11 調子に乗る彬人
「ええっと、それはなんかのコラ画像?」
翡翠はこめかみに一筋の汗をかく。何とかごまかす方法はないだろうか。
「違う。違う、経済学部の子も見たって言ってたよ! カピバラがトイレに向かって疾走する姿。これコラじゃないよ!」
「いやいや、まさか?」
翡翠は必死で首を振る。
「だから、生命科学科から逃げてきたんじゃないかって話になったんだけど。カビパラなんていない言うんだよね」
「カピバラじゃなくて、大きなモルモットじゃない?」
「いや、これどっからどう見てカピバラでしょ」
確かに見間違いようがない、彬人だ。
「あのバカがっ」
翡翠は小さく悪態をつく。
「ん? 何か言った?」
「ううん、なんでもない」
フルフルと首を振る。どうしてあいつのためにこれほど気をもまなければならないのか。やはり、キルケの洋館で見捨てて帰ってくればよかった。
「実はこれ幸福のカピバラさんって言われてて、この子を見かけるといいことがあるんだって。だから捕獲されないでほしいな」
美佳がふんわりと笑う。
「あはは。うん、確かに! 絶対に捕獲されてはいけないよね」
翡翠は力ずよくうなずいた。
「だよねえ。私もこのかぴちゃんに会いたい。翡翠も会いたいでしょ?」
もうとっくに会っている。なんなら面倒ごとしか持ってこない。カピバラになって手がないから丹薬が飲めないだの、なんだのと。
「そ、そうだね、いいことあるといいね」
この時初めて彬人を野放しにしていることに危機感を抱いた。しっかり監督せねばなるまい。
こういってはなんだが、この大学は都内でも有数の名門校だ。つまり全国的に見てもかなり偏差値の大学である。それなのに、彬人はなんでこんなにバカなんだろう?
いや、勉強だけはできる馬鹿というものは一定数いるものだ。
「あいつ親のコネ使って裏口入学か?」
その後、食事を済ませると慌てて彬人を家に呼び出した。
◇◇◇
「ごめんください。西園寺です」
よそいきの笑みを浮かべて彬人が立っていた。
「遅い!」
玄関先で翡翠はさっそく文句をつける。
「しょうがないだろ。5限まであったんだから。で、今日はおばさまは?」
「私だけよ」
「なんだよ。お前だけか」
そういって彬人は愛想笑いを引っ込める。何この切り替えの早さ。腹が立つ。
家に入れるものいやだが、玄関先で言い争っていても仕方ないので、居間
に通した。
「あんた、麦茶と緑茶どっちがいい?」
「二択かよ。冷たい麦茶がいい」
ちょうど栗蒸し羊羹があったので、お茶うけに出した。
まあ、一応彬人は翡翠にとっても上客だ。というか彬人は好き嫌いがないらしく出されたものはすべておいしくいただく。ここにきて味音痴疑惑がわいてきた。
彬人は喉が渇いていたのか一気に麦茶を飲みほし、栗蒸し羊羹をむしゃむしゃ食べると話し始めた。
「気軽に呼び出すなよ。俺、今から合コンだったんだけど」
突っ込みどころは多々あるが、取り合ず深呼吸して気持ちを落ち着かせ、呼び出した用件だけを告げる。
「あんた自分の用事があるときはすぐに呼び出す癖に何言っての。それより、大学にカピバラが出るって騒ぎになってるよ」
「ああ、幸運のカピバラさんだろ?」
まんざらでもなさそうな顔で微笑む。知っていて放置?
