これは使命かもしれない
魔法を使う為に地下室へ移動したのはいいけど、今日も人型があるな。あれは隠す事が出来ないのだろうか。もう髪は生やさなくていいし。
「長官、今日の生活魔法は何を教えてくれるのでしょうか」
昨日は髪を纏めるだけで終わってしまったからね。基礎のない人間が一つの生活魔法を覚えるのに、時間がかかるのは仕方のない事。しかも使いこなせているのだから、次からはきっと覚えるのも早いはず。
「そうだな。少し基礎をやってみるか」
それは話が違わない? 生活魔法を使ううちにわかるって言ったじゃないか。あの本棚の本など絶対に読まないからね。あと数日で読める量なんかじゃない。
「そう睨むな。火をつける、水を出す。このような魔法の基礎は生活にも役立つだろう」
「魔道具を使わなくても火がつくんですか?」
「あの魔道具は魔力がない者向けに作られている」
確かにあの魔道具は魔力を流さない。ちょっと待ってよ。魔力を流さない魔道具って他に何があったっけ。あぁ、節約の為にあまり魔道具を買わないからわからない。村では魔道具なんてなかったから何でもやってたんだよ。火だって火打石で付けられるし。
「例えばこの桶に水を汲むとしよう」
物が散乱している中から、長官が桶を取り出したけど、埃が被っている。そこに水を溜めてどうするの。汚くないかな。
「あぁ、こういうのも出来るぞ」
うわ、埃が消えた。え? どういう事?
「今の魔法は少し難しいから今度にしよう。とりあえずここに水を張る」
長官がくるりと指を回したら、水が一瞬で桶の八割まで溜まった。これは量も自分で調整するのかな。
「ちなみに温度調整も出来る」
長官がもう一度回したら、桶から湯気が立った。え? 一瞬でお湯に変わった?
「一瞬で沸くのですか?」
「あぁ、沸かすのは難しくない。適温にするのは少し難しいが」
そう言って長官は再度指を回す。一体桶の中の水は今何度だろう?
「触ってみるといい。体温より少し高いくらいになったはずだ」
「火傷したりしませんか?」
「私が温度調整に失敗するはずがない」
まぁ、それはそうでしょうね。夕食も適温に保温されているし。だけどこの桶も大変だな。冷たいと思ったら熱くなって、お。丁度いい。ここに布を浸せば身体が拭ける。
「便利ですね」
「掃除も出来る」
「えぇ? どうやって洗うのですか?」
水垢って結構面倒なんだけど、長官はそういう所までわかっているのかなぁ。
「汚さない為には、元の状態に戻せばいい」
長官がくるりと回せば桶から水が跡形もなく消えた。嘘だ。水滴がひとつもない。完全に乾いている。確かにこれなら水垢が蓄積する暇もない。そして何より水を汲みに行くという行為から解放される。何て素晴らしいの。
「ちなみにこの水は飲めますか?」
「飲めるが、飲みたいのか?」
長官が訝しげだ。使用人がいるなら水なんて誰かが汲んできてくれるでしょうけど、私は井戸まで汲みに行かないといけないんだよ。
「井戸まで行く手間を省きたいです」
「庭まで行くのが面倒なのか? カルラが面倒臭がりとは知らなかった」
この人しれっと庭って言ったよ。貴族は庭に井戸が普通なのか。平民にはその発想がない。そもそも私の部屋は共同住宅の一室で庭なんかない。転移魔法円の魔法石を手に入れたから、片道だけで済むようにはなったけど。
「長官が平民の生活を御存じないのはわかりました。平民の家に井戸はありません」
「そうなのか」
「そうなのです」
平民と貴族の溝は深いな。平民の中でも豪商とかいるから一概には言えないけど、この国の大半は私と同じ生活をしているはずだ。
「それは大変だな。それなら不便に感じている事を何でも言ってみるといい。可能な限り生活魔法を教えよう」
あぁ、長官はいい人だな。貴族だからと驕ったりしない。それだけでなく私に必要な生活魔法を教えてくれるなんて。
「私には生活する上で何が不便なのかわからない。カルラが色々と習得をし、それを魔道具へ落とし込む事が出来れば、皆の生活が豊かになるかもしれない」
「生活が豊かに?」
「本来、魔道具は生活向上の為に作られるべきものだと思っている。戦争の道具など作っていても心が荒むだけ。皆が喜ぶ物の方がいい」
「しかし、それでは国はいい顔をしませんよね?」
