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閑話~伯爵令嬢の天敵な彼~

数ヵ月、繁忙期で無言、すみませぬ(。>д<)

おいおい感想返信及び指摘頂いた点の訂正入れていきます。暇な時に更新なので亀のごとき鈍足ですがお付き合い下さい(´▽`;)ゞ

甘い恋愛は所詮は物語の中だけの話だ。待ったって王子様は迎えにやってこない。だって私はお姫様ではないのだから。


「変な顔」と言われるのは初めてではない。ただ、その人は見た目がキラキラしていて王子様のようだった。銀髪に青い瞳が綺麗で、私は兄の影に隠れながら、彼にうっかり見とれてしまった。やっぱり王子様のような人は理想が高いんだな、と思いながら、私は素直にその言葉を受け入れた。

物語で言うなら、私は脇役か悪役といったすところだろう。主役にはなれないし、身の程はわきまえている。私は可愛い顔ではないし、家の利になるそこそこの人とお見合い結婚をするのだろうと思っていた。

兄の友人の、その人はなぜだか私を放っておいてくれなかった。悪戯を仕掛けられて私は戸惑った。嫌がらせを受ける理由がわからなかった。何か不快にさせるようなことをしたのだろうか。「変な顔」と言われてからは近づかないようにしていたのに。

理由もなく嫌われて、私はただただ悲しくなった。存在することさえ許されないなら、どうすればいいのだろう。

その人の悪戯は一貫性がなかった。引き出しに蛇の脱け殻が入っていたと思ったら、次の時には小さな押し花の栞が入っていた。ポケットに蛙の卵を入れられたと思ったら、次の時にはこっそり沢山のお菓子が入っていた。何がしたいのか、どうしてほしいのかわからないまま、私は困惑して顔をひきつらせた。蛙の卵の時は泣いたものだ。

カイルと出会ったのはそんな時だ。カイルは「彼」から庇ってくれた。慰めてくれた。私は存在を許されたような気がして、彼の一番になりたいと思うようになった。今思えば、これは恋ではなかった。

単純にこの人なら私でも良いと言ってくれるかもしれないと思っただけだった。


※※※

兄の友人とかくれんぼをした。失恋というには滑稽な体験をしたのが恥ずかしくて、私は消えたい気分でそこにいた。とはいえ、本当に消えたかったわけではない。私は激しく後悔していた。

屋根に登ろうと思ったのは本当に思い付きだった。高い空を見れば気分も晴れるに違いないと考えた私は真性の馬鹿だ。登ったはいいが、自分では降りられない。私は存在が薄い。兄達はかくれんぼに飽きたらしい。私を探す者は誰もいなかった。


