46.青天の霹靂とはいいますが
祖母の邸に帰れば、見慣れない商家の馬車が停まっていた。
家令に客人が来ているのだと告げられ、私は不思議に思いながら客間に向かった。祖母と興奮ぎみのアニーと、もう一人の人物を見て私は目を見開いた。驚きすぎて顎が外れそうになった。
唇が名前を呼び掛けたが、彼にすり寄りながら興奮しているアニーの言葉に遮られた。
「レイチェル、あなたの家にこんなに品があって格好良い執事がいるなんて羨ましいわ」
アニーの視線の先にいる長身の男性は私のよく知る人物には違いなかった。だが、彼は執事のような格好をしているが、執事などではない。なぜか眼鏡をかけて髪の色も仮面舞踏会で会った時と同じ亜麻色に変えているが、私の婚約者だ。
なぜ、彼がここにいるのかわからない。私は金魚のように口をぱくぱくと動かした。
グウェンダルが残念なものを見るような目で私を見た。
「…アニー、お客人の前ではしたないわよ。落ち着かないので席を外してちょうだい」
祖母が何かを察したように落ち着いた声で言った。
アニーは退室を渋ったが、グウェンダルに背中を押されて渋々祖母の部屋から出ていった。室内には私と祖母とティルナード様の三人になった。
「さて、あなたがレイチェルの噂の婚約者ね?」
祖母はティルナード様の方を見て、微笑んだ。
「このような格好で突然の訪問、申し訳ありません。本当はきちんとした形でご挨拶に伺いたかったのですが。込み入った事情がありまして、迎えに上がりました」
既に祖母には内々に話を通してあったらしい。祖母は驚いた様子もなく、にっこりと笑った。
「あら?今時珍しいのね。花嫁の実家すら蔑ろにする貴族は多いのに」
さりげなく棘のある言い方を祖母はした。私は冷や冷やしながら、二人のやり取りを伺った。
「これは手厳しい。俺は友好関係を築きたいと思っているんです。レイチェルの大事なものは俺の大事なものですから」
「…あなたがアニーが言うような、レイチェルを不幸にする嫌な男だったら、さっさと追い返してやろうと思っていたのに。あなたの家から見たらヴィッツ伯爵家との結び付きは何の得にもならないでしょう?だから、てっきり都合の良い正妻としてうちの孫娘を選んだのだと思っていたわ。そういう、どうしようもない馬鹿な令息からの縁談も多いと息子たちから聞いていたものだから」
「誤解があるようですが、俺には彼女だけです。レイチェルが妻になってくれるなら一生大事にします」
ティルナード様はそのまま私の方に歩み寄り、私の髪を梳いた。一瞬なにかに気づいたように眉根を寄せたが、すぐに気をとり直したように微笑んだ。
「彼女をお預かりしても良いですか?後日、改めて、彼女と正式にご挨拶に伺います」
「事情は聞いているから駄目とは言えないのが辛いところね」
「あの…。迎えは明日のはずで、準備がまだ…」
私は思わず口を挟んだ。明日帰る予定だった私は何も荷物を纏めていない。
「レイチェル、準備ならあなたの侍女が進めているから心配はないわ。お迎えの件も聞いています。ヴァレンティノ公爵ご子息、レイチェルをよろしくお願いします」
祖母は頭を下げた。ティルナード様も頭を下げて、私はティルナード様に腰を抱かれて、わけがわからないまま祖母の部屋を退室した。
ティルナード様は私にあてがわれた部屋まで私を連れていき、マリアに身支度を手伝うように言いつけ、マリアから私の荷物を受け取り、そのまま部屋を出ていった。
私はマリアに用意された服に着せかえられ、帽子を目深に被らされた。私の袖を通した洋服は商家の娘風のドレスだった。着替えが終わったタイミングでティルナード様が私を迎えに来た。彼に手を引かれて商家の馬車に私は乗せられた。
「あの…。これは?」
「説明不足ですみません。詳しくは言えませんが、少し込み入った事情がありまして、帰る日を早めなくてはならなくなったんです。ルーカスには許可をとってあります」
「ティルナード様がわざわざ来てくださることはなかったのでは?」
