第一章 出会い 3
「なんて生意気な猫、絶対に捕まえてやるんだから!」
リュシルは悔しかったが、散々猫に弄ばれたせいで体力が限界まで来ていた。
黒猫はぎりぎり人が通れそうな細い路地を、へとへとなリュシルがついてきているのを見ながら入っていった。
リュシルもその細道を進むと、その先は自動車が1台ほど通れるような道に出た。
周りを囲んでいる4階ほど高さののコンクリートで出来た建物はすっかり古びてしまっており、いたるところに亀裂が入っていて黒ずんでおり、とても人が住んでいるとは思えなかった。
リュシルはこの場所がなぜか懐かしく感じる、いつの日か遠い過去に来たような気がした。
しかしそんなこと気にしている場合ではなく、彼女は猫を探したがどこにも姿がない。
だがその姿は全く見えず、さっきまであれほどこちらを誘っていたのに急に姿を消してしまい、指輪を取り戻すことができずに落胆してしまう。
ここがどこなのか全くわからなかったリュシルは、ひとまず来た道をたどって帰ろうとしたが最後に通った細い通路が無くなっていることに気が付いた。
「どうなってるの?さっきまでここに通路があったはずなのに」
リュシルは何か悪い夢でも見ているんじゃないかと自分を疑った。
仕方がないのでリュシルは明るい方の道に向かって足を進め始めるが、途中でコンクリートの壁に遮られた行き止まりに当たってしまい、仕方がないので反対に向かって進むことに。
しかし、振り返ってみれば今ちょうど通ったはずの道が無くなっていて、代わりに灰色の煉瓦で出来た壁がそびえ立っていた。
完全に閉じ込められてしまったリュシルであったが、これほど意味不明なことが起きているにも関わらず、なぜか冷静でいられた。
リュシル...リュシル...
(誰かが私の名前を呼んでる...私以外誰もいないのに一体誰が?どうしてだろう、恐怖を感じない...むしろ懐かしいような、どこかで聞いたことがあるような気がする...私がおかしくなっちゃったのかしら?)
リュシルはとても奇妙な感覚に苛まれ、頭をか抱えてしゃがみこんだ。
「落ち着いて私、きっとこれはただの夢なんだわ。早く覚めて...」
そう自分に言い聞かせると目をつむって頬をたたき、思いっきり起き上がった。
目を開けると、そこは果てしなく真っ暗な空間が広がっており、前も後ろもどこを見ても虚無の空間が続いていた。
ここまで来てようやく恐怖という感情が戻ってきたリュシルは、顔が青ざめて目の前で起きている現象に恐ろしさのあまり腰を抜かしてしまった。
真っ暗で何も見えないものの、周のいたるところから銃声に人々の叫び声、挙句の果てには爆発音までもが聞こえてくる。
鉄のにおいがあたりに充満し、リュシルの鼻を突いた。
彼女は震えた足にすべての力を注ぎこんで立ち上がると、虚無の中を走りだした。
しかし今自分がどこにいるのか、どこへ逃げればいいのか全く分からないリュシルはひたすら絶望の中をかけてゆく。
すると彼女の目の前にうっすらと仮面のようなものが現れる。
その仮面は真っ白で、唯一目を通すところだけ紫色になっていた。
仮面と出合ったリュシルは、急に先ほどと同じように恐怖心が消えてゆき、妙に懐かしさと安らぎを覚えた。
この仮面とは何故だか、出会ったことが運命のような感覚がする。
どうして?何故?