「見つからないと思ったら、そんなところで何をしているんだ?」


声をかけられて、私はぎょっとした。丁度「彼」は窓を伝って屋根に登って来るところだった。


「危ないから早く降りて」


私は首を横にふった。


「降りたくないのか?」


私は再度首を横にふった。


「どっちなんだ?」


「…れない」


「は?」


「降りれない」


「はぁ!?」


登った時は忘れていたのだ。自分がどうしようもなく鈍くさいことを。馬鹿な私は見捨てられるのだろうな、と絶望的な顔で「彼」を見れば、黙って私の方に近づいてきた。


「…つかまって」


自分の首を指しながら、何かを堪えるような顔で「彼」は言った。心なしか肩が震えているように見えた。


「でも」


「いいから、早く。自分では降りられないんだろう?前々から思っていたけど君は本当に馬鹿だな。大馬鹿だ」


呆れたように言われて、返す言葉がなかった。

私が「彼」の首におずおずと手を伸ばしてしがみつくと、「彼」は私を片手でひょいと抱えて、上手にバランスをとりながら、するすると屋根から降りた。


「何で、屋根なんかに登ったんだ?いつもなら、こんな無茶はしないだろう?誰も気づかなかったら、どうする気だった?」


「………」


私は答えに詰まった。「彼」が正しく、私はただただ馬鹿だった。自分でもどうして、そんなことをしたのかわからない。ただ、誰にも見つかりたくなかったのだと思う。

私の沈黙を答えたくないのだと解釈したらしい。「彼」は話題を変えた。


「ルーカスが知ったら大目玉だな」


「…お兄様には言わないで」


「言わないよ。それより少しは感謝してくれてもいいと思うんだけど?」


赤い顔で「彼」にそう言われて初めて、私は抱きついたままだったことに気づいた。慌てて手を離して逃げるようにして距離をとれば、「彼」は傷ついたような顔をした。


「…そこまで毛嫌いしなくてもいいじゃないか。心配しなくても何もしないよ」


「…私を嫌いなのはあなたの方でしょう?助けてくれたことは…感謝しています」


ぼそぼそと言えば、「彼」はバツが悪そうに言った。


「嫌いじゃない。悪戯をしたのも反省してるし、後悔している。でも、それは君が…」


「私が変な顔だから?」


「違う。そうじゃない。そうじゃないんだ」


そう言われても困るだけだ。私は「彼」の悪戯と友人によるちょっとした嫌がらせで人間不信気味だった。それに、「彼」は何を考えているかわからないから怖いと思った。


「ただ、君の表情を変えたかったんだ。ひきつった顔以外が見たかった」


「…信じられません」


「君を騙して、俺に得があるのか?」


「からかって笑い者にする気かもしれません。実際今までもあったんです、そういうことが。あなたではないけど」


私は俯いた。からかう方は大して考えていないからタチが悪い。本気にする方が馬鹿なのだとは思う。ただ、何を信じればいいのかわからなくなっていた。


「馬鹿にされていた相手に意味もなく追いかけ回されたら、誰だって警戒するでしょう?」


カイルに失恋する数日前によくわからない変なプロポーズをされた。頭の良い「彼」がする悪戯にしては詰めが甘いと思った。あんな情緒の欠片もないプロポーズをされて騙されるほど私は馬鹿じゃない。

中庭に面した部屋で気持ちよくピアノを弾いていた時だった。人の気配を感じて窓の外を見れば、外にいたらしい「彼」と目があって驚いた。

同じように木陰のベンチで読書をしていれば、ぴったり真隣に座られて本を覗き込まれた。今日だってそうだ。誰も探していないと諦めていた矢先に「彼」は私を見つけてしまった。

こちらが避けている割に「彼」との遭遇率が高いのはどういうことだろうか。


「上手く言えないけど最初からやり直したいんだ。悪戯をしたのは本当にごめん。追いかけ回したのは…君のことが知りたかったんだ。君と仲良くなりたい。だから、もう逃げないでほしいんだ」


私は「彼」を見つめた。嘘をついているようには見えなかった。逡巡して、私は溜め息をついた。


「……嫌」


私がはっきりお断りすると、「彼」は項垂れた。流石に助けてもらっておいて、この態度はないだろう。私は渋々条件付きで譲歩することにした。

一つ、一定の距離を保つこと、二つ、許可なく触らないこと、三つ、嘘をつかないこと。何様だと思われるかもしれないが、私の心の安寧を保つ上で必須だ。

「彼」は兄の友人だ。そう頻回に相手をしなくてもいいだろうと思っていたのだ。私にちょっかいをかけるのは兄への用事のついでなのだから。


※※※


「お兄様に用事があったんじゃないんですか?」


私は思わず、今日も隣に間をあけて座る「彼」に聞いていた。もう何度目かのやり取りになる。わざわざ私のところに寄る必要はないはずなのに、「彼」はヴィッツ伯爵邸を訪れる時は必ず私と過ごすのだ。最近は兄より私の傍にいる時間の方が長いように思う。

物珍しがれているだけで、すぐに飽きられると思っていたのに、一向に足が遠のく気配がない。むしろ、前より一緒の空間で過ごす時間が長くなっていることに戸惑っていた。


「終わったんだ」


「そうですか」


「どうして、私のところに寄るんですか?」と聞こうとして、私はやめた。深い意味はないのかもしれない。自意識過剰にも思えた。

そこで会話が途切れる。私は読んでいた本に視線を落とした。内容は頭に入っては来ない。居心地の悪さに私は腰を上げようとしてやめた。「彼」は約束をまだ破ってはいない。だから、私も逃げない。そういう約束だ。

