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第29話 裏切り者の金貨が溶け付いた銀の聖遺骨函(No.040)

二十三日目の昼、二十層の中立市場の中央掲示板の前では、上層から舞い込んだ白い羊皮紙の号外や競売のビラが、乱れてはためいていた。二十四層の水門監察官ローガンが、夜のうちに何者かに洗いざらい暴かれ、横領帳簿ごとギルド監察所に放り込まれたという知らせが広まり、ローガンと裏取引をしていた中間商人たちが、市場のあちこちで荷造りに慌ただしく走り回っていた。


うちの修繕の露店にも、その騒ぎの余波はすぐに届いた。正午を過ぎたばかりの頃、脂ぎった絹のベストを着込み、指という指に金の指輪をはめた男が一人、きょろきょろしながら天幕の中へぬっと入ってきた。二十七層の夜間競売場に盗品や遺物を納めている、下請けの仲買人だった。


「ここが噂の一層の修繕屋の露店かね? 明晩の二十七層の競売に出さにゃならん急ぎの品が一つあるんだ。割り増しはいくらでも出すから、今日の日暮れまでに、見事に手を入れてもらいたい」


仲買人が汗に湿ったハンカチをほどき、作業台の上に置いたのは、手のひらほどの大きさの六角形の銀の聖遺骨函(No.040)だった。もとは遠征で戦死した聖騎士たちの遺骨の灰と名札を納めて、本国の聖堂へ送り返すための、神聖な器だった。


ところが、作業台の上に置かれたこの聖遺骨函は、状態が奇怪きわまりなかった。銀細工の蓋と本体の継ぎ目いっぱいに、黄色く濁った溶け金が膿のように溶け付いて蝶番を完全にふさいでおり、その溶け金の隙間からは、屍毒特有の青黒い錆が黴のように滲み出していた。


「見てのとおり、表に金箔の飾りを少し施そうとしたんだが、火加減を誤って蝶番が焼き付いちまってな。蓋は開ける必要はない。この青黒い錆が見えなくなるように、その上にもう一層、厚く金を塗ってくれ。前面に引っかかれた古い名前の文字も、溶け金できれいに埋めてしまってくれよ」


仲買人は銀貨十枚の入った袋を作業台の上にぽんと放り、尊大に顎をしゃくり上げた。天幕の隅で副隊長の白銀の認識票(No.027)を磨いていたペク・ユラの目つきが、冷たく沈んだ。戦死者の名前を消してくれという言い草が、彼女の逆鱗に触れたのだ。


俺はペク・ユラに目配せで、少し待つようにと合図を送ってから、黒い木綿の布を巻いた左手を伸ばし、聖遺骨函(No.040)の冷たくべたつく表面を、そっと包み込むように握った。


すぅぅ――


手のひらの木綿の布越しに、吐き気を催す黄金の臭いと屍毒の冷気が肌に食い込み、1年前の遠征の夜にこの遺骨函が味わった、むごたらしい記憶が浮かび上がってきた。


屍の穴の近くの、打ち捨てられた野戦天幕の中だった。四十層の遠征で戦死した若い聖騎士の仲間たちが、彼の遺骨の灰をこの六角形の聖遺骨函に丁寧に納めて後方の補給路へ送り出したというのに、補給路を横取りした水門監察官ローガンの手下どもは、蓋を乱暴にねじ開けると、中の遺骨の灰をどぶにそのままぶちまけてしまった。


『遺骨なんぞが金になるか! この銀函は細工が実に見事だ、中に密輸した不良金貨を溶かして詰めて、二十七層の貴族どもに装身具箱として売り飛ばそうぜ!』


略奪者たちは、戦死者の遺骨が納まっていた場所に、屍毒に汚れた盗品の金貨を注ぎ込み、焼き鏝で溶かして蓋を封じてしまった。すると、銀の板に宿っていた戦死者の最後の祈りと、不良金貨の屍毒とがぶつかり合い、1年のあいだずっと、青黒い毒気の膿を吐き出し続けていたのだ。


