第1話 土砂崩れで全滅したと思ったら、クラス全員で魔王討伐を頼まれた件
「おら、走れ走れ! 日が暮れるぞ!!」
鬼軍曹もかくやという教師の怒号をBGMに、僕達はぬかるんだ山道を走っていた。いや、走らされていたと言うべきか。
水を吸って鉛のように重くなったジャージが身体全体にのしかかり、一歩踏み出すたびにすり減った靴の底が泥濘に沈み込んで、HPをゴリゴリと削っていく。酷使された肺は酸素を求めて悲鳴を上げ、乾ききった喉からは鉄錆のような血の味がした。
そして、この場にいる全員が心の中で総ツッコミを入れているだろう。『日なんて今日は一回も見ていねぇよ! 朝からバケツをひっくり返したような大雨だったろ!』と。
見上げても、視界を遮るのは鬱蒼と茂る木々の枝葉と、そこから狂ったように叩きつけられる鉛色の雨粒ばかりだ。視界は数十メートル先すら白く霞んで見えず、山の気温は急激に低下している。容赦ない雨風による継続ダメージで体温は奪われ続け、指先の感覚はとっくに家出していた。
普通の学校であれば、いや、まともな判断力を持った大人が一人でもいれば、秒で中止の判断が下る状況だ。遭難や低体温症、あるいは滑落の危険性が高すぎる。だが、残念ながらこの高校は違ったのだ。
この僕『那須野 雄心』が所属している『私立昴田学園』は、外界から完全に隔絶された山奥にある全寮制の高校なのだが、創設目的が少々特殊だった。表向きは全寮制の厳格な学校。だがその実態は、問題のある少年少女の更生を目的とした、現代のサバイバル収容所だった。
少年院にお世話になる前に性根をたたき直し、社会に適合できる真っ当な人間にしてやろう。そんな立派な大義名分を掲げた、人権という概念がログアウトしている学校なのだ。
朝は五時起床、点呼の後は息つく暇もなくグラウンドを数十周のマラソン。食事は『どこのディストピア飯だよ』とツッコミたくなるほど味気なく量も少ない。症状の重い教師に反抗的な態度をとれば『指導』という名の理不尽な物理攻撃が飛んでくる。連帯責任の概念は絶対で、誰か一人がミスをすれば班員全員がグラウンドの草むしりや便所掃除を徹夜で命じられるという、鬼畜仕様のペナルティ付きだ。
まさに昭和のスポ根とブラック企業を煮詰めて固めたような、地獄の環境だった。
……まぁ、最近は本当に更生が必要なのかどうか怪しい生徒も多いみたいだが。かく言う僕だってそうだ。
両親は投資家としてそれなりに名の知れた人物で、普段のトレードの他に講演活動も精力的に行っており、ちょくちょく地方へ出張していた。その最中、不運な交通事故で二人ともあっけなく亡くなってしまった。
悲しみに暮れる間もなく、両親が残した莫大な遺産を目当てに、顔も名前すらよく知らない親戚連中がハイエナのように押し寄せてきた。彼らは財産を独り占めにするために色々と汚い策を巡らせ、僕を合法的に厄介払いするために、この昴田学園に強制的に入学させたのだ。
目障りな邪魔者が消え去った親戚たちは、今頃は僕の保護者であり遺産管理人としての地位を手に入れ、豪邸でふんぞり返って好き放題しているに違いない。全く、テンプレすぎる悪役ムーブである。
僕の他にも、本人じゃ無くて保護者に問題がある……例えば、不倫の邪魔になったからとか、再婚相手と上手くいかなかったからとか、そういう身勝手でクソみたいな理由で放り込まれた奴が多いと噂で聞いた事はある。入学してからまだ一ヶ月ちょっとしか経ってないので本当かどうかは知らないが、夜中の消灯後、隣のベッドから押し殺したようなすすり泣きやら怨嗟の声が聞こえてくるあたり、あながち嘘でもないのだろう。世知辛い世の中だ。
話を戻そう。少年院の代替施設のような更生を目的にした学園なので、普段の授業や寮生活はもちろん、学校行事もとんでもないスパルタぶりだ。
今まさに僕たちがやらされている『登山大会』は、毎年四月末から五月初めに行われる、学校の近くにある険しい山を登る伝統行事だ。
しかし道は舗装すらされていない獣道の上に、雨天中止などという甘えた選択肢は存在しない。こういう所に『困難に打ち克つ強い精神力を養う』という、狂気に満ちた学校の理念が現れている。
