解除薬も素晴らしい
うーん。こんな感じかな。報告書って苦手なんだよね。そもそも文字が書けなかった人間に、難しい言葉を羅列させるのはおかしいと思う。国家魔導士の大多数が貴族だから、文字を書けない人間がいるとは思ってないんだろうけど。平民の方が人口は多いから識字率って二割くらいじゃない? 商人は契約書を書くから三割くらいかな。とにかく私は頑張ってるよね、うん。
いつもならユリエに推敲をお願いする所だけど、今回は出来ない。これを長官に直接渡すのか。何だか気まずい。色々指摘されるのも嫌だな。提出してすぐに魔法石で自分の部屋まで戻ってしまおうか。いや、それは部下として失格か。
元々依頼されていた魔道具と保管用魔道具も無事完成した。長官の家にあった食事を劣化させない魔道具の作り方を教えて貰ったのだ。そのものは到底私が作れる物ではなかったけれど、どのように加工したらいいかがわかった。長官も私が抱えている仕事を知っていたから快く教えてくれたんだろう。
王女殿下の持ち物として不自然にならないように華美にしてみたけれど、気に入ってもらえたらいいなぁ。気に入らない、やり直しってなる可能性の方が高いか。見た目の問題だけなら、綺麗な宝石箱を買って中にしまって欲しいわ。
だけど、仕事終わりに自宅にいる事が不思議でならない。たった十日間通っただけなのに、危うく長官の家に飛びそうになった。長官は何故か三番目の魔法円を消さなかった。私が来る事を察せたのだから、飛べないように長官側で何かしているんだろう。
あぁ、美味しい珈琲の入れ方を聞きそびれた。高級豆だったらそれでおしまいだけど、絶対に焙煎が違うはずだ。そもそもカフェインは生豆から除去しないといけないから、それさえも魔法で処理している可能性がある。うーん、考えただけで難しそうだ。そもそも珈琲は料理人が淹れたと言っていたから、再現は難しいかも。
長官との夕食はいつも美味しかったなぁ。久しぶりの総菜も美味しかったけど、やっぱり違う。これが料理だけのせいなのか、長官の存在のせいなのか。後者はあまり考えたくない。
昨日は特に何も問題なさそうだった。仕事中に様子を見に行くのも不自然かなと我慢したけど、少し気になる。今までなら長官と会わない日の方が多かったのに。
明日は依頼の魔道具と報告書を渡す予定だから会える。きっと実験前と同じ、無表情な長官。それが当然なのに、期待してる自分がいる。普段と同じでいいと思うのに、少しお洒落しようかなと思ってしまう自分が嫌だ。
長官は今回の実験によって恋愛感情を知ったのだから、きっと素晴らしい相手を見つけるに違いない。魔道具の事ばかり考えているけれど、実力は国内随一だし、お金持ちだし、端正な顔立ちだし、根は優しいし。言い寄られて落ちない女性はいないだろう。独身を貫いていたのだから、妙な女性を避ける目もあるはずだし。
やめた。これ以上長官の事を考えていても仕方がない。村の事について考えよう。隣国との戦争がどうなっているのか、村の再建は可能なのか。村の皆はちゃんと葬られているのか。
葬られてはいないよね。何もかもを焼き尽くすような大きな炎だった。通常の火事ならまだしも、あれは火魔法。魔導士の魔力によっては人骨まで焼き尽くすと聞いた。だから私は一度も村へ帰らなかった。焼き尽くされた残骸を見るのが怖かったから。自分だけ生き延びてしまった事を受け止められない気がしたから。
だけど今なら向き合える気がする。国家魔導士として働き、多少は国の役に立っているはず。生活魔法も少し覚えた。お一人様宣言をして漠然と貯蓄をしてきたけれど、村の皆を弔うのは生き残った私にしか出来ない。シェルツ村は居心地のいい場所だった。今のような恵まれた生活はしていなかったけれど、ささやかな幸せがあった。王都の人間は田舎を見下しているけれど、田舎には田舎のいい所がある。
