45.逃した魚は大きいです
私は隣を歩く男を見上げた。先程からずっと違和感を感じて落ち着かないのはなぜだろう。身体が違うと訴えている。
そこまで考えて、ああ、そうか、ティルナード様と違うのかと気づいた。歩幅から歩く速度から手の大きさまで全部違っていた。
「不服そうだな?」
グウェンダルが私の微妙な表情に気づいたらしい。私に向かって不機嫌そうに声をかけてきた。
「そういうわけではありません」
別にグウェンダルが嫌なわけではない。
ふとした瞬間、ティルナード様を思い出して、身体が勝手に恋しさを訴えるだけだ。というのも、ここ最近はやたらと傍にいることが多かったからだと思い至った。彼以外と手を繋いで並んで歩くのは実に久し振りのことで、身体が戸惑っているのだろう。
私はグウェンダルを見上げて、また首をひねった。
「悪かったな。君の婚約者と比べて俺は少し背が低くて」
「グウェンはグウェンでしょう?でも、珍しいこともあるものね」
「どういう意味?」
「グウェンが私を外出に誘うなんて、空から槍でも降らないか心配です」
いつも、遠乗りやら狩猟やらで置いてけぼりを食らう身としては槍は降らなくても雨ぐらいは降るんじゃないかと思っている。グウェンダルは基本的に面倒くさがりでルーカスに私のお守りを頼まれなければ私のことは放置なのだ。
そんなグウェンダルから視察を兼ねた町歩きに誘われたのは今日の午前のことだ。特に断る理由はなかった。むしろ、渡りに船だった。ティルナード様の誕生日の話を聞いた私は何かお祝いを用意したいと考えていた。
「もう、ないかもしれないだろう?」
グウェンダルがぽつりと呟いた。
「何が?」
「君とこんな風に出かけることがだよ。それに、たまにはこういうのも悪くはないだろう?」
「確かに久しぶりだわ。グウェンたら、全然顔を出さなくなったんだもの」
「ルーカスとは定期的に会っているよ。レイチェルに会わなかったのは世間体と君の婚約者に配慮してだよ」
私が首を傾げると、グウェンダルは苦笑いした。
「従兄妹同士だとはいえ、一度は婚約話も出た男と自分の婚約者が会うのは気持ちが良いものではないだろう?ティルナード=ヴァレンティノは嫉妬深そうだからな」
そこでグウェンダルは私の左手の指輪を見た。私は居心地が悪くなって俯いた。
「そんなことはないと思う」
「あるよ。相変わらずレイチェルは鈍いな。カイルの結婚式で会った時なんて、独占欲を露にしていたじゃないか。気づいてなかったのか?」
私は無言になった。あの時はそれどころじゃなかった。それにフラれてばかりのグウェンダルにだけは言われたくない。
「まあ、今に始まったことではないか。そんなに信じられないなら今度奴に聞いてみるといい。あいつはレイチェルのことを髪の毛の先から爪先まで全部独占したいと思っているから」
「…そんなことはないと思う」
「ある。どうでも良い女に護衛なんかつけないさ」
ちらりと、そこでグウェンダルが意味ありげに後方を見た。雑踏の中に見知った顔を見かけて私は息を呑んだ。
「ロバート?」
名前を呼べば、髭面の男はびくりと肩を震わせて彼は雑踏に紛れて逃げようとした。グウェンダルは私の手を離して、がしり、と彼を捕まえて羽交い締めにした。
「どうして、こんなところに?」
私はグウェンダルに羽交い締めにされながら、じたばたもがくロバートに疑問を投げ掛けた。彼の主筋は公爵家で、主は今はここにはいない。
「それより護衛がこんなに弱くて大丈夫なのかね?公爵子息がレイチェルを大事にしていると思ったのは俺の気のせいだったか」
「グウェン、弱い者いじめはやめて。手荒な真似はしないで下さい。ロバートを離して」
グウェンダルはぱっと手を離した。ロバートは勢いよく地面に座り込んだ。
