまでは、ノエルがかつてカシウスに語った内容と似通っている。
「ちょっとだけ昔に、カシウスがセファイアの王さまを連れて、エメレットにかわいいおひめさまをあげます、ってノエルに言いにきた。ノエルはおひめさまがきらいだった。うそつきの家の子だから、べつにいらないなーって思ってた」
『おひめさま』と言うのはもちろん、私のことだ。ノエルに嫌われていた……。衝撃の事実を知って、私はバランスを崩してしまった。カシウスがそれを支えようとしてくれたけれど、やっぱり触れる事ができなくて、よろよろと木の幹によりかかった。
「ノエルはいつかセファイアに「せっかん」するつもりだった。だから王さまがおひめさまをあげますから、ゆるしてくださいってお祈りしたとき、ノエルは天罰あたえた。髪の毛うばった」
「え……」
「ちょっと待てよ……だから歴代の王族のなかで国王陛下だけ髪の毛が薄いのか?」
カシウスがさも恐ろしげに、自分の頭を触った。
「そう。ふもーの呪い」
呆れるべきなのか、笑うべきなのか、恐れ、気の毒に思うべきなのか。ひとつだけわかるのは、ノエルには強大な力があり、きまぐれで人間の事なんてどうにでもできると言う事。土地だって不毛にされてもおかしくないのだ。
「ノエルは最初、アリエノールを無視するつもりだった。大きくなっても加護はあげない、そう思ってた。……でも、アリエノール、ちゃんとお祈りして、エメレットになろうとした。だからノエル、ゆるした。神殿に来るアリエノールの魔力をたべてすごして、そうして大きくなった。アリエノールの魔力、そんなにいらなくなった。でも、約束あるから、カシウスのかわりにずっとアリエノールのそばにいた。大きくなって、人間のまねっこできるようになったから、もっとお仕事がんばろうと思って、『うちのこ』になろうと思った」
「そうだったのね」
ノエルもお菓子ほしさのイタズラではなくて、私の事を心配してくれていたのだ。王家の思い通りになってしまったのはなんだか悔しいけれど──私の行動によって、ノエルが私の評価を覆してくれたのだ、と思うととてもうれしい。
「でも、アリエノール、またお姫さまになっちゃった。閉じ込められて、いつも泣いてる」
ノエルはぷうっと頬を膨らませた。
「もう泣いてないわ。大丈夫よ」
「ないてた」
「さっきのは嬉し涙だから。私、うれしいの。大好きな人たちが私の事を想ってくれている。今、人生で一番、お姫様よ」
「ふーん?」
私の笑顔に、ノエルはなんだか納得がいっていない様子だ。
「それで……ノエル。怒ってるのは分かるが……次の契約は、してくれるんだよな……?」
カシウスがちらちらと私を見た。夫婦の問題と、この国の存亡に関しては別軸で考えなくてはいけない。
精霊の恵みがなくなると、国が荒廃する。それだけは防がなくてはいけない。国と、領地が滅んでも二人で逃げてしまえば万事解決、とはならないのだ。
巫女として利用されることに微妙な気持ちにならないのか、と言われれば嘘になる。けれどそれとこれとは分けて考えなくてはいけない。カシウスの目を見て、小さく頷く。
「うん。ノエル、アリエノールは好きだから」
「ノエル……! ありがとう。その言葉を聞けて、本当に嬉しいわ……」
肩の荷が下りた。そのお墨付きをもらえれば王女の身分はどうでもいい。そのままエメレットに逃げてしまおう。
「でも、てんばつはくだす」
「は? 今、不吉な言葉が聞こえた気がするが」
カシウスが自分の耳が信じられないとばかりに耳の横に手を当て、ノエルに向けてかがんだ。
ノエルは相変わらずにこにことしているが、その笑顔の奥に──人ならざるものの気配が、確かにあった。
「お城の人間、アリエノールだました。カシウスだました。今もそう。わるいにんげん、精霊はきらい。約束やぶってないけど、ごまかしてる。それはよくない。いちどは許した」
「……その件については、何も申し開きはできないわ。ごめんなさい……」
「にどめはない」
ノエルの口が、ゆっくり、はっきり、一文字ずつ動いた。背中に嫌な汗が流れて、思わず横を見た。カシウスの顔は……引きつっていた。私もきっと、そうだろう。
私たちセファイアの大地に生きる民は、とっくの昔に精霊の逆鱗に触れていたのだ。
「ノエル、新しい約束する。セファイア滅ぼして、エメレットをお城にして、アリエノールをお姫様のままにする。カシウス、王様になる」
「は……はああああああああああああああああああああああ!?」
カシウスが素っ頓狂な叫び声を上げた。今回ばかりは私も一緒に叫びたかったのだけれど──とっさには、声が出なかった。