私達は国家魔導士だ。国というより王家の為に仕事をしなければいけない。そして王家は何故かやたらと戦争が好き。領地を奪う為に失うものが多すぎると思うのだが、平民の命など王家にとっては何の価値もないのかもしれない。だから魔道具も戦争の道具か王族の身の回り品ばかり。
「どうして今回の政略結婚が成立したと思う?」
質問に対して、全然違う質問が返ってきた。いや、長官は話のわかる人だ。多分私の質問に繋がってるはず。
「いくつも戦争が出来ないからですよね?」
「それを突き詰めると、金がないに辿り着く。つまり収入が増えるような魔道具なら受け入れられる」
そういう事か。国家魔導士が作った魔道具は特許を取って一般に売り出す時、売り上げの一部を国に納めなければいけない。理不尽な気もするが、国が課す税金よりは安い。それに国家認定があると売り上げが違う。
「どうして誰もそれを作ろうとしないのですか」
「平民が何を求めているか、誰も気にしなかったのだろう。私もその一人だ」
うわー。思った以上に平民と貴族の壁が厚い。そもそも戦場へ連れて行かれる平民国家魔導士が多いから仕方がないのかもしれないけれど。
だけど視点を変えれば、これは私に課せられた使命なのかもしれない。なんて、大袈裟か。そもそも私はまだ何かを閃けない。長官の惚れ薬効果が切れたら魔法を教えて貰えないだろう。この短期間にどれだけ吸収出来るか。必死にやらなければ。使命かはおいといて、私の隠居生活はかかっているんだから。
「私、頑張りますので出来るだけ多くの魔法を教えて下さい」
「急にやる気になったが、どうした」
「私は元々やる気ですよ。髪を纏められる魔法は本当に便利だと思っています」
長官の表情が和らいだ。何故だ。長官の感情の動きがいまいち読めないな。
「それならまずこの桶に水を。目標は八分目だ」
先程の長官と同じ量。えぇっと、指先に集中してくるりっと。
「あぁあー。申し訳ありません」
少量のつもりだったのに桶から溢れた。桶の七倍の水は出た気がする。そのせいで長官の服がかなり濡れてしまった。いやだ、どうしよう。拭くものなんて持ってないよ。
「やはりまだ早かったか」
長官が笑顔で魔法を使うと一瞬で乾いた。私が出した水さえもどこかに消えてしまった。そうか、濡らしても平気だったんだ。よかった。
「カルラ、人を濡らしておいて安堵するな。もう一度」
「はい」
七分の一にしたらいいから、これくらいかな。って、また溢れた。どうして?
そして淡々と乾かす長官の表情が少し硬い。あぁ、この魔法が私には向いていないのかな? 嫌だ、井戸まで行かないようになりたい。
「やり方を教えないと使えないようだな。手を出して」
あぁ、そうか。昨日は長官が調整してくれたのを身体で感じて理解をした。私の頭は何も理解していない。残念仕様だからここは長官に委ねよう。
「いいか、これくらいだ」
む、かなり少ない。髪を纏めるよりも少ない量だなんて思わなかった。それなのに桶の八割に水が満たされた。
「よし。属性ひとつの場合は魔力消費量が少ない。複数混ぜる時は反発があるから必要魔力が増える。だから攻撃魔法は単属性で威力を上げる」
あぁ、そういう基礎が必要なのね。全く知らなかった。
「でもこれくらいの魔力で済むのなら、魔道具も安価に作れそうですね」
「それは任せる。悪いが私は協力出来ない」
長官は魔伝鳩を作れる程の人だ。生活用の魔道具など周囲が作らせてくれるはずがない。私にくれた物と同じ転移魔法円を描く仕事もかなりあるだろうし。
「それはわかっています。ですが、困った時は相談してもいいですか?」
「あぁ、いつでもいい」
これは実験後でもいいという了承なのだろうか。元々長官がどれほど忙しい人かわかっていないから、気軽に行っていいのか難しい。それよりこの距離感は何とかならないかな。
「ありがとうございます。それと、いつまで手を握っているのですか?」
「ん? 別に何も減らないのだからいいだろう」
確かに何か減るわけではないが、長官と手を繋いでいても仕方がない。微妙に魔力が混ざっているのも気になる。何だろう、これ。
「水温調整も教えよう」
あ、それも知りたい。水を沸かすのって結構面倒なんだよね。一旦離すと繋ぎ直すのが面倒とかそういう事だったのかな。まぁ、いいや。とにかく魔法を習得しよう。