何かに取りつかれたかのようになったリュシルは、その仮面を手に取ったその時、
「おいリュシル!リュシル!大丈夫か?!」
非常に聞き覚えのある声が耳に入ってくる...それとともに真っ暗だった視界が一気に晴れる。
「リュシル!おい!」
彼女の肩を揺さぶっていたのはステファヌだった。
彼のおかげで正気を取り戻すことができたのだった。
何か悪い夢でも見ていたかのような感覚だったリュシルは、突っ立ったままぼんやりとステファヌの顔を見た。
「えっと...私は一体...」
「おいリュシル、大丈夫か?勝手にどっか行った挙句にこんな場所でずっと突っ立ったままだなんて...」
リュシルは周りを見ると、小さくて人の住んでいる気配のない路地にいた。
彼女は、自分の手に何か握っているかのような感覚があるのに気が付いてみてみると、手の中には指輪が無意識に握られている。
「おおリュシル、なんだかんだあったがちゃんと取り戻せたんだな。てっきりあの猫を荷がしたのかと思ったぜ」
「猫?」
リュシルは猫なんて捕まえておらず、ましてや指輪なんて取り戻してすらいないはずなのに指輪が手の中にあるのは不思議に思った。
「ああリュシル!そんなことより今大変なことが起きてるんだ!」
「大変なこと?」
「実は今さっき、デモをしていた連中が機動隊から逃げて、特にそのリーダーのヴィクトルが俺たちの小学校に逃げ込んじまったせいでデモの人間も学校の中に乱入してきちまったんだ!今学校の外を機動隊が固めてるんだが、これじゃあまるで立てこもり事件だぞ!」
「そんなことが起きてるの?」
慌てているステファヌと違ってリュシルは未だにぼんやりしていた。
「とにかく来てくれ!」
ステファヌはリュシルの手を取ると、強引に学校の方まで連れ戻した。
学校の前までくると、周囲を大勢のパリ市警の特殊部隊がかこっており、校内への突入する機会をうかがっていた。
ここにきてようやく本調子を取り戻したリュシルは、改めて事の大事さを思い知る。
「すごい大変なことになってるじゃない!中にいるオドレは逃げられたのかしら?」
「いや、オドレはまだ中にいるぞ。さっき窓から外を覗いているのが見えたんだ」
「早く助けないと...もし特殊部隊が突入したら大乱闘になってただじゃ済まなくなるわ!」
リュシルとステファヌは何とか校舎に侵入しようと思い、頭をひねった。
校舎を取り囲んでいた機動隊は当然一般人を入れないように警備ををしているため、まずは警備をしている警官の気をそらさねばならない。
「何とかあいつらの気をそらしてうまいこと中に入れるといいんだが...」
「でも、校舎に入ってそれからどうやって脱出するのよ?」
リュシルにしては冷静な意見が出てきたので、ステファヌは戸惑いつつも頭を抱えた。
「じゃあお前ならどうするのさ?」
ステファヌが彼女の方を見ると、リュシルは何故かうつむいていて顔色がやけに暗く、気分でも悪いのかと思ったらその後急に不気味な笑顔を浮かべると、彼の質問に答えずに校舎の入口へ向かった。
「おいリュシル!何をする気なんだ?!」
ステファヌはリュシルの突然の行動に理解ができず、困惑したまま彼女の後をついていく。
校舎の前で警察官に制止されるかと思われたが、
「通して」
と彼女が言うと、警察官も機動隊も何も不思議がることなくリュシルとステファヌを通した。
おかげで簡単に校舎に入ることができたものの、ステファヌは当然不気味がり彼女の顔をうかがった。
「なぁ...何がどうなってるんだ?お前一体何をしたんだ?」
「えっ?何が?」
不気味な雰囲気を出していたリュシルが急に正気を取り戻したかのように顔色が戻ると、自分がやったことを不思議に思った。
「あれ?なんで今ので中に入れたんだろう?」
「おい、どうしたんだよ。もしかしてお前って手品以外に催眠術もできたのか?」
ステファヌがそう聞いたが、リュシルは自分でも不思議そうな顔をしてあやふやな答えしか出せなかった。
