28.長いものには巻かれます
本日五度めの~以下略(._.)
突然の来客は困るものである。相手が高貴な身分の者なら尚更だ。
ヴィッツ伯爵邸の車止めに王家の紋章付きの馬車が停まったのは正午を過ぎた時のことである。その数刻前に先触れが、さる人物の来訪を告げた時には、頭を抱えたものだ。
母と二人で急いで、要人用のもてなしの準備の指示をジェームスに出した。マリアが侍女達の指揮をとった。こういう時、公爵家のメイドは頼りになる。料理人にも指示を出し、お茶と茶請けの菓子の準備、茶器は我が家で最高級の物を出すように伝えた。
万一にも粗相があってはならないが、できれば抜き打ちではなく、数日前には連絡を頂きたいものである。兄も父も不在である我が家に何の用があると言うのか。当主が不在でも我々に拒否権はない。
不可解には思いながら、マリアに支度を手伝ってもらい、予定の刻限前に玄関ホールに母と二人で控え、客人を出迎える準備をした。
ジェームスに案内を受け、入ってきた人物に私達は礼をとり、頭を垂れた。
「王弟殿下におかれましては…」
「堅苦しい挨拶は良い。今日はお忍びでレイチェル嬢にお願いがあって来たんだ」
手を上げて、頭を上げるように指示を受けて、私達が頭を上げれば場違いなまでにきらきらしい美貌が目に飛び込んできた。
野暮な挨拶は簡略化しろ、と暗に示されて私達は応接室に王弟殿下と額の広い護衛騎士を案内する。向かい合って腰を下ろすと、マリアの手によって、すぐに紅茶と茶請けの菓子が運ばれてきた。
「なんだ、公爵家で暫く見ないと思ったら、ここで働いていたのか?相変わらず双子の兄に似て愛想がないことだな」
王弟殿下はマリアをちらりと見て、言った。マリアは表情一つ変えずに部屋の隅に下がった。それを見て、王弟殿下は「つれないことだ」と呟いた。
私はマリアに兄がいたことに驚いた。二人はそっくりらしいので機会があれば会ってみたいものだと思う。
「ティルナードはレイチェル嬢がよほど可愛いらしいな」
冷やかすように、マリアを見ながら王弟殿下は紅茶に口をつけた。
私は母と顔を見合わせた。今回の訪問の意図が読めなかった。王弟殿下に私を訪問する理由がない。
「さて、脱線するのも良くないな。レイチェル嬢には例の小瓶の件では世話をかけたな」
例の小瓶、という言葉に母の双眸がすがめられた。この件は両親は知らない。知っているのはルーカスとティルナード様だけだが、鬼い様には滅茶苦茶怒られた。
「何のことだか、さっぱりわかりませんわ」
私はしらばっくれることにした。兄とも、この件には二度と関わらないと約束したのである。
「なるほど。しらばっくれるか。いっそ、清々しいな。まあ、いいか。今日は君に借りを返してもらいに来たんだよ」
借りとは何のことだろう?数代前のヴィッツ伯爵家への王子の婿入りの打診拒否なら、王家の方も厄介者を押し付けようとしたとして、既に不問に付されている。今更、それを貸しだなんだと言うのは筋違いである。
「レイチェル嬢は知らない話か。三年も前の話だ」
「王弟殿下、恐れながら、その話は…!」
今まで黙っていた母が何故かヒステリーを起こしたように割り込んできた。
私は母の過剰反応を訝しんだ。三年前というと、ヴィッツ伯爵領が未曾有の冷害に襲われた年だ。隣接するレイフォードも大打撃を受けた。邸の備蓄分を出したが、追い付かず、周辺の領へも援助を打診したが、足元を見られた。うちの財政はあの時、冗談ではなく傾いた。借財もかなり作り、家財道具や母の宝石などを売れるものは売ってほぼ返済したが、まだ残っている。その時のことを言っているのだろうか。