「…ティルナード様のご命令でレイフォード滞在中レイチェル様とそのご家族をお守りするように言われているんです」
「へぇ。だから、あっさり捕まったというわけか」
「万一、傷一つでもつけたらティルナード様に何と言われるか」
「レイチェルのおまけが怪我してもあいつは全く気にしないだろう?」
おまけ、という言葉を強調しながらグウェンダルは自嘲ぎみに笑った。今日のグウェンダルはなんだかおかしい。いつもなら、わざと険を含んだ言い回しはしない。
「いいえ。ご命令にはレイチェル様の親しい方も含まれています」
ロバートは神妙な顔で首を横に振り、私とグウェンダルを見た。それから、なぜか顔を覆った。
「つかぬことをお伺いしますが、レイチェル様とどのようなご関係で?」
「従兄だよ。心配するようなことは何もない。手を繋いでいたのははぐれると困るからだ。レイチェルは方向音痴だからね」
「昔の話を今、持ち出さないで下さいね」
「それほど昔でもないよな?去年だって、君は一人で出掛けたまま迷子になって夕方まで帰って来なかったじゃないか。仕方なく俺が探しに言って見つけた時は半泣きだったくせに」
「ぐぐ…っ。あれは…!決して迷ったわけではありません」
私はグウェンダルを悔し紛れに睨んだが、彼は私を見て、はん、と鼻で笑いやがった。
「随分親しい仲ということはわかりました。できれば、今日の外出はティルナード様には言わないでおいて頂けると。こんな風にレイチェル様が他の男性と仲良くなさっている姿を見たら、きっと落ち込まれます」
もぞもぞとロバートは言いにくそうに喋った。
私はグウェンダルとそういう関係ではない。気安い間柄ではあるが、兄弟のような、悪友のような、そんな関係だ。
「お二人が恋仲でないのは承知しておりますが、ティルナード様は今のお二人みたいにレイチェル様に気安く接して頂くことがお望みなのです」
「そうだな。あいつは本当はレイチェルに愛称で呼んでほしいんだものな」
私は首を捻った。グウェンダルとティルナード様に接点はあっただろうか。
「どうして、グウェンがそんなことを知っているの?」
「君が出席していない夜会で一回からかってやったからね。婚約して大分経つのに従妹にまだ愛称で呼んでもらえないのかって。相当へこんでて、面白かったな」
私は青ざめた。グウェンダルは本当に性格が悪くて意地悪だ。
「別にいいだろう?他では何一つかなわないし、レイチェルのこと以外ではあいつは完璧超人で、すかしていて気にくわなかったんだ。このぐらいの意趣返しは許されるはずだよ」
「…あまり主を苛めないで下さい」
ロバートも複雑そうな表情でグウェンダルを見た。
「あいつも悪いだろう?本当は欲しくてたまらないくせに、いつだって我慢しているんだから」
「我慢?」
「遠目に見た時はおかしかったね。じーっとレイチェルを熱い目で見ながら喉を鳴らしているのに肝心のレイチェルは全く気づいていないんだから。あいつもレイチェルが口説くのは初めてじゃないだろうに、どうして、あんなに不器用なのかね?」
「誤解のないように申し上げると、ティルナード様が女性と交際されるのはレイチェル様が初めてです。ご自分から触れるのも。ですので、どう距離を縮めたら良いかわからないのです」
ロバートは髭を撫でながら困惑したように言った。グウェンダルが目を丸くした。
「…嘘だろう?まさか、脇目もふらずに?」
「世間で流れている噂は全部デマです。主に限って女性にだらしないことはありません。保証します」
「驚いたな。あいつがロリコンだったとは」
そこでグウェンダルはちらりと私を見た。
待て。納得がいかない。なぜ今私を見て、ティルナード様はロリコンだと言ったのか。
