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第六十話:世界の心臓、反転のゼロ地点

 王都シュトラールの空を割った巨大な亀裂。その「裂け目」の内部は、私たちが知る物理法則が、まだ言葉にすらなっていない混沌の深淵だった。


 白銀の幾何学模様が無限に連続し、色彩も音も、上下の感覚さえもがリアルタイムで書き換えられていく。

 一歩踏み出すたびに、私の『極光の魔導核』が悲鳴のような警告音を鳴らし、仲間の姿がデジタルノイズのように激しく明滅していた。


「……っ、……主様。……私の、……魔剣が。……存在しているという『定義』が、……砂のように、……指の間から溢れていく……!」

 ルナが『不変の銀閃・零』を握りしめるが、その白銀の刀身は半透明に透け、実体を失いかけていた。

「旦那! アタイの義手も……言うことを聞きやがらねぇ! 動け……動いてくれよ!!」

 ガオの漆黒の腕が、赤いエラーログを放って火花を散らす。


 ここが、世界の心臓部。

 ジョシュアやアイリスさえもが逆らえなかった、真神システムの深淵――『反転のゼロ地点』だ。


「――排除。……不確定要素、……総質量の九割を……消去デリート開始」


 通路の奥から、無数の虹色の触手と融合し、巨大な異形の塊と化した「エクス」が這い出してきた。

 かつての聖勇者の面影はない。それは、システムが遺した『自動修復プログラム』が、ただ機械的に「掃除」を遂行するための、無機質な殺戮機械だった。


「……不愉快ね。私の可愛いレイを、……ただの『ゴミデータ』扱いするなんて」


 アイリスが、自らの白銀のドレスを光り輝かせ、私の前に立ち塞がった。

 彼女の『根源反転』が、周囲の消去の波を物理的な壁となって押し留める。


「ヴィクトリア! 貴女は盾でみんなを守りなさい! リタ、……貴女の知恵で、この空間の『記述』を一時的に固定するのよ!」


「……は、はいっ! ……アイリス様!!」

 リタが泣きそうな顔を上げ、黄金の錬成陣を展開する。

 ヴィクトリアの盾が、赤いインクのような消去の波動を「ガギィィィンッ!」と弾き飛ばすが、一撃ごとに盾がコンニャクのように柔らかく裏返され、彼女の騎士としての矜持が試されていた。


「…………これ以上、……勝手な書き換えは、……させない!!」


 私は、自分の胸の魔導核を、あえて「逆回転」させた。

 外側へ放つ反転ではない。

 消されかけた仲間たちの「存在データ」を、無理やり私の因果に引き寄せ、実体化させるための『再起動リブート』。


「…………三位一体トリニティ、……偽りの秩序ごと、……食い破れ!!」


 ドクンッ!!

 

 私の心臓から放たれた白黒の奔流が、エクスが放つ「無」の波動と正面から衝突した。

 私は、消えかけていたルナの手を、ガオの肩を、リタの震える指先を、私の魔力の糸で強引に繋ぎ止めた。


「……リタ! 構築しろ! お前の知る、最高の『レイ』の装備を、今ここで再定義しろ!!」


「……あ、……あぁ……っ! 視えましたわ、主様!! 因果の筋道が……っ!」

 リタの錬成陣が、システムの消去を上書きし、ガオの義手に、ルナの剣に、再び「不滅」の定義を刻み込む。


 一瞬の勝機。

 私は、ヴィクトリアの盾を足場にして跳躍し、異形の塊と化したエクスの中心核へと肉薄した。


「…………制約を、……その心臓部ごと、……食い破れ!!」


 私の拳が、虹色のコードが渦巻く中心を貫いた。

 パリンッ!! と、世界が割れるような凄まじい音が響き、エクスという名のプログラムが、膨大なノイズとなって霧散していった。


 だが。

 エクスが消えた瞬間、迷宮全体がドロドロとした赤い「エラー」の色に染まり、巨大な「胎動」が、深淵の底から響き渡った。


「……あ、……あぁ……。……レイ、……視えるよ」

 セレナが紺碧の瞳を限界まで見開き、崩れゆく空間の先を指差した。

「……一秒先じゃない。……世界が、……完全に『閉じる』瞬間。……システムの最終防衛本能が、……『最初から、何もなかったこと』にするために、……この次元を丸ごと、……切り離そうとしているんだ……っ!」


 崩壊する迷宮の中央。

 まばゆい光の中に、赤ん坊のように丸まった、無機質な「赤ん坊」の影が出現した。

 

 それは、ジョシュアが恐れ、アイリスが救おうとした、この世界の真の核――**『第零のプロトタイプ』**の目覚め。


「……追い詰められた結果、……世界ごと自分を消そうってわけね」

 アイリスが、私の肩に手を置いた。彼女の手は、いつになく温かく、そして……微かに震えていた。


「レイ。……私の、自慢の息子。……お母様は、……もう一度、……貴方を助けるための『くさび』になるわ」


「……母さん、何を言ってるんだ! 一緒に帰るって……!」


「いいえ。……あの『第零の筆』が目覚めたら、一瞬で世界は白紙になる。……私が、……因果の裏側から、……あの子の意識を数秒だけ『反転』させて止めるわ。……その隙に、貴方が……貴方が、本当の結末を、……描き込みなさい」


 アイリスが、最高の笑顔を見せて、私を突き飛ばした。

 

「行って、レイ! ……貴方の描く未来を、……お母様に見せてちょうだい!!」


 白銀の光に包まれたアイリスが、世界の核へと飛び込んでいく。

 

「……母さん!!」


 私の叫びを置き去りにして、世界の初期化が、最終段階へと移行した。


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