ただ、一定の距離を保って私を見ているだけだ。それだけのことなのに落ち着かない気分になる。人に見られるのには慣れていないせいだろうか。

私は身構えながら、横目で「彼」を見た。何をするでもなく、うーんと伸びをする「彼」はとてもリラックスして見える。銀髪がキラキラと陽の光に透けて綺麗だった。


「…退屈しませんか?」


警戒心をちらつかせながら勇気を出して私は言った。飽きもせず、「彼」は私を見つめる。見られていることでむずむずするし、勘違いしそうになったのは数えきれない。

この状況は最近よくあるが、おかしいと思う。


「全然。君といると時間があっという間だ」


私は凍りついた。

私には「彼」が帰るまでが長く感じる。人からはよくつまらない人間だと言われるのに彼はそうではないと言う。胸がじわりと熱くなった。

それを認めたくなくて、私はなんとか逃げ道を探した。


「そういえば従姉が言っていました。子供とはいえ、婚約していない男女が二人きりで過ごすのは問題だ、と」


だから、これっきりにしましょうと「彼」に言えば、「彼」は頬を染めて即座に返してきた。


「なら、婚約すれば問題ない。そうしたら、君は俺と一緒に過ごす時間をもっと作ってくれるんだろう?」


「笑えない冗談はやめてください」


何を言われたか理解して私は顔をひきつらせた。婚約したら、いずれは「彼」と結婚することになるではないか。軽々しく、そんなことを言って欲しくない。ただでさえ勘違いしそうなのに。


「本気だよ。君に嘘はつかないと約束した。前にプロポーズをした時も本気だった。初めてだったから間違えたけど」


「そういうことは好きな相手とお願いします」


「俺は君が好きなんだ」


直球で言われて、私は動揺した。


「私は…あなたが嫌い。だって、いつもそうやって私をからかうんだもの」


嫌い、の一言にダメージを受けたように「彼」は胸を押さえた。


「からかってない。こういうことで冗談は言わない。試しに婚約してお互いを知ってみるのはどうだろう?何事も食わず嫌いは良くないと思う。君は言うほど俺のことは知らないだろう?」


お互いよく知りもせずに判断するのは早計だ、と彼は言った。確かに、と頷きかけた私はあることに気づいた。


「…試しにも何も、それ、婚約した時点でお互いの将来がほぼ確定してませんか?」


婚約してしまえば、そう簡単に破棄はできない。余程のことがない限りは婚約した時点で将来、夫婦になることが確定してしまう。それは老若問わずすべての婚約の共通事項である。


「…気づいたか」


私は溜め息をついた。

「彼」の隣に立つにはあまりにも自分は足りない部分が多い。その足りない部分が致命的なものばかりだった。


「私があなたと、なんて釣り合いません」


「…釣り合わないことはない。君は伯爵令嬢だし、馬鹿だけど頭はいいじゃないか。顔だって…その…か…可愛い…と思う。君が苦手だというダンスや社交だって、頑張ればそれなりにできるようになる。ドジだとは思うけど、運動神経が悪いわけじゃない。君が失敗しやすいのはあがりやすい性格と自分に自信がないからだ」


むきになったように「彼」は言った。誉められているのか貶されているのか、よくわからない。だけど、「可愛い」と言われて、私はよろめいた。思わず頷きそうになった。


「だとしても、好きでもない方と結婚するために頑張れません」


「好きでもない」という私の言葉に反応するように「彼」は辛そうに眉間に皺を寄せた。なんでそんな顔をするの?と私は思った。


「…どうしたら好きになってくれるか教えてくれないか?」


まっすぐに見つめられて私は心の内を誤魔化すように心にないことを口走っていた。偶然本の挿し絵が目に入った。


「…優しくて、頼りになる格好いい王子様みたいな人なら」


ついでに私だけを愛してくれるなら言うことはない、と言えば、「彼」が固まったのがわかった。

我ながら性格が悪い。こう言えば「彼」は呆れて勝手に諦めてくれるに違いないと思ったのだ。私は胸がちくりと痛んだ。


「もし、俺が本当にそうなったら君は考えてくれるんだな?」


「何を?」


「さっきの話」


さっきの、とは婚約云々の話だと思い至り、私は口を開けた。

側にいて落ち着かなくて、逃げたくなる相手とどうして婚約なんてできるだろう。今でさえ動悸は酷いし、顔は赤くなって直視できない。触れられそうになると、どうしても身体が強張ってしまう。


