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第三部第二十話:星の棺、そして新緑の祝福

第三部第二十話:星の棺、そして新緑の祝福


雲海を見下ろすイスキスの聖なる塔の最上階。

かつて陰謀が渦巻いたその場所は、いまや白百合の香りと静謐な祈りの歌に満たされていた。

中央に安置されているのは、透明度の高い氷の結晶で設えられた棺。

その中に横たわる聖女リディアは、大天使に引き裂かれたとは信じられないほど、ただ深く安らかな眠りについているように見えた。「氷の棺の術」によって、彼女の透き通るような白磁の肌も、陽光を浴びてきらめく金の髪も、生前と変わらぬ美しさを保ったまま永遠に時を止めている。

その棺の傍らに、旅の煤に汚れた旅装のまま立ち尽くす二人の姿があった。

リディアの両親である、かつての智将シーザーと、聖女ミリアムである。

娘の悲報を聞きつけ、タルカの地から文字通り不眠不休で馬を飛ばしてきたのだ。

ミリアムは氷の棺に縋り付き、冷たいガラスの表面を撫でながら、声を上げずに肩を激しく震わせていた。

シーザーはそんな妻の肩に痛々しいほど強く手を置き、奥歯を噛み締めて涙を堪えていた。

「――この様な時に、貴様と再び相まみえることになるとはな」

背後から響いた重厚な声に、シーザーが振り返る。

そこに立っていたのは、ミレトー王国を統べる覇王アレクサンダー、そしてその傍らに寄り添う王妃レイミアであった。

かつて戦場を血で染め、袂を分かった英雄たちが、およそ二十年という歳月の壁を越え、一つの棺の前で奇跡的な再会を果たしたのだ。

「アレクサンダー……」

シーザーの掠れた声に応じるように、アレクサンダーは音もなく歩み寄り、かつての宿敵であり戦友であった男の肩を力強く抱きしめた。

その大きな手が、シーザーの背中を何度も叩く。

そして、アレクサンダーは涙ぐむミリアムをも、包み込むように優しくその腕に抱きしめた。

かつての恩讐のすべてが、この一瞬の抱擁のなかに溶けていくようだった。

「……あれが、運命の子か……」

アレクサンダーが氷の棺の中の少女を見つめ、痛惜の念を込めて呟く。

「ああ。我が娘、リディアだ。世界を救ったのだと……どうか、褒めてやってくれ」

シーザーの言葉に、アレクサンダーも、そして強靭な精神を持つレイミアさえも、重い過去の記憶と目の前のあまりに美しく哀しい現実の前に、言葉を失い深く頭(こうべ)を垂れるしかなかった。

その時、空間が淡く発光し、「転移の術」によってレイス、リーヴィス、ミレース、そしてブルドが姿を現した。

棺の中の親友の姿を見た瞬間、リーヴィスは堪えきれずに悲みのあまりその場に泣き崩れた。

「リディア……! ああ、リディア……っ!」

溢れ出る涙で美しい顔を濡らすリーヴィスを、ミリアムがそっと抱き寄せ、我が子をあやすようにその背を優しく介抱した。

「……ブルド、お前の力では、どうにもならぬのか」

レイスが沈痛な面持ちで、静かに冥王族の青年へ問いかける。

ブルドには、冥界の理を曲げる「蘇生の秘術」の知識があった。

しかし、ブルドは硬く表情を強張らせ、ただ静かに首を振って一言だけ呟いた。

「無念……。あれは自らの生命、あるいはそれ以上の対価を引き換えにしなければならぬ恐るべき禁忌の術。それに……すでに成仏し、天へと昇ってしまった彼女の魂には、最早、この肉体に戻るべき術がないのじゃよ」

