第12話_宮崎県オオクワガタの採集
~宮崎県オオクワガタの採集~
「んっふっふ~♪」
夜の二三時過ぎ。淹れたての熱々紅茶を飲みながら、お店のみんなの日報を一人で読んでいると事務所の電話が鳴った。こんな遅くに誰だろう? 三コールでそれに出る。
「はい、グリーンファンタジスト与次郎店、指宿です」
「椎葉です。指宿さん、今年もシーズンになりましたよ~♪」
ぱりっぱりの私の営業ボイスとは対照的な、のんびりした女性の声が電話の向こう側から聞こえてきた。でも、良く知った取引相手に思わずテンションが上がる。
「椎葉さん、久しぶり。元気にしていた?」
「私はいつも元気ですよ。それにしても、こんな夜遅くまでお仕事してちゃダメですよ」
「それ、夜中に電話してきた張本人が言う? 今日はたまたま私が最後だったのよ」
「身体と美容に気をつけて下さいね?」
「もち。私はまだ旦那に捨てられたくないから気をつけているわ♪ で、そろそろかなと思っていたけれど、もしかしてオオクワガタが採集できたの?」
「はい、今年もうちの山でオオクワガタが三ペア採れました。サイズは小さめですが、これからどんどん増えていくと思います。例年通り、カブトムシや他のクワガタ達も指宿さんのお店向けに、それぞれ五〇匹以上ストック出来ていますよ」
ほくほくした少し得意げな声。今年は当たり年なのだろう。
「そっか。それじゃ早速、全部まとめて宅配便で送ってもらおうかな♪ ――って思ったけれど、ちょっと待って」
私の頭の中に、きらりっと良いアイディアが浮かんでいた。
「指宿さん、どうかしましたか?」
「ううん、えっとさ、少し聞きたいことがあるんだけれど――私の知り合い二人を椎葉さんの山に案内してもらうことって可能かな? 秘密のポイントは教えなくても良いんだけれど、後学のために天然のオオクワガタが採れる環境を見せておきたいの」
「指宿さんの知り合いですか? ポイントを口外しない信用できる人なら構いませんよ?」
即答だった。長年取引があるとはいえ、信頼されているっぽくて何だか嬉しい。
「ありがと。うちのお店のアルバイトの女の子とその彼氏で大学一年生だけれど、二人とも将来有望な人間的に信用できる子達よ」
「指宿さんがそんなに褒めるなんて、素敵な子達なんですね。宿泊場所は、うちの旅館で良いですか?」
「もち。――そうね、こっちの日程の詳細が決まったら、また電話するわ」
「はい。それじゃ、お部屋を空けて連絡を待っています」
電話を置いて、自分が笑顔になっていることに気付いた。心臓がどきどきしている。桜島ちゃんと鼎君なら、きっと良い広告用資料を作ってくれるだろう。
これで今年の夏も売上が大幅アップかな♪
◆
六月の第四週の土曜日。
指宿店長の「ねぇねぇ、鼎君に桜島ちゃん。クワガタ&カブトムシシーズンを前に、天然オオクワガタの採集に行ってみない? いつもみたいにレポートを作ってくれたら、バイト代も出るよ♪」という甘い言葉によって、僕らは土・日・月の二泊三日で宮崎県の椎葉村へとやってきていた。移動は桜島さんが運転するレンタカー。レンタカー代を含めて、宿泊する民宿代や交通費などの一切を指宿店長がお店の経費で落としてくれることになっている。
「ついでに、桜島ちゃんの「しょ――」も落してきなよ~?」
「しょ」の後は良く聞こえなかったけれど、悪戯っぽく指宿店長に耳打ちされてしまった。ちなみに、家に帰ってから、桜島さんが「今日の鼎は、何だか店長と内緒話をしていちゃいちゃしていた!」と言って冗談っぽくほっぺたを膨らませたのは、そして「一〇分間抱きしめて慰める刑」に僕が服したことは、絶対にからかわれそうだから指宿店長には言っていない。