「ごめんなさい。でも、あなたはそのままでいいと思います。変わってしまったらあなたじゃなくなるでしょう?」


「君は本当に狡い」


「彼」は拗ねたように言った。


「私にこだわらなくても、女の子なら他にも沢山」


「俺は君がいいんだ。君に好かれたいし、触れたい」


私を真っ直ぐ見つめる「彼」の視線に耐えきれず、私は視線を逸らして膝を擦りあわせた。心臓がばくばくした。

手が私の方に伸びてきて、私は反射的に身を縮こめて目を閉じた。ショックを受けたように「彼」は手を握りしめて、「まだ駄目か」と呟いた。


「君が好きなんだ、凄く。だから、君が他の奴を見ていたり、触られているとむかついて仕方がない。無理矢理こちらを向かせたくなる。つまらない悪戯をするぐらいに」


真っ赤な顔を見られたくなくて、私は顔を背けた。からかわれているのなら本当にたちが悪い。

本当はわかっている。「彼」は私との約束を守り、嘘は一切ついていない。本心を包み隠さずにぶつけられることがこんなにも破壊力があるとは思いも寄らなかった。



「一時の気の迷いです」


誤魔化すように自分に言い聞かせた。

先の保証はない。「彼」はあと数年したら本当に王子様のようになるだろう。手が届かないくらい、遠い存在になってしまう。そうなった時にまだ自分を隣にと望んでくれるだろうか。

「彼」に飽きられるのが怖い。最初からからかわれているだけかもしれないのが怖い。からかわれているだけなら、その気になったら馬鹿みたいだ。


「…気の迷いなんかじゃない」


怒ったように「彼」が言った。


「でも、人の気持ちは変わるものです。絶対はありません」


「もし、俺の気持ちが変わらなかったら君は俺の気持ちを受け入れてくれるんだな」


「あり得ませんが、その時は貴方のお嫁さんになりましょう」


私は半ば意地になったように言ってしまった。自分で逃げ道を塞ぐ形になってまずい、と思った。

ちらりと「彼」を見れば、真っ赤な顔で何事かをぶつぶつ呟いていた。


※※※

思い返して阿呆か、と私は心の中で毒づいた。最初から気になっていた。異性に私が見とれたのは「彼」が最初で最後だった。

あれから何度も誘われた。会えば会うほど、言葉を交わせば交わすほどに、私は気持ちを自覚した。「彼」と過ごすと、そわそわと落ち着かない気持ちになる。上の空で「彼」のことばかり考えてしまう。カイルの時はこんなことはなかったのに。

「彼」が兄ではなく私に会いに来た、とジェームスが告げた時、私は浮き足だった。

鏡に映る自分を見て私は慌てた。凄く簡素な格好だった。いや、「彼」に会うときはいつも大体こうだったと私は俯いた。でも、今更変えるのは不自然だ。

私は酷く悩んだ。このまま応対すべきなんだろう。着替えて、「彼」を待たせる方が失礼なのだろう。ただ…。

結局、侍女に言ってドレスを着替えた。持っている中では女の子らしく可愛いものだ。

着替えて、緊張しながら「彼」の待つ客間に入れば、驚いたような顔で形が良い唇を開いたのがわかった。何かを言いかけたけれど、結局何も言わなかった「彼」に落胆する。

私が勝手に期待しただけだ。「可愛い」と言ってほしかったのだと気づいて、私は恥ずかしくなった。「彼」は全く気づいた素振りはない。そのことに勝手に腹を立てて素っ気ない態度をとって自己嫌悪に陥った。「彼」を前にすると、どうにも素直になれないのだ。

前に私に話していた本を自らわざわざ持ってきてくれたらしい。

本を借りたので、私も「彼」にお薦めの本を貸した。馬鹿にされるかもしれないと思ったが、馬鹿にした様子はなく、「彼」はそれを受け取って「ありがとう」と微笑んだ。私とは違う大きな手に目がいった。

用件は済んだらしい。すぐに帰ろうとする「彼」に私はまたがっかりした。てっきり、いつものようにゆっくり過ごしていくのだと思っていた。手を伸ばしかけて引っ込めた。

私に触れたいと言った「彼」は最近は私に無理に触れてこようとはしない。約束を守ってくれているだけなのだが、それが酷くもどかしい。本を渡す時も慎重だった。私は何であんな約束をさせたのか後悔した。だからといって自分から今更触れてくれ、と言うのは恥ずかしい。