誰もがその限界を受け入れるしかなかった。

レイスは棺の前に進み出ると、拳を強く握り締め、世界のために散った気高き聖女の、安らかなる眠りをただ静かに祈り続けた。


この偉大なる英雄たちの集結と和解を契機として、地上にはこれまでにない新たな超国家「リーヴィッシュ連邦」が産声を上げた。

それは、かつてのように人間、エルフ、ドワーフ、獣人といった各種族が互いの違いを排斥し、いがみ合う暗黒の時代を終わらせ、真の「共存共栄」を目的とした壮大な融和国家であった。

歴史の車輪が、確実に新たな理想へと回り始めた瞬間だった。

しかし、理想の光が強ければ強いほど、現実の影もまた色濃くつきまとう。

長年の凄惨な歴史的背景から、タルカ地方においては、依然としてゴブリンやコボルトといった亜人種を「怪物」として激しく忌み嫌う風潮が根強く残っていた。

連邦の法が整備されても、人々の心の壁はすぐには崩れない。

行き場を失った多くの亜人たちは、安住の地を求め、ミレトー王国の南部へと津波のように大量に移民していった。

南部の広大な海岸線――そこには、レイスと共に幾多の死線を潜り抜けたゴブリンの王国が堅牢に築かれていた。

その国ではいまや、他部族への略奪や暴挙は法律によって厳格に禁止され、犯せば厳罰に処された。

かつて血で血を洗う仇敵であった海王族の「モレイ族」とも、表面上は境界線を遵守した穏やかな平和が保たれていた。この奇跡的な統治の裏には、最前線でぎらついた眼光を放ち、睨みを利かせ続ける猛将ゴビンゴと、明晰な頭脳で内政の辣腕を振るうボッズの、寝る間も惜しんだ功績が最も大きかった。

一方、魔王母メルフェレーンの呪縛から奇跡的に解放されたミュロンは、世界を救った多大なる功績を認められ、「伯爵」としての高貴な身分を贈られていた。彼女はきらびやかな宮廷へと招かれ、絹のドレスを着せられたが、その顔は退屈極まりないものだった。

元が自由奔放な傭兵の性質を持つ彼女にとって、コルセットで息苦しく締め付けられ、お茶の啜り方一つで制限される宮廷の生活は、窮屈極まる監獄そのものであった。

「あーっ! もう、やってらんない!」

結局、彼女は三日でドレスを床に投げ捨てて脱ぎ捨て、自ら「ミレトー騎士団」へと志願。

慣れ親しんだ鋼の軽甲冑に身を包み、大剣を握ることで、ようやくその野生的な笑顔を取り戻し、身を落ち着かせた。

彼女の相棒である戦士バルトもまた、その卓越した武の腕前と経験を買われ、同じく騎士団の重鎮・指南役として迎えられていた。

「おいミュロン、足腰の踏み込みが甘いぞ!」

「うるさいね! バルトこそ、髭に砂がついてるよ!」

毎日のように同じ戦場や泥塗れの訓練場で共に汗を流し、大笑いしている二人。

しかし、周囲の兵士たちが期待の目で見守る肝心の「バルトの、ミュロンへの恋心」に関しては、未だに一歩も進展がないようで、バルトの不器用さに周囲はいつもヤキモキさせられるばかりであった。



「これもまた、幽世(かくりよ)の導きに拠る、拙僧の修行の一環よ」

そう不敵に言い残した半冥王族のブルドは、黒い錫杖をからんと鳴らし、片手に持ちながら、足の向くままに世界を巡る「享楽の旅」へと出かけていった。

行く先々の酒場で極上の酒を酌み交わし、時に迷える死者の声を聴いて道を示し、気ままに世界の変革を見つめる彼の飄々とした旅は、未だ混沌の残るこの世における、一種の清涼剤のような輝きを放っていた。