下駄箱ではデモ隊の人々が机や本棚にロッカーを使ってバリケードを作っていたが、リュシルのような小学生の大きさだと隙間を通ることができたので、机の間を通るとまさか子供がやってくるとは思っていなかったデモ隊の人々がこちらを不思議そうに見てきた。
「おい、なんで子供が入ってくるんだ。よくおまわりが通したな。」
「お嬢ちゃん達、いったい何の用だい?」
「オドレを探してるの。私の友達で赤毛に丸眼鏡をしているおとなしそうな子よ」
子供が来たことによって緊迫していた人々の雰囲気がなんとなく緩んでいき、ヘルメットを被った大学生あたりの青年がリュシルに答えてくれた。
「そういえばそんな子を見た気がするぞ。確かロッカーに隠れてたらしくてな、もう一人の男子と一緒に逃げ遅れちまったらしいぜ」
「その子ってどこにいるんだ?」
ステファヌが青年を問い詰めると、もう一人の青年が答える。
「その子はきっとヴィクトルのところにいるだろうな。さっき一緒にいるとこを見たぞ。多分...職員室あたりじゃないのか?」
「わかった。今から行こう」
ステファヌが行こうとすると、青年が止めた。
「そんなことよりも早く家に帰った方がいいよ。ここはもうすぐ機動隊が突入してきて乱闘になるさ。そうなったら君たちはケガだけじゃすまないと思うぜ」
しかしリュシル達は、せっかくここまで来たのにオドレのことを見捨てて帰るわけにはいかなかった。
「まぁ君たちがどうしても行きたいっていうなら、止めはしないけど。あのヴィクトルが何を考えてるかは俺たちにもはっきり分からない...」
青年が親切に言ってくれているにもかかわらずリュシル達は先を急いでしまい、話を聞かないで行ってしまった。
「ありゃりゃ...せっかく忠告してあげてたのに。ひどい目に遭わなければいいんだけど...」
2人はデモ隊の人々でひしめき合ってる廊下を縫って進んで行き、ようやく職員室にたどり着いてドアを開けようとしたが、内側からカギを掛けられていた。
「ヴィクトルさんいますか?私の友達のオドレを返してほしいんですけど」
リュシルがノックをすると、鍵が解除される音が聞こえて扉が開くと、中からオドレが飛び出してきてリュシルに抱き着いた。
「ああリュシル来てくれたのね!嬉しいわ!掃除用具片付けてたら突然たくさんの人が乱入してきて、逃げようとしたんだけど転んじゃって、フィリップに助けてもらったのに2人そろって逃げ遅れちゃったのよ」
オドレはおいおい泣きながら職員室の中に指を刺すと、その先にはフィリップがいた。
「あらあら、まさかフィリップもいたとはね。これで4人がそろったわけね」
リュシルがオドレを慰めていると、職員室の奥の方から眼鏡を掛けて小太りしてい男性がやってきた。
「あの人は誰?」
「さあ...誰だろう。どっかで見たことあるような...」
リュシルとステファヌが言うと、その男は少し驚いて言った。
「君たち、私のことを知らないのかい?」
2人は顔を見合わせたが、どちらともわからないようだ。
「オホン、私こそがこの革命の主催者ヴィクトルだ。ラジオや新聞で欠かさず宣伝活動をしているのに、その私を知らんとはなんとも度し難い」
そんなこと言われても、ラジオではいつも誇張されて放送されており、新聞ではスマートな雰囲気を出している写真しか掲載されていないので分からなくても無理はないだろう。
「それはともかく、感動の再開をしているところ悪いんだが私に協力して欲しいのだが」
「協力?」
「そうとも。まぁ来たまえ」
ヴィクトルは職員室の隣の事務室に4人を招き入れて、他には誰も入れさせなかった。
4人を椅子に座らせると、自分も椅子に座って話始める。
「まず、言わなくても分かると思ってるけど、今我々は四方を機動隊に囲まれていて奴らがここに突入して来るのも時間の問題だと思う」
「そりゃそうね」
「だから君たちには奴らの気を引いてもらって、その間に私が逃げるわけだ」
「あなただけ逃げるつもりなの?」