密かにダンスの練習を続けていた。理由は社交辞令でも「彼」に夜会に誘ってもらえたからだ。興味がないふりをしたが、本当は凄く行ってみたかった。

遠乗りも町歩きもそうだ。屋敷から殆ど出ることがない私には魅力的な誘いだった。

からかわれているだけなのかもしれない。裏で面白がられているだけなのかもしれない。

それでも、と期待した。社交場に出るなら勉強が必要で…だから家庭教師を増やしてもらった。「彼」と行けなくても、「彼」が踊るのを遠目に見てみたいと思った。

私は「彼」に本当に恋をしていたのだと思う。だから、意地を張って素直にならなかったことを凄く後悔した。


※※※

視線を感じて、ふと顔を上げればサファイアブルーの瞳と目があった。慌てたように彼は私から顔を逸らした。


「私の顔に何かついています?」


彼の視線が私の口許にあったことに気づいた私は口回りを手で撫でた。何もついていないようでほっとする。


「いえ、何も」


「…そういえば、おばさまに蜂蜜を沢山頂いたんですが、蜂蜜、お好きなんですか?」


今日は結婚の挨拶に彼と親戚回りをした。ティルナード様の親戚の伯爵夫妻の家にお邪魔した時にお土産に持たされたのだ。


「いや、その。多分、これは」


しどろもどろになりながら、赤い顔で彼は視線を泳がせた。


「…レイチェルは蜂蜜は好きですか?」


「甘い物は好きです。ティルナード様は甘い物は苦手と伺ったんですが、おばさまは二人で食べてね、と仰っていたので蜂蜜だけはお好きなのかな、と」


「食べれないわけではないんです。昔、母が気まぐれで手作りの菓子に挑戦したことがあったんですが、砂糖の塊が入っていて。それ以来、甘い物と手作りは苦手になったんです。じゃりじゃりした独創的な味だった」


「…それは。ごめんなさい。大分前にクッキーをお出しした時、仰って頂いたら良かったのに」


私はよりによって、茶請けで苦手な手作りの菓子を彼に無理矢理食べさせたらしい。


「そんなことはない。母のは岩石みたいだったけど、レイチェルの焼いたクッキーは凄く美味しかった。また是非食べさせてください」


興奮したように前のめりで手を取られて、私は勢いに負けて頷いていた。もっと美味しいものを食べているだろうに、気を使ってくれているのかもしれない。


「蜂蜜、どうしましょう?」


「…験担ぎみたいなものだから、また沢山もらうでしょうね」


「そうなんですか?」


「ええ。まぁ」


「そういえば、カイルも沢山もらっていましたね。蜂蜜が好きだった記憶がなかったから、どうして、と思っていたんですけど」


なぜかティルナード様は苦そうな顔をした。最近は彼の表情の変化がよくわかるようになった。一緒にいることが増えたからだろう。

ただ、今でも何を考えているかわからない時がある。今がそうだ。


「そういえば、ティルナード様はカイルとお知り合いだったんですね」


結婚式の日にカイルが彼に「久しぶり」と声をかけた後、二人で何かを話していたのだ。何を話していたのかは知らない。


「ああ、まぁ。ルーカス繋がりで」


「なるほど。お兄様の。何を話されていたんですか?」


「大した話じゃありませんよ。ただ、おめでとう、と、良かったな、と言われただけです」


「逆じゃありません?」


「いや、合ってますよ。丁度あなたと婚約した後でしたから。俺は一方的にライバル視していただけに複雑な気持ちになりましたが」


カイルは平凡なお人好しが取り柄の優しい男の子だが、ティルナード様がライバル視するほど飛び抜けた取り柄はなかったように思う。もしかして。


「…ルイスが好きだったんですか?」


胸がもやもやした。


「まさか!違いますよ。俺の好みはその…。黒髪でつり目の…引っ込み思案だけど優しい可愛い女性です」


「…やけに具体的なんですね」


私は頭の中で黒髪の可憐な、気立ての良い美少女を思い描いて渇いた笑みを漏らした。私も黒髪だが、真逆すぎて言葉を失う。性格は引っ込み思案というよりは人見知りで卑屈だ。


「カイルは俺の気持ちを知っていたんです。というか、俺の気持ちは随分前から周りの友人には丸わかりで見守られていたらしい」


「もしかして、ロケットの君ですか?」


彼はびくりと肩を震わせた。

なぜ私がその事を知っているのか、と問いたげな眼差しを向けられるが、残念ながら割と有名な話だ。そもそも難攻不落の好条件の未婚の男性がそんな物を持ち歩いていて、噂好きな令嬢方が色めき立たないわけがない。時折、ロケットを眺めては悩ましげにため息をつく姿も目撃されていたらしい。あのロケットに入っている絵姿は誰なのだろうか、と色々な憶測が飛び交っていた。

最有力候補が彼の元婚約者だ。


「昔、友達がティルナード様には忘れられない方がいて、ロケットにその絵姿を入れて肌身離さず持っているんだと言っていました。あれ?でも、ハーレー元侯爵令嬢は金髪だったような?」