近年よくニュースで報道されているような、災害級の大雨でも中止はしないのだ。教師たちは自分たちは安全なふもとの山小屋から無線で怒号を飛ばすだけで、実際に危険な山道を走らされるのは僕達生徒だけなのだから、彼らにとっては完全なる対岸の火事なのだろう。
そして、こんな災害級の大雨で地盤が緩みきった険しい山道を、百人近い生徒に走らせていたら、どうなるかは明白だった。
「……ん? 何だこの音?」
僕のすぐ前を走っていたクラスメイトの一人が、泥まみれの顔を上げてふと立ち止まり、そうつぶやいた。
息も絶え絶えな僕の耳にも、雨音を切り裂くように、地鳴りのような重低音が響いてきた。ゴゴゴゴゴという、大地の底から湧き上がるような不気味なエフェクト音。
不快な振動が足裏から伝わってくる。周囲の木々が不自然に揺れ、濡れた土の匂いが一層強くなった。
本能の危険探知スキルが最大レベルで警鐘を鳴らした。だが、極限まで疲労しきった身体はすぐには動かず、事態を呑み込んで様子をうかがう時間も無かった。
斜面上方を見た瞬間、視界を覆い尽くすほどの黒い濁流が迫ってくるのが見えた。土と岩、そしてなぎ倒された巨大な木々が混ざり合った、圧倒的な質量の暴力。
回避コマンドを入力する隙など一秒たりともなかった。頭上から重い半固体物が大量にのしかかって来たかと思いきや、抗う間もなく僕の身体はふわりと宙に浮いた。
何か不思議な浮揚感が身体全体に感じられ、視界が急速にブラックアウトしていく。
全身が押し潰される激痛を覚悟した瞬間、恐怖よりも先に、どこか冷めた安堵の感情が芽生えたのを覚えている。ああ、これでようやく、あのクソゲーみたいな地獄の日々から解放されるんだ、と。
もし来世があるなら、次はもっとイージーモードな世界でお願いします。
そんな現実逃避の祈りを最後に、冷たい泥水に飲み込まれながら、僕は完全に意識を失った。
***
「……ここは……?」
気がつくと、僕は硬い床の上に横たわっていた。肌を刺すような冷たい泥の感触も、息を詰まらせるような土の匂いも、鼓膜を叩きつける雨音も消え失せていた。
ゆっくりと鉛のように重い瞼を開けると、薄暗い石造りの天井が視界に入った。壁に設置された松明のような不規則に揺れる炎の光が、空間をぼんやりと照らしている。カビと、どこか甘ったるいお香の匂いが混ざったような独特な香りが鼻を突いた。
身体を起こそうとすると全身の筋肉が軋んだが、不思議と骨折などの致命的な怪我をしている様子はない。あれだけの大規模な土砂崩れに巻き込まれて無傷だなんて、どう考えてもおかしい。HPが全回復している気分だ。
状況を把握するために周囲を見渡す。そこは、石で囲まれた体育館ほどもある広い地下室のような場所だった。床には幾何学模様と見たこともない象形文字のようなもので構成された巨大な魔方陣が、淡い青色の光を放ちながら描かれている。魔方陣の中にはクラスメイト全員が横たわっていたが、奇妙なことに、あれほど僕たちを苦しめていた泥汚れや雨の湿り気がジャージから綺麗さっぱり消え去っている。新品に袖を通したような清潔感に戸惑いながら、僕たちは一人、また一人と身を起こし始めた。皆、信じられないという顔で自分の手や周囲の光景を見つめている。
ふと視線を前に向けると、魔方陣の外に十数人の人物が立っていることに気がついた。全員が頭まですっぽりと黒や灰色のローブを被っており、顔の判別はつかない。手には歪な形をした木の杖や、巨大な宝石が埋め込まれた杖を握りしめている。
ファンタジー系のアニメやゲームに出てくる『魔法使い』そのものの風貌の人達ばかりだ。彼らは皆、一様に肩で息をしており、MPを限界まで使い果たしたかのように疲労困憊しているように見えた。
そのあまりにもコテコテな異世界ファンタジー的空間に、僕たち生徒は誰一人として声を出すことができず、ただ息を呑んで見つめ返すことしかできない。
するとローブ集団の中の一人が、唯一服装が異なる人物に向かって恭しく頭を下げ、話しかけた。
「陛下、異世界召喚の儀、成功致しました」
呼ばれたその人物は、一際豪華な金糸の刺繍が施された軍服のような衣装を身に纏い、額には大粒の宝石が散りばめられたサークレットタイプの王冠を付けていた。年齢は二十代半ばくらいだろうか。
