29.「KUMA」
この戦いは――つくづく安易で甘えた考えが許されないのだと、俺は再度実感する羽目になった。
彼女が先刻口にした『一緒に服を選んでもらう』という要求を受け、俺は真っ先に“店員さんから声をかけて”くれて、良い感じの服を見繕ってくれそうな、とあるビルの一階に店舗を構える“お洒落なセレクトショップ”に連れていくことにした。
しかし……その店構えと店員さんの動きから、海風はいったい何を察したのだろうか。
店舗を前にした途端、俺はシャツの裾をぐっと掴まれた。
そして後ろを振り向くと、彼女は逃げ場を求める小動物のような目で、ぐっと口を閉じたまま顔を左右に振った。
「……ごめん海風、これだけ聞かせて」
「……なに」
「海風って普段……どんなところで服を買ってたの?」
その言葉を聞いた海風は少し言いにくそうに、しかしほっと肩の力を抜いて、こう答えた。
「カ〇ミに入ってる……し〇むら」
◆
こうして俺たちは、駅ビルに入っているファストファッションチェーン店に戦いの場を移したのであった。
「……都会だぁ……」
海風が広い店内を見回しながらポツリとよく分からないことを口にしたが、ここなら入店できそうでひとまず安心だ。
ここのアイテムはだいたい無難だし、必殺の“あの手”もある。
それに、なんだかさっきに比べて、彼女の態度は徐々に軟化しつつあるような気がするんだ。
――この戦い、なんとか乗り切れる。
俺がそう確信したとき、海風は壁に掛かっている“KUMA”という文字と、クマのぬいぐるみのイラストがプリントされたTシャツに目を輝かせていた。
こ、これは上級者向けだなぁ……などと俺が考えたのに対し、ボソッと「……かわいい」とこぼす海風。
たしかにかわいい(海風もね)。
だけど、女の人の言う『かわいい』には星の数ほど種類があることを、篠崎を中心としたドロドロの女社会を目の当たりにしていたことで、俺は自然と理解できていた。
海風が万一これを着て他の子に『かわいい』と言われるのだとすれば、それは一人の女性に向けた『かわいい』ではなく、パパさんから娘さんに向けた『かわいい』なのだ。
服なんて本当は好きなものを着ればいいとは思うけれど、彼女がわざわざ『服を選んでほしい』と要求したことから察するに、そういう問題ではないことは明らかだった。
どうすれば、彼女をここから引き離すことができるだろうか?
なかなかいい考えが浮かばなかった俺は、とりあえずお茶を濁す目的でこう言った。
「かわいいクマさんだね。このデザイン、こんど“エタデモ”でも使ってみようかなぁ! ははは……は」
しかし、“エタデモ”という言葉を耳にした瞬間。
海風から生き物を見る目ですらない、あまりに冷たい目線をこちらに向けられ、俺の全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。
うぅ、まだ“エタデモ”は禁句なのか……。
“エタデモ”が赦されるときは、いつ訪れるのだろうか?
ふと浮かんだ悲しみの気持ちとともに、俺は思わず手札破壊と遅延戦略で楽しそうに遊んでいたころの海風を懐かしんでしまった。
だが興が覚めたのか、彼女はプリプリと怒ったまま“KUMA”から離れていったので、結果的にはこれでよかったのかもしれない。
まさに怪我の功名である。
◆
ことファッションにおいて、カースト中位層の人間とはかくも無責任な生き物だ(※個人の感想です)。
人の格好を『ダs……個性的だね』と評することはしても、じゃあ具体的にどうすればいいかなんてアドバイスするところまで責任は持てない。
結局のところ、俺たちは誰かが勝手に生み出した流行りをたまたま知り得て、それにただ便乗しているに過ぎない。
「……さ、さぁ。この中からだったら、どんなのが良い?」
そういった意味では、俺が考えていた“あの手”——いわゆる“マネキン買い”だって、それなりに理にかなっていることだと思う。
分からないなら、とりあえず“流行りもの”に乗っかればいい。
正直、マネキンにも当たり外れはあるけど、外れは俺が隣で弾くことができる。
「む……」
海風はむくれた様子のまま、無難な夏の装いに身を包んだ数体のマネキンを見比べていた。
そして、俺の目から見てもしっかり『無難だな』と判断した、いくつかの組み合わせと同じアイテムをかごに入れ、二人で試着コーナーへと向かった。
そして、俺はカーテンの外で待つことにした。
この戦い――勝ったな、ガハハ!
「――あれ?」
カーテンが開くと、肩の膨らんだパフスリーブの白いトップスと、細身のデニムパンツに身を包んだ海風が恥ずかしそうに俯いたまま姿を現した。
正直……なんか違うな。
なんだろう、シルエットが変なのか?
それとも、トップスの上品さとデニムのカジュアル感がチグハグすぎるのか?
でも、マネキンで見た時はそうは感じなかったような……。
いずれにしても、様子からして海風自身も同じような違和感を抱いていることは間違いない。
「……」
「ごめん……つ、次いってみよっか!」
再びカーテンが開く。
今度はデコルテが幅広に開いたマリンボーダーのカットソーに、白いショート丈のキュロットに身を包んだ海風が姿を現した。
日焼けした太ももに思わず目が行ったが、すぐに自分の頬を叩いて目を逸らした。
しかし……これも、何かが違うような。
さっきよりもハツラツとした海風のイメージに合っているかと思ったのに、案外そうでもないというか。
「……ど、どうかな海風?」
「肩の日焼け跡が……ちょっと……」
海風にそう言われると、不思議と肩の水着の跡に目がいくようになってしまった。
「あはは。やっぱり水泳とお洒落の両立って、難しいのかも……」
ついには、それまでムスッとしていたはずの海風が、とうとう弱気な声をこぼしはじめた。
塩素で傷んだ茶色い髪をつまみ、試着ボックスの白く強い光に透かしながら、自嘲気味に笑ってみせる彼女を見て――
「そんなことないっ」
「え……」
「こうなったら泥臭く、とことん一緒に探してみよう。きっと似合う組み合わせがあるはずだよ!」
「……うん」
――初めてのよく分からない感情に、火が点いた。
一体どうしちゃったんだ、俺。




