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第八話:予兆 その一

 お客さんのまばらな店内で僕は考える。

 向こうで黙々とカップ麺を補充する愛奈さんは、いい加減この生活に嫌気がさしてこないのだろうかと。

 ここで働き始めてからというもの、愛奈さんはただひたすらに店先の掃除と品物の補充を任されている。ずっとだ。それなのに、僕だったら手を抜いてしまうところを愛奈さんは文句の一つも言わずに頑張ってくれている。

 最近は愛奈さんのファンみたいなお客さんも出てきたりして、『巷で噂の美人コンビニ店員』のポジションを確立しつつあり、時たまお客さんに声をかけられているところを目にする。僕としてはそのお客さんが怪我をしないか心配で仕方がないけど。

「……愛奈さん、あの」

 普段からそんな愛奈さんの姿を見ていてなんというか、僕は申し訳なく思ってしまった。そろそろ愛奈さんにも他の仕事を任せてみてもいいんじゃないだろうか。愛奈さんは気高き女騎士だ。いつまでもこんな雑用ばかりやらせていたのでは彼女のプライドに傷がついてしまうかもしれない。母さんや父さんに許可は貰ってないけど、レジでも触らせてみよう。

「呼んだか」

 ちょうどカップ麺の補充を終えた愛奈さんは空いたカゴを片手にすっくと立ち上がる。

「仕事には慣れましたか?」

「うむ、品物の陳列作業は既にものにしたと言ってもいいだろう」

「見ててわかります。それに関しては僕よりも上手だと思いますもん」

「そうか」

 まんざらでもなさそうだった。

「で、ですね、愛奈さんもそういう簡単な仕事に慣れてきたところで、新しい仕事をしてみませんか?」

「というと」

「レジ打ちです。最初の頃は戸惑ったと思いますけど、僕たちがやってるのを見てなんとなく仕組みもわかってきたんじゃないかなあって思いまして」

「その珍妙な機械か。言っておくが私はこの世界の機械に関しては酷く疎いぞ」

「僕が教えますし、簡単なんで愛奈さんだったらすぐに覚えられると思います」

「どうだか」

 愛奈さんは苦笑しつつもレジに近づいて興味津々そうに眺める。

「品物の値段の計算機のようなものなのだろう?」

「本当はその他にも機能があるんですけど、それだけわかっていれば問題はないと思います」

 僕はそれじゃやってみますかと愛奈さんをレジに立たせる。レジに立つ愛奈さんの姿はとても新鮮で、少しだけ頬が緩んでしまう。

「まずですね、レジを打つ前に自分の責任者番号ってやつを登録する必要があって――」


 愛奈さんへのレジチュートリアルを始めて三十分、愛奈さんはみるみるうちにレジの打ち方をマスターしていった。やはり向こうの世界の平和を託されているだけあって集中することに慣れているみたいだ。

