閑話~伯爵子息の追憶~
本日四回目の~以下略(._.)ルーカス目線の回想のお話です。
人が恋に落ちる瞬間を初めて見たのは俺が十歳の頃だ。俺の友人が見初めたのは俺の妹だった。
ティルナード=ヴァレンティノと会ったのは士官学校でのことである。プラチナブロンドの美貌の彼は公爵の息子で、文武ともに優秀な貴公子然とした少年だった。最初の印象は鼻持ちならないやつである。何をやらせても顔色一つ変えず、完璧にこなす奴は周囲を見下しているように見えた。実際そうだっただろう。
俺の家は長く続く伯爵家だ。貧乏ではないが、両親は不器用で気弱、野心の欠片もない平凡な弱小貴族。俺自身も野心はなく、そのことに不満を感じたことはない。背負えるものには限りがあるのだ。領民や国のために心を砕いて忠義を尽くすことが俺の将来の夢だった。
ティルナードが俺に興味を持ったのは、学科で俺が奴を抜いた時だった。何となく話すようになり、話してみれば割と良い奴だった。
妹の話をすれば、自分にも妹がいると言われ、成り行きで紹介することになったのだ。
レイチェルは人見知りがちな、引っ込み思案な少女だった。兄の欲目に見ても、野暮ったくはあるが、外見は悪くはない方だと思う。
既にルイスから歪んだ自己評価を植え付けられたせいで、卑屈になっていたため、上手く笑えなくなっていた。
レイチェルにティルナードを紹介すれば、一瞬驚いた後、例のごとく、ひきつった笑いを浮かべた。後で妹に聞いた話だと、直近で読んだ絵本の登場人物とティルナードの容姿がそっくりだったらしい。
ティルナードの方は妹を見て、大きく目を見開き固まった。それから暫く妹をじっと睨むように見つめた。普段から興味を持たれることの少ない妹は刺すような視線から逃れるように、のろのろと俺の後ろに隠れた。
暫くして、ティルナードは「変な顔」と感想を述べた。妹がショックを受けて、奴を避けるようになったのはいうまでもない。卑屈なレイチェルは自分の存在が兄の友人を不快にしたのでは、と気にしていた。だから、ティルナードを徹底的に避け始めた。
逆にティルナードは徹底的に妹を追いかけた。はっきり言って、奴は途中から俺をだしにレイチェルに会いにヴィッツ伯爵邸を訪れていたのは間違ない。本人は無自覚だが、殊更に何の面白味もないヴィッツ伯爵邸を訪れたがったのは目当てのものがそこにしかなかったからである。
ティルナードが初めての感情に明確な答えを出せずに戸惑っていたのは間違いない。外から見れば、分かりやすいものだが、それをわざわざ指摘してやる義理もない。ティルナードは普通に良い友人だと思うが、それとこれとは話が別だ。
ティルナードは妹の気を引きたがった。普段ならやらない、つまらない悪戯は妹からひきつった笑い以外の表情をひきだしたかったからだろう。かえって心を閉ざしてしまったが、気づいていないようだった。
ティルナードは何かと用事をつけてはヴィッツ伯爵邸を訪れるが、きまっていなくなる。そんなティルナードのお気に入りスポットは中庭である。中庭の木陰にあるベンチでレイチェルがよく読書をしていること、面した部屋の一画で拙いながらもピアノの練習をすることを見つけたらしい。探しに行けば、大概そこにいて、慈しむように遠目に眺め、ピアノの音に静かに耳を傾けていた。勿論、妹は見られていることに気づいていない。
人と対面していない時のレイチェルは柔らかい表情で笑う。気安い関係の奴の前ではくるくると表情を変える。
この頃にはティルナードのレイチェルへの悪戯はぱたりと止んでいた。不機嫌な顔で姿をいつも探し、声をかけるのは相変わらずだったけれど。気安い声をかけてほしそうだが、警戒心むき出しで怯えられている様は哀れだった。
ティルナードは素直じゃない。奴は会う度に妹の格好を「ダサい」、「芋臭い」と言った。その後、何か言いたそうにしてやめる。それがレイチェル自体を馬鹿にしているわけでなく、もっと似合うものがあるのに残念がっているのだとわかった時は本当に面倒くさい奴だと思った。それならそうと言ってやれば、ここまで嫌われ、怯えられることもなかったはずだ。
