04 水――6月24日
暑い。なんでこんなに蒸し暑いんだと思うような平日の午後。私は外に出て、柴田先生の姿を探す。太陽光を反射するグラウンドがまぶしい。照りつける日差しが暑かった。
「おう、百瀬」
後ろの昇降口の方から声がした。柴田先生が屈んで靴紐を結んでいた。私は上から彼を見下ろすような形になって少し興奮してしまった。決して、Sではないはず。
「あの……」
やばい、話すことがない! っていうか、何話せばいいのかわからない!
「えーっと……今日も良い天気ですよねー! あ、あははは!」
「……」
柴田先生、明らかに不審そうな顔をしている。
「あ、今日は何するんですか?」
「……お前、話聞いていなかっただろ」
「へ?」
「今日は全員プール掃除だ。プールに集合だぞ」
「ウソ!?」
「ホントだ。体育教師が嘘なんてつくか」
やっべー、そういえばみんな裸足になっていたような気が……。私は思い出して赤面してしまう。ドジ踏んだぁ!
柴田先生は「はぁ、やれやれ」と言った感じで立ち上がり、手招きをした。私は首を横に傾げ、彼のあとを追う。何処に連れて行かれるんだろう。
「……えっ」
私は思わず声を漏らしてしまう。そして不審に思いながらも先生のあとを追って、その中に入っていく。薄暗くて足下がよく見えない。
「体育倉庫で……何するんですか?」
「何するって……?」
やべ、いきなり『する』って何考えてるんだよ、私。
「あ、いや……別に……」
「うん、ちょっとね。……これ、持って」
「あ、はい」
私は奥から出されたそれを受け取った。バケツだ。そして先生もバケツを持って奥から向かってきた。その時――
「るわっ!?」
ガッっと音がしたかと思うと急に目の前の先生の身体が前のめりに倒れ込んでいく。私は避ける間もなく押し倒された。
「った――!」
私は運良く石灰の袋の上に倒れ込んだので幸い頭は無事だった。
「……ご、ごめん、百瀬」
「――って先生!?」
あああああ、ああ、アンタ! 何処に手をやってんの!
「ちょ……先生……!」
「わ、あ、え、あ! ご、め、ん!」
先生はぱっと私の胸から手をどけると立ち上がった。私の胸はどきどきと音を立てていた。
「ごめん! 百瀬!」
「……別に、いいですよ」
先生なら……別に何されたって……っていうのはまだ早いか。
「ごめん」
先生は完全にしょげていた。
「いいですから、早く行きましょう。怪我もありませんでしたし」
私は落ちたバケツを持つと体育倉庫を出た。……やばいやばいやばい! 心臓がばくばく言ってるよ! このままプール入ったら絶対溺れるって! ……あ、いやでも先生が助けに来てくれるのかも。
妄想にふけっていると先生がバケツをひょいと取り上げた。
「悪いから、俺が持つよ」
「別に、気にしていませんよ」
「うん、だけど今回はそうさせてくれ」
男の事情って奴ですか。私は先生の親切を快く受け入れると一緒にプールの方へと向かうのであった。今年も暑くなりそうだなぁ。
*
しばらくしてから伊藤はすっと頭を下げるとこっちを向いた。
「河原、行くんだろ?」
「あぁ……」
会話も少なく、僕と伊藤は河原へ向かった。さーっと風が吹く度に辺りの草が音を立てて揺れた。
そして河原についた頃、大分日は傾いていた。川のせせらぎの音だけが僕の耳を占めていた。伊藤はそこらに落ちている平たい石を拾うと水面に向かって投げた。
しかしその石は一回も跳ねることもなく沈んだ。
消え入るような表情で伊藤はそれをただ見つめていた。
「こういうことさ。成功せずに、堕ちていくだけの人生。理不尽な人生。俺はもう、生きる気がしない」
僕は何も言えなかった。彼の儚げな表情が僕に何も言わせようとしていないのだ。
「はぁ……だけどさ、どうせ死ぬなら何かやりたいじゃないか? 命を懸けた何かを」
「何を……するんだ?」
「頭の中ではもう決まっている。だけどお前には話せない。悪い」
彼はそういうともう一度石をつかんで叩きつけるように川に投げ込んだ。
「楽しかったよな。学生生活って。今思うと先生がぎゃーぎゃー言っていたのが愛情に感じるよ」
「そうかもな」
僕も石を拾うとそれを水面に叩きつけた。
「僕はあまり良い思い出はなかったな」
「百瀬のことか?」
「うん。結局自然消滅した。それで今日――」
「婚約したことを知ったんだろ? ここらじゃ結構有名になってるからな」
「そうなんだ……」
「……ま、仕方のないことだ」
ぽんと音を立てて石が一つ、川に落ちる。
ピーヒョロロロロロ――川のせせらぎに乗るようにウグイスが歌声を上げ、森の方から飛び立った。既に朱く染まり始めている空に向かって。




