淫夢の同窓生
「珍しくしゃれた格好してどこに行くにゃ?」
家で、よそ行きの服を直しながら鏡の前で苦闘していると、猫又のにゃんぱちがそんなことを言ってきた。普段はシャツにジーンズとかタンクトップみたいな格好ですませているから、意外に映ったんだろう。
「ちょっとね。学生時代の友達と会いに行くの」
「男? 女?」
「女」
「ねえ、にゃんにゃらぼくも……」
「来る?」
「あらま、いいにょか」
にゃんぱちは意外そうな顔をした。本人も同道を許されるとは思ってなかったんだろう。実際、これが普通の旧友なら、わざわざこいつを連れてもいかない。しかし、今回は事情が違う。
「あんまりタイマンで会いたくない奴なのよ」
そう。一対一で会うと、ちょっと気が滅入る奴なのだ。それでも悪い奴じゃないし、友達なんだけどね。
私は、服を直した後、にゃんぱちを伴い、出かけた。
「このバーかにゃ?」
「そうよ。バー「クロノス」で待ち合わせることにしてるの」
私たちの目の前には、「クロノス」という看板が掲げられたバーがある。見た目はいかにも古臭く、一見客を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。私も、待ち合わせ場所に指定されていなければ、ここに来ることはなかったろう。まあ、そんなことはいい。そろそろ、待ち合わせの時間が近づいている。
「中に入ろう」
私はそう言って、ドアを開いた。バーの中は、外から見たイメージよりも更に鬱蒼としていた。薄暗く、なんだかおっかないようだ。闇の中からなにかが飛び出してきそうな雰囲気すらただよっている。しかし、そんな薄暗さも、ある一筋の声によってかき消された。
「京子ー! こっち、こっち!」
カウンターの端から、そんな声がした。見ると、一人の美女が――掛け値ない絶世の美女が、私を呼ぶのが見えた。そう、それが、今回会うことになっている友達、二階堂真澄である。私は、招かれるままに真澄の方へと歩いて行き、隣の席に座った。
「お久しぶりぃ。今日はペットの猫ちゃん連れてきたの?」
「ええ。猫又のにゃんぱち」
「よろしくですにゃ」
「あらかわいい」
そう言って真澄は、にゃんぱちの頭をなでた。なでながら、私に言う。
「ねえ、京子」
「なに」
「セックスしてる?」
「ぶっ」
私は口に含んでいたサワーを吹き出しかける。
「友達に久しぶりに会って言う第一声がそれ?」
「だってえ、私の興味の中心ってそこだし」
「まあ、そりゃそうだわよね」
たしかに、この女の関心がセックスにしかないのは当たり前ではある。なにしろ、この二階堂真澄、いわゆるサキュバス。淫魔の類の一族なのだから。絶世の美貌と絶倫な精力と性への興味は当たり前なのだ。
「で、どうなのよ、京子」
「そ、そりゃあ……ぼちぼちかなあ」
「通年ゼロはぼちぼちって言わにゃいぞ」
と、にゃんぱちがまた余計なことを言う。
「セックスレスは心に毒よ? 男、少し回してあげようか?」
「…………あんた何人に囲われてんの?」
「数えたことなんてないわよ」
「まあ美形で誠実な金持ちなら、旦那に欲しいかも」
「誠実な子が私と遊ぶわけないじゃない」
それもそうか。
「しかし、あんたはいいわよねえ」
と、私は言って、首の後ろで手を組んだ。
「あら、なんで?」
「ベッドに寝転がるだけで年収数千万でしょ?」
「桁が間違ってる」
「多い方に? 少ない方に?」
「少ない方に」
「ますますうらやましいわ」
「それはあなた、私の持つ生来の才能って奴よ」
「ちぇっ」
私はサワーをがぶりと飲んだ。それに呼応するように、真澄は手元の牛乳を飲む。別に真澄は酒が飲めないわけではないが、昔から牛乳が大好きなのだ。
「あんたが牛乳好きなのってさあ、精液に似てるせい?」
「かもね」
と、真澄はにこりと笑う。なんの悪びれもない。ま、別にいいけど。考えようによっては美点とすら言えるかもしれない。
その後は、ひとしきりお互いの近況報告や、学生時代の思い出話に華を咲かせた。やがて、三時間ばかりが過ぎ、だんだん、話題も尽きてくる。それに、真澄の話題は大半がシモのことばかりなので、ぶっちゃけ聞いていて疲れるのだ。
「……そろそろ、出ようか?」
私は言った。
「いいわよ」
真澄はそう言い、私たちは立ち上がった。薄暗い店の中を歩き、店の外に出る。
「じゃ、ね」
真澄はそう言い、手を振った。しかし、まだ別れたくない奴がいたのだ。
「あの」
こう言ったのはにゃんぱちである。
「もしよろしければ、ぼくと一晩、お過ごしいただけませんでしょうかにゃ」
――フェロモンにやられやがったな。
私は思った。なにしろ淫魔のフェロモンというのは強烈である。オスであれば人間でなくてもやられてしまうのだ。競馬場で馬の近くを通りかかったばっかりに、大惨事を引き起こしたこともある。
真澄は、
「ええ、いいわよ」
と微笑んだ。にゃんぱちは、「わーい」と言いながら真澄の胸に飛び込む。
「じゃ、京子。この子借りるから」
「……足腰が立たないようにはしないでよ」
「気をつけるわ。じゃあね」
私はこうして、二人を見送った。真澄はまったく、見境のない女なのだ。
「それにしても、にゃんぱちの奴……」
闇の中で、私はにやりと笑った。
翌日の昼。家のベッドでだらだらと寝ていると、チャイムの音が鳴った。
「はーい」
玄関に行ってドアを開けてみると、そこにいたのはにゃんぱちだった。案の定、その頬はこけ、体はやつれている。もはや立つのもやっと、という有り様である。
「こってりしぼってもらったようねえ?」
「彼女、むっちゃ激しくて……素敵で……うーん」
にゃんぱちはその場にへたりこんだ。私はしゃがみこみ、その顔を覗きながら言った。
「ねえ。もしまた真澄に誘われたら、どうする?」
「全然オッケーですぅ」
と、にゃんぱちは即答した。男というのは種族問わず、下半身で脳みそができている生き物らしい。これだから、真澄のような奴は永久に食うに困らない。