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40.頼られないのは寂しいものです

夜会会場に着き、私はカチコチになりながら国王夫妻の前で淑女の礼をとっていた。開会の国王様の挨拶が済んだ後、「こちらにいらっしゃい」といった具合にサフィニア様と公爵夫妻に呼ばれたのだ。断れなかった。

国王夫妻に堅苦しい挨拶は抜きにして楽にするようにと促されて、私は顔を上げた。どうでもいいが、目がチカチカする。


「まぁ!あなたがティルナードの可愛い婚約す者なのね」


噂は聞いているわ、と王妃様は国王の隣で可憐に微笑んだ。どんな噂がお耳に入っているんだろうか。

国王夫妻は私達を見つめた。現在進行形で逃げたい衝動に駈られているのだが、生憎と私の内心を見透かしたように、今、私はティルナード様に腰をがっちりホールドされ、体をぴったり寄り添わせている。すごく落ち着かない状態だった。


「アルマンから聞いていて、お会いできるのを楽しみにしていたのよ」


アルマン、とは王弟殿下の名前である。どうにも彼が諸悪の根源らしい。余計な情報を吹き込んだと思われる王弟殿下は傍で面白そうな顔でこちらを見ていた。


「それにしても意外だな。あのティルナードがね。いや、そうでもないか」


血筋が云々とぶつぶつ呟く国王陛下に戸惑いを隠せないでいると、なぜか公爵夫妻が顔を見合わせて苦笑いした。

ちらりと王妃様の視線が私達の左手の薬指に止まった。


「仲睦まじいのね」


王妃様が微笑ましいものを見るような目でこちらを見たので、私はつと視線を逸らした。


「自ら首輪を嵌めたがる奴を私も始めて見ましたよ。私ならごめんです」


「こら、アルマン。お前はそういうことばっかり言っているから、いつまで経っても独り身なんだ」


「兄上。ティルナードはある意味、私より危ないですよ?こいつのストライクゾーンは狭すぎますから」


そこで一同の視線が私に集中し、私はティルナード様に思わずしがみついた。何となくだが、過去にもこんなことがあったような気がする。


「でも、納得だわ。こんなに可愛らしいのですもの。そういえば、ヴィッツ伯爵令嬢はお茶会に興味がおありと聞いたわ。今度、是非私のお茶会にも出席してほしいわ」


「はい。機会があれば是非」


そんな機会は訪れてほしくないと思いながら、私はにっこり笑った。王族主催のお茶会に招待を受けるのは貴族にとっては光栄なことだが、私には敷居が高すぎる。胃がきりきり痛みそうだ。


「それで、お式はいつなの?私たちも是非出席したいのだけれど?」


「王妃様、半年後ですわ。私達夫婦もサフィーも楽しみにしていますのよ。ドレスの生地も取り寄せて仕立てている最中ですわ。ええ。是非いらしてください」


公爵夫人が微笑みながら言った。

私は目を見開いた。取り寄せが必要な生地とは一体どういうことだろうか。


「一生に一度ですものね。やっぱり拘りたいわよね」


「ティルの説得が大変でしたわ。ティルはすぐにでも結婚したいようでしたけど、やっぱり、それなりに準備が必要ですわ。折角だから納得いくものを着た花嫁が見たいでしょう、と説得してやっと、頷いたんですのよ」


そういえば、両家の顔合わせの時に半年という期間を提示したのはヴァレンティノ公爵家側である。鬼い様は短いと渋っていたが、私と両親は特に異存はなかった。

私は隣の彼を見上げた。


「善は急げと言うでしょう?いつ、またあなたやヴィッツ伯爵夫妻の気が変わらないとも限りませんからね。ルーカスも」


「ここまで来て、気が変わることは流石にありません」


兄については保証できかねるが。

余程のことがあれば話は変わってくるが、公爵家主導の元で婚礼衣装やら指輪やらの準備が粛々と進んでいる中でやっぱりやめます、と言えるほどヴィッツ伯爵家側は心臓に毛が生えていない。


「当初は年単位で考えていたんです。のんびり構えていたところがあった。ただ、状況が変わって待てなくなったんです」


「ああ。隣国から来た王女様の件か。そういえば、宰相の姪なんてのもいたな」


私は泣き黒子美人の、アリーシャ=ラッセルが頭の中に浮かんで、一瞬顔をしかめた。


「王弟殿下、それはどうでもいいんです。俺が気にしているのはどちらかと言うと婚約していてもなお、横槍ばかり入る事実ですよ。ここまで来て、横からかっさらわれてはたまりませんからね」


「それは逆ではありませんか?」


「いや。逆はまずない。こういう時、潰されるのは弱い貴族の家が世の常だからな。ティルナードの心配は正しい」


なるほど。公爵家の花嫁の座を巡って潰しあいが起きるということか。確かに、ヴィッツ伯爵家は容易に傾くような弱小貴族だ。三年前は本気で爵位を手離すことも考えたぐらいに、存続が危うかった。なぜかはわからないが、持ちこたえることができたのはさる筋から援助の約束を取り付けられたかららしい。


