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翌日、仕事を終えて遅くに帰宅すると同時くらいに携帯電話が震えた。ドキリとした。画面に点滅する「ソノさん」の四文字。「東京に来るんだって、ありがとう。びっくりした。そんなこと言ってなかったよね」飛び込んでくる声が本当に嬉しそうに弾んでいて真由は胸が苦しかった。どうしてこの人はこうも無邪気に自分がJAMANIAを愛し行動することを喜んでくれるのか。しかしそんなことはみじんも感じさせずいつもどおり軽妙な口調で真由は応じた。「友達がどうしてもファイナルを体験したいって急に言い出したの。ファン魂に火がついたみたい。ごおおおっと」真由の言葉に有薗が「燃えてるのか」とだけ言って小さく笑った。「チケット取れたの?完売したって聞いてたんだけど」「ネットオークションで買ったんだって」「そんなことしたの?高かったんじゃないの?」「うーん、残念だけど定価でした。いつかプレミアがつくくらい頑張ってください」「耳に痛いね。でもそんなことして買うくらいなら言ってくれたら良かったのに」「完売したチケットがなんとかなるもんなの?」「オークションなんかで買うって知ってれば絶対なんとかした」「ごめんなさい。私はオークションで買うのは反対だったんだけど」「僕こそごめん、真由さんを責めてるんじゃない。そこまでして来てくれるのはほんと嬉しいんだよ。ところで東京にはいつ来るの、前の日から来る?」「当日の昼くらい」「昼か。うーん。じゃあライブの次の日は?」「ライブ終わったら夜行バスで帰る」「ええっ、日帰り?」「うん、そんなに仕事休めないから」淡々と予定を話す真由に、有薗は「うーん」とうなったきりしばし黙り込んだ。「どうしたの?」「最終日に来るんなら真由さんにお土産渡そうと思ったんだ、ほらちっこい人形」「ああ、ご当地人形。嬉しいな、魅力的な話だな。でも仕事休みたくないし、それにもう帰りのバス予約しちゃった」「新幹線は?」「当日に買う」「だったら前の日に来ちゃいなよ」「仕事があるもの。最近忙しくて。今日もさっき帰ってきたとこ」「それは、遅くまでお疲れさま。こんな時刻じゃもう新幹線ないか」「最終は九時くらいだと思う」「それに乗れるように頑張ってみない?」「私が頑張ってもどうにもならないこともある」「ずいぶんクールだな」あくまで淡々としながらもさりげなく自分の誘いを断られていることにいささかがっかりした調子の有薗に、真由は慌てて「そんなつもりはないけど。どうしようもないこともあるから、仕方ない。クールって言うより諦め?」と言い訳を添えた。「諦めないで頑張ってみてよ」「でも約束はできない。この前神戸で会った時だってずいぶん遅れちゃったし」「僕は平気だよ」「ソノさんが気にしなくても、私が気にする」「じゃあ、僕は待たない。もし来てくれたらいいな、くらいに思ってる」「それって同じじゃないの?」「全然違う。期待して待ってたら、来なかったらがっかりする。期待しなければ、来てくれたらとても嬉しい」「私には同じだけプレッシャーです」「真由さんも、行けたらいいな、くらいに心に留めといてよ、ね?」優しい言葉と裏腹に押しの強さもあり、だんだんその気になってきた真由がぽつりと「行けたらいいな」と呟くと「そう、その調子」と嬉しそうな声が返ってくる。「もし来れそうなら新幹線乗るときにでも連絡して。来るならうちに泊まってくれていいから」おやすみの言葉を交わして電話を切って少し考えた。もし前日から東京に行くとなると、美樹とは東京で合流して東京で別れることになる。それもなんだか寂しいと迷った。しかし有薗に会いたいという思いもあった。自分のためにその後もツアー先で土産を買い集めてくれているのがとても嬉しい。人を呼ばないと言っていた彼が気軽に「うちへ泊まれ」と言ってくれたのもなんだか無性に嬉しい。何より、東京のファイナルで有薗の姿を見てはっきりさせるつもりだった自分の気持ちを、直接会って確かめることができる。JAMANIAのSONOではなく有薗智明という一人の男に会いたかった。もうあまり日がないので、真由は美樹に電話をしてみた。ツーコールほどですんなり美樹が応じた。「遅くにごめん」とまず詫びると、気にしてないという風に「いいよ」とあっさりしている。「JAMANIAのライブのことやねんけどさ、もうすぐやから」「うん、何?」「ライブの前の日の晩に東京行って友達の家泊まろうかなとか思って」「そうなん?じゃあ現地集合現地解散か。それはさすがに寂しいもんがあるなあ」「やろ?やっぱり断ろうかな」「でもせっかく東京行くんなら友達にも会いたいやろうしな、そうやなあ。じゃあ私も夜行バスで帰ろうかな。真由みたいにそのまま仕事行く元気はないけど。今からでも真由の隣の席って取れるかな」真由はバスのチケットに記載されている座席番号と電話番号を美樹に伝えると、おやすみと言って電話を切った。次に落ち着いて仕事の段取りを考えた。七月に予定されている災害対応訓練とそれを踏まえて実施される研修会に向けて高遠と二人、想定を練ったり講師依頼をしたり資料を作成したりと毎晩準備に追われて最近は帰りが遅い。どうやってそこから抜け出そうかとしばし真剣に頭を悩ませた。