「私が逃げきれれば、この偉大なる革命は現政権が転覆するまで終わることはない。現政権が変わればきっと今のフランスは変わるはずだ」
「偉大って、小学校に乱入してきて沢山の生徒に危害を加えるのが偉大なの?街で盗みをするのが偉大なの?」
リュシルは呆れて言うと、すかさずヴィクトルは弁論した。
「ここに入ってきたのは機動隊に追われて逃げる場所がなかったから仕方なかったんだ。どさくさに紛れて盗みを働いている奴らは、革命にはつきものだからどうしようも出来ない」
リュシルは納得いかず協力したがる意思を全く見せなかった。ステファヌもオドレもフィリップも同様だ。
「まぁとにかくだね、この革命は君たちにとっても重要なものなんだ。現政権は経済をズタズタにしている癖に、ベトナムとの戦争に8年も若者の命と税金を無駄に費やしている。このままだと君達の命やお金は戦争に導入され続けて、いつかフランスが音を立てて崩れてしまう」
「だからって、戦争をなくすために私たちを巻き込んで学校で戦争していいわけ?」
まだまだ納得していないリュシルは不満をヴィクトルにぶつけた。
するとヴィクトルの態度は徐々に高圧的になってきて、半ば脅してているかのようになってくる。
「君たちはまだ小学生だから政治のことはわからないだろうが、何度も言うがこれは君たちのためなんだ。協力してもらいたい」
リュシル達は嫌そうな顔をすると、ヴィクトルは立ち上がって強要するかのように言う。
「君達にも我々にも選択肢がないんだ。やってくれ」
すると突然リュシルも立ち上がって言った。
「わかったわ。その代わりにどうやるかは私が決めるわ」
「ほう、分かった。だが逃げようだなんて思うなよ」
リュシルはこの間ずっと冷静で、さっきと同じように顔色が暗く、不気味な笑みを浮かべていたことをステファヌは見逃さなかった。
(リュシルの奴、さっきみたいに様子が変だぞ。今までこんなことはなかったが、本気を出すときはこういう風になっちまうのかな?)
ヴィクトルが事務室の扉を開けると、リュシルが最初に出て3人に命令した。
「あなた達は放送室に行って15番の引き出しに入ってるレコードを最大音量で全校放送で流しなさい」
「おいリュシル、何をするつもりなんだ?」
ステファヌは聞いたが返事はなく、彼女は階段を上ってゆき姿が見えなくなった。
「どうしちゃったのかしら?リュシル」
オドレが不思議そうだった。
「わからん、さっきも変だったんだ。なんというか、何かが取りついているかのような...あいつらしくなくなっちまってたんだ。だけどそのおかげで何故か簡単に学校に入れたからいいんだけど」
「それより、早く放送室に行かないとリュシルが怒っちゃうかもよ?」
「わかってるよ」
ステファヌはフィリップにぶっきらぼうに言うと、放送室に足を進めた。
放送室に着くとリュシルに言われた通り15番の引き出しを開けると、そこには年期の入ったレコードがたった一枚入っていた。
「こんな古いもので一体何をするつもりなんだ?」
ステファヌは疑問を抱きながらもレコードをプレイヤーにセットし、フィリップが音量を最大にすると、さっそく全校放送で流した。
学校中のスピーカーからとても年期が入ったレコードから流れているとは思えないほど斬新でポップな曲調の音楽が流れ始める。
ピアノとバイオリンが美しい音色を金出ているかと思ったら、突然トランペットの金管やギターの音が大きく鳴り響いている。
突然のことに機動隊もデモ隊もヴィクトルもステファヌもオドレもフィリップもみんな驚きを隠せなかった。
「なんだこの音楽は?!いままでこんなもの聞いたことないぞ!」
音楽が突然緩やかになったと思ったら、今度は無機質といっていいほどの一定のテンポで心を揺り動かしているかのようだ。
「おい!あれを見ろ!」
誰かが叫んだ、皆がその方を見てみると学校の屋根の上。丁度時計大のあるところ、皆から一番見えるであろう場所に、紫色のシルクハットとスーツに特徴的な蝶ネクタイを付けた金髪の少女が立っているのが見える。