ふと車の時計を見ると午前一一時を指していた。梅雨だから天気が心配だったけれど、あと三日間は、天気予報によると雨は降らないらしい。
今回の案内人の「椎葉さん」と合流予定の、つり橋の横にある物産館にカーナビの案内で到着した。車から降りて携帯で連絡を入れると、物産館から人の良さそうなお姉さんが出てきた。年齢は二〇代後半くらい? 若草色の薄手の長袖シャツにデニムのジーンズ、晴れているのに膝下まであるドット模様のおしゃれな雨靴を履いている、黒髪ショートボブの美人さんだ。僕と桜島さんに気が付くと、笑顔で手を振ってくれた。
「初めまして、大明丘鼎です」
「桜島沙織です」
僕と桜島さんの言葉が重なる。
「「三日間、よろしくお願いします」」
その言葉に、椎葉さんがにっこりと笑って、ぱたぱたと手を振る。
「そんなにかしこまらなくて良いよ。初めまして、私は今回の案内人の椎葉あやめ(しいば・あやめ)です。指宿さんから色々と話を聞いているわ。こちらこそ、三日間よろしくね。とりあえず、立ち話もアレだから――ちょっと早いけれど物産館でお昼ご飯にしようか?」
◇
ヤマメの塩焼きと焼き畑で採れた蕎麦を食べながら、今回の採集の打ち合わせをする。
ヤマメは、ほくほくでほのかな甘味と、川の風味がある。蕎麦もコシと香りがあって美味しい。薬味の山椒の粉を蕎麦に少しだけつけたけれど、ぴりりとしてかなり味にインパクトが生まれた。
指宿店長から聞いていたけれど、椎葉さんは僕らが泊まる旅館の若女将的な存在。小さい頃から生き物が好きで、指宿店長とは一〇代の頃に知人を通して知り合ったと言っていた。椎葉さんは、狩猟が趣味で「冬になったら散弾銃を持って山に入るの」と可愛く言っていたけれど――のんびり美人さんに散弾銃の組み合わせが、僕にはちょっとイメージできなかった。
「お昼ごはんを食べた後に、さっそくクワガタのポイントを廻ろうかなって思っているんだけれど、いくつか私と約束して欲しいことがあるの」
コップの水を飲み終えた椎葉さんが、僕と桜島さんに視線を向けた。ちょっぴり真顔で真面目な視線に、桜島さんと一緒に首を縦に振る。
「よろしい。これから私の家が管理している山を四ヵ所くらい回ろうと思っているのだけれど、他の人には場所を内緒にしてね。指宿さんに教えていないポイントもあるから、指宿さんにも言っちゃダメよ? それと、スマホで写真を撮影するとGPS情報が画像に付与されてしまうから、絶対にスマホで写真を撮らないように」
椎葉さんが言うことは、もっともだと思う。秘密のポイントが公開されてしまうと、人が殺到してクワガタが採れなくなってしまうから。
「はい、分かりました」「私も気をつけます」
椎葉さんが頷いて言葉を続ける。
「他には、知っていると思うけれど、山の中には危険な動物がいっぱいいるの。特に気をつけてほしいのがスズメバチとマムシとマダニかな。二人とも香水はつけていないみたいだけれど、スズメバチは香水をつけていると寄って来ることがあるから、使わないように。逆に、マダニを避けるために、虫除けスプレーは多めにふっておくことをお勧めするわ。あと、山の中にはどこにマムシが潜んでいるのか分らないから、むやみに地面に手をつかないように。でも、一応、足元は長靴を履いていたら大丈夫よ」
「ハゼの木とかヤマビルとかは、気をつけた方が良いですか?」
桜島さんの言葉に、椎葉さんが首を横に振る。
「そこは、大丈夫かな。今日はヤマビルがいない山に案内するつもりだし、私が使う獣道の近くにはハゼやウルシの木は生えていないから」
ほっとしたような表情を桜島さんが浮かべる。
「分かりました。……良かったです、私、ヤマビル苦手なんですよ」
◇
一旦、旅館に着替えなどの荷物を置きに行くことに決まった。