「レイチェル嬢はもし、家が没落しそうになったらどうする?」


私は一瞬考え込んだ。その時はきっと爵位は返上することになるだろう。うちはもう一度同じことが起きたら、持ちこたえられないしだろう。闇雲にあがいて、領民や使用人を道連れにするのは良くない。


「爵位は返上、売れるものは売り払って使用人の退職金にします」


「ティルナードのことはどうする?」


「…そうなったら諦めるしかないでしょうね」


ティルナード様の腰を抱く手が強くなった気がした。心なしか不機嫌になっているのはきっと気のせいだろう。


「王弟殿下、あり得ない話をしないで下さい」


「そうですわ!もし、お姉さまのご実家にそのようなことが起きればヴァレンティノ公爵家が援助しますわ」


黙って話に耳を傾けていたらしいサフィニア様も憤慨したように言った。


「そうだな。では、質問を変えようか?もし、他から君が嫁ぐことを条件に援助の話が出たとして、君はティルナードとその相手のどちらをとる?」


私は小首を傾げた。前提からしてあり得ない話だ。


「領民のためになるなら援助して下さる方に嫁ぎます」


「ティルナードを選ばないのか?」


性格の悪い質問だと思う。今だって貰うばかりで何も返せていないのだ。たとえ、申し出があっても頼れるわけがない。


「それは…」


「こら。アルマン、意地悪ばかり言うのはよせ」


不穏な空気が流れ始めたのを察知した国王陛下がとりなしに入った。


「もしもの話です。私はティルナードの心配事を目に見える形にしてみただけですよ。またそうならない保障はないでしょう?」


そこで王弟殿下は言葉を区切り、私たちの方を見て言った。


「ティルナードも苦労するな。男は好きな女性には頼られたいものだよ。君はもう少し婚約者を信用した方が良い」


「殿下」


ティルナード様は王弟殿下を睨んだ。


「王弟殿下、お兄様で遊ぶのはやめて下さいませ」


「遊んでいるつもりはない。上手くいっていると感じる時ほど注意が必要だと老婆心で警告しただけだよ。レイチェル嬢はフィリアとは違うからな」


「それは…どういう意味ですか?」


ティルナード様の問いかけに王弟殿下は肩を竦めた。


「言葉通りだよ」


王弟殿下の含みのある言い方に私たちは顔を見合わせた。

何かあったのかもしれない。兄や両親から音沙汰がない。普段なら、そろそろ戻ってこいと言われる頃合いをとっくに過ぎている。一度屋敷に戻る旨を手紙を送ったら「帰ってくるな」という内容と公爵夫妻宛に「申し訳ないが、暫く私を預かってほしい」という謎の返事が来て戸惑った。

私の不安げな表情を汲み取ったのか、ティルナード様は私の手をそっと握った。


「殿下のご忠告はありがたく頂戴します。陛下、妃殿下、俺たちはこれで失礼します」


ティルナード様はそう言うと、御前を辞する礼をとり、私を促してその場を離れた。そのまま、彼は私の手を引いてバルコニーに出た。


空に細い三日月が浮かんでいた。夜風に髪が靡く。

彼は何かを躊躇うように口を開きかけた。暫くの沈黙の後、意を決したように私に向き直った。


「…前にも言いましたが、俺は間抜けな王子なんてごめんです。だから、もしもの時はすぐに相談して下さいね」


私は曖昧に笑ったが、どうもティルナード様はそれを不服に思ったらしい。


「いいですね?」


念を押すように言われて、私は視線に耐えきれず、目を逸らした。


「約束ですよ?」


私はこくりと頷いた。

頷いたにも関わらず、彼は顔を離してはくれなかった。まだ話は終わっていないらしい。じっと見つめられて、自然と頬に熱が集中した。


「あなたはどうして、俺を頼ってくれないんです?」


私は考え込んだ。自分でもよくわからない。

言われてみれば、カイルの結婚式の時もそうだし、他の時もそうだった。恐らくは意地っ張りな性分なのだろう。


「俺はあなたに頼られたいし、甘えられたい。我が儘だって言われたい」


「…これでも甘えている方だと思います」


「全然足りません」


即答されて私は言葉を詰まらせた。彼は困惑したような目で私を見た。


「レイチェルは俺のことをどう思っているんですか?」


「好き…ですよ?」


「それは異性として?」


「はい」


なぜ、そんなことを聞くのかと私は小首を傾げた。彼は暫くの間、真剣な面持ちで私を見つめていた。

顔がだんだん近づいてきて、お互いの息がかかりそうだな、と私は呑気に思いながら、近づいてくる彼の顔に見とれた。ぼーっとしていると、唇に柔らかい何かが当たっている感触がして、私は目を見開いた。至近距離でサファイアブルーの瞳と目があって、私は漸く彼にキスされているらしいことに気づいた。