ドラムが音を刻む、穏やかな曲調にピアノのハーモニーが重なると少女は顔をあげる。
「リュシル?!」
言葉にならない声が湧いてきた。
顔をあげた少女は音に合わせて歌い始める。
彼女の声は透き通っていて、不思議に皆の耳に直接響いてくる、マイクなんて使っていないはずなのに。
彼女は声を躍らせながら滑るように屋根を歩いていると、ちょうどその端まで来る。
ぎりぎりまで来て足を止めると、急に振り返って体をそらす。
「危ない!」
思わず叫んだ、見ていられなくて目を塞いだ者もいる。
しかし彼女はその体制をキープすると、何事もなかったかのようにゆっくりと姿勢を戻した。
デモ隊や機動隊の人は、彼女が落ちてしまうのではないかといてもたってもいられなくなってきている。
「おい!あいつ何考えてるんだ?!今すぐ辞めさせないと!」
しかし彼女はやめない。むしろエスカレートしていく一方だ。
かなりの傾斜角がある滑りやすそうな瓦の上で、わざと滑るふりをしたりジャンプをしたりなど、命知らずもいい加減なほどのパフォーマンスを平然とする彼女に、オドレは腰を抜かして見てもいられない。
「リュシルが...落ちる...」
今度はバレリーナのようくるくると屋根の端で回り始める、おっとバランスを崩したようだ。
見ていたデモ隊や機動隊の人々はついに我慢ができなくなり、誰彼構わず学校の中を急いで走り回り、階段を上って屋上に行く道を探した。
校内はあふれんばかりの人で大洪水が起きているかのようだった。
屋上に続く階段を見つけると大量の人間が一斉に駆け上り、出口の扉は人間の圧力で破壊されてしまう。
沢山の人が屋上に飛び出ると、そこには待っていたと言わんばかりに立っているシルクハットの少女が言う。
「全くあなた達はこういう時には一つになるんだから」
屋上に来た人々は、呆然として彼女のことを見ている。
「そんなことより、いいの?大事な人が逃げちゃってるけど」
彼女はそう言うと、目線を校庭の茂みに移す。
その先にはどさくさに紛れて逃げ出そうとしているヴィクトルの姿があった。
彼は逃げ出してるのがばれたことに気が付くと、途端に全力疾走で逃げ出した。
「おい!ちょっと、逃げんじゃねぇ!」
デモ隊や機動隊の人々は逃げる彼を見て揉みくちゃになりながらも、校内をものすごい勢いで走り抜けて行き、逃げ惑うヴィクトルを追いかける。
皆で必死に彼を追いかけ、裏路地へと突き進んでついには見えなくなってしまうと校内には彼女とステファヌ達しか残っていなかった。
放送室から出てきた3人は誰もいなくなった校内を見てホッとした。
リュシルが下りてくると、3人は拍手と称賛の声をかける。
「いやー、すごかったぞ。あの刺激的なパフォーマンスをやってのけるなんて流石だぜ!」
「あんな方法であの人達を学校から出ていくように仕向けるなんて、よく思いついたね」
「やっぱりリュシルちゃんは学校一のパフォーマーね!」
「えっ?えっと...そうかしら?」
リュシルの暗かった顔色は晴れており、不気味だった雰囲気もなくなっていつものリュシルに戻っていたが、どうして自分はあんなことをしたのだろうかと、自分で自分のことを疑問に思っている。
「どうしたんだよお前。せっかくこんなすごいことしたんだから、もっと喜んでもいいんじゃないか?」
「うーん、そうなんだけど...なんだか、あの時は自分が自分じゃなかったような...何かに取りつかれてたかのような気がして」
3人は首を傾げた。
「緊張してただけなんじゃないかしら?私だってすごい大きなことをするときは緊張してそういう風になったりするわよ」
オドレの言うことに2人は納得した。
しかしリュシルはそれでも引っかかるところがいくつもあり、考え込んでしまう。
(あの時に路地に行った時からおかしなことが立て続けで起きてる...校舎に入る時だって、あの危なっかしいパフォーマンスだってどうやったのかどうやったのか全然わかんないし、それに...)
