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第十話:笹子美沙夜のお悩み相談室

 少し無茶なことを言ってしまったのかもしれない。僕は従業員室で誰も出入りすることのなくなってしまったロッカーを見ながら考えていた。

 愛奈さんが最後に出勤してから一か月、古びたロッカーはうんともすんとも言わなくなり、こういう表現をするのもおかしいが、昔より更に〝老けた〟ような気がした。

「おやおや佑樹くん、こんな時間なのにまぁだお店にいるのかい? よい子はもう寝る時間だぞ?」

 時刻は午後十時半。例によって遅刻してやってきた明日香さんが飄々と僕に絡んできた。

「明日香さんこそ、早く店に出た方がいいですよ」

「んもう、冷たいなあ」

「冷たくないです」

「そうかいそうかい……愛奈ちゃん、どうしたんだろうね」

「……」

「かれこれ一か月かぁ。これはさすがに心配にもなっちゃうねぇ」

「あっちのことが忙しいんでしょう。僕たちの世界なんて別に来ても来なくてもどうでもいいんですし」

「そりゃあそうなんだろうけどさ」

 従業員室の蛍光灯はそろそろ寿命を迎えているのか、時折乾いた音を立てながら点滅をする。

「とにかく、あっちの世界のことをどうこう言う資格は僕にはありません。話はこれくらいにしておいて、明日香さんはさっさと店に出てください」

「荒んでるなぁ、まあ、そんなに思いつめないことだよ」

「思いつめてなんて……」

 明日香さんは勢いよくユニフォームに袖を通すと、颯爽と従業員室を出ていった。遅刻した身分でなんてかっこいい出勤の仕方だと僕は心の中で突っ込みを入れる。

 愛奈さんのいない一か月は、とても平和なものだった。これまでの非日常はすっかりなりをひそめ、淡々と一日を過ごす毎日。再びこのような日々が来ることは僕が望んでいたことなのに、何なのだろう、胸の奥に感じるこのしこりのようなものは。

 むしゃくしゃして僕はテーブルに置いてあったコーラを飲み干す。普段一緒にコーラを飲んでくれる女騎士は、この日も僕の前にはいなかった。




 ある日の放課後、僕は笹子先生に呼び出され、職員室に来ていた。

「失礼します」

「うん、来たわね。ここで話すのもなんだし、応接室を借りましょう」

 僕は畏縮しつつ前を歩く笹子先生のあとをついていき、他の先生たちのデスクを横切って応接室へと向かう。

「何か用ですか」

 ドアを閉めながら僕は尋ねる。

「とりあえず座って座って。落ち着いて話をしましょう」

 笹子先生はいつも通り柔らかい表情で僕に言う。いつも通りなのに、それがやけに怖く見えたりして、僕の不安を更に煽った気がした。

「よし、それじゃ準備オッケーね。今日東間君を呼んだのは、ここ最近の生活態度についてちょっと言わなきゃいけないなって思ってね」

「生活態度、ですか」

「うん。正直、ここ一か月くらいの東間君の生活態度は、目に余るものがあります」

「……」

「先月の中間テストの成績は中の下あたり。まあその辺はこれからの頑張り次第でどうにでもなると思うのだけれどね、そのテスト以降の東間君の授業に取り組む姿勢がどうも気になって」

「はあ……」

「学校で何かあったの? それともおうちで? もし悩んでいることがあったら話を聞くわよ? 先生に言ったところでどうなるってわけでもないけど」

「いえ、別に何も――」

「嘘はついちゃダメね」

「え?」

「東間君のその顔は何かを言いたくてしょうがない顔よ。話を聞いてほしいけど、何をどう話していいのかわからないって顔をしてるわ」

「……そんな顔をしてるんですか、僕は」

「ええ、そりゃもう」

 にっこりと微笑む笹子先生。やっぱり愛奈さんが家庭訪問の時に目を付けただけある。笹子先生は僕の気持ちを完全にお見通しだった。

もう降参するしかないみたいだ。

「……確かに自分でも、ここ最近の僕は日常生活に身が入っていないと感じています。心ここにあらず、というか」

「うんうん。それはどうして?」

「家のことで悩み……というより、心配事がありまして」

「そうなのね。その辺はやっぱり東間くんちのプライベートな事情もあるでしょうから、話せる範囲でいいわよ?」

 でも話させるんですね。

 僕は小さく嘆息するとここ最近のことについて話し始めた。正直、なぜこんなことを先生に喋ろうと思ったのか、自分でもよくわからない。先生に話したところで愛奈さんが帰ってくるわけでもないのに。

