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混沌の街 2

 中央広場までやってきた私は、小腹を満たすために小さな屋台の前に並んだ。

 店主がかき混ぜる大鍋の中には、野菜や肉のたくさん入った、白っぽいスープがあった。少しとろみがあるそれが、硬貨3枚と交換に、ぼとぼと木製のカップの中に注がれ、客の手に渡っていく。近くに置かれた木箱や樽に客が腰かけ、談笑しながらスープを楽しんでいた。


「一つ、お願いします」

「はいよ」


 先の客に倣って硬貨3枚を手渡すと、すぐにスープがやってきた。私はそれを受け取って、少し離れた場所にある木箱に腰を下ろした。鞄を肩から外し隣に置いて、スープを一口。素朴な味がして、ほっと一息つく。

 なにはともあれ、まず考えなければいけないのはお金のことだ。

 近くでトカゲのような姿の女性と若い男性が2人で談笑する姿を見ながら、ぼんやりと考える。

 いくら金の心配はしなくてもいいとは言われたって、それを「ラッキー!」と思えるほど図々しくはない。ソレリアは高級な店ではないが、安くもない。宿泊費に、食費。挙句の果てに、こうして小遣いまでもらっている。あまり長く世話になり続けるわけにはいかない。

 自立するためには仕事だ。ソレリアで働かせてもらうことも考えたが、既に「従業員は足りている」と断られてしまっている。が、幸い、今日歩いた感じこの街には店が多い。手当たり次第に声をかければ、どこかしらは雇ってくれるだろうと思う。と、なれば今度は住居だ。狭くて汚くてもいいから家を探して、生活に必要なものを買いそろえて……

 ぼんやりと見ていた若い男性客と、ふと目が合った。彼は「あっ」と目を見開くと、こちらを指さして大声で叫んだ。


「きみ、鞄!!」

「えっ?」


 反射的に隣を見ると、先ほどまで鞄が置かれていた場所になにもない。振り返ると、小さな男の子が私の鞄を抱えていた。目が合うと、彼は小さく飛び上がり、そのまま細い路地に向かって走り出し、薄暗い路地に吸い込まれていった。。


「待っ、お、お金がっ!」


 咄嗟に立ち上がって後を追う。

 大金ではないけれど、鞄の中にはそれなりのお金が入っている。これ以上ズックさんにも、ヴァイオ氏にも迷惑をかけるわけにはいかない。

 わたしは「この地図の赤い線の場所しか行ったらだめだぞ」というズックさんの言葉も、背後で「そっちは危ないわよ!」と叫んだ女性の声も聞かず、男の子が吸い込まれていった路地の中に入った。



 ……結果から言えば、そういう決断をしてしまった5分ほど前の自分を、とても浅はかだと思うし。愚かだとも思う。つまり何が言いたいかといえば、とても後悔しているということだ。


 人間2人がぎりぎりすれ違うくらいしか幅のない細い路地は、迷路のように入り組んでいて、障害物も多かった。両側を高い建物に挟まれていて、日の光も入りにくい。男の子の姿はあっという間に追えなくなり、私は帰る道が分からなくなった。端的に言えば迷子である。


「ば、馬鹿っ……!」


 情けない声で自を叱責し、ぜいぜいと上がった息を整えるために冷たい石壁によりかかる。

 これ以上迷惑をかけるわけにはいかないという一心でした行動が、結局、お金も失い道にも迷うという最悪の結末を招いてしまっている。

 少し息が整えば、それと同時に周囲の状況も見えてくる。

 大通りにあった賑わいはなく、路地には不安になるような静寂が垂れ込んでいた。人気はない。前を見ても、後ろを見ても上を見ても、先ほどまでいた場所に戻る道は分からない。がむしゃらに進めば、どこかしらに出るだろうか。私の心を表わすように、視線も自然と落ちていく。いつのものか分からない古新聞が、路地の脇にくしゃくしゃになって捨てられていた。