透き通るような金髪と、鋭くもどこか影のある青い瞳を持った、無駄に顔のいいイケメンの若い男性だ。
「わかった。大儀であった。休め。後は余に任せろ。これよりは、余の責任である」
威厳のある、しかしどこか疲労の滲む声でそう応え、若い男性は深紅のマントを翻して僕たちの方へ向き直った。
彼は光を失いつつある魔方陣内にゆっくりと一歩踏み入れると、大きく口を開いた。
「急に呼び出して済まない。混乱しているだろうが、どうか聞いてほしい。余はアレクサンダー・ゴルジェ・サク・セッテ。この大陸の覇を唱える、セッテ王国の国王である」
朗々とした声が、石造りの地下室に響き渡る。
国王。セッテ王国。異世界召喚。次々と飛び交うラノベ全開な単語の数々に、僕の頭は冷静な処理を諦めかけていた。隠しカメラでも探そうかと思ったが、周囲の空気感があまりにも重厚で緊迫しており、とてもテレビのドッキリやVRアトラクションの類には思えないし、あの学校がそんな企画に協力するとも思えなかったので、すぐ脳内からデリートした。
アレクサンダー国王は、僕たち一人一人の顔を見渡すように真摯な視線を巡らせながら言葉を続けた。
「詳しい説明は後ほど場所を移して行うが、まずは現状を理解してもらう必要がある。ここは君達がいた世界とは違う、全く別の世界――君達の言葉を借りるなら『異世界』と思って欲しい。そして、なぜ無断で君達を召喚するような暴挙に出たかだが――恥を忍んで頼みたい事があるからだ」
一国の王という立場の人間が、見ず知らずの高校生たちに向かって深く頭を下げる。
その異常な事態に、ざわめきかけていたクラスメイトたちは再び水を打ったように静まり返った。
その後、アレクサンダー国王が放った言葉に、僕たちは言葉を失うほどの衝撃を受けた。
「この国に現れた災害――魔王を倒して欲しいのだ」
沈黙が落ちた。
数秒の空白の後、堰を切ったようにクラスメイト達の感情が爆発した。
「は、はあああああ!?」
「魔王!? 異世界召喚!? マジで言ってんの!?」
「冗談だろ、俺たちただの高校生だぞ!」
恐怖、混乱、拒絶。
いきなり見知らぬ世界に連れてこられ、命を懸けた戦いを強要されたのだから、当然の反応だ。普通なら、パニックになって泣き叫ぶか、ふざけるなと国王に掴みかかるだろう。現に数名の女子は顔を覆って泣き崩れているし、男子の中にも腰を抜かしている奴がいる。
だが、その喧騒をどこか遠くの出来事のように聞きながら、僕は全く別のことを考えていた。
周囲を冷静に見渡すと、泣き叫んでいる奴らの他に、奇妙なほど静かに、いやむしろ目をギラギラと輝かせている奴らが一定数いることに気がついた。
かく言う僕も、完全にそっち側の人間だった。
元の世界に帰せ? あんな、毎日理不尽な暴力に晒され、泥水をすすらされるようなクソみたいな世界に?
帰ったところで待っているのは、親戚に財産を奪われ、自由と尊厳を奪われた絶望的な未来だけだ。学園を卒業したところで、真っ当な人生など待っているはずもない。
魔王がいる? 命の危険がある? 大いに結構じゃないか。
少なくともここには、僕を邪魔者扱いする強欲な親戚も、生徒をサンドバッグとしか思っていない狂った教師たちもいないのだから。それに、異世界召喚のお約束なら、僕たちにはチート能力の一つや二つ、与えられているに違いない。
この『魔王討伐』という馬鹿げた依頼に対して、クラスメイトたちはパニックと歓喜という、あまりに両極端な反応を見せていた。
しかし、その根底にある感情は驚くほど一致していたようだ。僕も心の底から湧き上がる歓喜に震えながら、同じことを考えていた。事実、どれほどパニックに陥ろうとも、『元の世界に帰して』と口にする奴は一人もいなかったのだ。
それどころか、驚くべきスピードで場が静まり返っていく。彼らにとっての『日常』があまりにも過酷すぎたせいで、魔王がいる異世界のほうがまだマシだと判断するのに時間はかからなかったらしい。
僕は思わず、口元が歪んで笑みがこぼれそうになるのを必死に抑えた。
(よっしゃあああ! あの地獄とオサラバできたぜ!!)