ミレトー王国の活気溢れる広場の一角で、「ゴル!ゴラ!ゴッホ!」と、地響きのような野太い歓声が上がった。

南部での激務の合間を縫ってミレトーに戻ってきたゴビンゴが、久しぶりに再会した三人の幼い息子たちを、その強靭な両腕で一度に抱きしめていた。

息子たちを嬉しそうに自らの太い肩に交互に担ぎ上げては、牙の覗く口を大きく開けて相好を崩している。

その後ろでは、大柄な妻ゴルナも優しい目を細めて加わり、絵に描いたような幸せな家族の光景がそこにあった。

街道からその様子を見ていたレイスとリーヴィスは、思わず足を止め、とても微笑ましそうに目を細めた。

しかし同時に、かつて「魔物」という言葉一つで、このような温かい血の通った亜人たちを容赦なく殺戮していた過去の歴史を思い返し、背筋が寒くなるような恐ろしさを胸に刻み直すのばかりだった。

だからこそ、二人は自らの進むべき道を違えないと、深く誓う。

世界を変えた絶対の英雄たるレイスとリーヴィスの二人は――もはや栄華の極みである王宮に居座ることを潔しとせず、王都の南端に位置する教会へと戻っていた。


「地王力の源は、すべての生命を慈しみ、分かち合う『愛』に他なりません」

その大いなる真理を広く世界に伝えるため、二人は地王教の布教活動に全精力を注ぎ込んだ。

質素な教会の礼拝堂では毎日、種族の垣根を完全に超えた大規模な集会が開かれていた。

そこには、かつて剣を交えた人間だけでなく、かつて魔物と呼ばれ排斥されていた亜人たちも、肩を並べて静かに座っていた。

彼らは皆、演壇に立つリーヴィスの奏でる鈴の音のように清らかな声に耳を傾け、その全身から溢れ出る慈愛の光に涙を流し、長年の魂の渇きから救われていった。

レイスはその隣に常に寄り添い、静かに彼女の腰を支えながら、世界で最も愛おしい存在をその瞳に見守り続けていた。


「母上! 父上――っ!」

その時、教会の扉を元気よく開けて、二人の最愛の息子であるアレスがタタタ、と小さな足音を響かせて駆け寄ってきた。

レイスは先ほどのゴビンゴの真似をするように、豪快に笑ってアレスの小さな体を両手で高く抱き上げた。アレスはキャッキャと声を上げて喜び、レイスは愛するリーヴィスを片腕で引き寄せ、三人は互いの体温を確かめ合うように寄り添った。

「アレス、これを見てごらん」

レイスは懐から、世界の命運を握る至宝――「地王玉」を取り出し、小さなアレスの手にそっと握らせてやった。

その瞬間、アレスの純垢な生命力に呼応するように、地王玉はかつてないほど眩い、瑞々しい新緑の光を爆発させた。

その波紋は教会の隅々まで優しく広がり、そこに集う人間、亜人たちを、そして教会を飛び越えて地王界全土のすべての生命を祝福するように、温かく包み込んでいった。

地王暦七年のことである。

――だが、その祝福の光が届かぬ世界の境界線。

カシュー海の遥かなる向こう、冷酷な神々が座す天の彼方、そして底知れぬ奈落の底、未知の深海の闇、暗黒大陸の果て。

地王界を文字通り幾重にも取り囲む各界の「王族」たちは、いま、地王界への警戒と恐怖をかつてないほどに強めていた。

なぜなら、神々の思惑から最も遠く、最も「不完全な生き物」のはずだった存在――【人類】が、他の王玉の力を退け、今や全地上に蔓延り、いかなる神の絶対的な力にも決して屈しない、最も恐るべき「世界の支配者」へと変貌を遂げていたからである。

暗闇の底で蠢く魔王玉の不穏な鼓動、そして天上の雲の隙間から注がれる神々の冷徹な視線を肌に感じながら、大地王レイスは愛する妻と息子の手を強く握り締めた。

新緑の光に満ちたこの世界を守り抜くため、来るべき未来の決戦へと、彼は静かに、その牙を研ぎ澄ますのだった。

(第三部・完)

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