「実はですね……この間の、家庭訪問の時に母さんの代わりとして出席していた親戚のお姉さんが……失踪しまして」

「し、失踪!?」

 数秒のタイムラグの後、笹子先生はテーブルに身を乗り出して驚く。

「いなくなってどれくらい経つの!?」

「大体一か月くらいですかね……」

「捜索願! 捜索願は出した!?」

「いや、なんというかその、おそらく完全に警察の管轄外かと……」

「そんなのやってみなきゃわからないわよ! 先生今からでも百十番するわよ!?」

 笹子先生は片手に携帯電話を持ち、わなわなと震える。

「ちょ……! 落ち着いてください!」

「でも……!」

 苦笑いするしかなかった。

 肩で息をする笹子先生はしばらくしてソファに座りなおした。

「……ま、まあ、鎧をつけてる女の子なんてそうそういないだろうし、そのうち見つかるわよね……そうよね……」

 自分に言い聞かせるように笹子先生は気を落ち着かせていた。日本国内、いや全世界を探してもそんな女の子はいないと思いますけど。

「ダメね。私。辛いのは東間くんなのに、大人げなく取り乱しちゃって……教師失格だわ」

「いやいやいや何を言ってるんですか! そんなことないですって!」

「思えばそうよ。もうとっくに結婚しててもおかしくない年齢なのに、未だに独り身の分際で生徒の相談相手になろうだなんて、失礼甚だしいわよね……」

「やさぐれないでください! きっと良い人が見つかりますから!」



「――僕が言うのもなんですけど、結婚なんてタイミングがすべてだと思いますよ? 先生にはまだその時期が来てないだけで、何も心配する必要はないと思います。それに、焦って彼氏を見つけてさっさと結婚したら返って取り返しのつかないことになることもあるでしょうし――」

 応接室に入って約三十分が経過した今、相談をしていたはずの僕はなぜか笹子先生の結婚についての相談相手になっている。どうしてこうなった。

「くすん……だといいのだけれど……優しいのね、東間くんは」

 笹子先生はすんすんと泣きながら僕のヘチマのようにスカスカな励ましに心打たれていた。自分で言っておいてなんだけど、なんだかとても申し訳ない気持ちになってくる。

「げ……元気出していきましょう! 僕もこれからしっかりやっていきますから!」

 僕は握り拳を作ってやる気を示す。

「……本当に?」

「もちろんですとも! 約束しましょう! 僕はもうだらしない生活をしませんから、先生はもう弱音を吐かない! さ、指切りげんまんです!」

 僕は先生に小指を差し伸べる。先生はおずおずと僕の小指に自分の小指を絡ませてきた。本当に僕は何をやっているんだろう。訳がわからな過ぎて笑いがこみあげてくる。

「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーら――」

 半ばやけくそで指切りの歌を口ずさむ。なるようになれだ。

「――指切った! はい! これで約束しましたからね!」

 そして勢いよく指を離した。

「……ありがとうね、悔しいけど、教え子に元気づけられちゃったわね」

「困ったときはお互い様です」

「そうよね。今日は本当にありがとうね、先生の愚痴に付き合ってくれて」

「気にしないでください」

「なんだか先生、東間くんが急に大人っぽく見えてきちゃったわ」

 微笑む笹子先生に僕はほっと胸をなでおろす。

「長話が過ぎちゃったわね。それじゃ出ましょうか」

「ええ」

 長きに渡った謎の話し合いはようやくお開きとなり、僕たちは応接室を後にする。

 そうして笹子先生がドアノブに手をかけた時だった。

「ところで……」

「どうしたんですか?」

「そもそも、なんで私たちは応接室に集まることになったのかしら?」

「…………へ?」

「少なくとも先生の結婚の悩みで、というわけではないと思うのだけれど……」

 笹子先生……。

「東間くんは覚えてる? どうして二人でお話をすることになったのか」

「あ……いや……もういいです」

「?」

 

 針千本飲ませますよ?


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