物産館を出て、椎葉さんの軽ジープの後をレンタカーでついて行き、三〇分程で椎葉村の中心部に着いた。食堂や酒屋、そして有名な観光地の鶴富屋敷がある石畳の通り。そこからさらに車で一〇分弱の山裾に、椎葉さんのご両親が経営する旅館があった。
外装は落ち着いた和風の建物。内装も漆喰と木の素材を活かしつつ、落ち着いた雰囲気のおしゃれなインテリアが配置されていた。「座敷わらしがいる宿」として予約が絶えない有名な旅館だということは、つい五分前に知った。……。指宿店長、もっと早く、かつ事前に教えておいて下さいっ。僕は幽霊とか妖怪とか苦手なんです。って思ったけれど、今更、宿を変えることは出来ないから、椎葉さんに失礼にならないように、恐怖を顔に出すようなマネはしない。
その一方で、旅館の内装を見るなり、桜島さんはわくわくしたような表情を隠さない。
「とても素敵ですっ。木を活かした太い梁とか、あの厚みのある机とか、格好良いですね♪」
桜島さんの言葉に椎葉さんが笑顔になった。その表情は、ちょっとくすぐったいといった印象。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。――お母さん、お客様が来たよ」
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうでおばちゃん――というのはちょっと失礼か。あと二〇歳若くて痩せていたら、かなりの美人さんなのだろうなと思われる女将?――が笑顔で挨拶してくれた。
「こちらの紙にお名前と住所をご記入下さい」
おばちゃんにカウンター越しに差し出された紙に必要事項を書いていく。それを見ながら、おばちゃんが話しかけてくる。
「指宿のお嬢ちゃんから話を聞いていたけれど、鹿児島から来たんだってね? 大変じゃなかったかい?」
「途中まで高速道路を使いましたが、結構時間がかかりましたね」
「これでも、昔に比べたら格段に道が良くなっているのよ? 昔は、ガードレールの無い山道もたくさんあったの」
「え? ここまで来るのには、細い道が多いですよね。それなのに、昔はガードレールが無かったんですか?」
「そうそう。だから、夜に走るのは怖くてね。真冬なんて、道にあふれた山清水が凍ったりするから危なくて走れないの。スリップしちゃうこともあるから」
「怖いですね……っと、書き終わりました」
宿帳に内容を記入し終えた。それを見計らって椎葉さんが声をかけてくれる。
「さて、それじゃお部屋に案内するわね。お部屋は二階になります」
椎葉さんの案内を聞きながら部屋まで移動する。
座敷わらしが出るのは一階の特別室だと聞いて少しだけ安心。ちなみに予約は三年先まで埋まっているらしい。今日も他のお客さんが泊まっているとのことだけれど、絶対に近付かないと心に決めた。
そんなことを考えている間も、椎葉さんが宿の設備の説明をしてくれる。
「お部屋にはユニットバスが付いているけれど、一階に男湯と女湯、そして貸し切りの家族風呂があるの」
なぜか「家族風呂」の説明の時に、にこにこっと微笑ましい視線を送られてしまったけれど、気が付かなかったことにしよう。
「お客さんが多いんですね」
桜島さんが椎葉さんに話しかける。そう言えば、さっきのロビーにも四~五人の宿泊客らしき人達がくつろいでいた。
「座敷わらし様々かな」
椎葉さんが嬉しそうに笑う。それに桜島さんが反応した。
「椎葉さんは見たことがあるんですか?」
「小さい頃に、普通に話していたわよ? 一〇歳くらいの着物を着た女の子なんだ。おしゃれさんなのか、毎日、着ている着物が変わるのよ」
……ちょ、怖いから椎葉さんも桜島さんも止めて下さいっ。
「他にもね――」
あ~、あ~、あ~、聞こえないっ!