「……はい、それじゃあ練習はこれくらいにしておいて、そろそろ実戦といきましょうか」

 僕は試しに従業員室で幸せそうにプリンを食べている捺を呼び出し、何か買ってくるよう促す。

「えー? 今さっきプリン買ったばっかりなのにまた買うのー?」

「そう言わずにさ。愛奈さんの輝かしいレジデビューのために頼むよ。僕もお金出すから……これでコーラ買ってきてくれない?」

「んもぉ、わかったよ」

 捺は頬を膨らませてぱたぱたとドリンクコーナーへと向かっていった。

「どうですか? 簡単なものでしょう?」

「うむ、未だに不可解な点は多いが、これくらいのことなら私にもこなせそうだ」

「頼りにしてますよ」

「ふっ、気持ちだけは受け取っておこう」

「あー! ピピーッ! その行為はコンビニ恋愛部のオキテ第三条〝業務中は風紀の乱れるような行為をしない〟に違反してるゾ! ただちにやめなさいっ!」

 すると捺がどこから持ってきたのかものすごい剣幕でホイッスルを吹きながら僕たちに向かって走ってきた。

「お店の中で笛なんか吹かないでよ! ていうか風紀を乱れる行為なんてしてないし!」

「見えたもん! 私にはユーくんと愛奈さんの周りに甘いピンクのエフェクトがかかってるのが見えたもん!」

「あのねえ……」

 ……実際、ちょっと話してて楽しかったのはあるけど。

「もうそれは置いといて! 何か持ってきた?」

 きょとんとする愛奈さんを横目に僕はわざとらしく咳き込みながら捺に尋ねる。

「くそー……次違反したらタイホだかんねー……んんと、ユーくんのコーラと、プリン持ってきたよ」

「結局またプリン食べるんだね……」

「違うもん! おかわりだんもん!」

 捺は顔を赤くしながら愛奈さんの前にコーラとプリンを置く。

「さ、愛奈さん、いよいよ実戦ですよ」

「やってみよう」

 愛奈さんはバーコードリーダーを片手にぐっと握ってコーラ、プリンの順でバーコードを通していく。

「……二点で二百五十三円だな」

「そんじゃ三百円でお願いしまーす」

「三百、三百……こうか。つまり四十七円の釣銭だ」

「その通り! さすが愛奈さん物覚えが早い!」

 捺は愛奈さんからお釣りを受け取りながら目を見開いて関心した。

「じゃ、私は用が済んだし奥に戻ってるねー」

「うん、助かったよ。コーラは冷蔵庫に入れといてくれればいいからさ」

「あいさー」

 捺はプリンを手に嬉々として従業員室へと戻って行った。

「佑樹、こんなものでいいか」

 一連の動作が終わり、愛奈さんはバーコードリーダーを置いてふぅ、と小さく息を吐いて僕に訊いた。

「上出来です。後は数をこなしていって作業をよりスムーズにできれば文句なしです」

「そうだな。経験に勝るものはない。これからも精進していこう」

 レジ打ちをする愛奈さんは表情こそ大きく変わらないものの、僕には楽しそうに見えた。 

 そんな時、お店に一人のお客さんが入ってきた。僕より年上の、二十代後半くらいの男の人だ。

「……よし、それじゃ愛奈さん、今度は今入ってきたお客さんのレジをしてみましょう」

「うむ」

 いよいよ本格的なレジ打ち業務だ。僕は後ろで愛奈さんを見守る。

 愛奈さんは仁王立ちで腕を組み、そのお客さんの一挙手一投足を穴が開きそうなくらいに凝視していた。ダンジョンのボスじゃないんだから。お客さん怯えちゃいますって。

 程なくしてお客さんはレジにやってきた。愛奈さんは待っていたぞとばかりに不敵に微笑みバーコードリーダーを品物に振りかざす。

 しかし、ここまでは良かったのに(良かったのかな?)、なぜだか急に愛奈さんの動きが止まってしまった。心なしか震えているようにも見える。今までの流れを覚えていたらつまずくようなことではないのだけれど。どうしたんだろう。

「愛奈さん? 大丈夫ですか?」

 僕はたまらず固まってしまった愛奈さんに声を掛ける。ここで僕はぎょっとした。

 愛奈さんの片手には雑誌が握られていた。

 肌色が表紙の大半を占める、何人もの女の人が載った――俗にいうエロ本を。

「な……な……」

 愛奈さんはエロ本をレジに置くとおもむろに、

「なんと……破廉恥なあああああ!!」

 ためらうことなく、剣を抜いた。

「わああああああああああああああああ!」

 ストップ! ストップ! と僕はお客さんの喉元に剣を突きつける愛奈さんを制する。

「こ……ここここんなものを私の前に持ってきおって……恥を知れえええええ!」

「落ち着いてください! とりあえず剣を収めて! 収めてください!」

 愛奈さんはエロに全く耐性がなかった。


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