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透明の向こう側  作者:
101/115

101

 真由はまっすぐに自宅へは戻らず、いつも憂鬱になると散歩に出かける近くの埠頭へ出た。黒い海をぼんやりと眺めていると、たまらなく身を投げたくなった。いっそ呑み込まれてしまいたい。心の闇が、透明度の低いどんよりとした海と共鳴しあう。

 それから数日の間、何度も彼からの電話が鳴った。真由はそれを無視し続けた。心が痛んだ。大好きなのだと、彼の胸に飛び込めたらどんなにか幸せだろう。でも自分にはそれは許されない。それからしばらくすると、今度は電話もメールもない日が続いた。

 その間、有薗は今までに見たたくさんの笑顔とともに真由のせつなそうな顔、悲しげな顔を思い出していた。彼女の記憶をスライドショーでも見るようにたどっていくと、殆どは楽しげに活き活きと笑っているくせに、任意の一場面を切り出すとたまらなくせつない目をしていたりする。そのせつなさが気になって気になって、なんだかわからず彼の関心をより掻き立てたのは事実だ。彼女をもっと知りたいと、笑顔をたくさん見たいと知らず知らず願っていた。ずっと胸に銛のようにひっかかっていたのだが、彼には、真由が自分から幸せになろうとする努力を放棄しているように思えることがあった。幸せを、諦めている。何があるんだ。本当の君ってなんなんだ。愛される価値がない?馬鹿なことを言うな。いくら自分に問うたところで答えは出ない。彼女の内奥の問題なのだとわかっている。ふと、一度自分に向かって「あなたが怖い」と言ったことがあったのを思い出した。あのときはなんのことだかわからなかった。あの言葉に何か集約されていそうな気がしてくる。本当の真由。彼女の中の不可侵エリア。

 神戸で会ったときはまるで責めるような口調になって一方的に自分の思いをぶつけてしまった。数か月連絡もせずに放置しておきながらいきなりあの調子では真由にとって急すぎてとても受け止めがたかったことだろうと、頭が冷えると自分の傲慢を申し訳なく思った。思い切って神戸でのことを詫びるメールしたのは連絡を諦めて一週間を過ぎた頃だった。心を落ち着け、彼女の負担にならないように精一杯言葉を選びながら、自分の気持ちを正直に書いた。

 真由は神戸のホテルで彼の腕を振り切って逃げ帰って以来毎晩目から涙を、腕から血を流していた。心も体も傷だらけだった。有薗に傷つけられたのではない、素直に彼に応えられない自分が憎くて、自分を責め、自ら傷つけた。「本当の君を知るチャンスが欲しい」謝罪と、率直に自分への好意を伝える文面の最後に添えられた言葉を読んで、真由はますます苦しくなった。私はあなたを試すような真似はしたくない。本当の私など知られたくない。怖い。怖くてたまらない。

 さらに一週間程経って、真由はようやく返事のメールを書いた。「十月十二日の金曜日十八時 まつうら心療内科。そこに私を一番よく知る人がいます。木下さんを訪ねてください。都合がつかないような無理はしないでください」と地図も添付した。有薗からは「了解。行きます」とだけ返ってきた。


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