表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/2

第三部第二話:潮流の波濤、ウツボの魚人

第三部第二話:潮流の波濤、ウツボの魚人


断崖を噛む激しい白波の音。

潮風が吹き荒れる大洋を望む岬の先端に、一人の男がぽつんと座り込んでいた。

目の前に広がる圧倒的な群青の質量をただ見つめるその背中に向かって、レイスは硬い革ブーツの音を響かせながらゆっくりと近づき、低く声をかけた。

「何をしている」

「――海を見ています」

長い碧みがかった髪を風に泳がせ、古びた木の杖を両手で大切そうに抱えたまま、男が静かに答えた。

半海王族の精霊使いであり、かつて六つの塔の儀式をともに成し遂げた男――ハミッシュであった。

ハミッシュはゆっくりと振り返り、立ち上がる。

その切れ長の瞳には、世界の理を見つめるような独特の諦念と、どこか浮世離れした静謐さが宿っていた。

「やっと来てくださいましたね、グランバード王」

「ああ。ここに来るまでの街道に、小汚い魔王族の残党がわんさかと湧いていてね。掃除に少々、手間取ってしまった」

レイスは腰の漆黒の剣に手をかけたまま、不敵に笑った。

「無理もありません。今、この南の海岸線では、海王族の中でもとりわけ獰猛な『モレイ族』が地上を実効支配しています。私も精霊の力を借りて追い払ってはいるのですが、奴らは海の底から次から次へと際限なく這い上がってくるのです」

「お前のその『海王玉』で、パパッと派手に追い払えるんじゃないのか?」

レイスの問いに、ハミッシュは自らの懐から、深海の底を切り取ったような、妖しく揺らめく蒼い秘宝――海王玉を取り出して見せたしかし、その表情はどこか寂しげだった。

「そうしたいところですが、私はこの王玉の力を、いまだに僅かしか使いこなせていません。私の血の半分は、結局のところ地王族(人間)ですから……海の理と同化しきれないのも、仕方のないことかもしれません」

ハミッシュの言葉は、王玉という絶対的な力の器が持つ、残酷な真実を物語っていた。

いま世界にいる王玉の保持者の中で、最もその力を引き出しているのはテルセイ魔導帝国のネヴェルだった。

ネヴェルの血も半分は地王族であったが、そもそも「人間」という種族自体が、遠い過去に魔王族の不浄な血から派生し、劣化したもの。

それゆえに、ネヴェルの肉体は魔王玉の悪意に驚くほど容易く順応していたのだ。

そういう意味では、純血の地王族として生まれたレイスこそ、自らの体内にある地王玉を完璧に使いこなせるはずの存在だった。

しかし皮肉なことに、戦士として育ったレイス自身が、その超常的な力の「正しい引き出し方」を学問として理解していなかったため、いまはまだその強大な武力と本能だけで地王力を振るっている状態に過ぎなかった。

「無王ネヴェラード様も残酷なことをなさる。せっかく世界を変えるほどの力を手にしながら、それをみすみす手放さねばならんとはね……」

ハミッシュは自嘲気味に呟いたが、その声には不思議と、力への執着は感じられなかった。

もとより彼は、自然の精霊とともに生きる調停者なのだ。


「王玉を持つに相応しい、純血の王族に託す……それがネヴェラードの遺志だったな。で、お前の方にその当てはあるのかい?」

レイスが本題を切り出す。

ハミッシュは海王玉をしっかりと握り直し、水平線の彼方、波飛沫の向こうを指差した。

「ええ。深海を統べるマーマン族の正統なる王、オルケスト陛下に託すつもりです。ですが……先ほど言った通り、凶暴なモレイ族がこの沿岸一帯を塞いでいて、私一人では陛下に近づくことすらできません」

「海王玉の力で、サッと空間を転移して深海まで飛べばいいじゃねえか」

「あいにく、私にはそこまでの力はありません。途中で力尽き、海に落ちたところをモレイ族の餌食にされるのがオチでしょう」

「なるほどな。要するに、そこで俺の出番……モレイ族退治ってわけか」

レイスの唇が、戦鬼のそれへと吊り上がる。

「その通りです。マーマン族には海洋から敵の背後を追い詰めてもらい、我々は地上にのさばるモレイ族を、この断崖で挟み撃ちにして仕留めます。その戦況を見極め、マーマン族の使者が陸へ上がってきたところで、私はこの海王玉を引き渡す。協力していただけますか?」

「乗った。手を貸してやるよ。そもそも、そのモレイ族とやらが、地王界の地を我が物顔でのさばっているのが気に入らねえからな」

二人が狙う「モレイ族」は、海王族の中でも特に好戦的で、知性の代わりに圧倒的な狂暴性を備えた異形の魚人族であった。

体躯こそ屈強な人間の戦士と変わらないが、その首から上は、粘液に塗れた醜悪な「ウツボ」の頭部そのものだった。平べったい頭部に、濁った狡猾な眼。

その巨大な裂け口には、獲物の肉を骨ごと噛み砕くための、内側に向かって生え揃った鋭利な牙がびっしりと並んでいる。

皮膚は鱗のない、青黒いぬめりを持った不気味な肉質で、見る者に生理的な嫌悪感を抱かせる怪物たちであった。

「感謝します、グランバード王」

ハミッシュが細い手を差し出し、レイスはその分厚く、戦いで鍛え上げられた掌でそれを強く握り返した。

二人の王玉の保持者による、海の覇権を巡る共闘の誓いが、ここに結ばれた。


「おい、お前たち! 陣形を崩すな!」

レイスとハミッシュが岬を戻ると、後方の広大な陸地には、すでに壮観な軍勢が地平線を埋め尽くすようにして展開していた。

中央に陣取るのは、苛烈な砂漠の気候を生き抜き、強靭な生命力を誇る「ラクダ族」の戦士たち。

彼らは分厚い皮膚と頑強な肉体を砂色の甲冑で包み、手にした大曲刀を陽光に鈍く光らせている。

その周囲を、ミレトーからレイスに従ってきた人間の重装歩兵や、地の利を活かして戦う様々な亜人たちの混成部隊が、一糸乱れぬ統率のもとで固めていた。

かつては他王族の奴隷、あるいは家畜として数にすら入っていなかった人間と亜人たち。

だが今、彼らの胸には「地王族」としての誇りと、大地の底から湧き上がる仄かな地王力の輝きが宿っていた。

「お頭! 潮が引き始めてやがる。海の化け物どもが、そろそろ上がってくる時間でやんす!」

前線から偵察に戻ってきた亜人の兵士が、緊迫した声を上げる。

レイスは自らの胸元でドクドクと力強く脈打つ地王玉の気配を感じながら、漆黒の剣を完全に引き抜いた。

群青の海原が、嵐の前の静けさを孕んで大きくうねる。

地王暦三年、第六の王族としての威信を懸けた、海王族との未知なる全面戦争の幕がいま、切って落とされようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