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「これが? かさねが俺に見せたかったもの?」
そんな竜伸の言葉にかさねは、ふっ、と微笑んだ。
「今さらですけど……目を閉じて下さい」
「え? なんで?」
「いいから、閉じて下さい!」
「こ、こうか?」
「開けちゃダメですよ」
かさねが、竜伸の手を引いて進んで行く。
靴の裏から伝わる感触で橋の上を歩いているのが分かった。
ふたりの靴音だけがコツコツと響き、街の喧騒が遠くの方でぼんやりと聞こえる。
ここに来るまでの喧騒がうそのように橋の上は静かだ。
やがて、かさねが立ち止まった。
握った手をそっと欄干の上に載せると
「もう、目を開けていいですよ」
閉じた目を竜伸がゆっくりと開く。
まぶしい……いや、
「……おお! すげぇぇ…………な……」
竜伸は、思わず歓声を上げ、そして――言葉を失った。
橋の下を流れる運河の奥、地平線に吸い込まれるように続く街並みの向うに沈みゆく太陽が放つ真っ赤な光が燦然と輝いていた。
それは、同じものを決して再び見る事の出来ない自然の事物が刹那の瞬間にだけ見せる美しさ。
今、目の前にあるのは、そんな究極の「美しさ」なのだ、と竜伸は思った。
「……俺、上手く言えないし、なんて言っていいのか見当もつかないけど…………この世界の夕日も……こんなに綺麗なんだな」
「気にいってもらえましたか?」
「ああ。ありがとうな、かさね」
「どういたしまして。この橋は、私のとっておきなんですよ」
かさねがにっこりと微笑んだ。
「でね、竜伸さん。私……」
夕日を眺める竜伸に、そっと身を寄せかさねが囁くように言う。
風にそよぐ髪と夕日が作りだすコントラストの中で澄んだ瞳がきらきらと光っている。
思わず見とれそうになるが、その瞳はまっすぐに竜伸を見つめていた。
「嫌な事とか悲しい事があって一人になりたい時、よくこの橋に来るんです。この橋の真ん中に溝が二本あるの分かりますか?」
「ああ、あれな……」
と言って竜伸が視線を向けた先には、石畳の中央をまっすぐ対岸に向って走る二本の溝が見える。
一目見て、竜伸の脳裏にある事がひらめいた。
これは――
「そうです、市電のレールの跡です。昔、この街が今よりもずっと小さな街だった頃、この橋が街の中心だったんです。その頃は、この橋の上を市電が走っていて、この運河のまわりにも、お店がいっぱいあってとても賑やかだったそうですよ。
お祭りの日には、この橋の上を飾り付けした花電車とかネオン電車が走って一晩中にぎやかだった、って比売神さまがよく話してくれました」
石造りの欄干を撫でつつ、かさねは少し寂しげに微笑んだ。
「でも、街が大きくなって中心が国鉄の駅のまわりに移ってからは、この辺はだんだん寂れてしまって……みんなこの橋の事を忘れてしまったんです。
まあ、この橋がこの街の中心だったのは百年近く前の事ですから、無理もありませんよね。
でも、神さま達が昔の事をよく覚えていて、比売神さまもこの橋の事をとても大切にしてるんです。
神さま達は昔を懐かしがってこの橋の事をこう呼んでます――」
――『思い出橋』って
「この話を比売神さまに聞いてから、私これまで以上にこの橋の事が好きになりました。
だって、比売神さまと女将さん、それに金色堂のみんなと同じくらい、この橋は私の事を見ていてくれたんですもの。
辛い時、悲しい時、その時々の私の思い出が、この橋にはいっぱい詰まっているんです。私にとっても、この橋は大切な『思い出橋』なんです」
かさねは、そう言って愛おしげに欄干を撫で、そっと頬を寄せた。