◇
話を聞いているうちにやって来たのは、二階の一番奥の角部屋。純和風の畳の部屋だった。……。指宿店長は気にしないで良いのよ? と軽く言っていたけれど、いったい一泊いくらするのだろうかと心配になってしまう広さだ。何と言うのか、高そうな雰囲気が――
固まっている僕らを見て、椎葉さんがくすりと笑う。
「二人には、窓からの眺めが一番良い部屋を用意したの♪」
椎葉さんの言葉通り、窓の外には爽やかな緑色の雑木林と綺麗な川が見えた。川から流れてくる風が涼しくて心地良い。
「目の前の川にもヤマメが棲んでいるのよ」
「水が綺麗なんですね」
「うん。でもその分、夜になったら光にカゲロウやカワゲラといった羽虫が大量に集まってくるから、網戸は忘れずに閉めておいてね?」
「「分かりました」」
僕と桜島さんの言葉が重なる。椎葉さんが小さく微笑んで口を開いた。
「ちょっとお茶でも飲んで休憩する? それとも、すぐにクワガタのポイントまで出かける? あ、でも、椎葉の観光もしたいよね?」
桜島さんと視線を交わして、頷き合う。
「えっと、さっきご飯を食べたばかりですから、僕はすぐに出かけても大丈夫です」
「私も同じです。ちなみに店長に旅の計画を立ててもらっているのですが、椎葉さんも見てもらえますか?」
そう言って、桜島さんがプリントを机の上に置いて椎葉さんに見せる。僕も内容は一応知っているけれど、確認のために覗きこむことにした。
=日程表=
~一日目~
・レンタカーで出発→移動&椎葉さんと合流→昼食→オオクワガタの採集&レポート資料収集→休憩&夕食→夜の採集&レポート資料収集→就寝(いちゃイチャしないで二二時には寝ること!)
~二日目~
・夜明け前から早朝ヤマメ釣り→昼食→オオクワガタの採集&レポート資料収集→夕方以降は自由時間(丸一日、椎葉の自然を満喫しておいでね♪)
~三日目~
・椎葉観光→移動(午前中は自由時間だから観光をしっかりして、レポートに情報を加えること!)
====
「ふむふむ、指宿さんから二人を『椎葉観光とヤマメ釣りに連れて行って』って言われていたけれど、こんなハードスケジュールになっていたんだ? 私は良いけれど、二人は大丈夫?」
正直、若干心配なのは、早朝のヤマメ釣り。移動のために一日目も三日目も長時間運転しないといけない桜島さんが、睡眠時間を削って大丈夫だろうかと思ってしまう。居眠り運転で谷底にまっさかさまとかは、僕は嫌だ。……夏休みになったら、自動車の運転免許を取ろう。そうしたら桜島さんと交代しながら運転が出来るから。
でも、明るい表情で桜島さんが口を開く。
「はい、私は、たくさんの場所をめぐりたいので、大丈夫です」
「桜島さんが大丈夫というなら、僕も同じです。指宿店長に提出するレポートのネタも必要ですし、桜島さんの睡眠時間が足りるように早く寝ることにしますし」
なぜか椎葉さんに、くすりっと小さく笑われてしまったけれど、問題無いといった様子で椎葉さんが頷く。
「分かったわ。それじゃ、必要な道具と貴重品を持って、オオクワガタを採りに行きましょうっか♪」
「「はいっ!」」
思わず桜島さんと笑顔になっていた。
僕は――熊本の高校生時代に生物部のメンバーで何度もチャレンジしたことがあるけれど――天然のオオクワガタを捕まえたことが無い。でも、今回は椎葉さんが案内してくれる。まだ捕まえてもいないのに、心臓がどきどきしてくるのが感じられる。さぁ、椎葉さんの車で出撃だ。
◇
県道から林道に入り、椎葉さんの山の入り口に到着。「私有地につき立ち入り禁止」と書かれた金網の門の鍵を開けて車を進める。椎葉さんいわく、ある意味で山は地域の共有財産に近いものだけれど、地域外から車でやって来てゴミを捨てたり、勝手に山に入っては山菜や木を過剰に荒らしたりする不心得者がいたりするから、椎葉さんの山は自衛のためにやむなく立ち入り禁止にしているとのこと。
「扉の横から簡単に、中に入れちゃうんだけれどね」
そう言って、はにかむような苦笑いを椎葉さんは浮かべていた。
雑草の生い茂る山道を三〇〇メートルほど進むと椎茸の栽培場があった。原木を立てかけて、黒い寒冷紗で日陰をつくる。さらに、そこから林道を歩いて移動する。車から降りた椎葉さんが車の後ろのドアを開けて、荷物入れから取り出した大きな山刀と「ナニカ」を手慣れた様子で腰に下げる。……椎葉さん、それは何ですか?