生活魔法を応用して編み込んだ髪はおかしくないかな。今までしなかった事をして長官に笑われたらどうしよう。いや、ここまで来たら会うしかない。
「カルラです」
「入れ」
「失礼します」
実験を持ち掛けられた日も同じやり取りだったなと思いながら扉を開けると、二日ぶりの長官がいた。相変わらず机の上は書類の山。だけど落ち着かないと思わなくなってる。困ったな。
「依頼された魔道具と例の報告書です」
「あぁ、そのテーブルの上に置いてくれ」
長官の机の上は書類だらけだから受け取る場所がない。前回腰掛けたソファーには座らず、物だけ置いてさっさと帰ろう。
「保管用の魔道具は上手く出来たのか?」
長官が席を立ってこちらに歩いてくる。解除薬を飲んでも記憶は残っているんだ。想定してはいたけど。恋心だけ消すってどういう仕組みなのかな。
「はい。確認をお願いします」
長官がソファーに腰掛けて魔道具の確認を始める。長官は魔力を通して確認をしているけれど、この仕組みも良くわからない。
「問題ない。ご苦労だった」
長官は無表情だ。以前と同じ上司の顔。本当に惚れ薬の効果は相殺されたんだ。改めて実感すると複雑な気分。
「次の仕事の指示をお願いします」
暇を持て余すと余計な事を考える。出来れば精密な作業を要する仕事が欲しい。
「この魔道具の特許書類を纏めておいて欲しい。王妃殿下が興味を持たれている」
書類作成は一番嫌いな仕事じゃないか。ついてなさ過ぎる。
「場合によっては結構稼げるだろう。マカロンが毎日食べられるかもしれない」
いや、今のお給料でも毎日マカロンが買えないわけではない。貯蓄に回しているだけだし。
「その書類は急ぎでしょうか」
「いや、王女殿下が嫁がれるまででいい。何か他にやりたい事があるのか?」
「出来れば数日休暇を頂きたいのですけれども」
作業がないなら村へ行こう。気分転換に旅行というのは良くある話だ。今までした事はないけど。
「あぁ、今は急ぎの案件がないから構わない。後で休暇届を出しておいてくれ」
「わかりました」
ユリエと食事をした次の日から出かけようかな。片道何日だろう。田舎には転移魔法円を設置していないから、歩きか馬車だよね。王都に暮らしてから旅行なんてしてないから、所要日数も必要金額もわからないな。これはまず調べなきゃ。
「何処か行くのか?」
「個人情報は口にしない主義です」
「あぁ、そうだったな」
長官は無表情のままだ。決して悲しそうな表情ではない。きっとこれからは長官の無表情しか見られないのだろう。解除薬もいい仕事をしている。
「長官の体調が問題なさそうでよかったです」
「ん? あぁ。私が作った物だからな」
自画自賛なのは元々なのか。それは知らなかった。魔伝鳩も実はどこかで自慢げにしているのだろうか。私には上手く想像出来ないけど。
「カルラも色々と大変だっただろう。ゆっくり休むといい」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
わかってた。食事の誘いなんてないって。でも心のどこかで期待していた。一緒に食べないかって言われるのではないかと。薬の効果が切れた後の誘いなら前向きに考えてもいいかな、なんて私は一体何様なんだ。
髪なんて編み込まなければよかった。惚れ薬の効果が切れた長官に、少しでも可愛いと思って欲しいなんて馬鹿だ。長官が気付くはずなんかないのに。
エリーアスの裏切りを知った時以上に胸が苦しい。自分の男運のなさに泣けてくる。あぁ、ユリエに全てを話して慰めて貰いたい気分。契約違反の場合は長官の魔法で口封じされるはずだ。もうそれでもいいと思ってしまう程には気持ちが持っていかれてる。
って、駄目だ。ユリエに話したら彼女も巻き込んでしまう。私をここまで支えてくれた友人にそのような仕打ちは出来ない。あぁ、もう。どうしたらいいの?




