20.このターン、クリーチャーのパワーを+10000する
カードはいつもお守りだった。
当時、一桁二桁の攻撃力が当たり前だったTCGの世界にあって、時おり10000以上すら叩き出す数値。
どこまでも壮大なスケールのフレーバーテキスト。
そしてケレン味のあるド迫力イラストで描かれたクリーチャーたちは、あまりにも力強く――内気だった小学生時代の俺に無限の勇気をくれた。
はじめはパックを買って、当たりを引いて、友達に自慢して。
デッキが組めるほどのカードを持っていない頃でも、俺はただそれを持ち歩くだけでよかった。
そう、カードはいつもお守りだった。
どんなに辛いことがあっても、カードのクリーチャーたちの放つ何かすごい光線のような攻撃が、いつも脳内でそれらを消し飛ばしてくれた。
◆
「チカラガ……欲シイカ?」
「……」
――だから、この行動にだって意味はあったんだ。
建屋の壁に身を隠しながら、デッサン狂いの顎尖り白タイツ――“創世の悪魔”のカードを手に持ち、海風がいる方向に向けてかざしたことも。
そして、喉を使ったダミ声で先の台詞を口にし、海風に語りかけたことも。
――いや、なんでそうしてしまったんだよ俺。
「……」
「……」
反応が返って来る気配はない。
そもそも物陰に身を隠しているせいで、海風の様子が見えないことは誤算だった。
方法を誤ったかもしれないことを察して、全身の血がじわじわと冷えていく感覚に苛まれる。
たまらなくなり、俺はおそるおそる物陰から顔を出して、海風の様子を覗いた。
「……」
海風は背中を見せてうずくまったまま、ぽかんとした顔だけをこちらに向けている。
俺は即座に顔をひっこめた。
これはだめだ、もはや引くに引けない。
――続けるしかない。
「お、思イ出セ……!我ヲ使役シ、知略ノ限リヲ尽クシ、俺……じゃなくて、む、室井忍ヲ貶メタ日々ヲ……!」
セリフに合わせて、手に持った“創世の悪魔”を揺らす。
「我ハ知ッテイル。貴様ガドンナ手ヲ……うわ風つよっ……使ッテデモ、勝利ヲ求メル前ノメリナ本性ヲナ……!」
風で時おり紙がペラペラペラと小刻みになびくので、イラストが見えるようにもう片方の手でカードの上側を支えた。
「ニンゲン共ノ“シガラミ”ノ鎮圧ナド、貴様ホドノ“悪魔”デアレバ……造作モ無カロウ……!クハハハ……!」
またしても、沈黙が流れている。
俺は保持に疲れた腕をいったん引っ込めて、ぶんぶんと振って乳酸をリセットしてから、今度は“精霊龍プラチナ・ユニバース・ドラゴン”を出してペラペラと揺らした。
「サァ、共ニ戦ウノデス。私タチモオ供致シマスワ!」
咄嗟に出た裏声のセリフに自分でも驚いた。
精霊龍って女だったんだ。
つい今しがた、自ら発した言葉の数々が脳内で反芻して、顔がどんどんと熱くなっていく。
たまらなくなり、俺はおそるおそる物陰から顔を出して、海風の様子を覗いた。
「……」
「……」
海風は背中を見せてうずくまったまま、じっとりとした目をこちらに向けている。
しかも、今度はばっちり目が合ってしまった。
しまった、居るのばれてるぞこれ。
「……お、お疲れ」
打つ手のなくなった俺は、ついに海風の前に姿を現した。
彼女は今も尚うずくまっている。
さっきよりなぜか小刻みだけど、依然としてその水着だけを纏った身体を震わせている。
だめだ、状況が何も変えられていない。
頭のなかが、だんだんと白くなっていく。
手先までもがぶわっ熱くとなって、朝とは違う鳥肌が全身を覆った。
そして、何を思ったか俺は――
「うぇい」
両手を不揃いな高さに上げて、上体を少し傾けて、ガニ股になった。
例の悪魔のポーズのつもりだった。
「……」
「……」
せめて、少しでも笑ってくれればと思っての行動だった。
その結果、海風の震えはさらに大きくなり、その顔はそっぽを向いて俯いて、見えなくなった。
最悪だ。
俺の行動は、ただ彼女の不安を大きくしてしまっただけのようだ。
「ごめん……」
行き場のない無力感が全身を巡り、気が付けば俺は海風に背を向けていた。
……古瀬を呼んで来よう。
海風を見つけることはできたんだ、あとは水泳のことを分かってあげられる人たちに任せるしかない。
こうなったのはカードのせいじゃない。
俺自身が、海風の背中を押せるような器じゃなかっただけ。
俺なんか、来ても来なくても一緒だったんだ。
覚束ない足を一歩、踏み出そうとした。
「えっ」
そんな俺の一歩は、思わぬ形で止められてしまった。
背中にドンと、しなやかな衝撃を感じた。
次に日焼けしたふたつの腕が、俺の肋骨まわりをあっというまに包み込んだ。
そして、その腕が上体をぎゅうと締めつけたかと思えば――背中に密着している柔らかな感触が持つあたたかみと、小刻みにトクトク震える心地の良い鼓動が、Tシャツ越しに俺に伝わってきた。
肩甲骨の間に触れているのは、おでこだろうか。
「すー」「はー」と吐息を感じるたび、“彼女”の全身がゆっくりと上下に動くさまが、はっきりと分かった。
しばらくして、俺は自身を抱きしめている彼女の手に、おそるおそる両手で触れた。
密着していた背中の感触がすっと消えたかと思えば、彼女は俺の両手を取り、それぞれをギュッと握りしめた。
「ありがとう。いってくる」
力強い言葉が耳元で聞こえたかと思えば、手を握っていた感触がすっとほどける。
そして、たしかな方向性を宿した足音が、だんだんと遠ざかっていった。
俺はしばらくの間、その場で立ち尽くしていた。
背中と肋骨まわりにじんわりと残る感触の残滓が――自然となくなっていくまで。