僕の視線に気付いたのか、椎葉さんが小さく噴き出す。
「さすがに本物じゃないわよ、普通のエアハンドガン」
普通のエアガンとか言われても――
「えっと、何に使うんですか?」
「そういう反応をするってことは、大明丘君は知らなかった? これはね、樹液に集まるスズメバチを退治するのに使うの。ハチを退治してから、クワガタの採集をすると安心でしょ?」
「初耳です。捕虫網で捕まえるのはしたことがありますけれど」
「捕虫網よりも確実かつ安全に殺せるわよ♪ バイオBB弾っていう、自然に還る弾を使えば環境にも優しいし」
そんなことを話しながら、歩き続けて五分。最初のポイントに着いた。
近付く前から発酵した樹液の甘い香りが漂って来た。クワガタがたくさんいそうな雰囲気。近づいてよく見ると、三匹のノコギリクワガタと二匹のオオムラサキが樹液に集まっていた。
「スズメバチはいなさそうね」
椎葉さんはどこか残念そう。エアガンの腕前を披露したかったのかもしれない。
その一方で、桜島さんはデジタル一眼レフカメラでオオムラサキを激写していた。思いの外、近付いてもオオムラサキは逃げない――と思ったら、オオムラサキが二匹とも飛び立った。雑木林の緑に紫色の宝石が消えていく。
「ああっ、逃げちゃった」
残念そうな桜島さんに、椎葉さんが声を掛ける。
「大丈夫よ。うちの山はエノキの木が多いからオオムラサキも珍しくないわ。そのうち、また飛んでくると思う。――ってことで、今度はクワガタを探しましょ? まずは、木の洞を見てみようか」
そう言いながら椎葉さんが、小型のLEDライトを取り出して、「かき出し棒」という先端がL字型に曲がっている金属の棒と一緒に、僕らに手渡してくる。そして僕らの胸の高さにある洞を指さした。
「二人は、木の洞からクワガタ採集したことある?」
「私は何度もあります♪」「僕は無いです」
「そっか。それじゃ、鼎君に最初にレクチャーしようかな。まずは私が実演するから、横で見ていて」
そう言うと、椎葉さんは木の股に出来た洞をLEDライトで照らしながら覗きこむ。
「ここにコクワガタがいるのだけれど、鼎君、見えるかな?」
椎葉さんに手招きされて、隣に移動して同じ角度で穴を覗く。桜島さんからの視線がちょっぴり痛いのは――「くっつき過ぎ」と小さく聞こえたのは――多分、僕の気のせいだ。
とりあえず、今は目の前のことに集中しよう。
いた。クワガタの身体が見えている。
「見えました」
「うん。それじゃ、いまからかき出し棒で取り出すから、良く見ていてね。まずはクワガタを余計に奥に移動させないために――クワガタの身体にL字が当たらないようにかき出し棒を入れて――頭とあごの間にL字の部分を引っかけるの。これで滅多なことが無い限り奥には逃げないから。次に、別のかき出し棒を使って、クワガタの前足を優しく突くの。するとクワガタが嫌がって移動しようとするから、手前に軽く引っ張って移動させる。これの繰り返しよ。……ほら、採れた♪」
椎葉さんがコクワガタを手に持って微笑む。そしてかき出し棒を僕に手渡してきた。
「多分、この洞には他にもクワガタが入っているから、練習がてら、木を傷つけないように取り出してみてよ? んで、採れたら私に声をかけてね」
「はい、分かりました」
「桜島ちゃんは、コッチの洞を見てほしいんだ。いつもココにも入っているから」
椎葉さんの言葉に、桜島さんも僕の横にある木の洞を見て頷いた。
二人から目をはなして自分の作業を始めよう。LEDライトで木の洞の中を照らす。早速、樹皮の裏側にコクワガタっぽい後姿のクワガタが何匹も入っていた。一番大きそうな個体をかき出し棒でゆっくりと固定してから、突く。抵抗するような固い感触の後――抵抗を諦めたのか、クワガタが後退してくる。それを指で受け止める。小さいけれど、ヒラタクワガタのオスだった。