「バカじゃないの? 写真撮られてSNSで晒されてるよ」
「マジか。俺もとうとうそこまで有名に。ふふふ、まいったな人でもカピバラでも注目の的かよ。無自覚に愛されるとか。別にいいんじゃない?」
愉快そうに彬人は言う。
「騒ぎになったら、大学があんたを捕獲しようとするでしょ」
彬人がくわっと目を見開く。
「駄目だろ! 幸運のカピバラさんを捕獲なんてしたりしたら!」
ここにきてやっと事態の深刻さに思い至ったようだ。
「あんたどれだけ頭の中ハッピーなのよ」
頭痛がしてきた。もうすでにここまでの会話だけで疲れを感じている。彬人は顔がいいだけの正真正銘のバカだ。
「それから、合コンもダメ!」
ここは、しっかり釘を刺さなくてはなるまい。
「なんでだよ!」
「お酒を飲むことによって薬がどう作用するかわからないでしょ?」
「それなら平気、俺、週二で合コン参加してるから。全く問題なかった。てか、この栗蒸し羊羹うまいんだけど、麦茶とセットお代わりないの? お前からの呼び出しだし、俺慌ててきたから喉からからなんだ」
「図々しいにもほどがあるだろ!」
とは言ったものの、もの欲しそうに翡翠の蒸し羊羹を見る彬人をほおっておけず、とりあえずセットでお代わりを出してやる。どうもこいつとカピバラの姿が重なる。
「やった!」
満面の笑みで喜ぶ彬人に癒されるどころかイライラが募った。顔だけはいいのにいろいろアウト。
「学校でカピバラになるくせに何が問題ないのよ」
「だーかーらー、合コンで三次会にもなれば酔っ払いばかりだから、隣にカピバラがいても『お前酔ってんじゃねえ?』ですむんだよ。ほら、俺いま、一次会の途中でお持ち帰りとかしてないから。そのせいか男の友達増えたんだよなあ。合コンの声がかかりまくっちゃって。女子だけでなく、男子も魅了ってやつ?」
突っ込みどころも多すぎるし、あきれてものも言えない。もうこいつ一生カピバラでいたほうがよかったんじゃないかな。
「あんた人寄せパンダじゃない。とりあえず、合コンの回数は減らしなさい。それから、私が作る呪符を買うために五千円用意して」
腹が立つのでちょっと吹っ掛けるか。
「はああああ? ちょっと待てよ。お前、俺に呪符を売りつけるために呼び出したのかよ!」
「違うわよ! カピバラ化する5分前になると燃えるようなの作るから。事前に隠れれば写真撮られて晒されないで済むでしょ?」
「ちょい待ち、値段が高い! 千円に負けて! 俺、お前から一つ三千円の丹薬かってんだけど? 風呂代二千円だし。マジで足元みすぎ」
「しょうがないわね。紙と墨と巫力を使うから相場は五千円なんだけれど、千五百円に負けてあげる」
「え? それ、実質墨と紙代しか、かからないんじゃね?」
彬人のくせに鋭い突っ込みだ。
「霊験あらたかなものなのよ。ありがたく思いなさい」
「そういや、お前、同級生にいろいろ茶を紹介してるって噂をきいたんだが、まさか学校で商売してねえよな」
パリピだけあって情報網は広いようだ。
「何のお話でしょう?」
翡翠はすまして答えた。
「怖えよ……。まじ、大学に何しにきてんの? 商売? お前んち金あるだろ。どう考えても金持ちの娘だよな。いくら都下だっていったってこの家屋維持費とか固定資産税だけでもたいへんだろ? うちのおやじならつぶしてビルたてるかマンションにするぞ」
彬人が全力でひいている。というか金持ちのボンボンだけあって固定資産税とかポンポンと出てくる。
「とりあえず、遊ぶのが楽しいのはわかるけど、合コンはせめて週一にしておきな。まあ別にあんたは私の客だから、薬の効く範囲内でカピバラになっても構わないけれど、リカバリー効かなくなったら、知らないよ」
「わかった。で、さっきいってた呪符だけど。もちろん10枚セットで千五百円だよな?」
なるほど、それなりに知能はあるようだ。裏口入学疑惑が少し薄まった。
「はあ、しょうがないなあ」
ちなみに実家の神社では、翡翠の作る呪符は結構高値で売られている。きっちり効き目があるからだ。実はそれほど暴利でもない。が、こいつはその価値をわかっていない。
「そうそう、私、そろそろ実家に帰って手伝いしなくちゃならないから、あんたもあまり無茶しないようにね」
「は? 大学はどうするんだよ?」
「ちょっと休むかな。出席とらない授業もあるし、どうにかなるよ」
「ちょっと待て。俺に何かあったら、どこに逃げ込めばいいんだよ! 俺はわざわざお前のうちの近くまで越してきたんだぞ!」
「あのねえ、私はあんたのお母さんじゃないんだよ。そこまで面倒見る義理ないから」
興奮する彬人に噛んで含めるように伝える。
「そんなこと言うなよ、翡翠! どこだよ、お前の実家!」
彬人が縋り付くように抱き着いてくる。
「だから、翡翠いうなって言ってんだろ!」
言葉と同時に翡翠は彬人に頭突きをみまった。
忙しいので、更新頻度落ちます。