レイチェルがカイルに恋をした時、ティルナードはショックを受けた。動揺のあまり、ヴィッツ伯爵邸の庭から花を引っこ抜き、そのまま妹にプロポーズするくらいには乱心していた。氷の貴公子様も形無しだと爆笑した。二つ年下の女の子にたしなめられ、一緒に庭師のトーマスに頭を下げる姿は本当にカッコ悪かった。公爵子息に頭を下げられたトーマスがしきりに恐縮していたのは面白かった。
面白がってばかりもいられなかった。ティルナードは次に来たときに大層高価そうな髪飾りを持ってきたのだ。そいつを妹に押し付けようとする前に止めた。
お前はカイルにはなれないよ、と言えば、がっくりと肩を落とした。可哀想だとは思ったが、新手の嫌がらせにとられるのは間違いなかった。
「ダンスは得意だから良ければ教えようか?」
緊張しながらレイチェルに向かって手を差し出す姿に、俺は驚いた。ティルナードはダンスは上手いが、別に好きではなかった。女のエスコートも卒なくこなす奴が心の内では面倒がっていたのを知っていた。だから、自ら好きでもないダンスを踊ろうと妹に手を差し出す奴を見て、雨でも降るんじゃないかと天を仰いだ。
妹は迷うようにティルナードの手と表情を交互に注意深く観察した後、溜め息をついて断った。からかわれているのだと思ったに違いなかった。
お断りされたティルナードはそれでも諦めきれなかったのか、レイチェルの手をとろうと手を伸ばしかけたが、妹がびくり、と脅えて目を伏せたのを見て、傷ついたような顔で手を引っ込めた。
それ以降も似たようなことが続いた。中庭でレイチェルが読書をしていれば、ティルナードがやってきて、真隣に腰を下ろす。レイチェルは驚いて人一人分以上離れてベンチの隅に座る、という具合にいたちごっこは続いた。
ティルナードがレイチェルに触れたがるのはレイチェルに一度だけ介抱してもらったことがきっかけだろう。公爵家の迎えが来るまでの間、珍しく心細そうにする奴の手を握ってやっていた。
ティルナードは暫くして、レイチェルと物理的距離を縮めるのを諦めた。その代わりに観察を始めた。好きなものは何で、嫌いなものは何か。
レイチェルが読書をしていれば、ティルナードは本のタイトルを見ようと覗きこんでいた。レイチェルはティルナードに馬鹿にされると思って、本を腕に抱き抱えて隠してしまう。
そんな様子を見て、たまたま遊びに来ていたグウェンダルがぽつりと洩らした。
「いい加減、諦めればいいのにな」
「そう簡単な話でもないんだろ?」
「わからないね。本当に欲しいなら親に強請ればいいんじゃないか?簡単だろう?公爵の息子らしいじゃないか。それこそ選び放題だし、強引に手に入れてしまえばいい」
「それじゃ、意味がないからだろう?ティルの奴はお前を羨ましがっていたぞ」
立場を交換できるものならしたい、といつだったかティルナードはぼやいていた。
「羨ましい、か。誰かの代わりになんてなれるはずないのにな。無い物ねだりばかりだな」
グウェンダルの視線の先を追うと、レイチェルが丁度ティルナードから逃げる姿が目に入った。
「ルーカス、お前はどうするつもりなんだ?」
「どうもしない。レイチェルのためを思えば、すぐにでも引き離して、ティルの馬鹿に諦めさせるべきだろうな。公爵夫人なんてレイチェルの性格では難しいだろうし、レイチェルはティルを怖がってる」
「だったら」
「でも、俺も両親もあいつの意思で選んでほしいんだ。本気でティルのことを嫌がるようなら考えるさ。うちは幸い、今は金に困ってるわけでなし、そこそこの家の相手なら何とか渡りをつけられる。流石に格上相手は無理だけどな。ティルのことも今のところは強引な手段に出るつもりはないから様子見でいいさ」
ティルナードはレイチェルの心が欲しいのだ。親に強請れば確かに婚約は可能だろう。弱小貴族の伯爵家としては余程のことがない限りは断れない。
だが、そうなるとレイチェルはどう考えるか。強引に苦手な相手と無理矢理、婚約させられれば今まで以上にティルナードに対して心を閉ざすのは明らかだ。ティルナードは高嶺の花だから妬み、嫉みに晒されるだろう。周囲から羨ましがられようが、本人が望まなければ、そこに幸せなどない。