「そうだな。知らない話ではあるだろうな。とにかく、君は私に借りがある。どうやって返してもらおうかと考えていたのだが、君は私に嫁ぐ気はないだろう?」
顔がひきつった。母も絶句している。笑えない冗談だ。
伯爵令嬢が王族に嫁ぐのはあり得ない話ではないが、私には無理である。公爵家に嫁ぐことを考えただけでも胃が痛いのだ。王家に嫁ぐとなると、軟禁同然で血反吐を吐くくらい厳しい教育を受けねばならない。それくらいしても、間に合わないだろう。
何より、既に私はティルナード様に惹かれ始めていた。このまま嫁ぐものだと思っていたし、そのことに最初ほどの抵抗はなくなってきている。今更、他所に嫁げと言われて納得できるはずもない。
「冗談だ。レイチェル嬢のことは気に入っているし、それはそれで刺激的で楽しいかとは思ったんだがね。ティルナードを失うことになりそうだから止めておくよ。そうなったら、あいつは君を手に入れるために本気で私を失脚させにかかるだろうな。退屈はしないだろうが」
「一途な奴ほど怖いものはないな」と世間話でもするかのように言う殿下に私は固まった。そもそも私のためにティルナード様がそこまでするなんて、あり得ない話である。
「ご冗談が過ぎますわ、王弟殿下。それに、私個人は殿下に何かをお借りした記憶がございません」
私は令嬢の面の皮を被り、できるだけ朗らかに笑った。最近、公爵家から派遣された家庭教師に習ったのだ。彼女は私の壊滅的な表情筋の操り方を嘆いた。彼女からの宿題で一日数回は鏡の前で自分の表情を確認している。
王弟殿下と直接口をきいたのはこの間の夜会が初めてである。それまでは個人的な面識はなかった。身に覚えが全くないのに借りを返せとは如何なものか。
「内容については言わない約束だ。後々、無茶な要求をされるよりはここでちょっとしたお願い事を聞いた方が得策だぞ?悪いようにはせんさ。ルーカスも同じ考えのようだ」
ちょっとしたお願い事の内容を聞くのが怖い。わざわざ邸まで出向いてきたのだ。本当に大した内容でないはずがない。
「君が首を縦に振らない方がこちらには都合が良いだろうな。元を正せば、ティルナードが君のためにしたことだからな。それを引き合いに、目先の利益に目が眩んだ馬鹿どもが君たちの婚約を解消させようと動いているらしいな」
さっぱりだ。三年前、私とティルナード様はまだ出会ってはいないし、彼に助けてもらった記憶がない。
それに婚約を解消させる、とはどういうことだろう。
「実は隣国の王女が奴を見初めたらしくてな。是非に降嫁したい、という話がある。向こうはティルナードが王女を正妻に据えるなら第二夫人として君を迎えても良いと譲歩している」
その話を聞いて、ふざけんな、と思ったのは私だけではなく、母もそうだろう。母の愛想笑いが凍りついた。横暴も良いところだ。大体国の勝手な都合で、一時は認めた婚約を解消しようものなら、信用が地に落ちるのは明らかである。
「心配しなくても公爵夫妻はこの要求を突っぱねた。ティルナードより八歳上の王女は気位が高く、国内外でも嫁ぎ先に苦慮しているらしくな。公爵夫人はうちには近々可愛い嫁が来る予定なので要りません、と憤慨していたな」
公爵夫人は相変わらずズレている。怒りのポイントが違うことに突っ込むべきか、私も母も悩んだ。
「お引き受けする前に、私が殿下に作ったというご恩とお願い事の内容をご教授願えませんか?」
話はそれからだ。何も知らないまま、首を縦に振るほど私は阿呆ではない。
先程の話は罷り通らないとはわかっているが、似たような話が沢山あることを匂わされれば、私も王弟殿下の頼みとやらを無下に断るわけにもいかなくなった。
「前者については言えない。そういう約束だし、知らない方が良いことはある。お願い事については、近々開催される夜会で私の隣に立って人を探す簡単なものだ」