 ふっと、足音が聞こえた。

 顔を上げる。「道を聞けるかもしれない」という希望を持てたのは一瞬だった。

 やってきたのは2人組の男性。人を見た目で判断してはいけないと思ってはいるが、彼らはいかにも“悪人”だった。だらしない身なりに、手には酒の瓶。にたにたと品のない視線で、舐めるように私の体を見た。

 ――あ、だめだ。

 鳥肌が立つ。恐怖に従って、体が反転する。走り出そうとしたところで、後ろから声が聞こえた。


「そのまま振り返らず走って、2つ目の分かれ道を右へ」


 2人組の男性の声ではなかった。

 もっと優しくて、紳士的な響きのこの声は――


「絶対に、振り返らずに」


 名前を呼びかけた私を制するように、そう言葉が続いた。

 状況が分からないわけではない。私はその言葉に従って、全力で走った。

 2つ目の分かれ道を右に進んでしばらくすると、唐突に大通りに出た。先ほどまでいたスープの店が、視界の端に見える。振り返ると、そこに道はなく、苔の生えた石壁があるだけだった。


 ルカ・ヴァイオ。


 さっき私を助けた声の持ち主の名前を、そっと心の中で唱える。

 忘れるはずはない。間違うはずはない。あの声はヴァイオ氏のものだった。

 おそるおそる、石壁に手を伸ばした。冷たい感触。どれだけ強く押しても、その先には行けなかった。

 全部夢だったのだろうか。そう思ったけれど、やっぱり鞄はない。こうなってしまえば、私にできることは一つだけだ。

 できるだけ早くソレリアに戻り、ズックさんに誠心誠意、謝罪する。これだけ。




 ソレリアに戻り、鞄をすられてしまったことを情けない声で説明した私に、ズックさんは頭を抱えた。


「すみません。ちゃんと弁償します。仕事が見つかったらすぐにでも」

「いいや、違う。俺が言いたいのはそこじゃない」


 ズックさんは私の肩を持ち、視線を合わせた。


「金はどうだっていい。なんでスリを追っかけたんだ。いいか、お嬢ちゃん。大通りと、このソレリアのある通り以外は迷路だ。一度入って出られたのは奇跡に近い」

「……あの、」


 ヴァイオ氏の声が助けてくれたことを言いかけて、やっぱり辞めた。なんとなく、言うべきではないと思った。

 ズックさんは私の言葉が続くのを待っていたが、私が唇を結んだままなのを見て再び話を続けた。


「昼も言ったが、ここには外の常識が存在しない。ややこしい魔法のかかった道や、いかれた発明家の残した“悪ふざけ”のせいで、踏み入れたら次の瞬間にミンチになっちまうような道だってあるんだぞ」

「……すみません」


 蚊の鳴くような声でしかできなかった謝罪の後、ズックさんは深いため息をついて私の肩から手を離した。「強く言って悪かったな」と気まずげに頭を掻くその姿に、私の背にはますます罪悪感がのしかかった。

 もしかしてもしかしなくとも、私は完全にズックさんの“お荷物”である。

 ソレリアは小さな宿屋だが、客は少なくない。従業員は足りていると言ってはいたが、彼はいつも忙しそうにしている。日常業務に加え、この街のことをなにも知らない文無しの女の世話までする余裕はないだろう。


「本当に、ごめんなさい」

「もういい。気にするな。少し早いが飯が出来てる。リラが一緒に食おうと言っていた。部屋で待ってるんじゃないか」

「はい……」


 申し訳なさで縮こまりながら部屋に戻ると、ズックさんの言う通り、リラが私を待っていた。

 ズックさんの作った食事を囲み、今日の出来事について話す。リラは呆れたように「何も知らない路地に入ったあなたが悪いわ」と言った。その通りです。と声にならない声で言って、夕食の焼き魚を飲み込む。


「ここは混沌の中。ぐちゃぐちゃの、愛すべき非現実よ。踏み込む場所は、しっかり見極めないと」


 リラが詩を読むように言うと、夜に染まり始めた街の空にぽつぽつとランプが浮かび始めた。

 赤、ピンク、橙。暖かな色彩が、まだ朧な星空を隠すように輝く。あの日列車の中からは美しく見えたそれも、近くで見ると、いっそ痛いくらい眩しかった。


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