俺はゆっくりと目を開け、六角形の聖遺骨函から左手を離した。木綿の布の内側の黒い烙印が、不快な毒気を吸い上げるせいで手首の上まで熱く疼き、左のこめかみから髪が一筋、またも白く色を失って頬の上へ流れ落ちた。


「どうだ? 金を一層塗り足すだけなんだから、半日もあれば十分だろう?」


仲買人が、金の指輪をはめた手で作業台をこつこつと叩いて急かした。俺は答えの代わりに、移動式修繕背嚢(No.035)から、いちばん重く鋭い九十九層の鋼の音叉の鏨と、鉄槌を取り出した。


「お客さん、この器は、表に金を塗り重ねたところで錆が止まるような代物ではありません。原因を根こそぎ抉り出さなければ」


「原因を抉り出す? それはどういう……待て、今、槌で何をしている!」


仲買人はぎょっとして手を伸ばしたが、ペク・ユラが一歩前へ進み出て、長剣の鞘で仲買人の行く手をぴたりとふさいだ。鞘の先から滲み出た冷ややかな寒気に、仲買人は思わず後ずさった。


俺は短く息を吸い込んでから、左手で遺骨函の本体を花崗岩の金床の上にしっかりと固定し、右手の鉄槌で音叉の鏨の頭を、正確に打ち下ろした。


カアァン――!


澄んで冷ややかな音叉の高周波の振動が、花崗岩の金床を震わせ、溶け金の継ぎ目に食い込んでいった。一度、二度、三度。二十年前、九十九層の首席調律師の工房で、汚染された魔石の鎧の外皮だけを叩いて剥がしていた、精密な破砕の技法だった。


俺の槌が続くたびに、本来の銀細工の本体は毛一筋ほども傷つかず、その上を覆っていた黄色い盗品金貨の殻と青黒い屍毒の錆だけが、蜘蛛の巣のようにひび割れて、ばらばらと割れ落ちた。鏨の先から弾けた澄んだ火花が、天幕の中の暗い空気を切り裂き、屍毒特有の吐き気を催す臭いを一瞬で焼き払った。


バキィッ!


最後の五度目の打撃とともに、蝶番をふさいでいた不浄な黄金の塊が真っ二つに割れ、床へ転がり落ちた。そして、黄色い溶け金の下に閉じ込められて息を殺していた、本来の純白の聖遺骨函(No.040)の表面と、その前面に端正に刻まれた戦死者の名前――『第37層選抜護衛隊 聖騎士エヴァン、最後まで盾を離さず眠る』という刻印が、まばゆく現れた。


「こ、この狂った修繕屋め! 俺の金を全部ぶち壊して、死んだ奴の名前を掘り出してどうしろってんだ! これじゃあ二十七層の競売場に、装身具箱として売り飛ばせんじゃないか!」


仲買人は青筋を立て、床に落ちた不良金貨の欠片を拾い集めようと腰をかがめた。俺は音叉の鏨で、床の金貨の欠片のど真ん中をこつんと突いて押さえつけ、冷ややかに口を開いた。


「死者の家を壊して盗品の金庫に使うような修繕は、俺の店では扱いません。たった今砕いた金の殻は屍毒に染みて、二十層市場の衛生法でも全量廃棄の対象ですし、本来の聖遺骨函は、ご覧のとおり錆ひとつなく綺麗に直りました」


俺は作業台の上の銀貨十枚のうち、ちょうど三枚だけを右手でつまんで引き出しに入れ、残りの七枚と砕けた金の殻の袋を、仲買人の前へ押しやった。


「銀細工の洗浄と蝶番の調律の代金として、銀貨三枚だけいただきます。この遺骨函は、二十層のギルド遺族返還所へ正式に引き継ぎますので、お客さんはその盗品の金の屑でも拾って、二十四層のローガン監察官が入った牢の隣へ行かれてはいかがです」