「フィリアじゃありません。彼女の絵姿を持ち歩くもんか。…俺の好きだった女性は最近まで会うことも、指一本触れることも許されなかったんです」


どんな女性なのか見てみたい。興味がむくむくと湧いてきた。

彼の好みを押さえたい気持ちと嫉妬も半分くらいはあった。


「駄目ですよ。絶対に見せませんからね。あなたには引かれたくないし、絵姿を手に入れるのだって大変だったんだ。本当にガードが堅かったし、何度も取り上げられそうに」


彼の不審な態度を見て、私は不機嫌になった。過去の話だと思ったら、まだ持ち歩いていて今も気持ちは続いているらしい。


「…それ、現在進行形の話ですか?」


低い声で私は言った。指輪に目を落とした。

好きな女性がいるのに私を口説くなんて凄く不実だ。凄く嬉しかったのに。


「確かに現在進行形ですが、あなたの思っているようなものじゃない。これは浮気じゃありません。だって、入っている絵姿は…。とにかく誤解だ。それに、もう実物が傍にいるから要らないかなと思い始めているし」


聞いてもいないのに浮気ではない、と言い出す彼に不信感を覚えたが、それより気になることがあった。


「実物が傍に?」


実物が傍にいたら流石に私も気づくだろうと思う。彼の周りには今のところ女性の影はなく、不思議なことに身の回りの黒髪の女性は私一人だ。


「う…。とにかく、この話はやめましょう。気になるなら結婚したらロケットの中身は見せますから。でも、今は絶対に駄目です。せめて結婚誓約書にサインをもらってからでないと」


「そんなに見られると困るものですか?」


結婚を早まったかしら、と私は身体を引いた。


「いや。あなた以外に見られるのは全然構わないんです。別に疚しいものじゃないし隠すようなものではない。結婚したら見せると約束するので、今は諦めて下さい」


「絶対ですよ?」


「ええ」


そこで会話はぷつりと途絶えた。

私は貰い物の蜂蜜に思いを馳せた。蜂蜜だけではなく、蜂蜜酒も頂いたのだが、それは私は口にすることはできない。

というか、どちらも私にではなく彼宛だった。「頑張ってもらってね」と謎の励ましを受けた私は首をひねったのだ。


「蜂蜜はパンにつけても美味しいけれど、飲み物に淹れても美味しいですよね」


「魚や肉と絡めたり隠し味にも使えますよ。ダンに言って使ってもらいましょう。美味しいですよ」


ダンは公爵家の料理人の名前だ。ダン曰く、ティルナード様は料理も凄く上手らしい。本職にそこまで言わせる彼に私の拙い手作りの菓子など口にさせてしまったことを密かに恥じて、二度と彼には作らないと決めたのだ。

今のところ、欠点らしきものが見当たらないどころか、器用さに唖然とするばかりだ。公爵様は市井に無一文で放り出しても何ら困らず自活できるだろう、と断言していた。ただ、時折なぜか私の方を不安げに見て、「もし息子に拐かされそうになったら相談してくれ」と言う。ティルナード様は破談にならない限りはそんな無茶はしない、と笑ったので、冗談だったのだと思う。

私は瓶の中のとろりとした液体を見つめた。


「蜂蜜にはどんな意味が?」


「……まぁ。身体にいいんです。取りすぎは毒だけど」


「他にも意味があるんですよね?」


私の追及に彼は観念したように歯切れ悪く答えた。


「…蜜蜂は多産なんです。だから、あやかる意味を込めて昔から蜂蜜を新郎にとらせれば子宝に恵まれるといわれていまして。よく新婚に贈る贈り物に選ばれるんですよ」


「頑張ってもらってね」の正確な意味を理解した私は頬を染めて身体を小さく震わせた。婚約当初は現実味がなかったが、具体的に決まった今は現実味を帯びている。思わず変な想像しそうになった私は首をぶんぶんと振った。


「よくご存じなんですね」


「前に婚約した時もやたらと貰ったんです。あの時は子供だったから流石に酒はなかったけど。あなたと婚約した時もお披露目の後、知り合いに沢山。俺も両親に聞いて知ったんです」


「キスもまだなのに」


私は赤い顔でドレスの裾を握りしめた。自分から振っておいて何だが、気まずい。


「そうですね。キスはあなたが嫌でないなら、その内」


「ティルナード様は正直過ぎます!」


この人はまたそういうことを言う、と思った。そこは包み隠すところだと思う。私はトマトのように赤くなって、彼の服をぎゅっと掴んだ。批難するように見上げると、彼は一瞬困ったような顔になった。


