27 暗殺者流、紐の使い方。それ、間違っていませんか?
その夜、フランチェスカは就寝の支度をすると、いつものようにセドリックに毛布をかけた。
「ふわぁ、おやすみなさい。セドリック様」
あくびを噛み殺しながら言い、自分のベッドに戻ろうとセドリックに背を向けた時だった。
「……フランチェスカ様」
「え?」
フランチェスカの右手に冷たい指先が絡んでいた。
「ちょっ……! いつの間に梱包解いたの!?」
驚きながら振り返ったフランチェスカの手を、セドリックはぎゅっと握った。じわりと、フランチェスカの体温が少年の凍えた手に移っていく。
「……クッキー、美味しかったです。ハーブティーはカモミールが好きです。あたたかい毛布も、心地良い。……全て、貴女から教わりました」
セドリックは微笑んでいた。いつもは冷たく感じる銀灰色の瞳はわずかにあたたかな光を宿している。
「セドリック様?」
フランチェスカは首を傾げた。
「……でも、もう終わりの時間みたいです」
その言葉は、あまりにも穏やかな声だった。
フランチェスカは首を傾げながら、握られた手を見つめる。
「終わりって、何の――」
窓の外から差し込む月の光が、やけに白く見えた。
セドリックの灰銀色の瞳から、ふっと温度が消える。
それは初めて見る顔だった。
神殿で『神子』と呼ばれる、人を殺すためだけに育てられた暗殺者の目。
「まさか――」
次の瞬間、「カチャン」と窓の鍵が跳ね上がる、微かな金属音が響いた。
ぐいっと、セドリックが力いっぱいフランチェスカの腕を引く。
「ひゃっ!」
何が起きたのか理解するより先に、セドリックはフランチェスカを強く抱き寄せると、そのまま後ろに跳んだ。
直後、フランチェスカのいた場所を白刃の光が通り過ぎ、セドリックの毛布に鋭い刃物が突き刺ささる。ザシュッ、と不吉な引き裂き音が部屋に響いた。
(なななな、何よこれ!?)
さっきまであたたかかったはずの毛布が、一瞬で鉄の匂いを孕んだ冷たい布切れに変貌している。
無惨な姿になった毛布を見て、フランチェスカはサーッと血の気が引いていくのを感じた。一秒遅れたら、切り裂かれたのは自分だっただろう。
「……お前か、セドリック様を堕落させる悪女は」
短剣を構えるその小柄な人物の姿が、窓から差し込む月の光にさらされる。
——まだ幼さの残る少年だった。
「神殿からの追っ手です」
セドリックは静かに言った。
「僕から報告がないから『予備』を送ったのでしょう」
言いながら、セドリックはフランチェスカを背後にかばい、いつの間にか手にした短剣を構えていた。その刃が、冷たい月光を鋭く跳ね返す。
「そんな……セドリック様、貴方ほどの方が、本当にその悪女に唆されてしまったのですか?」
少年の顔が信じられないものを見るかのように、凍りついている。
「ちょっと待って、そもそも何で私が暗殺対象になってるのかわからないわ!?」
「……ふん、無意識に人を誑かすタイプの悪女か」
「何その厄介な認定!?」
「王子を堕落させ、神子を籠絡し、侯爵家を支配する危険人物」
「待って待って待って! 一個もやってない!」
「なるほど。やはり自覚すらないようだ」
「聞いてないわね!? 何これ悪役令嬢チート!? いらないわよこんなチート!」
フランチェスカが全力で虚空にツッコんでいる間にも、追っ手の少年は一切の油断なく、じりじりと間合いを詰めてくる。
「問答無用。セドリック様をたぶらかす害悪、ここで排除する――!」
少年が床を蹴った。シュッ、と空気を切り裂く鋭い踏み込みの音。月光を浴びた短剣が、容赦なくフランチェスカの喉元へ突き出される。
「……させません」
ビュォッ
一陣の風が吹き抜け、フランチェスカの赤い髪が大きく揺れた。反射的に目を閉じる。次の瞬間、キィンッと、高い金属の爆ぜる音が響いた。
もう一度瞼を開くと、瞬きをする間に少年の手から短剣は消え、天井近くまで跳ね上がったそれは遠くの絨毯に突き刺さった。
「なっ……!」
少年が目を見開く。——が、遅い。
その首筋には、いつの間にか、セドリックの放った『絶対荷崩れ防止のパッキング紐』が巻き付いていた。
セドリックは、フランチェスカの前に立ち塞がったまま、手元に残った紐の端を美しく指先に絡めている。
さっきまで彼をがちがちに縛っていたはずの魔法の紐は、今や完全に、暗殺者の武器へと変貌していた。
「なぜです……!」
少年の声が震える。
「貴方は神殿最強の神子だったはずだ……!」
雲間から差し込む月光がセドリックの銀髪を照らす。
どこまでも冷徹で、どこまでも美しい微笑み。
それは神殿が生み出した最強の暗殺者――『神子』の顔だった。
「キース。クッキーは好きですか?」
「……え?」
首筋に紐を巻きつけられたまま、少年暗殺者——キースは唐突な言葉に目を瞬いた。
「ハーブティーは? 僕はカモミールティーが好きです」
「あ……あの、セドリック様……?」
あまりにも静かで、温度のない声。その異常さにキースの顔から血の気が引いていく。
「僕たちは、コワレモノだそうです」
セドリックは柔らかく言った。
「だから、お茶をしたり、温かい毛布で休まなくてはならないそうです」
「……っ」
キースの瞳が大きく揺れる。
その表情は出会ったばかりの頃のセドリックによく似ていると、フランチェスカは思った。
「うん、そうだ。……とりあえず、お茶にしましょうか。こっそりクッキーもとっておいてあるの」
そう言って、フランチェスカは机の引き出しの奥からクッキーの箱を取り出し、にやりと笑った。