夜会でもティルナード様が友人に私の事でからかわれているのを聞いたことはある。でも、失礼な話だ。私は見た目は確かに幼く見られがちだが、十六歳でティルナード様とは二歳しか離れていない。発育は悪いが…言っていて悲しくなってきた。
「グウェン、私に失礼だわ」
「…真実だろう?」
グウェンダルは悪びれもせず言った。後で覚えてやがれ、と思いながら私はグウェンダルの手をとり、便秘に効くツボをここぞとばかりに押してやった。
「話は戻るけど、どうしてロバートがここにいるの?」
「それは言わないように厳命されています」
「他のことには口が軽いのにおかしな話だね?」
例えば公爵子息の恋愛経験とか、とグウェンダルが意地悪く笑った。
「特に口止めされていませんし、レイチェル様に誤解を与えるのはティルナード様の望むところではありません。必要なら話しても構わないと主人の許可は得ています」
「何となくはわかるけど。護衛がこんなところまで来るということはレイチェルの周りに何か危険があるんだろう?」
ロバートは黙りこんだ。
「まぁ、関係ないか。レイチェル、行こうか」
グウェンダルはロバートには興味を失ったように私の手を引いて、そのまま歩き始めた。
私はロバートの方を振り返ったが、彼の姿は既になかった。グウェンダルなら彼を見つけられるかもしれないと思ったが、彼はもうロバートには興味を完全に失ったらしい。
「グウェンは意地悪だわ」
「鈍感でお子様なレイチェルにだけは言われたくないね。公爵子息が可哀想なのは君にも原因がある。気にくわない奴だが、心底同情する」
私はわけがわからなくて理由を聞こうとしたが、グウェンダルの顔を見て聞くのをやめた。
グウェンダルはあるお店の前で立ち止まり、そのまま店内へと入っていった。私は手を引かれるままに彼の後に続くようにして中に入った。
そこは女性が好きそうなアクセサリーが並ぶ店だった。髪飾りや首飾りといったものが並んでいる。
「レイチェルはどんなのが良いと思う?」
唐突な質問に私は戸惑った。グウェンダルの交際相手に贈るものだろうか。
「お相手がどういう方かわからないのに選べないわ」
相手のことがわからないと趣味がわからない。
「レイチェルに好みが似ているんだ」
それなら、と私は可愛い花の髪飾りを選んだ。グウェンダルはそれを店員に言って購入し、店を出た。
暫く会話のないまま歩いた。私はあるお店の前で足を止めた。中には女性客が沢山いて、ハンカチと糸を選んで買い求めているようだ。
「ああ。あれか。レイチェルは興味なかったから知らないか。レイフォードで昔から流行っているんだ。好きな男に自分で刺繍を入れたハンカチを贈るっていうやつ」
グウェンダルの講釈に私はふむ、と頷いた。
「少し寄っても良いですか?」
グウェンダルは別に構わない、と言ったので私は店内に入り、ハンカチと糸を吟味した。銀色の糸を見つけて私はハンカチと一緒に購入した。
店の前で待っていたグウェンダルは私の手にした包み紙を見て、眉をひそめた。
「…あいつにやるのか?君はこういうものは興味がないと思っていたけど?」
「別にいいでしょう?グウェンには関係ないわ」
私が口を尖らせると、グウェンダルは手を伸ばして髪をわしゃわしゃとかき回した。私は抗議しようと口を開きかけ、頭に手をやって違和感に気づいた。頭に硬い何かがついている。
「何をしたんですか?」
慌ててお店の窓に映った自分の姿を確認すれば、なぜかグウェンダルが先程購入した髪飾りが頭についていた。
「グウェン、これ」
「餞別だよ。結婚祝いかな?」
「もらえません。こんな高価なもの」
「いいから。多分、最後だから受けとれよ。似合ってるから今日は外すなよ?」
グウェンダルが寂しそうな表情をしたので、私は結局それ以上は何も言えなかった。
 