「椎葉さん、ヒラタクワガタのオスが採れました」
「え? 早いね~、筋が良いわ。こっちのプラケースに入れて頂戴な」
椎葉さんが差し出した浅く腐葉土の入ったプラケースにヒラタクワガタを入れる。
「私も採れました。しかも、オオクワガタですっ♪」
ちょっと得意げな桜島さんの声。振り向くと、にこにこした桜島さんの手に、良型のオオクワガタのオスが捕まえられていた。初めて自然の中で見る天然のオオクワガタ。何だか身体が熱くなる。そんな僕の心臓の音が聞こえたのか、桜島さんと椎葉さんが嬉しそうに笑う。
「鼎、鼎、記念撮影して♪」
桜島さんに言われて、自分の首から下げているデジカメをつかむ。
にっこりと笑った桜島さんと、その手にあるオオクワガタの写真が撮れた。
「桜島ちゃんは、運が良いわね。一つの洞に一匹だけとは限らないから、どんどん探しちゃってよ♪」
「はい、頑張ります」
「頑張り過ぎて、クワガタの手足を傷つけないようにね。足が取れると商品にならないから。絶対、焦っちゃだめよ?」
そんな調子でこのポイントからはヒラタクワガタのオス二匹とメス三匹、オオクワガタのメス一匹を追加で捕まえることが出来た。ちなみに、クワガタのメスの見分け方にはコツがあるらしい。椎葉さんの教えてくれた話だと、オオクワガタとヒラタクワガタのメスの見分け方は、メスの腹の外羽に筋が入っているか入っていないかという違いだった。オオクワガタのメスには筋が入っていて、ヒラタクワガタのメスには筋が入っていない。
他にも、ノコギリクワガタのメスは赤みがかっていることやミヤマクワガタのメスは妙にごついけれど大型の個体は格好良い、といった話題で盛り上がった後に、大抵のクワガタは夜に街灯に集まるから、スケジュール通り、夕食を食べた後に採集に行こうということになった。
他のポイントも回っていく。オオクワガタの棲む木には――①山の中の蔦が絡まるような入りにくい場所②こぶや洞がある複雑な形をした木③適度な日差しがあって風通しも良い場所――という共通点があった。
楽しい採集だったけれど、早めに切り上げて十七時には車に戻ることになった。椎葉さんいわく「椎葉は山に囲まれているから、太陽がすぐに山の向こうに沈んで暗くなってしまうの」ということらしい。事実、旅館に帰る道の途中で、だんだん周りがうす暗くなってきた。……山の中で暗くなったりしたら、僕は確実に道に迷う自信がある。
◇
「さて、お宿に到着♪ 生き物のキープ部屋に移動しましょ」
椎葉さんにうながされて、旅館の裏手にある小屋に移動する。ちなみに長靴や採集道具は、明日も使うから車の中。捕まえたクワガタ達が入っているプラケースだけ一緒に持ち出す。
キープ部屋の中には、数百匹のクワガタ&カブトムシがプラケースや衣装ケースでストックされていた。ここから、九州各地のペットショップに出荷するらしい。ちなみにオオクワガタとヒラタクワガタは、一匹ずつ丁寧に小型のプラケースに入れられていた。こちらも各地のペットショップに卸すらしい。……ここだけの話、指宿店長には内緒でこっそり、知人名義でネットオークション販売もしていると言っていた。
椎葉さんとは一階のロビーで別れて、桜島さんと二人で部屋に戻る。
お茶を飲んでのんびりしていたら、夕食の時間になって――夕食を満喫した後に――椎葉さんの車で夜の採集に行くことになった。
いわゆる街灯&自動販売機めぐり。椎葉さんの話では、橋の街灯や自動販売機、上椎葉ダムの街灯etc……光があるところに必ずと言って良いくらいカブトムシやクワガタが落ちているとのこと。事実、車で巡ってみると、夜の闇の中で光る明かりにカブトムシとクワガタが集まっていた。栗を拾うようにカブトムシを捕まえながらも、レポート用の写真を忘れずに撮影する。