動揺のあまり言葉を紡ごうとして唇を開くが、彼の唇がぴったり重なっているので、言葉にならなかった。むしろ、唇を開いたところに更に深く口付けられる形になって、私は困惑した。


「ん…う」


自分の口から甘い声が漏れて私は戸惑った。彼から離れようとするが、身体はティルナード様の腕に固定されていて身動きがとれない。唇を優しく食まれて頭が痺れてくらくらした。全身から力が抜けた。

どのくらい時間が経っただろうか。彼の唇が漸く離れた頃には私の顔はすっかり茹で上がって、息が上がってしまっていた。

肩で息をしながら、彼にもたれかかり、咎めるような目で私は彼を見上げた。


「すみません。我慢できなくて。嫌でしたか?」


いつかの時のような不快感や嫌悪感はなかった。あの時は未遂だったが、肌が粟立ったのだ。

優しくキスをされて不快になるどころか、凄く気持ちが良くて幸せな気持ちになった。しかし、そんなことを正直に言えるはずがない。


「あの…。ど、どうして、急に?」


「急でもありませんよ。俺は随分前からあなたにキスしたいと思っていました。それに」


「それに?」


「俺たちはお互い好き同士で、婚約しているから問題ないでしょう?」


不安げにティルナード様の瞳が揺れる。私は言葉を詰まらせた。


「問題…はありませんが、びっくりしました」


「驚かせたのなら、すみません。でも、あなたも悪い」


そこで彼は言葉を区切った。


「俺は前にも言ったはずですよ?あなたが他の奴と、と考えるだけで気が狂いそうになる、と」


私は王弟殿下とのやり取りを思い出した。


「あれはただの例え話ですよ?」


「例え話でも、あっさり他の奴を選ばれたら不安になります。あなたは俺が他の女性と結婚しても平気ですか?」


私は首を左右に振った。平気なはずがない。


「そういうことです」


彼はそのまま、私の髪を片手で梳いて頬に触れた。それから額をこつりと私の額に合わせて私を見つめた。


「俺はこの先、何があっても貴方を手離す気はありません。だから、貴方も俺の手を離さないで下さい」


私が躊躇いながら頷くと、漸く彼は満足げに笑って、背中に回した片方の腕を緩めて漸く私を解放してくれた。

「そろそろ戻りましょうか?」と言われて、私は頬を染めて俯き、頷いた。

バルコニーから屋内に戻れば、やたらと人に注目されて戸惑った。ティルナード様は何かに気づいたらしい。苦笑いしつつ、私の腰を押した。


「さっきの話ですが」


「え?」


「資金援助と引き換えにあなたが俺のところに来てくれるなら、俺は喜んでいくらでも出しますよ。何なら身ぐるみ全部剥がされたっていい。だから俺を選んでください」


「冗談、ですよね?」


「本気です。あなたは知らないが、一度伯爵夫妻には書簡で遠回しに断られているんですよ。持参金が払えないし、花嫁道具が用意できない、と」


「…それは困りましたね」


意図が透けて見えるだけに私としては笑うしかない。


「ええ、困ります。だから結納という形で贈らせてもらいました。花嫁道具も持参金もこちらで用意するから問題ないと言ったら、呆気に取られていましたね」


何でもないことのように言う彼に私は言葉が出なかった。

花嫁道具を花嫁の実家が用意するのは通例だ。断るための口実で無理をすれば多少は見劣りするが、一色用意することはできた。

当初は困惑しながらも、私も両親もお断りする勇気がなかったのだ。加えて、間を開けずに忙しい合間を縫って通ってくる彼にまさか「帰ってくれ」ということもできず、戸惑いながら応対していた。

これで嫌な人だったら、私は嫌々嫁ぐ日に脅えながら絶望しただろう。嫌な人でも結婚すれば夫になるのだ。でも、彼は基本的に私の嫌がることはしなかったように思う。


「そのぐらい本気なんです。あなたになら騙されてもいいと思います」


耳元でいきなりそんなことを囁くものだから、足が縺れた。腰を抱かれ、片手をとられていて支えられたので転けることはなかったが。


「そんなことを言って、私に骨の髄まで搾り取られても知りませんよ」


私は強がるように言った。


「別に構いませんよ。俺以外にしないと誓ってくれるなら」


「ティルナード様は本当に意地悪です」


私は彼に遊ばれている。途中から彼の目が笑っていることに気づいて、不貞腐れたように言えば、彼は柔らかく笑った。

笑う彼を周囲は目を丸くして物珍しがる様子で見るが、そんなに驚くことだろうか。私といる時の彼は大体こんな感じだ。むしろ、笑っていないことの方が少ない。


「意地悪になるのは、きっと、あなたが可愛すぎるせいでしょうね」


「ティルナード様は私を何だと思っているんですか?」


「…最愛の人で未来の俺の奥さん?」


疑問系で頬をかきながら答える彼に悶えて悲鳴をあげそうになった。確かに事実だが。だが、だが、だがである。

この人は私を悶え死にさせる気か、と私は心の中で叫んだのだった。

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