「守れない約束はしない主義なんですよ。覚えていなくても約束は約束だから」


「約束?」


「ええ、まぁ。子供の時に少し。だから、嘘はつかないことにしているんですよ」


「隠し事は多いですよね?」


「…嘘のつけないところは隠すしかないでしょう?どう転ぶかわからないし、慎重にもなります」


「どうして、そんな困る約束をしたんですか?」


「好きな女の子がそれを守ったら俺から逃げないと言うから。目も合わせてくれない、指一本触れさせてもくれない彼女が嘘をつかないぐらいで俺と過ごしてくれるのなら安いものです」


「また難しい方に恋をされたんですね」


「ええ。なかなかに手強いですよ。何を考えているか、俺のことをどう思っているかわからないから迂闊に手を出せないし、今だって全く安心できないんだから。とりあえず逃げられないようにじわじわと足場を固めているところです」


「あの…。それは初恋の方の話ですよね?」


さっきから嫌な汗が流れて仕方がない。なぜだかわからないが、さっきから全く他人事ではないように思うのだ。

足場を固めていると言った彼は最近はそこかしこで私と結婚するのだと公言しているらしい。親戚回りといい、社交場といい、ことあるごとに私を結婚が決まった「婚約者」として紹介する。それは事実なのだが、その度になぜか本能的に逃げたくなる。が、腰をがっちり掴まれて逃げられない。まるで、私が逃げようとすることなどお見通しだというように、蕩けそうな微笑みを浮かべる彼は鬼い様以上に怖い。


「ええ。彼女にはよく逃げられたんです。誘えば必ず断られたし、外では絶対に会ってくれなかった。彼女からは絶対に誘ってくれなかったから口実を考えるのが大変でした」


「その方とは結局どうなったんですか?」


私とこうして婚約しているということはうまくいかなかったのだろうが、口ぶりは今もまだ気持ちが大分残っているようだ。

私は矛盾することに気づかなかった。わかりやすい答えは目の前にあったし、最初から嘘はついていないのなら、答えは一つだけだ。

この時の私は相当な嫌われっぷりに私は見ず知らずのロケットの君に感嘆した。彼をここまで袖にできるなんて凄い。私だって婚約の申し入れがあった時は恐れ多くて断れなかったのだ。まさか本当に結婚することになるとは思わなかった。

未だに信じられない。キラキラしい美貌は目の毒だし、上手い話過ぎる。

まるでナイトメアの夢魔みたいだ。私はお姫様じゃないから助けは来ない。ただ、あの話は確かお姫様は甘い夢を見せられる内に本当に夢魔に恋をするんだった。


「さぁ?どうなったんでしょうね」


「わからないんですか?」


私はぽかんと口を開けた。自分のことなのに?


「わかりませんね。今でも時々逃げようとするし。もう逃がしてあげる気はないけど。それに、そういうところもたまらなく可愛いんだ」


「さっきから誰の話をされてるんですか?混乱してわからなくなってきました」


「俺の好きな女性の話でしょう?」


「え、え?あれ?初恋の方の話だったような?それに、好きな女性って、やっぱり他に好きな方が?」


いつの間に話が変わっていたのだろうか。

彼はなぜか傷ついたような顔で私を見た。既視感を感じた。私は彼のこのような表情を割とよく目にしていたような気がする。


「やっぱりって何ですか?俺はそんなに気が多くないし、一度に愛せるのは一人までです。薄々気づいていたけど、あなたが俺のことをどう思っていたかよくわかった」


「だって。どこそこの未亡人と、とか、とある令嬢と、とか噂をよく聞きましたし、実際にも夜会で」


いつの夜会だったか。ティルナード様と離れているときに、嫌がらせだったのだろうか。彼の女性関係の噂話をとある令嬢に沢山吹き込まれたのだ。昔の私なら平気だっただろうが、今はそうでもない。でも、好きになってしまった今はそれを理由に離れることもできず、泣きそうになった。

元々モテるのは知っていたし、友人からは男性の「あなただけだ」は挨拶みたいなものだと聞いている。それに「プロポーズしたのも口説いたのも初めて」が本当だとしても、モテれば女性を口説く必要なんてない。勝手に寄ってくるのだから。


