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透明の向こう側  作者:
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 美樹が出てくるであろう改札のそばで真由はぼんやりと立っていた。全身の力が抜けて、そこに立っていられるのが不思議なくらいだった。

 最初から、有薗と決別するために彼女は東京へやって来た。駅へ迎えに来た彼の姿を見たとき、リラックスしきった姿でさえ愛おしいと感じると同時にその決意は揺るぎないものになった。自分はこんなにもこの人のことを好きになってしまっていた、もはやゲームを続行することなどできない。だからサヨナラ。美樹に心配をかけまいと気を奮い立たせるために自分で軽く頬を叩いて目を覚まさせた。ライブまで時間はたっぷりあったので、合流してからまずはゆっくりと時間をかけてランチを楽しみ、美樹の東京プランを聞いてその入念さに大笑いした。美樹は「とにかくお買い物三昧をしたい」としっかり東京でのショップ巡りのための下調べをしており「日本ではこの店でしか扱ってないねん」と輸入の高価な靴を散々迷って奮発したり、銀ブラをしてみたかったと銀座で楽しそうにはしゃぎ「どっちの色がいいかなあ?」とブラウスを両手に意見を求めたりして、真由にはちょうどいい気分転換になった。ちょっと休憩しようと、それも美樹が予め目をつけていた高層階のカフェに入って街を一望したとき、真由はかつて有薗と東京タワーからの眺望を楽しんだことを思い出し、軽く頭を振ってそのことを忘れようとしたが無理なことだった。土産を選んでいても、嫌でも彼を思い出す。彼が揃えてくれた各地の小さな人形。その締めくくりとなる東京の人形を、結局真由は選ぶことができなかった。そしてJAMANIAのライブ。神戸や大阪よりも三曲多く演奏され、熱くもありくだけてもいるMCにもたっぷり時間が割かれた。メンバーも客もものすごい熱気だった。真由自身も何度も隣とぶつかったし、美樹も何度か「最高」「楽しい」と口走りながら汗をかいていた。真由は一階後方の席から、ステージ全体を見ようとするのに、音楽に意識のすべてを傾けようとするのに、気付けば目は有薗を捉える。捉えては離し、また捉えてはまた逸らす。何度目かにその目に彼の姿を捉えたとき、真由は覚悟を決めた。ファンに戻るだけのだ。目を逸らさず、JAMANIAを、JAMANIAのSONOを好きでいればいいではないか。そう決めて東京へ来たのではないか。アンコールでのMCでは、短い言葉ながら、珍しくメンバー全員が熱っぽくツアーを終える感想やエピソードなどを語る中、SONOだけはいつもどおり淡々とした口調だったが「こうして集まってくれるみんなの声が俺たちのエネルギー源。支えてくれたファンのみんな、スタッフのみんな、ありがとう」とリーダーでこそないものの、最年長らしい気配りの利いた言葉を吐いた。うん、これからはファンとして、応援していくから。真由は心の中でSONOに向かって応えていた。

 夜行バスで神戸へ戻り、一旦自宅へ帰ってスーツだけ脱ぐとブラウスを着たまま、真由はドサリとベッドに倒れこんだ。本当は出勤まで時間がないのだが、どうしようもなく疲れていた。激しい緊張で心が限界だった。

 会場からの帰り道、バスを待つ間、美樹とはずっとずっとJAMANIAの話をしていた。無事に席が取れた美樹とバスで隣り合って座り、バスの中の照明が落とされるぎりぎりまで、周囲をはばかりつつもJAMANIAの話題ばかりだった。あの曲が好き、KOUのギターソロは神業、太田さんのキーボードはとてつもなく優しい、清水さんのMCが最高におもしろかったなどと純粋にファンとして感想を述べ続ける美樹が眩しかった。「付き合ってくれてありがとう。思い切って東京まで来てほんま良かった」と真由に礼を述べる美樹に真由は心の中で、こちらこそありがとうと感謝した。美樹の純真が真由の迷いを救った。おかげで私も、ファンの気持ちに戻れそう。バスではそう思った。しかし今こうして一人になって夕べのライブのことをなんとなく思い出しているうちにSONOが「みんなの声がエネルギー」と言った言葉に行き当ったとき「応援する」と言った自分を抱きしめてくれた腕を思い出した。もうあの腕に抱かれることはないのだと思うと胸が張り裂けそうに苦しくなった。ふいに仰向けで天井を見ていた視界が滲んだ。溢れる涙。

 自分の感情に封をし、泣くことを忘れていた女の頬に熱い涙が伝った。

 出勤の時刻が近づき、どうにか病院に遅刻を詫びる電話を入れるとようやくシャワーを浴びるために体を起こしたが、それまで涙の出るにまかせて時折うっと嗚咽を交えながら、体を小さくして泣きじゃくっていた。そうして一旦拭い去った涙は、自分の体に刻まれた彼の唇の跡を見て再び噴出し、彼女はシャワーを浴びながら床に崩れ落ちた。


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