今のまま無理矢理に事を運べば、周りに誰も味方がいないと思っている妹は孤独に苛まれ、気を病むに違いなかった。支えるものがない人間の心を折るのは簡単だ。
ティルナードがその辺のところがわかるぐらいには聡く、人の気持ちが考えられる奴で良かったと思う。恋愛に関しては不器用だが、本能的な部分ではきちんと弁えているようだ。
ティルナードは一見、レイチェルに一方的につきまとっているように見えるが、今のところはレイチェルの意志を尊重し、何かを言いたげにしていれば耳を傾けていた。それをレイチェルも感じているから、戸惑いながらも完全には拒絶しないのだ。
「勿論、レイチェルがグウェンを選ぶなら、それでも良いと思ってるんだ」
「貴族の結婚は本人の意志だけではままならないものだけど、随分甘いんだな」
貴族に限らず結婚は利害関係が一番、本人の意思は二の次だ。グウェンダルの言うように、甘いのだろう。
「俺も両親も成り上がり根性はないからな。身内を売ってまで、のしあがりたいとは思わないさ。お前のところもそんなもんだろう?本当に本人が嫌がるなら突っぱねるよ。うちは王族に楯突いたこともあるんだぞ?」
何代か前になるが、高慢ちきな王子がヴィッツ伯爵令嬢を見初めて婿入りしたいという話があった。それを当時の当主は拒否したのだ。幸い、不敬に当たらなかったのはそいつが叩けば埃しか出ない問題児だったのと、ヴィッツ伯爵一族が代々続く忠義の一族だったからだ。
レイチェルも意志薄弱そうに見えるが、本当に嫌なら、はっきり嫌だと言う。勿論、どうしようもない時にはその気持ちを飲み込んでしまうこともあるが、ティルナードに関しては今のところは大丈夫そうだった。
「それでも、レイチェルを切り捨てなくてはならなくなったらどうするんだ?」
グウェンダルが言いたいことはわかった。いくら、家族の情があっても義務を優先しなければならない時がある。政略結婚がそうだ。
例えば伯爵家が取り潰されることになれば、家臣たちは路頭に迷う。例えば領地経営が立ち行かなくなれば、どうなるだろうか。
うちがそうならない保障はないし、そうなった時優先されるのは下々の者達である。自分達の生活は彼らの働きで成り立っているから、いざという時はそうするのが当然だった。そのように俺とレイチェルも教育を受けている。
「その時はその時だ」
先の保障はない。だが、起きてもいないことを考えるだけ無駄だとも思う。
俺は話題を変えようと、グウェンダルの方に水を向けた。
「お前はレイチェルをどう思ってるんだ?」
「わからない。可愛いとは思うよ?ただ、今すぐ、どうにかなりたいわけではない。リエラは婚約が決まりそうだが、俺は当面は遠慮したい。多分、俺がレイチェルを可愛いと思うのはあいつが従妹だからで、今、婚約者になれば煩わしくなると思う」
「難しいんだな」
「意外に簡単だよ。縛り付けられれば誰だって逃げたくなるだろう?レイチェルのことは普通に好きだけど、そういうのはもう少し大人になった時、お互い望むならで良いと思う。レイチェルだって同じように考えるさ」
「それは同感だな」
頭の中に、脱兎の如く逃げるレイチェルが思い浮かんで、苦笑いした。
「ルーカスはレイチェルのことより、自分の婚期のことを心配した方がいいんじゃないか?お前、また相手の女を泣かせたらしいじゃないか」
「夢見がちなことを言うもんだから、論破してやっただけなんだがな」
結婚したら贅沢な暮らしをしたい、という趣旨のことを長ったらしく言っていたような気がする。なので、「そんなに贅沢がしたいなら王族か、有力貴族に嫁げば?」と返しただけだ。それに加えて、そいつがいう暮らしをするにはどれだけ金がかかるかを算出して、目の前に突きつけてやったら、泣き出したのだ。
「鬼め。そこは適当に合わせとけばいいだろうに。お前と結婚できる女は一生見つからない気がする」
「そうは言ってもなぁ。嘘はいかんだろ。彼女が言うような暮らしをした場合、一ヶ月で我が家の台所事情は傾くな。価値観の一致は大事だよな、うん」
そう、価値観の一致は大事だ。無理を重ねれば、後々辛くなる。
中庭に目を向ければティルナードの姿ももうなかった。あいつらがどうなるかはわからないが、悪いようにはならないだろう、と笑った。