「何を言われたか知りませんが、そんなの出鱈目ですからね。調べればわかることですが、俺は女性と付き合うのは本当に初めてです。レイチェル?」


「…なんでもありません」


「付き合わなくても色々できる、と失礼なことを考えましたね?」


私の考えを読んだように彼は半眼を閉じた。


「別にあなたが過去にどなたと関係があっても私にどうこう言う権利はありませんし、気にしません」


意地っ張りな私はもぞもぞとそれだけ口にすると、目を伏せて体を端に寄せた。やっぱり男の人は何を考えているかわからないから苦手だ。


「なら、何で距離をとるんです?今、一瞬穢らわしいものを見るような目で見たでしょう?」


「仕方がないでしょう。元々男の人は苦手だけど、軽い男性は特に苦手なんです。前にお見合いでべたべた身体を触られて、いきなりキスされそうになった時は凄く怖くて」


言いかけて、「しまった」と思った。この話は彼にはしていないし、するつもりもなかったのだ。

彼と婚約する少し前の話だが、珍しく縁談の申し込みがあった。蓋を開けてみれば女関係がだらしない令息とのお見合いで、いきなり肩を抱かれてキスをされそうになった。突き飛ばしたら悪い噂の話を持ち出されて一方的に詰られたのだ。お兄様は抗議して、両親も憤慨していたけど。

その一件の後、無理に結婚相手を探さなくてもいいのだと両親も言うようになった。私も私で諦めの境地に達したのだ。

これ以上を望むのは贅沢だと理解している。だが、それでも彼が私以外にも、と思うと拒否反応は出てしまう。


「…それはどこの誰ですか?」


冷たい声で言われて、私は肩を震わせた。声の感じから怒っているのはわかる。


「あなたに怖い思いをさせたのはどこのどいつです?」


もう一度同じ質問をされて、私は観念して口を開いた。


「よく覚えていません。咄嗟に突き飛ばしてしまったし」


あまり思い出したくないし、忘れたい記憶だ。

つき出された唇が本当に重なっていたらトラウマになっていただろう。肩を掴む汗ばんだ手の感触は忘れられそうにない。荒い吐息が顔に直にかかって鳥肌がたった。

私の脅えたような顔を見て、ティルナード様は溜め息をついた。


「いいです。ルーカスに聞きます。…ルーカスは何をやっていたんだ。さんざん警戒していたくせに、これか」


「最初は凄く良い方のようだったんですが、後で調べてわかったんです。我慢できなかった私も悪いので」


友人に話せば気持ちは察するけどレイチェルは贅沢だ、と言われた。確かに、少々のことに目を瞑れば悪くはない相手だった。


「我慢する必要はありません。凄く不実だ。大体、複数の女性に手を出しているのに、その上あなたを手に入れようなんて図々しいにも程があります」


俺だって最近やっと触れられるようになったのに、と訳がわからないことを言う彼に私は首を傾げた。


「レイチェル。俺は確かに婚約者はいましたが、お互い恋愛感情はなかったし、何もなかった。噂も全部断った相手の意趣返しです。女性と二人で出掛けたのだって、あのオペラの時が初めてだったんです。だから、一人で舞い上がって、少しでも長く一緒にいたくて連れ回してあなたに無理をさせてしまった。誘う時も断られないか、いつも緊張しているんです」


私は身を捩った。このタイミングでこれは狡い。正直過ぎるのは考えものだ、と約束をさせた女性を恨んだ。

気づいたら手を伸ばして彼の手をぎゅっと握っていた。緊張と恥ずかしさで目を伏せた。びくり、と彼の指先が震えたのがわかって、私は怖くなった。


「ティルナード様?」


「いや。ああ、うん。あなたは狡いな。俺をどうしたいんだ」


悶えるように呻いた彼は私の手を握り返した。

私はほっとした。ここ最近、妙な嫌悪感で緊張して落ち着かなかった。どうしても、彼が他の女性を抱き締めてキスやそれ以上のこともしたのだ、と考えると面白くない気分になった。私は彼が全部初めてで。相手に同じことを求めてしまうのは狭量だとわかっていても腹を立てて自己嫌悪に陥ることもあった。


「ティルナード様も狡いです。だって、いつの間にか話が変わっている上に上手くはぐらかされたような気がします」


何の話をしていたか最早覚えていない。そして、何となく彼の思惑通りになった気がして面白くない。


「狡い者同士、お似合いかもしれませんね」


彼はそう言って笑った。

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