「な、何だと? こ、この野郎、よくも……!」


「まだお話しになりたいのでしたら、こちらで今すぐギルドの監察官たちをここへお呼びしましょうか? ちょうど第14層から上がってきた監察記録の写しも、そこに用意してありますし」


ペク・ユラが腰の銀灰色の長剣の鍔を親指でカチャリと押し上げ、冷ややかに笑った。顔を真っ白にした仲買人は、自分の分の銀貨七枚と金の屑だけを慌てて引っつかみ、振り返りもせずに天幕の外へ逃げ出していった。


「ふう、胸がすっとしました! あんな悪いおじさんは、ハルにがっちり噛みつかせなきゃ、懲りないのに!」


シオンが箒で、仲買人の踏んでいった足跡をごしごしと掃き出しながら、鼻息を荒くした。俺は澄んだ銀の輝きを取り戻した遺骨函の前面の刻印を、柔らかなネル地の布でもう一度拭いてやってから、清潔な白い木綿の布で丁寧にくるみ、作業台の片隅の小さな追悼灯の下に置いた。


「ユラさん、今夜のギルド便で、この遺骨函も一緒に送ってください。名札がきちんと残りましたから、故郷の聖堂の家族の胸へ、無事に帰れるはずです」


「はい、ソドさん。副隊長の認識票(No.027)を見つけたときと同じで、待っていた人たちにとって、何よりの慰めになるはずです。死者の名前を守ってくださって、ありがとうございます」


ペク・ユラは追悼灯の前でしばし目を閉じ、騎士団の作法に則って、重々しく会釈を捧げた。灯りに照らされた彼女の横顔には、古い悲しみの代わりに、固く澄んだ決意が宿っていた。


日が暮れ、二十三日目の夜霧が市場を覆う頃、俺は前の主人の金庫帳簿(No.030)の隣に置いた自分の修繕台帳を開き、四十番目の欄に『No.040 裏切り者の金貨が溶け付いた銀の聖遺骨函 ― 不良メッキの破砕および殉教者の刻印の復元完了』と記し終えた。


台帳を閉じて万年筆のペン先を拭っていると、天幕の軒下に吊るした風鈴が夜風に揺れ、澄んだ深い余韻を残した。シオンは追悼灯の脇に小さな野の花を一輪挿したまま、こくりこくりと居眠りをしていて、ペク・ユラは居眠りするシオンの肩の上に、自分の外套をそっとかけてやっていた。


そのとき、天幕の隙間から、二十七層の競売場がばらまいた夜間本競売の最終出品ビラが一枚、夜風に乗って舞い込み、俺の作業台の上に降り立った。赤い封蝋の香りがほのかに染み込んだ、上質な羊皮紙のビラだった。


ビラの最下段には、赤い朱肉で鮮やかに押された、最後の出品項目が記されていた。


『第三保管庫 満期処分品 ― 二十年前、最も高き場所の工房から下りてきた修繕師が預けた、無銘の鉛箱(明晩真夜中、特別競売開始)』


「ついに明日の夜ですね、ソドさん。二十七層の競売場の周りに、四十層の監察団の人員が集まってきているそうですが……あの審問官の一行は、無事に箱を落札できるでしょうか?」


ペク・ユラがビラの赤い文字を見下ろして、低く尋ねた。俺は前の主人の金庫帳簿(No.030)に記されていたその保管庫の番号を指でなぞりながら、右手に巻いた白い火傷用のガーゼを、ゆっくりと撫でた。


「ツケを一枚たりとも、むざむざ踏み倒されるような人間ではありませんでしたよ。明晩の真夜中には、俺のツケの代わりを払いに上へ行った十四層の審問官が、あの二十七層の赤い競売場のど真ん中に立つことになるでしょう」


(『塔にただ一軒の古道具屋』第29話 了)

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※第一部・第二部(第1話〜第44話)完全収録オムニバス&機密設定資料集:

・BOOTH(公式書庫): https://spire-archive.booth.pm/items/9073638

・note: https://note.com/seodoyeon_spire/n/n17ce12ece663

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