「おーい!君達!」
突然外から聞いたことのある声が聞こえてきた。
みんなでそちらを見てみると、教頭先生がこちらへ向かって走ってくるのが見える。
彼はおそらくさっきまで外からこの騒動を見ていたのだろう。
彼の後ろには校長先生にその他教師や生徒たち、そしてアニーとエステルまでもが来ていた。
小太りしている教頭先生はリュシル達のところまで来ると汗だくになってしまい、持っていたハンカチでおでこを拭いたが、その時彼のカツラが少しずれてしまったのが見えた。
彼が校内を見渡すと、沢山の人々が通った跡で荒れてしまっているのが目についた。
「いやーこれは酷いな。この荒れようじゃ一体どれほど始末書を書かなければならないことか」
「先生、これ...」
オドレが指を刺すと、そこには汚れまくっている教頭先生お気に入りの棚に箱、そして花瓶は割られている上に沢山踏みつけられていて粉々になってしまっていた。
「先生、ごめんなさい」
リュシルが頭を下げた。しかし、教頭先生は怒らなかった。
「いやいいんだ、これはそこまで大事なものじゃないし」
先生がそう言うと、ステファヌは思わず言葉をあげた。
「いやでも先生、去年俺が思いっきりぶつかったときは散々起こったじゃないですか。あれは自分の大事なものだってはっきり言ってましたよね?」
「ああ、それなら新学期が始まる前に家に持って帰ってな、そっくりなものをここに飾っているんだ。去年はあまりにもぶつかったり傷つけるようなことをする人が多くて、嫌気がさしたんだ」
「な、なるほど」
「そんなことより、君たちが無事でよかった」
教頭先生がそう言うと、後ろからアニーとエステルがやって来てリュシルを抱きしめた。
「ああ、リュシル!無事でよかったわ。学校から逃げ出してきた生徒の中にあなたがいなかった時はどれほど絶望したものか」
「しかしね、あの危なっかしいパフォーマンスはいくらあいつらを外に出させるためとは言え、見てて本当にヒヤヒヤしてたまらなかったわ!もう屋根の上であんな危ないことしちゃだめよ」
「わかってるわ、エステルおねぇちゃん」
リュシルは2人に抱かれると、心が安らいで他のことはどうでもよくなる。
「あっ、そうだ。君たちの無事を祝ってこれをあげよう」
教頭先生がそう言うと、棚の中から正方形の大きめの缶を取り出した。
蓋を開けると、中にはチョコレートやクッキーをはじめとするお菓子がわんさか入っていた。
食いしん坊なリュシルはそれを見ると、誰よりも早く缶の中身を鷲掴みにして、どんどんポケットにしまい込んだり抱えたりして7割を取ってしまった。
「まぁ、私があの人達を追い出したんだからこのくらいもらうのは当然よねぇ」
「うわ、お前ときたら本当に意地っ張りなんだから!」
彼女の食い意地は本当に呆れるほどである。
リュシルがポケットにお菓子を突っ込んでいると、何やら硬くて丸い金属で出来ているかのような物が入っているのに気が付いた。
取り出してみると、それは野良猫から取り返した教頭先生の箱に入っていた指輪である。
「先生これ、先生のものですよね?棚の上の箱の中に入ってましたよ」
リュシルは教頭先生に聞いた。しかし彼は指輪に見覚えはないようだ。
「これは、私のものではないな。誰かがいたずらで入れたのかもしれないな」
しかし、こんな高価なものをいたずらで他の人の箱なんかに入れたりするだろうか?
リュシルは不思議に思い、とても大切そうなものなので持ち主が現れるまで預かっておくことにした。
アルファポリス様でも投稿されています。