第89話 二人の理由
「あの、一つ聞いていいですか?」
「なんじゃ? 妾たちの馴れ初めか? そうじゃなあ。あれは千年ほど前じゃったか」
「違います違います。いや、それはそれで聞いてみたいですけど」
山を登り始めてしばらく経ち、強化魔法が使えるとはいえ、ルーキスたちはただの人間である。
喉も乾けば腹も減る。
というわけで、五人は途中の傾斜がなだらかな広場で、持ってきた軽食を片手に休憩していた。
なだらかな山道を登っているとはいえ、ハイスヴァルムの街並みが眼下に広がっているのが見える程には高い場所。
その広場の崖っぷちで仁王立ちして眼下の街を見下ろすクラティアに、ルーキスが木のカップにいれた水をフィリスが持っていった。
「クラティア様はなぜ失踪者捜索の依頼なんて受けたんです? 一国の女王様が、なぜ」
「昔のように、ティアとは呼んではくれんのか?」
フィリスの言葉に答えず、日の光に照らされたクラティアは少し悲しそうにそう言って、フィリスの赤い目を見つめた。
そんなクラティアに「え? なに?」と困惑するフィリスの後ろから、ミナスが「おい、ティア」と妻をなだめるように、そして困ったように声を掛ける。
「すまぬ。気にせんでくれ、戯言じゃ。お嬢ちゃんの質問に答えてやろう。妾たちが冒険者として失踪者捜索依頼を受けた理由は、罪人を罰するためじゃ」
「罪人を罰するために、失踪者捜索?」
「まあ細かいところは省かせてもらうけど。うちの国から大罪人が出てね。そこそこ強い吸血鬼が、まあ逃げたんだよ。この国にね」
「とはいえ軍を出すには小物ゆえ、妾たちが暇つぶしに、ああいや。責任感からその痕跡を追って、誅殺するために来たんじゃが。街の結界の影響で気配が途切れてな」
クラティアとミナスの話を聞きながら、フィリスは視界の先でルーキスが水魔法で出した水を手ですくい、口に運んで飲み込んだのを見ていた。
「この依頼にある失踪がその吸血鬼の仕業だと?」
「さて。それは分からん。分からんが、まあ、怪し過ぎるわなあ」
二人の話に反応したルーキスの言葉に、クラティアは肩をすくめながらそう言うと、フィリスから受け取っていた木のカップに入った水を一口飲んだ。
「ほう。魔法で作った水がまるで清流の水が如き味わいだな、随分と魔法の研鑽に励んでいるようじゃないか」
「ええまあ。魔法は、好きなんで」
前世の頃より磨きが掛かった魔法を使う弟子に、クラティアは微笑む。
その微笑みは母親が子供に向けるような慈愛に満ちた笑顔だった。
そんな笑顔にフィリスは一瞬見惚れ、バッとルーキスに振り返って見惚れていないかと眉間に皺を寄せて怒りを向ける。
「睨むなよフィリス。俺なんにもしてないだろ」
「まあまあ。あ、そうだ君たちここに来るまでに森でドライアドを助けたって言ってたね」
「ああはい。地上に露出したダンジョンコアを壊して、地下と森からの魔力吸収を止めたんですけど」
「そうか。その時近くに蝙蝠とか、他にもなにか、小動物なんかは見なかったかい?」
「いや。見てないですね」
岩の上に座っているミナスの傍に立つルーキスが、自分の前に立つイロハの頭に手を置きながら首を横に振った。
しかし、ミナスは何か釈然としない様子だ。
「まあ死にかけていて気配が微弱になっているかもだしなあ」
「なんです?」
「地表に現れたダンジョンコア、それが僕たちが追ってきた痕跡だ。頻発するはずないコアの露出は、コアを魔力増幅器にして一気に魔力を取り込もうとした証拠。僕たちの国からここまでに七カ所、そして君たちが八カ所目を破壊してくれたからね。たいして力は戻っていないはず。この依頼先に何か手掛かりでもあれば良いなあ」
ルーキスとミナスがそんな会話をしているのを横目に見ているフィリスを見て、クラティアが再び優しく笑ったかと思うと、何かを思いついたのか、意地の悪い笑みを浮かべ、フィリスの肩に手を置いた。
「な、なんですか?」
「お主、もしやあの少年に惚れておるのか?」
からかうつもりで言ったクラティアに、フィリスは赤くした顔を向けるが、そんな彼女の口から出た言葉はクラティアが予想したような焦って誤魔化すようなものではなく「惚れてちゃ、ダメですか?」というものだった。
その言葉に面食らったクラティアは目を丸くする。
「そうかそうか。なら、末永く幸せになるがよい」
「ああ、ええまあ。はい⁉︎」
婚儀の祝詞にも似たクラティアの言葉に、フィリスは耳まで真っ赤にして素っ頓狂な声を上げる。
そんなフィリスの声に、ルーキスとミナスは話を中断してクラティアとフィリスが立っている方を見た。
「いやなに。気にするでない、吸血鬼の吸血衝動について講義しておったのじゃ。のう、お嬢ちゃん」
「そ、そうよ! 吸血鬼の女王様なのに吸血衝動には襲われないのか聞いていたの」
クラティアは内心「もう早くくっついてしまわんか」と思いつつ、乙女の恋に介入する悪戯が楽しくて、決定打は打たない。
フィリスにしても、ルーキスに気持ちを伝えたいと思う心と羞恥心からクラティアの嘘に乗ってしまった。
「で、どうなんです?」
「そうじゃな。妾たちの吸血衝動とは食欲から来るものではない。どちらかと言うと性欲に近いものじゃ。故に! 吸血衝動なぞ吸血せずとも愛する夫との濃厚なセッ」
「おいやめろ馬鹿!」
日の高いうちから何やら口走りそうになったクラティアを、ミナスが焦った様子で叫び、いつの間に移動したのやら、クラティアの口を人差しで抑えて止めた。
その様子に、フィリスとイロハは首を傾げ、ルーキスは呆れた様子でため息を吐いて天を仰ぐ。
師匠の言動で胃が痛くなりそうなので、早く依頼を終わらせたくなったルーキスは「休憩。終わりにしましょうか」と呟いて、イロハにポーチを持たせて自分もバッグとハルバードを担ぐ。
そして、足元に置いていたフィリスのバッグを取ると、それをフィリスに近付いて渡して手を引いて再び山を登り始めたのだった。