「それは…まぁ。少しでも早くあなたに会いたいと思った俺のわがままです」
困惑したようにそう言うと、彼は私が被っていた帽子をはずした。
「…レイフォードは楽しかったですか?」
さらさらと私の髪を整えながら、彼は私に聞いた。彼の手がある場所で止まって私は首を傾げた。ティルナード様の視線は私の頭に飾られた髪飾りに固定されている。
「楽しかったです。あの…。これはグウェンに」
私が「従兄のグウェンダルにもらったのだ」と言うと、彼は顔をしかめた。すぐに元の表情に戻ったので見間違いかと思ったが、彼の様子からどうもそうではないらしい。
ティルナード様は髪飾りに触れていた手を膝の上に下ろした。
「…そうですか」
そのまま気まずい沈黙が流れたが、彼は迷うように口を開いた。
「…レイチェルはそういうものが好きなんですか?」
私はどう答えたものか悩んだが、これは私が選んだものには間違いないからと躊躇いながら頷いた。
「…なら、今度一緒に買いに行きましょうか?そうしたら、それを身に付けてくれますか?」
「あの…。前にも言いましたが、沢山頂いているので十分です」
私は指輪に目を落とした。指輪に限ったことではない。
ティルナード様は諦めきれないように私の髪についている髪飾りにちらちらと視線を送った。
私は髪に手を伸ばして髪飾りを撫でた。ふと「独占欲が強い」と言ったグウェンダルの言葉を思い出した。
「従兄とは本当に仲が良いんですね。羨ましい」
彼はそう言うと眉根を寄せた。私の思い過ごしでなければ少し不安そうに見えて、胸が締め付けられるように傷んだ。
もしかしたら、と思う。「私が祖母の家に行く」と言った時もがっかりしたようだった。あれは勘違いでなければ、私を誘ってくれようとしていたのではないか。
私はグウェンダルが夜会でさんざん彼をからかったという話を思い出していた。愛称で呼んでもらえないことを気にしていたのだと言っていた。私の態度が彼に遠慮させてしまっているのかもしれない。私はいつも彼からもらってばかりで何も返せていない。物だけではなく、言葉も気持ちも。
すう、と息を深く吸い込んで私は心を決めた。
「テ…ティ、ル?」
疑問形になった。慣れないことはするものではないと思う。
馬車の揺れる音がやたらと大きく耳に響いた。口から心臓が飛び出そうになる。私はまた間違えたのだろうかと不安になった。でも、恥ずかしくて、怖くて彼の顔を見ることができない。
「…もう一回」
震えるような、掠れた声で彼に囁かれて私は何を言われたかすぐに理解できず首をもたげた。
「もう一回呼んで」
懇願するように言われて、私は身体が震えた。声の様子から気に障ったわけではなく喜んでいるらしいことがわかる。
用もないのに何度も愛称を呼ぶのは気恥ずかしい。でも、彼が喜ぶのなら、と思う。
「ティル」
「本当はずっと、そう呼んでほしかったんです。だから」
私は彼の言葉を最後まで聞くことはできなかった。
馬車が一際大きく揺れて急停車した。反動で扉がガタンと開いた。不意を衝かれて、身構えるのが間に合わなかった。身体が宙に浮いたような感覚がしたと思ったら、本当に冗談ではなく浮いていた。正確には馬車の外に投げ出されたという方が正しい。
私は一生懸命手を伸ばしたが、寸でのところで届かなかった。ティルが私の名前を叫んで、手を伸ばしたのがわかったが、どうにもならない。
景色が通りすぎていく一方で、全てがスローモーションのようだった。
今までの人生が走馬灯のように流れ始めた。ああ、これは助からないパターンだ。結婚に一生分の運を使いきったツケが回ってきたのかもしれない。
「たとえ、顔と地位があっても……みたいな奴はこちらからおことわりだわ」
ルイスの発言が耳にこだました。あの時、彼女は誰のことを言ったのだろうか。それにしても、最後に思い出したのがルイスの迷言の数々とはどういうことだろうか。もっと良い思い出もありそうなものなのに。例えば…。
私は体を襲う痛みに備えて目を固く閉じた。




