九月○日 ――
友人を亡くした数日後、向日葵は秋乃の部屋にいた。
結局、あれから体調が悪化した彼は、一ヶ月ほどここにいる事が決まってる。
「秋乃くん、薬飲まなあかんよ」
彼は欠かさず飲まなければならない薬を、もう何度も飲んでいなかった。それどころか食事や水分さえ拒絶している。本来ならベッドに縛り付けて、点滴だけでもするべきだった。
だが、みんな知っていた。彼がどうしてそんな事をしているのかを。
羽香奈が落ちた『音』が聞こえても、秋乃はじっと前だけを見ていた。
まるで一緒に飛び降りてしまったかのように、駆けつけた職員に抱えられるまで、羽香奈が最後に立っていた場所を見ていた。その姿は痛々しく、ゆえに誰も強く出られなかったのだ。
「死んだら羽香奈に会えると思っとるん?」
向日葵は室内に入る。隅っこで床に座り込んだ秋乃は無反応だった。
「それで、またフラれるん? あんなに言われたのに、会いにいけるん?」
「……」
返事は無かった。
数種類の錠剤を手に、向日葵は秋乃の傍に向かう。
「いい? 薬、ちゃんと飲むんよ。……今の秋乃くんじゃ、羽香奈にまた置いていかれるだけやから。一緒にいたいならちゃんと生きて。羽香奈は秋乃くんに生きていてほしいんよ」
ぴくりと秋乃の身体が動くのが見えた。ゆっくりと振り向いた彼の頬に手をあてて、向日葵は母親がこの慈しむような微笑みを浮かべる。
秋乃は渡された薬を口に含み、ベッドわきの棚に置かれているコップの水を飲み干した。
それで体力を使い切ってしまったように、彼は向日葵に縋りつくように倒れる。
小さく身体を震わせながら、彼は静かに泣いていた。死への恐怖に負けた、死んでもいいと思えるほど自分は羽香奈を愛していなかった、と思ってしまったのかもしれなかった。
だけど向日葵はそうは思わない。あのまま死んでも、羽香奈は喜んだりしない。むしろ自分が秋乃を殺した、と自らを責め続ける事になるに違いなかった。……今の秋乃のように。
「秋乃くんは生きるんよ。自分から死ぬなんて、絶対に考えたらあかんの」
羽香奈はキミの死は望んでないんやから。
向日葵は心の中で呟いた。
「ねぇ……羽香奈の『思い』に気付いていれば、彼女は死んだりしなかったのかな。僕が彼女を殺したのかな。ねぇ、向日葵。僕は何をすべきで、何を選んではいけなかったのかな」
「秋乃くん……」
「僕が、彼女を殺したんだよね……僕が」
自分を責め続ける秋乃の背中を、子供をあやすように何度も撫でる。
どうしてあの時、羽香奈を止められなかったのだろう。自分が代わりに覚えている、とはっきりと言ってあげられなかったのだろう。後悔ばかりが浮かぶのは、向日葵も同じだった。
だからこそ、今度は間違えない。
「忘れんよ」
夢摘羽香奈。名の通りに儚く死んだ、とても大切な友人。
彼女の事を忘れない。
力の限りに自分の記憶に刻み込んでいった。だばだばと流れる涙はまるで血のようで、記憶を刻むためにナイフをつきたてた部分が、作業が進むにつれてじくじくと痛み出してきた。
「秋乃くんも、羽香奈も。他のすべてをウチは忘れんよ。全部覚えてる」
絶え間なく流れる血はどしゃぶりの雨のようで、三人で笑っていた最後の日を思い出す。
けれど向日葵はやめない。未来の自分が、夢摘羽香奈を忘れる事を許さない。彼女が誰を愛して何を好んで、どうして自ら命を終わらせる事を選んだのか、それらの忘却を許さない。
それが自分の役目なら、こんなもの痛くなどなかった。それさえできなくて、羽香奈は絶望して死を選んでしまったのだから。痛みを感じられると思えるうちは、痛くも何ともない。
むしろくすぐったいくらいだ。
彼女が忘れたくなかった秋乃の事も、全部ひっくるめて自分が向こう側にもっていく。
いずれ来る終わりの向こう側を、二人に見せてあげたかった。
たとえそれが向日葵の記憶に残る残像でも、向こう側を見せてあげる。
記憶と共に誓いを刻む。
この痛みが、羽香奈の悲しみの記憶こそが。
からっぽで孤独な自分を、終わりの先で支えてくれる気がした。
夏草向日葵の『最後の夏』は……まだ、遠い。