その後は、道沿いにある木で夜の観察。昼間のものに比べるとサイズが一回り大きいカブトムシやクワガタ達が陣地争いを繰り広げていた。懐中電灯の光をあてると逃げる個体もいたけれど、逃げない個体が観察を続行させてくれる。観察の最後に椎葉さんに言われて木を蹴ると、ぼたぼたっと周りの地面に獲物が落ちてきた。いったい何匹の甲虫が集まっていたのか、その密度を考えるだけで興奮する。
◇
夜の採集と観察を終えて、旅館に帰ってから、男湯にある薬草のお風呂に入り疲れをとる。
浴衣姿の桜島さんは運転で疲れたのだろう。お風呂から上がった後に、布団に入ってごろごろして今日の感想を話していたかと思うと……くたりと眠ってしまった。警戒心の無い寝顔が、ちょっとだけ――いや、かなり――可愛かったから、ほっぺたを人指し指で軽く押す。ぷにっとした弾力。いつも見慣れている寝顔なのに、周囲の環境が変わったせいなのか悪戯心がくすぐられるけれど、桜島さんに掛け布団をかけて部屋の電気を消す。明日は、夜明け前に集合して、椎葉さんがヤマメ釣りに連れて行ってくれると言っていたから。
くぅくぅと可愛い寝息を立てていた桜島さんが、よだれを垂らしていたのは、見なかったことにしてあげた。多分、美味しいモノを食べている夢でも見ているのだろうから。
◇
早朝のヤマメ釣りは楽しかったし、涼しい川原でたき火をして食べたヤマメとおにぎりも最高だった。でも、それはまた別のお話。
お昼ごはんを食べ終えて、昨日とは別の山をめぐったけれど、そこもオオクワガタが付く木がたくさんあって、僕も念願の天然オオクワガタの採集をすることが出来た。時間を忘れるっていう言葉があるけれど――楽しい時間は、もったいないくらい、あっという間に過ぎてしまった。
◇
「あ~、これは絶対筋肉痛になるぅ~」
お風呂から部屋に帰るなり、桜島さんが敷かれていたお布団に倒れ込んだ。
「今日は、いっぱい歩きましたもんね」
「朝は渓流釣りをして、お昼を食べて、山道を歩いて、木登りして、また山道を歩いて――だから今は、とりあえずごろごろするの~」
寝転びながらぐるりんと頭を逸らした、笑顔の桜島さんと視線がぶつかる。
「えへへっ、鼎~」
桜島さんは、何だか、悪だくみをしている時の顔。
「鼎~、私をマッサージする権利をあげる♪」
口元も目元もにやけた、満面の微笑みだった。
「素直に、マッサージしてって言って下さいよ」
「マッサージして~♪」
甘えたような声で桜島さんが言った。いや、実際に甘えているのは間違いない。素直だから可愛いけれど。
「分かりました、『お嬢様』。肩が良いですか、足が良いですか?」
「まずは、ふくらはぎからお願いしようかしら。一杯歩いて、わたくしは疲れたのぅ」
わざと澄ました声で言った後に、うつぶせになりながら可笑しそうに笑う桜島さん。つられて僕も笑ってしまった。いけない、マッサージを始めないと。
「桜島さん、ここら辺で良いですか?」
「右足は、もうちょい右――いや、行きすぎたから、もうちょい左。――うん、そこが気持ちいい♪」
「揉む強さは大丈夫ですか?」
「うん、ちょうど良いよ? この調子で頑張って~♪」
「はい、分かりました」
◇
二〇分くらい過ぎただろうか?
ふと気付くと、桜島さんが顔を横にしてうつぶせになったまま眠っていた。やっぱり疲れていたのだろう。明日は鹿児島に帰る運転をしないといけないから、このままそっと寝かせてあげたい。
「おやすみなさい、桜島さん」
小声で桜島さんに囁いてから、電気を消して自分の布団に入る。
明日は、平家の落人伝説がある鶴富屋敷を見て、上椎葉ダムの放水を見て、椎茸狩りをして、物産館でお土産を買おう。
午前中の観光も、桜島さんと二人きりの帰り道も、楽しみだ。
(第13話_六月灯(お祭り)の金魚すくいにつづく)