簡単ではない。私には婚約者がいるのだ。
私の考えを読んだように、王弟殿下は続けた。
「君は変装が趣味なんだろう?レイチェル=ヴィッツ伯爵令嬢としてではなく、別人として私の隣に立つなら問題ないだろう。仮に見つからなくても、今後この話を持ち出さないと約束しよう」
「人捜しに私ごときがお役に立てるとは思いませんわ。大体、どなたを探していらっしゃるのか存じ上げないのですもの」
自慢じゃないが、顔は狭い。悪い噂が先行したために基本、夜会では壁の花だし、人脈も人望もない。人捜しなんて人選ミスも甚だしい。
「小瓶がらみだ。ルーカスには了承を得ている。元々、駄目元ではあるし、君の身の安全は保証する」
「ティルナード様には?」
王弟殿下は宙に視線を泳がせた。ティルナード様には内緒の案件だと理解した。
「奴にはばれないように善処しよう。ティルナードは絶対に許可しないだろう。もし、鉢合わせても君だと気づかれなければ問題ない」
鉢合わせるリスクがあるんですね、と言う意味を込めて、王弟殿下を見つめた。不敬罪に問われようが、知ったことか。先程から彼にされている脅迫を考えれば、多少ぞんざいな態度をとったところで仕方ないと思う。
「気づかれたら、責任をとっていただけるんですか?」
彼は変に勘が鋭い。仮面舞踏会の時も、町娘の格好をした時も彼の目は誤魔化されなかった。
ティルナード様とはこの間、何かあれば相談すると約束したばかりなのだ。私としては約束を守りたい。
「当日のアリバイはルーカスと打ち合わせ済みだし、ばれた時は私が責任を取ってケツをもとう」
「あの、王弟殿下。どうしてもレイチェルでないと駄目なのですか?ルーカスでは不足があるのですか?」
母の心配はもっともだし、この話は腑に落ちない点だらけである。ルーカスが許可したというのも信じられない。ルーカスができないのに、私でないと駄目な理由が見つからない。
「ヴィッツ伯爵夫人が心配されるのは当然だと思う。しかし、これは私の悲願なんだ。それにレイチェル嬢のためにもなる。この件が片付けば私はレイチェル嬢の味方になると約束する」
悪い話ではないだろう、と真剣な眼差しで言われて、私はふと、王弟殿下にまつわる話を思い出した。殿下の母親は兄である現国王陛下とは違う。側妃として後宮に入った彼の母親の実家は弱小貴族だった。
争いを好まぬ殿下の母親は味方もないまま、精神を病んでいった。それを後押ししたのが正妃派の宰相だったという。真偽の程は確かではないが、噂では殿下の幼い頃に何かの中毒で儚くなられたらしい。もしかしたら、その事に関係するのかもしれない。
「聞いての通り、公爵家には他言無用だ。マリア」
ちらり、と殿下は無言で控えていたマリアに釘を差した。用心深いことだ。
私は諦めて溜め息をついた。元より王族の命令を断る気骨など余程の無茶なものでもない限りはない。変装して、ちょっと隣に立って面通しをするくらいなら楽なものだと思う。兄が許可したのなら必要なことなのだろうし、そう危ないことにはならないだろう。
この件以降、伯爵家に圧力をかけたりしないこと、殿下に味方になってもらえることは魅力だとも思う。うちは伝統だけが取り柄の、何かあれば容易に傾くぐらいの弱小貴族だ。
「わかりました。お受けいたします」
母は物言いたげだが、私は長いものには巻かれる主義である。
ことが公爵家に露見した場合も責任をとってくれると言うのだから、悪い話ではないと思う。
私が頷けば、王弟殿下は満足げに笑った。「そういえば、この間贈ったハーブはお気に召したかな?」と話を振られて、胃がきりきり痛んだのはその後のことだ。




